見てごらん、いつか、私の高さになったら分かる
から
季節の変わり目であるということもあり、気候の差は著しく激しい昨日だった。
穏やかに天気の晴れていた一昨日とは違い、多少の過ごしにくさを感じる昨日は、へとへとになるまで身体を動かしたルルーシュには
夏の始まりのような気温に思えていた。空を仰げば一本の飛行機雲が浮かんでいる。
騎士証はどこにあるのかと訊いたら、カレンは『気になるなら体育館倉庫に行け』と言った。その通りに動くことは
昔の警戒心が先行していた頃の自分が見たら『信じられない』と言うかもしれない。けれどルルーシュは、手元から消えてしまった
寄りべを求める老人のように、ただ取り戻したいという考えだけで向って行ったのだ。あとでこっぴどくスザクやロロに怒られると
予想出来たのに。
ジョルジュが最初付き合ってくれ、と告白した時は、彼には入学当初から付き合っていた幼馴染が居た。どうやら、その彼女と彼は
婚約者の間柄でもあるらしく、ただのひと目惚れでそんな約束を反古にするなんて、と最初ルルーシュは断っていた。しかし、
ジョルジュは告白大会でのルールを持ってきて、公衆の目の前で幼馴染の彼女を振り、ぽかん……とした顔で立っていたルルーシュの
手をとって、学園に居る全員に自分たちが付き合うことを宣言したのだ。
彼女だってまさかこんなに簡単に振られるとは思ってなかったろう。
というか、歴史の長さで言ったらルルーシュの何倍も同じ時間を共有していたのだ。それが、どうして、そう魅力も変わらない
不釣合いであるとは思えない家柄と容姿をしているのに、身元もよくわからない学校住まいの副会長を選ぶのか、勿論納得しなかったはずだ。
当然後ろめたさを感じたルルーシュは、何度も、……そう何度も、ジョルジュに『本当にいいのか』と、彼女へ背を向ける腕を引きとめて
考え直すつもりはないのか、と訊いた。が、男の決断は”運命”という言葉に神格化され、親に割り当てられた都合のいい幼馴染より
自分の足であがっていった展望台で見つけ、恋に落ちた(と思っている)ルルーシュのほうが自分にとって価値がある、と
泣き出すその幼馴染の前で断言したのだ。------------それ以来、ビニールシートに包まれたジョルジュの前で鉢合うまで
その元彼女との接点はなかった。
なのにどうしてか彼が死んでから、より、幼馴染であった彼女のルルーシュへの憎悪は深くなっていたようで。
体よく呼び出しを受けたルルーシュを、彼女は仲間数人と待ち構えていた。体操着姿のまま着替えず、ふうはあ、と肩を上下させて
ジョルジュが死んだ時よりも必死そうな顔をした黒髪を見た時、その彼女はどう思ったろう。
ルルーシュの荷物を漁ってる時、真っ先に目に留めた金の細工を手の中にして、それをいやらしく顔の前に上げた。
欲しかったら自力で奪い取れ、と言うように。
せめて示談でも成立すればいいんだがな……、と、まずは話し合いでこの場を切り抜けようと思っていたルルーシュは一瞬何を言われてるか
解らなくて、『無駄なことはしたくない』とすぐに首を振った。
その平和主義な態度が腹に立ったのか、元彼女は上げていた腕を下ろし、シャリン、と細かい鎖が揺れる音を響かせながら
ぽいっと足元に投げてしまった。あっと声をあげる間もなく、僅かに地面から浮いた制靴がすることを直感で察して
スライディングするように手を伸ばして、女子たちが立つ場所へ走りこんだ。ズザッ、と砂利の擦れる音と視界がよくない暗い場所と
いうのが相俟って、どうなったのかがすぐに解らない。ただ、必死に伸ばした手は堅い靴底に踏み潰されていて、
突然の猛威から守ろうとその手を屋根にした騎士証は、ぶち、と潰されていた。息を呑む。自分が差し込んでしまったばかりに
その圧力で押し潰してしまったということなのか。
顔をあげて相手を見返せば、元彼女の女子生徒はルルーシュの手から足を外し、逆の足で耳を蹴ってきた。がつん、と直接ぶたれたような
痛みが頬まで痺れさせる。いつだったかコーネリアにぶたれた時とそう大差ない痛みに心の中は複雑になった。けれどそれよりも、
女子たちに蹴られるよりも辛い……手の中の金属の惨状にみっともない涙が出そうになった。くそ、出してやるものか。誰が
こんなくだらない人間の前で。こんな卑怯な手を使って大事なものを奪い取る奴らになんか。
暗い輝きを秘めた目をして、一度伏せた紫電をあげたルルーシュは、地面に這い蹲りながらその状態で相手の踝を掴み取り、
強引に引き摺り落とした。予期せぬ猛攻に防御が間に合わなかったのだろう。相手はくるん、と回転するように落ちて、
ルルーシュの横に顔から転がっていった。その隙をついて、好きに蹴られた身体を起き上がらせて泥も払わずに
その場に居る全員の顔を覚える。そのうちの一人が『その金属は何なんだ』と訊いてきたが、ルルーシュは答えることもせず
自分と立場が変わった生徒の身体を踏み越えて、倉庫の壁を拳でぶん殴った。-------------鈍い音が木霊して、後に続くように
生徒たちの細い悲鳴があがった。脇腹と、側頭部を狙って蹴られたこめかみが痛いな、と思いながら、危機を察して逃げていく生徒たちを
ぼうっと見つめて……ルルーシュは重く息をついた。
あの時スザクのいない時---------------自分すら生きてるか自覚してなかった時。
どうでもいいとして、ないがしろにジョルジュとの付き合いを始めた自分を強く、ルルーシュは呪った。
手の中にあるスザクとの証の欠片が、そっと開いたそこから寂しそうに自分を見上げてくる。
「……ごめん……」
何に謝ってるのか解らなかったが、この時自分はただ辛かった。胸が藁半紙のようにぐしゃぐしゃにひしゃげて、
前がよく見えなくなるくらいに季節の暑さを感じるくらいには、----------とても。
*
「くやしい」
「殿下……」
「くやしいったら、くやしい。すごく、悔しい……」
「……」
「本当に、一人残らずひっぱたいてやれたらよかった」
ぶんっと空を切るように横切られた腕は、そっと、目の前に膝を付くスザクの手に仕舞われた。手の甲は制靴の厚い踵で踏まれてしまったから
くっきりと紫色に変色してしまっている。腫れるのは明日からくらいかな……とそこを撫でて、無体に動こうとするルルーシュを
少しでも宥めようと力の無い笑みをみせた。本当は、本当に、自分自身も笑って励ませたらよかったのだが。
「そんなに落ち込まないでください。替えはきかないけど、暫くは僕のものを持ってればいいし……」
「自分の色の石なんて持ってても嬉しくないから」
「……」
言うことをきかない子どものような仕草で、ふいと背かれた首と頬には、絆創膏とガーゼが当てられていた。勿論スザクが手当てしたものだが
最初『白は目立つ』といってルルーシュは嫌がって腕の中から逃れようとした。その身体を長い腕で捕らえたまま軽く無理やりに
スザクがした処置は、目で見ただけでは解らない打撲や擦り傷の消毒と固定ばかりで。もっとちゃんと見てもらったほうがいいんじゃないかと
ベッドに座るルルーシュにさっき言ってみたのだが、『他人に触られるのはいやだ』と厳しい拒絶が返ってくる。本当に、それで済めばいいのだが。
「殿下。彼女たちの処分は僕からミレイ会長にお願いしておくから、せめて今日はもうゆっくり休まれませんか」
「え?」
「貴方の身体は特殊だけど頑丈ではないのだし。それに、明日あたりきっと熱が出ますよ」
「それは……」
殴られたり蹴られたりしたショックが後から出てくることは否定できない。スザクが言うことも尤もだ、と言う様に目線は伏せられたが
『けど』とすぐに顔はあげられた。
「折角スザク来たのに……」
「--------え」
「俺が寝たら、帰っちゃうんだろ?」
「寮に、ですか?」
「うん。折角、折角部屋に来てくれたのに」
そう言うやいなや、頬をぱっと赤くして、再び反らした視線をむずむずと動かし出した足元に向けた。何だか本音をいいタイミングで
口にしすぎて居た堪れないといったような姿である。
それを言われたほうのスザクも、誰に見せたこともないような緩んだ顔をして、ルルーシュが見てないことも知っていたのにパッと
腕を伸ばして、彼女と同じ色に染まる顔を手で隠した。逆の手で握っているルルーシュの手から早まる脈が伝わってないか
どこか平和な頭で考える。
「……で、殿下」
「スザク、帰るんだろ」
自分と同じく、そう人に見せない顔と声色をした口元で、追い討ちのように別れを惜しむ言葉を口にする。はらはらとそれに胸が騒がせられて
繋ぐ手に汗が滲んでしまいそうだった。焦っている。いつになく焦っている。本当に自分は、普段は騎士として振舞っていたいのに。
「帰る……?」
心細いというように、少し唇を尖らせたような表情がぱっとスザクの目に入ってくる。
『やばい』と声には出さず思って、情けないと知りながら彼女から露骨なまでに激しく、顔を背けた。真っ白な部屋の壁一点を凝視しながら
何か自分の中の理性に縋るように口にする。
「眠るまでは……っ」
「?」
「殿下が、眠るまでは部屋に居ます。殿下が、よかったらですけどっ……」
語尾があがりそうな緊張をどうにか落ち着かせて、心中では二度三度創世記を迎えそうになるビックバンを感じながら
きょとん、と目を瞬く紫電を、ゆっくりと見つめ返した。途端、花が開くように笑顔になる。『本当?』と言いたげに。
「明日も、もし休んだら、部屋に来てくれるか?」
「はい、頑張ります」
「朝は?」
「生徒会室に寄るフリをして、昼間も様子を見に来ます」
殿下の容態がよくなるまでは、と言って、嬉しいと笑う彼女に反復されるようにスザクも笑顔になって、『僕も嬉しい』と心の中で唱えた。
手を繋いだままで居たから、スザクは休みやすいように離れようと立ち上がりかけたが、指が解かれるまでもなくぐいっと手前に引かれて
ルルーシュを下にベッドに手をつくことになってしまった。そのまま拒否が出来るわけもなく、伸びてきた細い腕に首ごと締め付けられるように
シーツの中に縫いとめられて、……結局、本当に、ルルーシュが寝息をつくまで部屋に居座っていた。
「……」
男の体重を受けて軋むベッドの音に再び脳内で何かが爆発した気がしたが、枕に頬をつけてじー……と見てくる紫電に慌てて首を振って
どうにか落ち着こう、石のようになろうと熱しそうになる自身を落ち着かせて、暫く見つめあった。至近距離で。
「何もしてこないんだな」
(……)
人の気も知らないでどうしてそんな無垢な瞳をして言ってこれるのか信じがたがったが、今日は同級生から受けた行為が類稀なくらい
特殊なものであったから、どうにか……すぐに、安らかに眠ってくれるように、と。スザクは先に目を閉じて、
そろりと伸ばした掌で彼女の背中を擦ってやった。ふんわりとしたシーツの中で、枕に顔を預けるルルーシュのすぐ隣に添うように寝て
ぽんぽん、とたまに小突くように動かせる。
うとうととしかけて来たのか、瞼を瞬くように数回上下したルルーシュは、一度睫を震わして『宝石だったらいいのに』と謎な発言をして
眠りに落ちた。
「ルルーシュがリンチにあったってガキんちょから教えてもらったんだけど」
「ええ。僕が手にかけたジョルジュ・ラールの報復を、奴の前の彼女だった生徒から受けたそうです」
ベッドからルルーシュを起こさないように抜け出したスザクは、部屋の外の廊下で壁に背中をつけて待っていたミレイに
憮然とした顔で答えた。
「そのルルーシュは、今どうしてる」
「落ち着いてます。あまり人に見られないように裏道を使って来たみたいで……。体育館から走って来た姿は、多分見られてないと思います」
「そう。……でも、腹が立つわね……」
静かにそう呟いたミレイは、顔色を全く変えないまま、ガンッ!と横にある柱を殴りつけた。深夜も過ぎたクラブハウスにはその残響音だけが
残る。
「付き合ってる間だって……全く両思いでなかったのは見ているだけで解ってたことじゃない。どうして女っていうのはこうも独占欲が
強いのかな」
「寝付くまではちょっと取り乱してましたけど、怪我のほうも大したことないので復帰にそう時間は掛からないと思いますよ。
かえって会長が焦って心配すると、逆に困るのは殿下のほうかもしれません。……彼女たちの処分は自分に任せてください」
後のほうに昏い響きを込めさせてミレイに進言すると、彼女は柱からスザクのほうへ振り返り『やっておしまい』とGOサインを出した。
「人気のないとこでこっそり多人数で一人をイビるってのが気に入らないのよ。風紀委員としてでもセザル・オーウィンとしてでも
人として再起不能になるくらいやっちまいな!」
「想像力が貧困なのでどの程度でいいのか解りませんが……、もう二度と、人の足は踏めないくらいにはトラウマを植えつけてきます」
よくも殿下の足を踏みつけてくれたな、と、スザクも壁の柱を睨んで蹴りつけた。罪のない柱は突然の八つ当たりに少し端のあたりが欠けた。
「ロロもロロよ。守るなら守るで徹しなさいよって話。思わず電話口で怒鳴っちゃったわ」
「……彼の見てないところで、突然殿下が消えたんですか?」
「さあ。細かいとこはまだ訊いてないけど、彼曰く、呼び出されたというよりもルルーシュのほうから向ったらしいわ。
誰かに何か言われたのかもしれないわね……シャーリーからは、前に一回襲われた時と状況は同じだって訊いたけど」
「というのは?」
「前に話したかもしれないけど、ジョルジュ・ラールと付き合うようになって頻繁にルルーシュは呼び出されたりするようになったのよ。
スザクが来て大分沈静化したけど。……それまでは反感がルルーシュに一点集中しててね、その時も私物が盗まれたり靴底にカミソリ仕込まれたり
陰湿ないじめが多かった。だから集団でいることを避けて、展望台とか生徒会室に入り浸ってたのよ」
イヤガラセって表出しないからまたセコくて嫌よね、と胸の前で腕をくんで、続ける。スザクは黙って聞いていた。
「そこでルルちゃんもまた律儀に一人一人に顔出していくもんだから……、シャーリーが出てくるまで納まりがつかなかったの。
ルルーシュは売られた喧嘩にはいつも買うようにしてたから。ね、救いようがないでしょう」
「ええ」
それは多分、総督であった公正さからきてるものだと思うのだが……。よく彼女はどんな人間の出された言葉にも耳を傾けるようにしていた。
シュナイゼルも自国の人間にはそう在ったから、と。
そう思い返していたら、やはり胃の辺りがずくん、と重くなった。表情にもそれが出ていたのだろう。向かいに凭れていたミレイが
訝しげに『どうしたの?』と訊いてきた。慌てて顔をあげて『何でもありません』と首を振る。ああもう、本当にどうしたらいいのか。
「あんたが思い悩むことないわよ。むしろ、まだセザルで居る状態でルルちゃんの為に動くほうが危険だと思うし……」
「でもあまり悠長に構えては居られませんね」
「どういうこと?」
「-----------、カレンが気になります」
声を潜めて囁かれる言葉に、ミレイの背中は、僅かに壁から浮いた。
スザクがそう思うのには、根拠はない。聞いてるミレイだってそう思う。カレンの存在は今まで自分たちから離れた所にあって
彼女自身の標的はずっとルルーシュに向いていた。スザクは自分の記憶が戻っても記憶が戻ってないフリをカレンに対してしていて、
決してルルーシュと通じていることを悟られないようにしていた。が、もしかしたらもう、---------それが。
「崩れたってこと……?バレたの?」
確証は、とミレイの目がスザクを映して大きくなる。ひくり、と自身も硬直する眉を指でほぐしながら
足元に向けていた視線を彼女のほうへゆっくりとあげた。
(確証は)
「……今日の放課後、殿下も出席していた体育の授業のことについて、彼女、わざわざ話に来たんです」
「そりゃあの子とは友だち設定なんだから、あんた、普通の振る舞いでしょ?」
「いえ。会長……。カレンは”ごっこ”でも”フリ”でも、解放戦線に言われている”演技”でもなく。
元々殿下のことが嫌いなんですよ。だから嘘なんて必要ない。セザルである僕のほうにわざわざ殿下の話を持ってくるほうが
”不自然”なんです。彼女は、おかしい行為を既に、……僕の前でしているんです。ああ、うん、そうだ……カレンの行動はおかしい」
わざと関心のあるようなフリをして、ルルーシュのバレーでの醜態を話題にして、
こんなことも口にしていた。
『変わらないわね』
---------運動オンチなとこは。
(どうして初対面という設定であるルルーシュのことを、昔から知ってるような口ぶりをしたんだ……)
(そうか)
(多分、きっと)
皆までは言わないというように、一本だけ立てた指をスッと静かに口に当てた。そのスザクの所作にすぐに何を言わんとしたか解ったのか
ミレイはスザクにしか見れないように頷いて、顎だけしゃくるように後ろを見た。視線を感じるのだ。丁度、スザクが皆まで
いい終わらないうちにヒヤリとする刃のようなものが----------。
(カレンか?)
わざわざクラブハウスまでやって来たか?スザクはミレイが向いている廊下の奥の奥のほうを睨むように凝視しながら、
体重をかけていた左足を右足があった位置と交代させた。二人でしていた話を聞かれていたらまずい。場所も場所で、ルルーシュの
部屋の前だ。どうして敵の女の名前を口に出してしまったのか。
スザクがそう後悔しかけた時『何だ』と呟いて、急にミレイは警戒していた素振りを解いてしまった。え?と思って
廊下の先へ視線を移せば、そこには我関せずといった仮面のような表情をしたロロが歩いて来てて。強張り出した肩がどっと緩んだ。
「無防備ですね」
「うっさい。監視するとか言って昼寝してた奴に言われたくないわ」
「それは軽率でしたすみません。でも、二人がしてた会話、筒抜けでしたよ。大丈夫なんですか?」
「……」
ガラス細工をそのまま嵌めこんだかに見える無機質な瞳が、チラリとスザクを覗くように見た。彼の言うことは尤もだったから
自分も目を伏せて言い返さずに黙ってやり過ごす。ミレイも怒るだけ怒って後は静かにしていた。少年がどんな用でここまでやって来たかは
知らないが。
「姉さんは?」
何も喋らない二人を前に淡々と口を開く。『中だ』と、目線だけドアのほうへ向けた。
「もう休まれたんですか。怪我のほうは……」
「大事ない。耳を切られたようだけど本人が気付いてない程度のものだから、そっちも特に心配は要らないだろ」
「そうですか。それを確認したかっただけなので、もう結構です。お答えして下さってありがとうございました。口もきいてくれないんだと
思った」
話の解る方のようで安心した、と踵を返しながらロロは呟いて、ミレイの眉がそれにピクリと跳ね上がった。スザクはその挑発めいた
言葉には耳を向けない。ただルルーシュのほうにやった目線をそのままに、腕を組んで耐えた。この少年の気は遠い誰かに似ている気がする。
とても深く、激しい、ずっとスザクを焦がしていた男の気と同等のものだ。
そんな風に思われてるとも知らないロロは二人から未練なく立ち去っていく。ルルーシュの部屋に入りたいとか言い出すんじゃないかと
ミレイは思ったが、逆にスザクはルルーシュのカモフラージュも兼ねて、彼には傍に居てもらおうと考えていた。彼もそれを了承している。
昼間ランチをとりながら背中に向けられた視線で、見下すような温和な目をして言われてる気がした。お前の位置はそこで、僕の今の位置は
以前お前が居た此処だ、と。
「そうだ言い忘れてた」
教科書忘れた、と同じ響きでミルクティー色した髪が振り向けられ、ミレイと共にびくっと顔をあげた。
よく見たらロロの着ている学生服の腹部には、変色した何かがへばりついている。反射的に壁に居たミレイは口元に手をやり、
少年から顔を背けた。
「始末しておきましたよ」
「……」
「仕事、失くしちゃいましたか?」
「いや、いいよ。……手がはやいね」
「ええ。だって腹が立ちましたから」
ルルーシュも評した”虫を殺さない”笑顔をした表情で、そんなことをついでのように言い残していく。手を覆ったままで、ミレイも
腕を組むスザクもその無慈悲な判断に口を開けなかった。
「悪かった」
「いえ、役目ですから」
「殿下にも、あまり無鉄砲な真似はしないように言っとくよ」
きっとロロは自分の予測しないとこでルルーシュが動いて、勝手に傷つきにいったのが癪だったのだろう。けれど自信家ではない
無色な笑みをして告げる報告は、およそ彼女の為にしたことだとは思えない。彼には彼の線引きがあって自分自身の行動が決められるのだと
見ているだけでの判断だが、感じられる。
『もう行っていいよ』と言うスザクに軽く頭を下げたロロは、今度こそ振り返らずに迷いなく廊下の奥へ消えていった。どこを根城にして
いるのか判然としない彼の歩調は淀みなく、コツコツと踵を響かせて姿諸共小さくなっていく。
とうとうそれが点ほどのものになった時、ようやくミレイは息をついた。
「何なのよ」
「……怖いですか」
「別にそんなんじゃないわよ、ただ不意を突かれただけ」
「大丈夫です。彼は、多分……あの人とは種類が違うものだと思うから」
あの人?と金髪が疑問に揺れた。それに対して曖昧に微笑んで、わざと名前を口に出さずスザクも彼女へ背を向ける。
部屋のドアを離れる前に一度だけ振り返って、大きな足音を立てないように、その場から立ち去った。そんなスザクを見送りながら
まだミレイの目は訝しげに顰められている。-------------どうしたってロロを前にすると頭の中に想起される人物に
セザルとしての自分が住む寮へと帰る中、眩暈を覚えた。ミレイにも、自分が一年前したことについて悔いがあるんじゃないかと言い当てられて
奈落に突き落とされるようなショックを味わった。時間が経つにつれ記憶が鮮明に思い返されればそれるほど、
胸の中に浮かぶ存在は大きくなる。大きくなっていくほどにやっぱり自分は、ルルーシュに触れることを躊躇うんじゃないだろうか。
*
ルルーシュはとりあえずガーゼがとれるまでは学校を休ませることを咲世子に言っておいて、ミレイは朝に挨拶だけ彼女に済ませ
生徒会室に向った。
先日あったジョルジュ・ラールの死亡については内々で処理をすることにし、ロロが制裁したという彼女に関しては、朝方
たまたまグラウンドを通りがかった当直の先生が、アッシュフォードのほうへ連絡を入れてきた。……たった一週間のうちに
二人も除籍することになるなんて、とんだ猟奇学園である、うちは。
その事実に重く頭を伏せるように肘をついて、机の前に項垂れる。目の前にはルルーシュにまだ回ってない書類の山があった。
週末にはミレイお得意の企画物をひとつやりたかったのだが、この調子だと生徒会自体が動けないことになるので、遊びどころの話
ではなくなるような気がするし……、時期柄も考えて、どんちゃん騒ぎは望めなくなるだろう。
自分にとってはあかの他人ともいっていい二人の生徒が亡くなったのだから、胸を痛める必要は大いにあると思う。が、そのどれもが
ルルーシュ関連のことで、当事者のほうも彼女の近しい人物であれば、-----------ミレイはもう、生徒会長として悲しむことも悼むことも
出来ないなと思った。スザクもロロも、ルルーシュという存在があって彼らに制裁を下したのだから。道徳を突きつけるがごとく
責め立てるのは筋違いというものだろう。
であるから、自分は、この始末書含む報告書を今日中に仕上げなくてはいけないわけか……誰かに任せるわけにもいかないし、と、
額を伏せたままくすりと笑いを零す。自虐的な思考は捨てていこうと決めていたはずなのに、周りに人がいないとこれだから女は困る。
手伝ってくれる相棒が居ないとなるとシャーリー辺りに働いてもらうしかないか。リヴァルは犬だしニーナは大学部だ。
スザク、もといセザルには風紀委員以外頼まないほうがいいと思う。カレンは……自分はどう、接すればいいのだろうか?それを彼と
打ち合わせるのを忘れていた。
「もう、わけわかんないわ」
手近に転がっていた万年筆をピンと立てた指先で弾いた。コン、と音を立てて端まで移動していく。落ちそうになる所でそれは止まって
光沢のあるボディを天へと向けていた。
「みんな勝手だわ」
腹が立つとか泥棒猫とか突然現れた弟とか。
「いつルルーシュは自由になれるの」
ミレイが見たいのは、初めて会った時のように綺麗な衣装を着た、鮮やかな姿で笑う彼女であるのに。
もう何日、ルルーシュは笑ってないだろうか------------……。
ふと、顔を上げたらそこに昨夜別れたきりのロロが居て、声もなく、深く座り込んでいた椅子をひいた。
「……びっくりした」
本音を言えば、少年は無表情を崩さず『すみません』とすぐ謝ってきた。違う、別にそんな反応はのぞんでない、と言おうとして
彼の目がミレイではなく机の上の書類に向いてるのに気付いた。機能性のあるコンピューターのようにほぼ無音の状態で
静かに目が動いているのはおよそ人間的ではない。
そして同時にミレイには、赤に、薄く紫が引かれた双眸が、何かの花の色を連想させているように思えた。
「ミレイさん。ぼくずっと不思議だったんですけど」
「……?」
「枢木スザクは騎士ですが、……姉さんの恋人でもあるんですか?」
「え」
そんな野暮なこと訊かないでよ、と、唐突にされた質問に返そうとした。けれどそう口にしようとするより早く『わからないんです』と
吐き出される。少年の疑問はミレイが思ってる以上に大きいらしく、自分が彼女の弟を演じる上でさも重要だというように
ミレイの座る机へ手をついてきた。
「おかしいですか、こんな質問」
「ええ。ちょっと……。あんたはあんたでルルーシュのことが好きだから、あの子の世話をしてるんだと思ってたわ」
「違いますよ。異性としては見てません」
きっぱりと答えられた。その返答に『じゃあ何が言いたいんだ』と見つめる瞳を鋭くする。……そうすると、逆にロロの視線のほうが
無表情から険しいものになった。
「彼は、姉さんが好きなんでしょ?」
「すごおく、ね」
態度から見ても明らかなその好意に、のんびり屋で仕草くらいでは気付かないルルーシュの傍に居るミレイは、たまに眩暈に襲われる。
「だから大事にしてるんでしょ。見りゃ解るじゃない」
「……」
「本当に好きでなかったらね、記憶が戻った時点で学園から連れ出してた。でもそうしなかったのは、あいつが昔の失敗を繰り返さないように
確実にルルーシュを自由にしようと思ったからよ。私はサポートをしてるだけ。最初伯爵のとこでルルーシュは寝てるだけだったんだけど
目覚めた彼女をどうしようかとセシルさんから相談された時、いつかスザクが迎えに来てくれるんじゃないかなって私思って
『引き取ります』ってまだ記憶の戻ってなかったルルーシュを連れてったの。……その判断が英断だったのか解らないけど、
今は無事二人で居ることが出来てるわね」
「ミレイさんは満足なんだ」
「満足っていうか、……見てることしか出来ないじゃない。第二皇子との確執は新聞やニュースでしか知らないし、伯爵もセシルさんも
当人たちの次によく知ってると思うけど、決して口は開かないもの。ルルーシュのことなら何でも知りたいって思うけど、
やっぱり好奇心だけでそればかりは自分から訊くことは出来ないわ。スザクが本当にあの子をどう思ってるのかっていうのも同様。
私は見ていることしか出来ない。------------あんたもそれでいいと思うわよ」
(本当に、英国からの刺客であってもね)
折角ルルーシュが許容した次の人間であるのに、少しの切なさを覚えながらロロを見上げる。
スザクの立ち位置が不思議だ、とぼやいた少年はミレイの目を見ながら、考え込むように黙った。ずっと視線が向けられていた書類には
変装したスザクの写真が貼られている。本当に、あと何日したら彼の学生服姿が見れるんだか……。
「恋人、」
小さくロロの呟く声がして、また耳を傾けた。『恋人でもあるならもう少し独占しあってもいいのに』と音が聞こえる。
しかしそんな図を想像しても彼らには不似合いな気がしていた。違うだろ、という意味をこめて金髪を横に振った。少年は多分きっと
心が無垢だから、複雑怪奇なスザクの純真さが解らないのだろう。
「あれでもギリギリまで正直になってると思うわ」
「……というと?」
「普通の恋人同士が殺しあうようなご時勢の中ではね、簡単に自分たちの関係性を高めないように用心する人間も居るの」
「主従のフリした恋仲ですか」
「恋人を越えた主従よ」
顔の前で指を組んだポーズをしてみて、知った風な口をミレイは叩く。けどその言葉でむしろロロは納得したのか
どこか関心したように瞳を大きくした。
「……不思議だったんですよ、本当」
「ええ」
「だってあの人、昨日、怪我の治療だけで何もせずに帰ったでしょう」
何か姉さんに対して弱みでもあるんだと思ってました。
--------その言葉に、音にせず『うん』と頷いて、何だかツンとしてきた鼻を抑えるように口元を手で覆った。
ミレイだってロロと同じような疑問は持っていた。スザクはルルーシュに一年前のことを許されても、変わらず部屋へと通うのに
キス以上のことをしている雰囲気は一切ない。しかもそれとなくルルーシュを探るように見れば、そのキスという接触だって
記憶を思い出した初日以降していないらしいし。
でも特にその辺りで心配することはない。こつこつ、確実に、今の自分たちが自由になる術はあるんだ、とスザクは言ったから
ロロにも言った通り本当にミレイはサポートしか出来ない。その上で邪推だってするしルルーシュの為を思ってスザクに怒る機会だって
あるだろうと思う。
「はあ」
一息ついて机の書類を整理しようと手に持った。丁度ロロが来たから彼に要らないものと保管しておくものとを分けてもらおうかと
考える。生きていく上で人を大事にするなら人の数くらいにやり方はあるだろうが、例えその中でも際立ってスザクのやり方が特殊であろうが
全然大丈夫だとミレイは考えるのだ。
こつり。
鍵が施錠されていないのか、鉛筆が一本入りそうな隙間があいてるのを見つける。
静かに手にしていたドアノブを右に回して、必要ないかもしれないが物音を立てないようにと、スザクは足音を忍ばせて
そっと中へと入っていった。
格好は昼の授業を受けていたのでセザル・オーウィンのものである。こんな姿で気軽にクラブハウスを歩いてるのを見られたりしたら
言い訳のつきようもないのだが、昨夜ルルーシュには『昼間も覗きにくる』と約束をしていた。その時の無邪気な笑顔がとても印象強かったから
なるべく彼女の我儘もきいてやれたらいいとも思っていたので、こうして警戒しながらやって来た次第である。まあ、廊下では誰とも
鉢合わなかったのだが。
「……」
玄関を抜けて、部屋をひとつ挟んだ奥にあるベッドルームへと足を踏み入れた。どうやらルルーシュは寝ているようで
薄いピンクのシーツがかけられた布団の中に、頭をすっぽりと埋めている。熱がやはり出たのだろうか、額にタオルがのせられていて
枕元には水差しが置かれてあった。わざわざ起こす必要もないか、……と周りを探るように見ながら、傍らに腰を落とす。
「綺麗だな」
昔は『かわいいな』と思うことが多かった。何がというと、勿論ルルーシュに対してだが。
一年しか別れていなかったのに外見が変わったなんて失礼かもしれないが、特にルルーシュの場合は髪も身長も伸びて、随分年相応に
女らしくなったと思う。
その変化が純粋に嬉しくて、わざわざコメントすることもないが普通に寝顔などを前にすると、長い睫や伏せられた透き通る瞼に
『綺麗だな』と感じる。見つめるだけで熱を感じるなんて口にしたら、ルルーシュは少し驚いて困ったように笑うだろうか。
熟睡する寝顔からは察することは出来ない。
「殿下」
ふと名前が呼びたくなって、意気地なしにも敬称のほうを呟いてしまった。
「……?」
何度か浅い眠りを繰り返しているせいか、それだけで意識が浮かび上がろうと寝息が止まる。はああっと思って、すぐにスザクは
ベッドから立ち上がった。この後はまた体育の授業だから、参加の出来ない自分は寮にでも避難していなければならない。
様子を見るだけならもうこれでいいはずだと思って、慌てて部屋から出ようと踵を返した。
昔の自分ならここでキスの一つでも薄い唇にしていたかもしれない。
けど、今の姿でする気にはなれなかった。自分の騎士証を守る為に傷ついたのなら尚更。尚更もっと、---------しっかりしないと。
「……」
(しっかり)
しっかりしたいんだ。彼女の傍に居ると決めたのなら、自分はもっと。
*
手にした金属は容易にカレンの手の中に納まった。正直ジョルジュの前の女にルルーシュの私物を差し向けたのはナンセンスだったなと
反省していたカレンは、元々”こちらのほう”を彼女たちに渡していれば、結果はよかったかもしれないと思った。
今手にしているそれは、ルルーシュが粉々に砕かれたものとほぼ形状は一緒な、中心にアメジストが嵌めこまれたものである。これは
元々学園に入学する時のスザクは手にしていなかったものだった。それをどうして今彼の寮の一室で見つけることが出来るのか?
それこそ大いに疑問であるがカレンは数日前展望台である場面を目撃していたから、どうしてそんな変化を彼がしたのかは簡単に
予測出来ていた。
『貴方、保健室でルルーシュのボロボロな姿を見てから、変わったから』
『デュエリストと花嫁以外の関係はないよ。日本解放戦線のことも言ってない』
『そう、安心したわ』
(……嘘つき)
掌を檻になぞらえるように、手の中の金属をぐ、と握りこむ。勝手に部屋へ入ったなんて知られたらどんな仕返しをされるか知れたものじゃないが
別に殴られても刺されてもいいと思った。そうしてくれたほうが”裏切った”という判断がしやすくて有り難い。彼はカレンにこそ一番
バレてないと思ってるのかもしれないが、カレンはスザクの微小な変化から少しずつ気付いていった。そうか、一年前のこともそれよりずっと前の
シュナイゼルとのことも全部思い返したのか、と。……自分も清掃した花壇の上で身を寄せる影を見つけて、思ったから。
ガチャリ。
扉の開かれる音がする。蝶番が軋む音と合わせて、耳慣れた彼の足音が近づいてくるのを聞いた。クローゼットの男ものの服の間に
大事に仕舞われていた騎士証を握りしめたまま、ポケットに入れ込む。きっとスザクは体育の授業をサボるために寮に戻ってきたのだと思うが
むしろそのチャンスを狙ってカレンは来ていた。
「あれ、……どうして居るの」
肩までのロングのウィッグをつけたセザルの格好をしたスザクが、クローゼットを前に立つカレンを不思議そうに見つめる。
いつも欠席なんてしない自分が此処に居るのがおかしいとも言いたげに、頭から爪先まで見下ろされた。ふっ、と口元を緩めて
研ぎ澄ましたナイフのような蒼瞳をカレンもスザクへ向ける。クローゼットから身を離して、その前にあるベッドへぼすんっと音を立てて
腰を落とした。
「居ちゃ悪い?たまにはサボりたい時もあるのよ、私だって」
「何だよ。君は僕と違って優等生って設定なんだろ?仮面は簡単に付け外すものじゃない」
「そうね……まあ、こんな自由も今日限りにするわ。それよりスザク、貴方どこへ行ってた?生徒会室じゃないわよね」
「……」
「仮面をホイホイと付け外してるのはどっちのほうなのかしら?言いたい放題やりたい放題好きなことしてくれるわ。
貴方が言ってること、全部私のセリフなんだけど」
「……カレン?」
「両手をあげて」
座ったままの体勢で、顎をしゃくる動きだけでスザクへと命じる。
特に何か反抗することもなく、大人しく女子の制服を着たままのスザクは、スカートの裾がベッドに居るカレンと向かい合うように
手をあげながら近づいた。
「どこへ行ってたかなんて、答えられるわけないわよね?だって貴方一昨日の日曜日だって部屋に居なかったじゃない。クラブハウスにでも
行ってたの?」
「……」
「そもそも籐堂さんとはどんな会話をしたのかしら。まだ内偵の任務が終わってないのにも関わらず、地下へ戻るなんて変な話よね。
……ねえ、スザク、隠してることない?」
「何をさ」
その答えに、ふいっと目線を泳がすようにクローゼットへと向けた。その動きに何を感じさせたのか、両手をあげたまま顔だけ
向けたスザクの瞳は、僅かに見張られる。いつの間にかカレンの口元は狐のように弓の形をしていた。
「---------私がルルーシュにしたこと、気付いてるわよね」
「……ああ」
「それを、貴方にもしてやろうと思ったわ。でもいい。何だか面倒になってきた。そんな周りくどいやり方よりよっぽど簡単でいい方法を
思いついたから……もういいわ。全部いい。どうでもいい」
シーツから腰を浮かして、ゆっくりとだが完全に身を起こしてカレンは、クローゼットを背に立つスザクの顔を一度だけ見返して、
視線を腹の辺りに落とした。両手をあげる姿勢を崩さないからそこはいつになく無防備になっている。ずっと手にしていた騎士証を
右手でぎゅ、と握りなおして、当然ながら金で出来ている手の中のそれを、今更ながら頑丈だなと思いながらカレンはそのスザクの腹へ
その拳をぶち込んだ。
「!……っぐ」
片翼を象った細工が、あまりの衝撃にカレンの手の肉さえ裂く。細かく血が粒のように弾け飛んで、呻きをあげたスザクの顔と
カレンの頬を汚した。
「高い場所で見てたの……」
一発で終わるわけもなくもう二発、拳の強さに倒れてしまわないように肩へ回した手で固定して、スザクの腹部へ打ち込んだ。
手をハンマーのようにして。
「貴方たちがキスしてるとこ、高い場所で見てたの……」
ゴス、鈍い音がする。
抉りこむように肋骨を圧迫する強さにスザクは酸素をなくして、前のめりにカレンの首元へ倒れこんだ。しかし、三発目、と、
続きが入れられる。
「見てたのよ、私。……それで解りたくもないのに解っちゃった」
「……っ、」
「裏切られたくせに、大事なのね、相変わらず。……誰が一年前死に掛けたところを救ってやった?」
丁度耳が口元にくる位置にスザクが倒れてきたから、カレンは腹を殴りながら逆の手でスザクの身体を引き寄せて
囁くように口を開く。嘘じゃないよね?と。いつの間にかその話す言葉と声が、カレンさえ自覚しないほど不気味な質のものに変化していた。
「か、れ……」
苦しそうに抵抗しないスザクは頬を血に染めたカレンを見る。けど反して笑顔になった彼女は、手の中で既に粉々になった騎士証を
握りなおして、また腹部へ叩き込んだ。
「!」
衝撃を殺せ切れない足が、床の上で浮く。
殴られてるスザクが血を出してるわけじゃないのに、カレンの髪より鮮やかな赤色はポツポツと、絵の具のように部屋のカーペットを
彩った。
けれどそうする本人であるカレンは空虚な目をして『嘘じゃないのよね』と繰り返す。細切れに、落ち着くことなく何度と
拳をぶち込んで。痛そうにスザクの額に汗が浮かぶまで、握ったままの騎士証も赤に染めていった。
「嘘なのよね、もう。-------------スザク」
下腹部に近い骨が歪む音がして、スザクが息を吸い込もうとしたのと同時に、耳元に吐き出す。背をずっと支えていた左手は
気付けばセザルのウイッグを掴みあげていた。カラーコンタクトをしたスザクの瞳が、汗と痛みに濡れた姿で無常なカレンを見つめてくる。
それにもう笑い返すでもなく、自分の血に濡れた右手を制服からようやく離して、追い討ちとばかりに口を開いた。
「解った?私知ってたのよ。全部、全部、全部。貴方が私を裏切ったって……」
「--------------」
(貴方、が)
「私を裏切ったって」