彫刻によくある白磁のような肌。
どんな花の色にも芽生えないような、紫暗の瞳。
シュナイゼルの話についてロロが知っていることを挙げるとすれば、それはやはりルルーシュ絡みのものになるだろう。
よもや彼女が絡んでくるのは仕方ない……何故か彼の(一応の)血縁者である自分から見ても、
シュナイゼルの寵愛のしようは、----------言葉に尽くせないものがある。
「姉さん、おはよう」
アッシュフォードの学生が門へと続く中庭を自分も歩きながら、ロロは軽く手をあげて挨拶をした。
前方には橙色の髪をした同級生と、ぼんやり並びながら歩いていたルルーシュが居る。振り返ってきた動きの中で
黒髪がサラリと太陽に反射して、ロロにはそれが少し綺麗に見えた。
二日前、放課後、展望台で押し倒した時に無理に引っつかんだ所を妙に案じてしまったりもした。コホン、と咳をつく。まあ、
後に響く行動でもないから別に後悔なんてしやしないのだが。
「お前……」
「朝から授業出るんだ?めずらしいね」
「はあ?」
何でお前がそんなこと知ってるんだというような目をして、ルルーシュが眉を顰める。隣にいる同級生らしい橙色の髪の彼女は
『サボってばっかだからそんな風に言われるんだよ』と笑っていた。面白くなさそうに紫電がロロへと再び向けられて、
どくん……と心臓が鳴るのを感じた。
まるで危機感なんてないというように、先ほど目が奪われた黒髪がふわふわと寄ってくる。
(ちっちゃい……)
彼女は小さかった。ロロが170もいかない身長であるのと比べてみても、ルルーシュの身長は自分よりも5センチは低い。
ならば165あるかないかくらいであろうか……。後ろに居る同級生の彼女とは身の丈が同じくらいであろうが何故かルルーシュのほうが
細く感じられた。多分、肩幅そのものが平均的な女子よりないのかもしれない。
「姉さん、ちっちゃいね」
改めて口に出してみた。どういう反応をしてくるかな、と思ってしたロロなりの悪ふざけであるが、予想以上に紫電の端がキッと
吊りあがって『どういうつもり?』と言いたげに顔が赤くなってきた。
初めて学園で見た印象とは違って、今見るシュナイゼルの異母妹はからかえばからかうほど天気のように表情が切り替わるらしい。
面白い発見だった。
「だって実際見たら小さいんだもの。よく展望台で昼寝して授業サボってるのは知ってるけど、もしかしたらそこで寝すぎちゃって
夜に睡眠摂らないから、成長しないんじゃないの?」
「何だと……。これでも健康診断では3センチ伸びたって結果が出てるんだぞ。それに、俺は他の女子よりも大きいほうなの。
男にしては痩せ型のお前に言われたくないな」
平均的な数値という面でみれば、お前よりも俺のほうが勝っている、とルルーシュは言いたいらしい。
背中から呼び止めたロロのほうに近づいていたルルーシュの後ろに居た女生徒は『屁理屈だよルル』と一蹴した。
「弟くんにも言われちゃうほどもやしっ子ってことなんだよ。前に私だって言ったでしょ?寝てばっかじゃなくて
ご飯もちゃんと食べなくちゃ大きくならないって」
「……最近は胸の成長以外に興味ない」
「はあっ?」
せめて人並みくらいあれば、……とぽつりと呟いて、黒髪がサラリ、とまたロロに向って揺れ動いた。
先に歩いていってしまうルルーシュのあとを追うように視線が動いて、『そう言えば何で呼び止めたんだろう』と口に手をやる。
前では、
「なあに、ルル!いい人でも出来たの?私に黙ってるなんてひどいんじゃないっ?」
「お前がとらえてるのとは違う!」
「でも"胸"って!ソッチ系な意味にしか受け取れないんですけど」
「いいから。もう教室行こうよ」
シャーリーとかいう彼女の肩を押すように先を急かして、パタパタと踵を鳴らす音を響かせ、ロロを置いてさっさと走っていってしまった。
何故か不意に、まだ齢15にも満たない容姿をして自分の母親に精子を売った父のことを思い出そうとしたのだが、
駆けていった彼女の背中を見ていたら、-------------どんどんロロの中でシュナイゼルの影が薄れていくのを感じて、
ぱちぱちと慌てて瞬きをした。空は雨なんて否定する快晴で、昨日の天気なんて気にしない陽光を発しているのに。
彼女の姿を映すその目から、シュナイゼルの形が零れていってしまうような気がして。
君の微笑みに意味はない、私の欲しい意味はない
「ローロー……う」
「よく食べろって言ったのは姉さんの友だちさんの言だよ」
「そうだけど。確かにシャーリーが言ってくれたことだけど……だからって」
オレンジを基調とされたランチプレートには、主菜副菜スープという定番のそれと、もう一つおまけに大きなパンが
乗っかっていた。まあ、食堂に来てテーブルに着いた以上は食べなくてはいけない使命であるのだが。
「どうして食堂のおばちゃんが考えてくれたメニューに、余計なものを乗せしようとするかな」
「だって本当に姉さん少食なんだもの。折角のおばちゃんの好意を、っていうのはむしろこっちの話だよ。いつもおばちゃんたち、
姉さんのプレートには気を使って他の人よりも多くよそってくれたりしてるんだよ。気づいてたりしないでしょ?」
「それは気づかなかった……。けどな、俺があんまり食べないのは別にどうでもいいことだろ。背が小さいこととかも合わせて」
どうして『わざわざ面倒見てやる』って態度で食堂に連れてこられなきゃならないんだ、とルルーシュは言いたいらしかった。
けれど優雅な所作で、はじかれそうになったルルーシュの右手にあるパンを取り上げて、一口大にそれをちぎり、
言い換えそうと開いた口に放り込んだら----------ルルーシュは黙るしかなくなってしまった。こいつ、見た目に反して人を扱うのに
長けてる、と年上ながらに悔しくも思ったりして。
「弟なんだから姉の面倒を見るのは当然だよ」
「別に面倒を見てほしいなんて、言ってないだろ」
「見るしかないじゃない、今の状況じゃ。……ほら、あっち見てよ」
昨夜クラブハウスのルルーシュの部屋で別れたきり、スザクとは会っていない。彼は一応女子として在籍しているわけだから
当然毎朝学生寮から登校してくる。反して、学校の校舎そのものに居住しているルルーシュは、そんな彼とは登下校なんて共にすることは
出来ないのだ。
------------まあ別にそんなことはいいのだが。向かいに座るロロが指した方向、ルルーシュたちが座る屋内の席とは違って
外の中庭に面したテラスの席で、カラーの違うくせっ毛を見つけた。あれは、……猫っかぶりしてるカレンを『病弱だ』『かわいそうだ』と
チヤホヤ優しくする集団の女子じゃないか、……と、スザクではなくセザル・オーウィンの周りに座りながら紅茶を傾ける生徒を、
ルルーシュはロロに放り投げられたパンを咀嚼しながら、じいっと見つめた。
「笑っちゃうよな」
ルルーシュにパンを与えた左手の指先を舐めて、目を細める。
「あの女装趣味で女に囲まれて慣れない環境に硬直してる中身男の、……あれが騎士とか」
「趣味じゃない」
「失礼。--------あの変装趣味でカレン・シュタットフェルトの尻に敷かれている実は男の、自称……」
「さっきより酷くなってるじゃないか」
ごくん、とやっとパンを嚥下しながら言った言葉に『あれ?』と少年は口をおさえた。
「あんな孤立無援の体勢じゃ、貴方の騎士には力不足ですよってことを言いたかっただけなんだけど、口が滑っちゃったかな」
「虫も殺さなそうな顔して案外言うことはキツいんだな。ていうか、別に俺はあいつに騎士として守ってもらうことを期待してるわけじゃない。
昔と違って、あいつにはあいつなりにやることがあるんだもの。それが済むまで俺は俺なりに自衛していくさ」
「ふうん……」
「ロロが、兄君と血を同じくする人で、ギルフォードさんから俺の所在を突き止めてくれって言われてるのは解った。でもあいつと
同じように今の俺にはアッシュフォード学園の副会長としての仕事と、学園の花嫁として秩序を守る役目と、色々することがあるんだ。
先輩のことで庇ってもらっといてこういうこと言うのは卑怯かもしれないけど、お前のことは……」
「弟じゃない?」
「……それもあるし」
「いいよ、別に」
ぼくはあの男の代替品でもいいんだ、と小作りの顔を微笑ませる。
同じく自分のぶんのランチプレートに手を伸ばした少年を見つめて、ルルーシュはくわえていたフォークを、口から離した。
「え?」
「だから、しばらくは代わりでもいいってこと」
「それは、どういう……」
「姉さんは一人で放っておけるほど丈夫な人じゃないし、あの男は無能だし、ぼくには居場所が必要だし、暫くは力を貸してあげるって話。
あそこのテラスで話してる女……あいつが姉さんの敵なんだろ?なら、ぼくが付いててあげたって無駄にはなんないよね」
「だけど、ロロ」
「ああ、言っとかないとね。-----------別にベッタリとかは、ないよ?」
学年でいうならぼくは一年、貴方は三年だしね、とフルーツのパイナップルを齧りながら、また笑う。その笑顔が変にシニカルで不気味なんだ
と思いながら、それでも、少年の申し出には首を強く振れないで……ルルーシュは落としてしまったフォークを持ち直し、それで
スクランブルエッグをすくった。
「俺のことしっかり理解してるんだな」
「うん」
ベタベタが苦手だなんて、ナナリーのことまでしっかり調べあげてるのか。
ルルーシュはそれを感じていても聞けずに、ただ口の中に入れた卵を咀嚼して、ロロを見ていた。自分の体型を気にしたりして、
ましてや学園の中でのボディガードを買って出たり。スザクのことを斜めに見ているのかと思いきや『ベタベタはしない』と、
弟以上の距離には踏み込まないよう宣言したりする。
(こいつは……)
どういう態度で接すればいいんだろう、と考え込んだ。けどあまり深刻に捉えすぎるのも相手に隙を見せるみたいで癪だ、と思って
ゆるく頭を振って顔をあげた。----------気づけば、テラスにはスザクたちの姿が居なくなっている。
「あ……」
「姉さん、それ全部食べないと教室には行けないよ」
「う、あ」
「あいつの後追いたいんなら頑張って」
ミルクティー色した髪色が、さらさらと日の光を受けてその面差しさえ映えさせるようにルルーシュへ笑みを向けた。
なんだ、邪じゃない笑顔も出来るんじゃないか、と思って、自分のほうも黙って齧りかけのパンを消化しよう、と両手にとる。
それを子どもみたいに『はむ』と口に含んで、ルルーシュなりに一生懸命平均並みの食事になるよう努力した。
ロロはそんなルルーシュの食事が終わるまで席は立たず、ずっとグラスの水を飲みながら待っていた。
スザクは、カレンの友人でもある同級生の波から抜け出すように軽く片手をあげ、そっとその集団から身を引いた。どうやらランチの後は
競技場のすみのスペースを使ってソフトバレーをするらしい。『あんたもやりなさいよ』と記憶の戻ったスザクの様子に
気づいてないらしいカレンの腕に掴まれた時はどうしようかと思ったが、
「ご、めん、実は風紀委員の仕事が終わってないんだ!」
僕はそれを片付けてくるよっ!としたことない笑顔全開の嘘をついて、一直線に生徒会室へと避難してきてしまった。……一昨日までは
あの集団の中にいてもまだ平気だったのか自分は、と顔を青くしたが、でもそれは日本解放戦線の為だ、ときっと思ってしていたことだと
感じるので、ルルーシュに対する記憶がなくなっていた前の自分を責めることは、出来なかった。する必要もない、と
ルルーシュが笑ってくれたのもあると思うのだが。
ひい、はあ、と瀕死の動物のような息をついて、放課後に入る前の人気のない生徒会室のドアを開ける。
誰もいないことを狙って、少しだけ女子制服のネクタイを緩めようとしたら----------、スザクよりも早くクラブハウスに来た先客の
存在に気付いて、慌てて平たい胸を両手で交差するように隠した。
あまりに無防備すぎた自分の行動に心臓ががっしりと掴まれたような感覚に襲われたが、しかし、落ち着いて見ると会長椅子に
座っているのは見慣れた金髪で、ほっ……と一瞬で強張った肩を落とした。
「会長、いらっしゃってたんですか」
「何よ、居ちゃ悪い?何でか知らないけど朝っぱらからいつも可愛がってるルルちゃんを身元もよく知らないガキに盗られて
すっかり私はご機嫌ナナメなのよ。信じられると思う?あの女顔のくりくり頭がルルーシュの弟だなんて」
「それは、……そうですね」
その辺りはロイドさんに訊いたほうがいいんじゃないかな、と口にはしないがもごもごと思ったりはした。まあ、一度顔を出そうと
大学部に行こうとしたのだが、一般の生徒は立ち入り禁止だ、とゲート前で言われて入れなかった。パスを持ってるらしいルルーシュなら
行き来できるのであろうが。
「何ですか。じゃあ、一昨日殿下を襲ったあいつが……」
「そうよ!全くどの辺りで納得すりゃいいのか解らないんだけど、あいつニコニコとした可愛い笑顔で『生徒会に入ります』なんて
言ってきたのよ。入部も使命も任命も全部会長の私がすることだってのに!あのガキんちょはそのすべてを私にノーだと言わせず
たった一言でゴリ押ししてきたのよ」
「はあ……」
「もう腹が立って腹が立って……。いつもだったらお昼だって一緒に摂るのに、姉さーんとか言って簡単にその席も奪いとってくれて。
くやしいったらありゃしない!ルルーシュだって根が優しいから強く拒否なんてしやがらないし!」
その光景が浮かんできそうだな……。
スザクは指で目頭を押さえた。
「でも食堂で一緒に居るとこ見ましたけど、心配するほど険悪なものじゃありませんでしたよ」
「というのは?」
「何か、その、普通に……姉弟らしい感じで」
ナナリーとの姉弟関係は、ユーフェミアや本人であるルルーシュの口からしか知らないことだが、
テラスの席から垣間見た光景は、普通にのどかとしていて、リスが栗を頬張るようにパンに齧りつくルルーシュを見るロロの目は
あたたかなものだった。世話のかかる年の離れた姉をもった弟のような。
「何よ、肩持つ気?」
「いやその、殿下が……嫌そうにしてらっしゃらないから。僕がわざわざ間に入ろうとは思わないだけで」
「あんたねえ。カレンがいつも傍に居るからちゃんとした騎士として振舞えないってのは解るけど、そういう物分りのいい態度は
どういうことなのよ」
「物分りよく見せてるわけではないですよ。ただ、まだ僕が介入するのは必要ないなってだけで、その」
「……」
スザクの返しに黙ったミレイは至極つまらなそうに手にしていた新聞を丸め、雑巾しぼりのようにぐぐっ……と捩りあげていった。
その様子を後ろから凝視していたスザクは、背筋を強張らせながら手前にあるイスをそっと引いて、あまり音を立てないように
静かに着席する。
「ミレイさん」
「何よ。……」
「僕は、完全に日本解放戦線を抜け出るまでは、殿下から助けてと言われないかぎり、手は出さないようにしようと思うんです」
金髪が、真実かというように振り向いてきた。その動きに顔をあげないままテーブルを見つめて、コンタクトとウイッグで変装した
部分を指で撫でる。
「半端な体勢のまま殿下のもとに戻ったら、結局苦しむのは自分たちだから」
「学校でも、他人でいる気……?」
「たまにクラブハウスで二人の時間が過ごせれば、それでいいです」
暫くのうちは、と付け加える。
本当は此処にルルーシュが居たらもっとひどい口論になってるような気がするのだが、スザクは胸を落ち着かせて、すう、と息をつき
物分りがいい、と自分を言う----------もっと物の分別がつく器用貧乏な彼女を見上げた。
「そう時間はかからないようにしますが、僕は僕の記憶を曖昧にしたことと合わせて……奴らに報復をしてやりたいって考えてます」
「……あんた一人でそれが出来るの?」
「出来るようにします」
決意がそのままの形で伝わるように、力強く返した。
「ルルーシュは普通にあんたと居たいだけかもしれないわよ」
身体をちゃんとスザクのほうへ向け、会長イスもくるりと回してミレイは翡翠を見つめ返した。けれどゆるくかぶりが振られて
どこか諦めてるともしれない色をして、『そんなわけない』と、スザクは口にする。まるでルルーシュの望みに気付いてないように。
その言葉にこそミレイは首を振りたくなった。
「何でよ」
「政庁に戻りたいはずです。僕なんかと居るより、ずっと」
一年前と変わらず日本の地で、エリア11の総督として。
「ルルちゃんが幸せだったっての?政庁での生活が」
「英国よりはよかったと思いますよ」
「例えそうでも、今は違うかもしれないじゃない。------------ルルーシュ・ランペルージなのよ。ブリタニアの名前を捨てて
僅かでもあんたと学生生活を過ごしたいって思う、シャーリーやニーナと変わらない普通の生徒なの。もしかしてあんたのその
忠誠的な態度は後ろめたさからくるものなのかもしれないけど、一年前の自分のしたことを気にするんなら、もっと別のことに集中して
あの子の相手をしてあげなさいよ。じゃないと私……」
ミレイの口から出る言葉に『的を射てるな』と思って、自嘲するように俯いた。が、言い終わらないうちに途中で途切れて、
ふっと顔をあげる。目が合った彼女の瞳は充血してた。こんなにも口をひん曲げて相手を睨むミレイを、スザクは見たことがない。
「あんたのこと赦さないわよ」
「……」
「ちゃんと枢木スザクとして戻ってくるまで、口もきいてやんない」
そういい終わるやいなや、すっくとミレイは立ち上がって、スザクの横を通り過ぎ、生徒会室の奥にある休憩室に入っていってしまった。
すぐに視線で追って、止めようと声をあげそうになったのだが、バタン!と閉じられた扉の音に、実行することはできなかった。
(でも……)
スザクは惑いながらも、首を振る。誰も居なくなった生徒会室の机に肘をついて、少し火照った額に手をつけて……唇を噛んだ。
記憶の無かった自分は、きっと相当最初はルルーシュに対して無鉄砲に振舞っていたはずだ。そんな状況であっても挫けず
めげず、スザクの手を離さなかったのは、ルルーシュが本当に想ってくれいるからなのだろう。ミレイの言葉でも自分の推測でもなく、
ただ普通にルルーシュの態度から、そう思う。
ならばどうして今のままの状態ででもルルーシュの手をとって学園から出ないのかというと、それは勿論スザクの中に迷いがあるからだった。
(人生の伴侶ならいい……、好きになったのが最初から、ランペルージという一般人だったらすぐに攫うことができた)
でもそれが出来ないのは、ルルーシュが皇族で、スザクが騎士だからだ。今は二人とも世界の外に追いやられてる存在であろうとも、
その戸籍や経歴や踏んできた歴史は、-----------関係は、無かったことになんて出来ない。
いつだったか本当にルルーシュを攫ってやりたくて、傷つきながら兄弟の肖像を離さない肩を鷲掴んで、抱き寄せて胸に閉じ込めたことがある。
あの時はあまりにも気持ちが爆発しそうに膨らんで、後先のことを考えていなかった。
だからこそ出来たことだとは言えないが、そうして本当に二人きりで生きていくとしたら、もっと他に必要なことがあるとスザクは
思うのだ。
愛だけの感情が先走って心身ともに疲弊して、滅茶苦茶に精神が歪んだ彼女を見たことがあるから。
スザクは出来るなら優しく手をとって、ルルーシュとこの学園から出たいのだ。日本解放戦線の犬でもなく、一年前まで主従であった己でもなく、
いち個人の枢木スザクになれたら、……
(また面と向って好きだと言えるのかもしれない)
名前も、……ようやく口に。
机に伏すように俯いていた肩が、ぴく、と僅かに撥ねた。それは胸の裏側に宿る、スザクの身体を支えるもう一人の人間が
しっかりしろとでも言うように声をあげたからだろう。神根島でシュナイゼルと戦った時スザクは瀕死の重傷を負ったけれど、
自分で生涯を終わらせたルルーシュのもとには、自力で行くことが出来た。多分それは、意識を失う前に見た”彼”のおかげ……。
「君こそが弟なのにな」
くす、と音には出さず笑う。
胸の中でまた何かに言われたような気配がしたけれど、ゆるく首を振って、スザクは聞かないフリをした。
*
いつも体調が優れないとか、具合がよくないとか(意味は同じである)とにかく色々な理由をつけてルルーシュは体育をサボっていたが、
今日はいつもと違って隣にロロが居たから、『ぼくが教室に居ないからってエスケープしちゃ駄目だよ』なんて言われて
鬱陶しい授業から逃げ出すことが出来なかった。
もともと体力がないのも合わさって、そもそも運動神経自体が鈍く出来ている。そんな身体で、バレーだとソフトボールだのバスケットだの、
やたらと運動系なものばかりやらされては、普通の生徒でも保健室の世話になる場合があるってのに、……自分なんて論外である。
嫌だ!サボる!補習は受けるから単位には響かない!と言って本気で逃げ出そうと自称弟の腕を振り切ろうとしたが、
難なく背中から覆いかぶさるようにされてしまっては、それほど体躯に差はなくても容易に抜け出せるものではない。
傍にいたシャーリーにも腕を引かれ、渋々制服から体操着に着替え体育館でバレーをしてきた。昼の後に一度興じたらしいカレンが
パス練習の時やたらとルルーシュにレシーブをぶつけてきたが、ルルーシュはロロの監視もあるしで、中々力を抜いてサボることも
出来なかった。いつもなら授業に出ても壁の隅っこに座ってるというのに……。
ぐすぐずと内心唸りながらシャーリーの隣で、たくさんボールを受けて赤くなった両手を切なげに撫でながら『何で俺ばっか』と
独り呟いてみた。
それを聞かないフリしてくれたシャーリーはしょげる黒髪に声を掛けるよりも、何故か頻繁に運動オンチといっていいルルーシュに
パスを向けたカレンを見つけ、瞳だけで睨みつける視線を送ってくれた。駄目だよ、とでも言うように。
しかし赤髪は『ふん』とあらぬほうを向いて、先に教室へと戻っていってしまった。ルルーシュは水道で冷やしたかったのもあったから、
カレンを追いかけていくシャーリーとは体育館で別れる。
何処に居るのか解らないがロロに監視されているということは背中に刺さる視線で感じられたから、あまり警戒することもなく
ルルーシュは渡り廊下の隅にある水道で、のんびりと両手を冷やして教室へと戻った。
そこで、
「無い!」
騎士証が、女子制服の腹ポケットに無いのである。
確か着替える時に外に落ちてしまわないように一度机の上に出して、制服を脱いでから畳んだその下に隠すように置いておいたはず。
世界に一つしかない翡翠が嵌められた金属のそれが、自分には一等大事なものであって、……今は世に出れないスザクとの絆を証明する
確かなものであった。
本当に、大事にしていて。----------いくら自分の命が危ないからって、展望台の外に転がっていってしまったら迷いなく追いかけて
いくくらい稀少なものと思っていて、取り扱いには細心の注意を払っていた。
それが、机の上から消えている。
摘んでいた制服の端をぐ、と広げて、ぶんぶんと上下に振るった。そんなことしても何も出てこないのだが。
「何でだ……?」
「何ででしょうね」
「えっ?」
------------声のしたほうを振り返ったら、教員用ではなく生徒用の出入り口の扉に背を凭れさせたカレンが居た。
確かシャーリーが掴まえに走ってったはず……。どうして彼女一人が先に教室へと来たのだろうか。
もしかしたら体育会系な彼女よりカレンのほうが足の速さでは勝ってるのかもしれない。
「昨日は貴重な経験をさせてくれてありがとう。少しはガーデニングの技でも身についてくれてたら嬉しいんだけど」
「カレンは手際がいいから……そんな気負わなくても大丈夫だと思うよ」
「そう。お気遣いありがとう」
ゆるく腕を組んで俯きがちにこちらを見てくるカレンの口調は、穏やかだった。けれどどうしてだろう。何故か言葉の端々に
昨日まではなかった棘があるような気がする。まるで内在していた感情が表面に現れてきているような。
「ど、どうしたんだ」
思わずそう声を掛けてみたら、すっと指が伸ばされて胸元に突きたてられた。『無いんでしょ?』と鈴のような無邪気な響きが
自分と彼女しか居ない教室に木霊する。
「えっ……」
どきりと、さされたそこが、高鳴った。
「どうして」
「私知ってるわよ。この間中庭でビニールシート被せられてた遺体の彼。随分とファンでいた女子が多かったそうね?
さっき体育館の裏で貴方の話してるの聞いちゃった。……ルルーシュ、大分恨まれてるみたいよ」
「それは、そうだろうな」
だって、一応彼女であった筈なのに、死んでしまっても平気な顔して学校に出ているのだから。腹も立つだろう。
「それで?……俺は倉庫にでも呼び出されるのかな」
「さあ。……ただ、何か遺失物があってそれを取り返したいのなら、自分から行ったほうがいいかもね」
冷たいともとれるその言葉を落として、カレンの制服は廊下の外に吸い込まれていった。まるで反射でそれを追いかけるシャーリーのように
ルルーシュは席の隙間と隙間を通って、同じく教室を出ていく。紫電を、男女混合入り乱れる廊下の奥へと飛ばしたら、
既にそこには赤髪の姿はなかった。
*
体育の授業からずっと木陰に隠れて読書をしていたロロは、細い悲鳴の音にまどろんでいた意識を浮上させた。
ピン、と緊張の糸が張り詰めていくのがわかる。どういうことだろうか。まるで背中を誰かにドンドン、ドンドンと押されるように
走れと急かされてる気がする。
本当はずっと付いていてやらなければならないはずだった。……けれど、
シャーリーとカレンとクラスの女子たちでわいわいと騒ぎながら、運動は嫌だと言いつつたまに本気で楽しんでいる笑顔を目にすれば
ロロでなくても、スザクであったって、------------目を離してもいいと思ったろう。
駆け足で木々の間を飛んでくように中庭を横切っていく。はあはあ、とめずらしく息をあげながら進む道の先で、
嫌な予感ばかりが先立ってきていた。胸を押し潰されるようだった。でかい顔して昼間は枢木スザクの哀れな姿を揶揄してたのに。
何てザマ。
(どうして姉さんは居ないんだ……?)
授業が終わったら真っ先に行っていた生徒会室にも。
体育のあとにはかならず居てもいいだろう教室にも、-----------三年生の校舎を渡る廊下にだって。
考えればそれは体育館倉庫に行き着く。
いつだってこういう予感がしたら思いつくのは大体”ソウイウ”展開だった。『油断した』、と、心中でロロは自分を戒める。
もっとちゃんとしないで、何が学園でのボディガードだろうか。
ルルーシュのことを考える時はいつも、シュナイゼルの存在が頭につくはずだったのに。
ロロがルルーシュをスザクの代わりに守ると言ったのは、少しでも面影だけ覚えてる、
シュナイゼルに近づく為だった。
およそ一時間ぶりに見るルルーシュの姿は、泥だらけであった。
ロロは声を詰めて、小刻みに震える心臓をどうにか落ち着かせながら、暗い影が落とされた倉庫の裏側へと足を向ける。
ルルーシュはその暗がりの中に身を潜めるように縮こまっていて。二本足で立っているが表情は製造途中の人形みたいに無機質だった。
(ジョルジュ・ラールの前の女か……?)
彼の遺体を前にして、ルルーシュに怒鳴り散らし掴みかかった女の顔を思い浮かべる。
犯人はそいつか、と検討をつけることはできるが、今のような状況を替えられることは本当に無かったのか、と自問するしかなかった。
両手には何か抱えてるようで、祈るように組み合わされたまま胸の前で握られている。制服に着替えてない体操着姿であった彼女は、
明るいとこで確認しなくても解るくらい、---------泥と同じく傷もついてた。
まるで、手の中にある何かを守る為に、余計な抵抗などしなかったようである。
「姉さん」
ロロの呼びかける声で、はっ……と現実に引き戻されたらしい紫電が、ぱちぱちとスライドした。心の内側と外を切り替えるように。
そして目の端が僅かに緩んでみえたが、ロロが近づいてくるのも待たず瞼をぎゅっと閉じて、
風のような速さで横を通り抜けていった。
*
シャラシャラと金属の揺れる音がする。不思議に思って、クラブハウスの玄関からではなく、前もってルルーシュから言われてたドアを
使って入ってきたスザクは、訪れた彼女の部屋の前で軽く首を傾げた。
なるべく学校が終わって、寮でする用事もないなら部屋に来てくれ、という願いは昨日展望台でルルーシュから聞いたものだった。
だから無人だと思うわけもなく、手軽な仕草でノックをし、鍵も閉められてない扉を開ける。
キイ、と蝶番の軋む音がして、同時に、何かに気付くように息を飲む気配もしたが、それはスザクの足音に掻き消されてしまった。
「殿下、……さっきカレンから訊いたんだけど」
夕焼けから夕暮れに変わった時間帯で、部屋も薄暗い中話す口調は穏やかに、スザクは本人が居るだろうベッドへと進んでいく。
「随分とみんなに絞られたんですって?いつもはサボってるのに出席するなんてどうしたんですか。でも、えらいですね」
バレーなんて大変だったでしょう、と続けて……、ベッドではなく部屋の隅に凭れていた痩躯が素早くカーテンを閉めたのに、
口を閉ざした。
「殿下?」
ルルーシュがそうしたのは、丁度大気で雲が動いて、一瞬でも室内が明るくなるような予感がした為。
スザクがベッドに向いながら振り返るようにルルーシュを探したら、強張った顔で体操着のまま、窓際の壁に張り付くように立って
彼女は紫電を強張らせていた。
耳元をざわつかせるように音を立てていたのは、ルルーシュが細かい金属の欠片を手の中に仕舞っていたせいなのか。
「スザク……」
「殿下、」
どうされたんですか、と言おうとした。けどそれより早くカーテンに掛けていた指を外した手は、再び胸の前に握られて
泥だらけの身体を隠すように膝が折られた。また、ロロに発見された時のように団子のような体勢になる。よく見れば肩だけでなく
背中全体が震えていた。
スザクは音を乱暴に立てないように駆け寄って、何故制服ではなく体操着のままなのか、どうしてこんな格好になっているのか、
誰がそんな姿にさせたのか------------訊きたい疑問を腹の底に重く蓋をするように仕舞って、崩れるように身を伏せた身体を
床から受け止めるように抱き寄せた。
近くに来て解ったことだが、耳が少し刃物で裂いたように切られていた。翡翠で静かに検分しながら、安定を失った肩と背中を
しっかりと腕で囲んで、寒さではないのだろうがせめて震えがなくなるように、と、強く抱き締め直した。
けれど、中々納まらない震えの中、スザクの肩に押し当てられた唇が声を紡ぐ。
「……わ、された……」
その不明瞭な言葉がスザクの何に反応したのか、とにかく大きく気持ちが揺さぶられてすぐに『何がですか』と訊いてしまった。
それにびく、と一度強く肩が撥ねたが、ルルーシュは順応な態度でおずおずと手の中にある欠片を、差し出すように広げて見せた。
抱き締めていた腕を緩めて、まじまじとそれを見下ろす。細かい破片から色としてしか判らないが、大体が金と緑で構成されていた。
きっとルルーシュ用の騎士証だろう、と思う。
彼女には見えないようにスザクは下唇を強く噛んで、出かかる汚い言葉を押し殺した。
「俺が……相手が誰かなんて解ってたのに、一人で行ったりしたから……」
「それは、貴方が悪いわけじゃない」
「でも、現に……これ」
ふるふると震えが大きくなる。唇は納まりがないように息をつげず、揺れていて。どうにか掬いとったらしい欠片を握り直し
空いた片手でルルーシュは自分の顔を覆った。
「……く……ゃしい……!」
そこでようやく、目の端から雫がこぼれた。
替えがきかない。たった一度の誓約のチャンスのもと、この世に一対しか用意されなかった二人の関係を象徴する証のようなもの。
再会出来る日までずっと大事に持っていたそれは、いつも肌身離さず手にしていたものだった。押し殺す涙の声の合間に、
どうしよう、俺だけ失くしてしまった、と吐き出される。それに、また腕に抱き締めながらスザクはぶんぶんと首を振って
大丈夫です、と返した。それだけしか言えることがなかった。
後で解ったことだが、体育の授業の後カレンを見失って一番に教室に戻ってきたシャーリーは、誰か他のクラスの生徒が
ルルーシュの机を漁っているのを目撃したらしい。その時、鞄ではなく制服を触っていたことから変質者だと思って
会長のミレイに報告するよりも先にルルーシュに伝えようと思って、水道で腕を冷やす彼女を探しに行ったらしかった。
そこでカレンともすれ違いが起きて、気付いた時には二人とも校舎から見失っていた……ということだった。
(形でしかない、)
-------------二人で一つずつしか持ってない、確かなもの。
替えのきかないもの。
誰に対しても泣けず、泥だらけになった姿でクラブハウスに戻ってきたルルーシュが縋り付いたのは、何にも出来なかったスザク
だけであった。これ以降、ルルーシュは教室で着替えることも支度することもしなくなった。スザクもロロも止めたからだ。
震える身体で暫くずっと泣いて、自分の行動を後悔して、スザクにごめんなさいごめんなさいと言っていたルルーシュを腕の中にしながら
黙ってじっと、スザクは壁を見つめることくらいしか出来なかった。
こんなにもルルーシュを愛おしいと思って、こんなにも自分が情けないと思ったなんて、-----------初めてだった。