赤く線を引かれた境界を見て、自分はどうすれば
いいだろうか。
スザクは冷たいコンクリートの部屋の中で、爪先のすぐ傍にあるそのラインを見て、途方に暮れる。
顔をあげれば、唯一の出入り口といっていい扉は固く閉ざされていた。
自分で開くことは、出来ない。
(それは抱き締められているからだ)
……この細い両腕に囚われているからだ、と目を閉じる。背中に、しっとりとしな垂れるように寄り添った
スザクの頭ひとつ分低い身長の少女は、無理やりにまで鍛えて平均的な男子よりずっと逞しくなったその背中に腕を通したまま、
スザクがどう思っているかも知らず、微笑んでいた。桜の淡い色を想起させるかのような、僅かな変化であったのだが。
しかしスザクは知っている。皇族の人間にそれぞれ与えられた花々。ナナリーはダリア、シュナイゼルはデルフィニウムと
どこぞの誰かが決めたそれは、--------何故か、この少女には授けられていなかった。準える花がないほど稀有な容姿を
している所為もあるかもしれない。
そう。
スザクの恋した彼女はダリアの弟にも、デルフィニウムの兄にも似ていなかった。
けれど彼はこうも知っていた。------------そんな彼女が微笑んだ顔は花のようでもあるということを。
足元のラインを見つけて、立ち止まった隙に腕を通された身体は、先ほどから1センチも前に進めなかった。
背中の少女は胸の前を交差した腕を解かないで、無言のまま、その先には行くな、と更にしがみついた胸を
無骨な背中に寄り添わせる。
スザクは警告を示す色をした赤い線と、彼女の昔着込んでいた執務服が同じ色であるのに瞬間気づいて、
……もう扉の外には出まいと、声には出さず、クンと黒髪を押し付ける彼女へ誓った。
束縛なのか愛情なのか暴力なのか、自分たちの間にある思慕は種類分けできない。
けれどこれだけは……と、胸に絡められた細い腕を包むように自分のものも重ねて、思った。
「貴方の傍に居られない日があっても、心は違う」
「……傍に、居るから」
大丈夫です、と囁いて、
背中でじっと黒髪を伏せていた彼女はその言葉に、うんと呟いた。
わたしを動かすもの
休日のクラブハウス。
ルルーシュは多分、『起きたらすぐに呼び出されるだろうな……』とは思っていた。何せミレイには一切の説明なしで
昨日の午後の時間ずっと姿を消していたのだから。まあ、事実を言ってしまえば単にロロが自分を放してくれなかった所為なのだが
その要因を作ってしまったのは自分以外の何者でもないので。------------怒りがあるならば彼女のものなら何だって受けるという
覚悟で、ルルーシュは今日も自分の部屋のベッドから、身を起こしあげ、床に足を下ろした。
……けれど、いつもと違って今朝だけは、違うことがある。それは寝ている時にしか拝めない、無防備に瞼を伏せて枕に顔を埋める
スザクの寝顔。彼は昨日ずっとシーツの中で自分と話しこんでいた。夜を通して、二人で天井を仰いで『ロイドって老けないよね』から
始まった会話は、いつの間にか体勢を向かい合わせての互いの近況報告に発展していた。普通なら、好いてる相手とベッドで過ごすならば
肌を求め出してもおかしくないわけなのだが……、昨日はスザクのほうが何処か遠慮げで、ただ静かにルルーシュの言葉に
相槌を打ってくれていたような気がする。多分、きっと自分が記憶を失くしている間にルルーシュの意志を無視して
衝動のままに押し倒してしまったことを気にしてくれてるからだ、と、ルルーシュは彼のそんな態度から推測してみたりするのだが。
でも、まさか一年前のあの頃は、こんな朝を迎えられるだなんて思っていなかった。
彼が到着するのを待たず、先に命を発った自分を赦していないだろう、と、ミレイの発言を受けながらルルーシュも思っていて。
このままスザク自身の、自分の騎士として過ごした記憶がないままで、また新しく彼との歴史が築けないものか、と、
浅はかな希望を抱いたりもしていた。
けれど、……そうでも。
(また『殿下』と呼ばれる)
もうブリタニア側からは死亡認定のされた皇女とされているから、れっきとした身分があるわけでもない。現在だってミレイの采配で
どうにかナナリーの持っていた戸籍でルルーシュは生活をしている。そんな相手に、また彼は忠誠を誓うようにキスをして、
背中から縋り付くように抱きついた自分を拒まずに受け入れてくれた。自分が求めたからスザクも自分自身を認めることができた、と
言っていたけれど、それは逆だ。彼が差し出した手をとって、自分とあの日英国を出てくれなかったら----------今のルルーシュは
存在しない。
何処までも自分を押し潰して誰よりもルルーシュを優先してくれる。枢木スザクは死んでしまった、と最初ルルーシュの言葉を
拒もうとしたけれど、そんなことはない。枢木スザクは生きている。シュナイゼルに国を殺されて、英国でまた生き返って、
ルルーシュと日本に戻ってきた。何度だって彼は再生しているじゃないか。だから、今日明るくなった部屋で見るスザクも、
一年前と変わらない枢木スザクのままだ。
ルルーシュは昨夜、シーツに埋もれながら完全に眠ってしまう前にスザクに話した。『記憶がなくても優しかったよ』と。
彼は一度驚いたように目を開いたけれど、すぐにいつもの無表情に戻って、『それはよかった』と口にした。同時に、辛かったでしょう、
とも言われる。ゆっくりと伸びてきた手に労わるように頬を撫でられて、ぶんぶん、と首を振った。まるで何も感じなかったわけではないが
でも今の境遇にスザクをしてしまったのは自分の所為でもあるし、……彼が気に病む問題じゃない。
しかしスザクは。
『地下に戻った時……思い知ったんです』
『……何を』
『自分がどれだけ、ブリタニアに支えられて生きてたか。僕は日本の人間であるのに閣下に拾われて、ブリタニアでここまで大きく
してもらったんだ。一瞬、日本解放戦線を黒の騎士団とは別で成長させていた籐堂さんの言葉が、解らなかった。
それは、多分、きっと……僕が甘えてた所為なんだと思う。色んなものに、……今まで。殿下にも』
『そんなことは、』
『だから殿下、……今の、何も無いままの枢木スザクとして、このチャンスを大事にしたいと思うんです』
『……チャンス?』
『そう。僕は僕の力で、貴方を守れるように』
スザク、と名前を呼ぶ唇に、頬に当てていた彼の手が触れた。
至近距離で見つめる翡翠が薄闇の中で細められて、ルルーシュも知らず紫電で微笑み返していた。そういう考えを持っていれば
やっと彼は兄の束縛から抜け出せるのか、と……そう思いもして。同時に応援する気持ちも胸に湧いた。
(-----------なら)
『解った。……待ってる』
未だ、カレンにも他の生徒にも”セザル・オーウィン”としての仮面を付けていなくてはならない自分の騎士。
正式に自分の腕の中に戻ってくることは当分先かもしれないが、ルルーシュはその日が来るまで主として、彼を待っていようと
胸に誓った。こんな自分でも変わらずに約束を結んでくれる彼と同じような気持ちになれるように。
『でもお前のスカート姿、似合ってたぞ』
『……それは思いもよらない反応だな』
再び目を閉じる前に吐き出した一言は、見事、沈んでいたスザクの気分を浮上させてくれたらしい。
くすくすと笑い交じりに語る自分の頭を軽く小突いて、彼は寝てしまった。その寝顔を暗い中見つめながら、ルルーシュも眠りに落ちる。
夜が明けたら外は快晴だった。
ベッドに座った状態で朝日の差し込む窓を見つめながら、よし、今日は展望台にある花たちの手入れをしよう、と決めて
すっくと立ち上がった。まだぐうぐうと寝入っているスザクを振り返って、苦笑を零しながらも、枕に半分隠れたくせっ毛に
手を埋めてがしがしと撫でていく。
暫くその感触を楽しんだ後、ルルーシュはうん、と背伸びして、アッシュフォードのジャージに着替えた。今日は休日で、
誰も学園には居ないはず。そんな時くらいしかまともに手入れのしようもない、と思って、
彼を一人部屋に残していくのは名残おしいが、でも、疲れも溜まっていることだろうし……と、珍しくルルーシュが起きても
熟睡したままの姿を見て、書置きもテーブルに残さず部屋から消えた。もしかしたら咲世子がシーツを替えに来る時にでも
鉢あってしまうかもしれないが、ナナリーのことも自分のことも知っている彼女なら色々穏便に済ましてくれるだろう、と
期待する。
(……よし)
空は本当に晴れやかだった。
もしかしたらこんなポカポカとした日だからスザクもあんなに寝付いてるんじゃないのかな、と思ったら口からまた苦笑が零れて、
廊下の先を歩いていた人物に不審に思われないように、慌てて手で塞いだ。が、目にも鮮やかな赤髪は日の光をさらりと受けて
ルルーシュを振り返ってきたから、その動作は徒労に終わった。しかし、そんなことよりもまず、目の前に現れた
赤髪の人物に思考は停止する。----------向う彼女も同様だった。
「カ、カレン……」
「ルルーシュ。部屋にまだ居るんだと思った」
まさか休日のクラブハウスで会うとは思わなかった。
カレンは、体育の授業をいつもサボるルルーシュのジャージ姿に目を向いて『何する気?』と怪訝な顔して訊いてくる。
その彼女にルルーシュは足元に視線を落として『花の手入れに』と短く答えた。チラ、と動かした紫電には、カレンの手に握られた
携帯が映っている。
(まさかスザクに連絡とろうとしてるんじゃないよな……)
まずかった。非常にまずいと思った。
ブリタニア人でないスザクが携帯を持っているわけじゃないから、きっとミレイか学園の寮母さんのほうに連絡を取ろうと
歩いていたのだろう。そう推測するに至ったのは、スザクがまだカレンに記憶が戻ったことを悟らせてないことと、
自分がジョルジュ殺しの犯人だとは勘づかせていないことにある。
「花の手入れ?意外とマメなのね。用務員の人とかにやってもらってるんだと思ってた」
平日とはうってかわった私服姿で携帯をポーチにしまう彼女は、通路の窓側を歩いてきたルルーシュをどう思っているのだろう。
警戒するようにくん、と肩をあげた黒髪を妙に見ることもなく『暇だしなあ』と呟いている。ここで引きとめなければ
咲世子でなくカレンにスザクの寝顔が拝まれてしまう……と方向性の違う心配に突然襲われて、咄嗟に、口をつくように
誘いの言葉が出てしまった。
「カレン、一緒に展望台に行かないか?」
よかったら、と。なるべく断られないように、とても自然な素振りで。
今日の空の色をそのまま写したような瞳をきょとん、と丸めたカレンはすぐに笑顔になって『いいわね』と返してきた。
よかった、バレてない……と、己の浅はかな思いででた言葉に安堵の息をどっとつく。
そして、すぐにルルーシュも笑い返して『行こう』と言った。
二人で学園の校舎へと歩き出す。まさかこんな休日になるとは起きた時は思いもしなかったのだが。
不意に、頬を突かれてる気配に目を覚ました。
何だか自分にとってとても甘い抱擁のような、拘束のような、行かないでと束縛するような腕の中に居た気がする。
でもそれは夢だろう、と思った。現実に目を開けて見る世界に”彼女”は居なかったから。
「起きた?スザク」
枕元に腰を落として、斜めに振り返った体勢でミレイが居た。人差し指だけツンと立てた手を顔の横にあげた状態で、
にっこり微笑んでいる。何だ、突いてたのは彼女だったのか。
「ミレイさん……?何で、殿下の部屋に……」
「あ。やっぱ”殿下”なんだ。あはは、不思議よねえ。あんただけ浦島太郎にでもなった気分」
「いやまあ現にそうですけど。僕の質問にちゃんと答えてくださいよ。……どうして殿下が寝てたベッドに彼女は居なくて、
ミレイさんが座っているんです?」
家主も同然で、と枕に頬を埋めたまま口を尖らせた。一番に見る顔はルルーシュのものがよかったのに。
しかしその家主が不在で、かわりにミレイが居るということは何か理由があるのだろう、とも思う。
だからスザクはすぐに身を起こして、柔らかなシーツに包まれていた足を引きぬいた。ミレイさん、と金髪に顔を寄せる。
「咲世子さんから内線もらったのよ」
「さよこ……?」
「ルルーシュと私と、クラブハウスに住んでるメイドさん。ナナリーも世話になってた日本の女性よ。スザクと家系は違うだろうけど
顔見知りではあるんじゃないかしら。枢木の名前を出したらすぐに反応してたし」
「そりゃ父さんは首相だったんだから枢木の名前は有名でしょうけど……。でも、どうしてそのメイドさんが」
「だって普通驚くでしょ!いつも見てるルルーシュの寝顔がベッドにあると思ったら、見もしない他人の男が熟睡してるんだから。
『ミレイお嬢さま、この方存じませんが排除してよろしいでしょうか』と機械的な声で処罰を打診されたら、いくら私だって
驚きます。------------一年間忘れたままのヘタレのくせに暢気すぎるんじゃないの?」
それか、昨日はそんなに寝ちゃうくらいお盛んだったとか〜?と釣りあがった瞳が面白げにスザクを見てきた。寄せた顔のままきっぱりと『違います』と
返して、スザクは溜め息をつきながらベッドから立ち上がる。すぐにカーテンを開く為に窓へと近づいて、そこではたりと、
ルルーシュがベッドにも、部屋にすら居ないことに気づいた。
「そうだ。殿下は?」
まさか昨日の中性的な容姿が特徴な、クリームブラウンの髪した少年と何かあったのか、と翡翠を見開いて、硬直した顔を
ミレイに向けた。けど彼女はそんな予感を打ち消すかのように『違う違う』と手を振って、ベッドに座ったまま
スザクを安心させるように口を開いた。
「あの子は今展望台に出かけてるわ。本当は折角の休みだし、思いだしたスザクと三人でお茶でもしたかったんだけどね。
すれ違っちゃったわ」
「はあ……。展望台にわざわざ何をしに?」
「何をしに行ったんでしょうねえ。私もわかんないわ。追おうとも思わなかったし。-----------だから、今日はあんただけ私に
付き合ってよ」
「え……」
何にですか、と苦い呟きが落とされる。引こうとしたカーテンを摘みながら視線を落として金髪を見れば、ミレイは起き抜けの時に
見せた笑顔を更に深めたような笑みをして、彼の隣へと立ち上がった。
「浦島太郎なあんたに一年間の報告をしてあげようと思ってね」
「ああ……」
そうですね、と途端翡翠が鋭くなる。『そうよ』とミレイはまるでそのスザクの顔に合わさるように同じ目をして、
カーテンに添えていたスザクの手首を掴み取った。
「覚えてることと覚えてないことがあるんでしょ?まだ頭も鮮明でもないと思うし……」
「ええ。確実に意識があると言えるのは、ジョルジュっていう殿下の先輩を手にかけたとこからですかね」
おもむろに伸ばした左手で、普段よりもっとひどい頭をした寝癖だらけの頭を引っ掻く。そんな、表情を全く変えずに言ってくる
スザクを見上げて、ミレイも派手やかな印象の面差しをキン、と研ぎ澄まさせて、相手を見返した。
「やっぱりジョルジュ・ラールを殺したのは、スザクだったんだ。後始末に苦労するわよ、あれは。何せフェンシング部の部長で
学園の王子でもあるもの」
「すみません、ご面倒をかけて。……でも、僕は悔いなんてありませんよ」
殿下を侮辱したんだ、と低く呟く。
別にジョルジュはルルーシュ=現在の学園の花嫁と意識して、発言をしたわけではないのだが。
「相変わらず手厳しいのね。あんた」
「……あの人が何も言わないからね」
いくら今は別人として過ごしているからって。きっと相手がカレンやシャーリーであっても、ルルーシュはルルーシュ・ヴィ・ブリタニア
として振舞うことをしないのだ。どんなに口で罵倒されようとも。
「……スザク、本当にあの子が好きなのね」
「ええ」
ミレイの、まざまざと思い知ったような発言に、スザクは間髪居れずに返した。
*
「展望台にこんな仕組みがあるなんて知らなかったわー……。花に埋るように水道があるなんて」
「水道じゃない、スプリンクラーだ。温室のような天井につくものじゃなくて、こっちのは配水管にそのままくっ付いてるものだけど」
花が密集している所にしゃがみ込んでいたカレンは、パンジーとマリーゴールドを指で掻き分けるようにして、水を噴射させる
蛇口のようなものを見つけた。『こっちのは天上に向って噴出すタイプのものなのね』と一人納得した彼女は後ろを振り返って、
晴天の空をバックに赤ジャージの袖を捲ったルルーシュを見上げた。黒い髪を括るゴムを忘れたのだろうか。ちらちらと揺れる
簾のような髪は、半分ほど屈み込んで何かをしている彼女の顔を隠してしまっている。
日中で作業をすると解っていたなら、帽子のひとつでも持ってくればよかったのに。
何だか突然思いついたかのような花の手入れ作業に、人知れずカレンはふうと、溜め息をついた。
「ルルーシュ。私は何をすればいいの?」
「つぼみの状態で枯れちゃってるものを弾いて欲しい」
「私おじいちゃんの植木の手入れしかしたことがないんだけど……剪定みたいな要領でいいのかしら?」
「それで問題ない」
軍手はあるんだ、とカレンの申し出にルルーシュは微笑んだ顔をして、白いそれを空中に投げた。
幸いにも今日はスカートではなかったので、羽織っていたストールだけ脱いでカレンも作業を開始しようと、貸してもらった軍手をはめて
まずは足元にあるパンジーに手を伸ばした。薔薇のような高貴なものしかないと思っていたが……意外なことに水仙などのよく見る花も
ここの展望台には存在しているらしい。ぼんやりとそれらを発見しながら、黙々と背中で作業をするルルーシュにならって、
カレンも余計な無駄口はたたないように黙って閉じられたままのつぼみを探した。
それでも、
(またどうして展望台の掃除なんてしようと思ったのかしら)
……不思議だ。最初に誘われた時からルルーシュのジャージ姿には違和感があった。
彼女が学園でも特別扱いを受けている人間だというのは知っている。それは多分彼女が元総督のルルーシュ・ヴィ・ブリタニアであるから
なのだが、ミレイは周りにそうとは気づかせないで自分の手中に入るようにと生徒会に入れさせた。副会長という
自身の会長職とは一蓮托生なスポットに居させて、学園のマドンナ……ある意味本当の花嫁のような席に、現在は就いている。
まあ確かに同性のカレンから見ても、一年前に出会った時から類稀なる容姿だな、とは思っていた。
例えミレイの計らいはなくても、その生まれながらのカリスマ性は、一般の生徒から突出していただろうし。わざわざ籐堂や
自分たちが差し向けようとも記憶を失ったスザクは簡単にルルーシュを見つけられただろう。
(そう、そうだ)
結局は磁石のように引き合ってしまっているのである。ルルーシュとスザクは。まるで二人同じ位置にいるのが理だとでもいうように、
離れてる時間のほうが異様で。
そんなものを相手に籐堂さんはどれだけ二人を引き離すことが出来るんだろう。
昨日の放課後、スザクが『会いに行って来た』という発言から、ずっと気懸りだった。何を、籐堂に、確認しにいったのか?
わざわざ学校を休んでまで……不思議でならない。
(まあ、私とスザクはもともと敵で、今も家族の”フリ”をしてるようなものなんだけどね……)
騙しているのだ。彼のことを。
枢木ゲンブはもう亡き第二皇子に殺されているというのに、『どこかで生きている』なんて嘘をついて、
ルルーシュを殺させようとしている。
だから他人以上に離れている自分たちは、きっとこれからも腹を割って話すようなことは出来はしない。
それを寂しいとも、切ないとも思いもしない。ただ付き合っていくのに面倒なだけで。
学園ではスカートにウィッグをつけなくてはいけない彼を前に、たまに罪悪感に支配されるのだ。いつまで
純粋な日本人であるスザクを、ハーフのカレンは騙し続けなければならないのか。
いつだったか、彼が屋上で語ったブリタニアに渡ってから受けた拷問の話を思い返して、指先にぶるっと寒気を感じた。
震えるその理由は、まだそこまでカレンが痛い目を見ていないからなのか?自分では自分がよくわからない。
(ただ……)
一年前。
カレンはこう疑問に思ったことがある。
それだけひどい拷問をしたシュナイゼルが憎い、というのにどうしてその男の妹は命をかけて守ろうとするのか?
何でそんな芸当が出来るのか、と……もし叶うなら、港での攻防でナナリーを失う前に、カレンは教えてもらいたかった。
ルルーシュは本来スザクにとって憎むべき相手なのに。
(本当に、こんな感傷、何故かしら)
最近カレンの頭はこんな考えで一杯だった。
全くもっておかしい話である。
「--------------カレン?」
後ろで、ずいずいと膝で前に進む自分を呼び止める声がした。上がった声の調子に何だろう、と思って顔を上げれば、
立ちながら木製のブラシで床を磨いていたルルーシュが『日差し平気か?』と心配げに見つめてきている。
……ちょっと、それはさっき私があんたに思ったことよ、と内心、声にはしないが思って、
「そうね、ちょっと頑張り過ぎたかしら」
帽子が必要ね、と彼女の白い顔に無表情で返したら、何故かルルーシュは緊張して貼り詰めたヒモを緩めるようにふにゃりと
目を細めて、『少し休憩しよう』と、ブラシを置いた。
*
「ここからだと、少し、校舎が見えませんか……」
「大丈夫。生垣が高いし本校舎のほうは林に囲まれてるから、あっちからはクラブハウスのほうは見えないわよ。勿論貴方が
私と並んで座ってる姿もね」
何故か朝の一方的な初顔合わせを済ましてから、咲世子はスザクに寄り付こうとしない。まるでこそこそと顔を隠すように
ケーキと紅茶を並べて持ってきた彼女は、ミレイにそれを押し付けるようにして、忍者のように姿を消した。なので今は
二人してテラスのベンチに座り、ごくごくとカップの中身を飲んでいる次第である。
スザクは咲世子の振る舞いにも何を思うこともせず『そうですか』と軽く首を傾けただけで、ミレイが片手で持つお皿の
パウンドケーキに翡翠を集中させていた。まるで”待て”と言われている犬のようである。……別に今は皇室務めでもないんだから
簡単に食べてしまえばいいのに……。ミレイが『よし、食え』と言わなくてはいけないのだろうか。
「あんたが枢木スザクとして風紀委員やってたことを覚えてる輩はいるのかしらね……」
「さあ、どうでしょう。でも男の姿で人目に出ることはしないほうがいいと思うんですよ。色々殿下のことと合わせて、不整合だし」
「まあね。そこは変に思う奴がいたら私がフォローしとくわよ。……で、ええと」
「?」
「朝ごはん食べてなかったわよね。------------いいわよ、これ食べて。ていうか、お前は”待て”と言われて尻尾を伏せてる犬かっての」
笑い交じりにミレイが言えば、スザクはばつが悪そうに肩をあげて『そんな顔してたのか』と頬をかいた。
そして腹が空いていたことは事実なので。紅茶を流しっぱなしの胃に別のものを与える為に、じゃ遠慮なく、と
ミレイの皿からケーキを摘みとった。すぐに口へ放り込む。
「暫くは仮面ごっこが続くわね」
スザクの肩のある位置にミレイの頭があって、その顔を彼女は鬱蒼としげる中庭の林へと向けていた。あの場で、昨日は
落下してきたルルーシュをスザクが力技で受け止めたわけなのだが、果たしてそれは一般生徒に見られてやしないだろうか、と
優雅にカップを傾けながらも、ミレイは気が気じゃないなと思った。そうだから、口から”仮面ごっこ”などという奇妙な名称が出てくるのだ。
「また的を射たネーミングですね」
「関心しないでよ。私はどっちの味方で居ればいいんだっての」
「これまで通り殿下側の人で居てください」
「……どういうこと?」
「僕は牽制を受けてるから」
結構掻い潜るのには厳しい……ね、とスザクは口端についたケーキの欠片を掬いながら、歪にそこを曲げた。
「つまり、すぐにもウイッグとスカートを脱いで、ルルちゃんと学園から出るわけにはいかないと?」
「そういう言い方は心底酷いと思いますけど……、まあそうですね、そうなんですよ。記憶が蘇ったから『じゃあ掌返して僕は戻ります』って
言って殿下のとこには行けないんですよ。その後を続くように、向こうは殿下を仕留めようと画さんしていますからね。
言わば僕は日本解放戦線の彼らにとって--------動く餌です。その餌が本来の枢木スザクに戻ったことを、悟られてはいけない」
「まった、難しい話ねえ……。じゃあこれまで通り女装は続けるってこと?」
「ええ。不本意ですけど」
「ルルちゃんのことは?」
「大っぴらに騎士として振舞うことは控えます。一番バレちゃまずいのは、……カレンですから」
「そう」
まあいいけど、と呟いて、スザクの齧りかけのパウンドケーキを指で掬って、口に放り込んだ。『あっ』と異口同音の響きが
テラスを包んで、まさか後ろには居ないと思っていた件の彼女がジャージ姿で立っていてミレイのほうが『あっ』と叫びたくなった。
「ルルーシュ!何て格好してるの」
「花の手入れをするんだから土もいじるし……動きやすい服装になるのは当然だろう。それよりお前、今何したっ?」
『関節キス!』と暗にミレイの行為を訴えたいのか、白い肌を真っ赤にさせながら、自分の部屋を突っ切ってきて、テラスに居るミレイの肩を
指で掴む。その彼女と並ぶようにしてベンチに凭れていたスザクは目を白黒させながらルルーシュの邪魔にならないよう飛びのいて、
ケーキの乗っていた皿を持つ手はそのままに、がくがくと前後に揺さぶられる金髪を黙って見ていた。
「俺を差し置いて、こいつに何する気!」
「うわ〜、怖ーい。こんなことくらいでスザクは汚されないわよ。ルルーシュのやきもち焼きい」
ただ自分だけ差し置いて二人で居たことが気に食わないのか、または、自分すらスザクとお茶なんてしたことがないのにミレイが
先にしていたからなのか。とにかく部屋に戻って来たルルーシュの勢いはすごくて、ミレイは彼女を茶化しながらも
血の気が集中した友人の頬に内心関心していた。
スザクが戻ってきたおかげなのか、……突然花の手入れをしようと思い立ったのもそうだが、何処かで気持ちの入れ替えをしようと
しているらしい行動が目立つ。まあ、今までの受動的なものと比べれば、これぐらいやってくれてるほうが活気があって全然いいのだが。
「殿下、……本当に何されてたんですか?」
「あ!」
パッと手を離したルルーシュはあっさりとミレイを解放し、もぐもぐと無心に食べていたケーキを紅茶で流し込むスザクの存在を
初めて知ったような顔をし、途端に己の行動を恥じるように、二人から目を反らした。よく見れば細い手には身体に不釣合いの
ブラシとバケツが握られている。本格的に掃除のほうもしてきたらしい。
「折角のお天気だからさ……カレンにも手伝ってもらって」
「カレン?彼女もクラブハウスに居たんですか」
何でだろう?と、ミレイと視線を合わせる。しかしルルーシュはマイペースにスザクのほうへ回り込んできて、紅茶のカップを掴んでいた
腕を手にとった。
「ミレイとばっか居ないで、俺とも付き合ってよ」
「……え、ええ?」
「あはは。拗ねてやがんの」
ぐいぐいとルルーシュに引かれながら慌てて金髪を振り返ったら、ベンチに優雅に腰掛けた体勢でミレイは手を振っていた。
さっきの話については了解よ、と示すように。それにぺこりとスザクは頭だけ下げた。
「あの、どうしたんですか。殿下……」
「……」
どのあたりで機嫌を損ねてしまったのか解らないスザクは、ジャージの腕でしがみつくように引導されながら
困ったようにその顔を覗きこもうとする。が、ふいっと顔を反らされてしまって、スザクは閉口するしかなかった。
「あの……殿下」
「ミレイのやつ、にやにやしやがって」
「ミレイさんのあれは、仕方ないでしょう。一年付き合って身にしみたんじゃないですか」
むしろ殿下のほうが僕より親しくなったでしょう、とルルーシュの呟きに返せば、ばっと風を切る勢いで黒髪が振り返ってきた。
「名前で呼ばないで!」
「----------……」
「……」
「……」
「呼ばないで」
「……は、……はい」
ふんっ、と鼻で息をついて、また何処ぞかに向おうと足を進ませる。
自分と彼女のどこを見てそんなに機嫌を悪くしたのか知らないが、こんなに感情を露にするルルーシュも珍しいので、
とにかく気持ちを落ち着けて従うしかない、と、まだ満たされない腹を擦りながらすごすごとスザクは大人しく付いていった。
どうやらルルーシュはずっと学園での居場所にしていた展望台を、綺麗なかたちで、スザクに見せてやりたかったらしい。
既に時刻は夕方の五時で、空は桜の色のような、菫の青を薄く引いたような、形容しがたい紅色をしていた。茜色と呼ぶには
まだ時間がかかる夕焼けだ。
展望台なんて学園にあること自体稀だが、ルルーシュが転入することを決めた際にミレイのほうから『好きに使っていい』と、
錆びつきはじめていたこの場所を提供してくれたらしい。
さっき、感情のままに怒鳴ってしまったことが尾を引いていつものように振舞うことがしにくいのか、ルルーシュは時折
俯きながらぽつぽつと、今までの経緯をスザクに語っていった。昨夜のベッドの中では聞かなかったことだけにスザクも耳を大きくして、
不安げに見つめてくる紫電に『それで?』とやさしく相槌を打った。そのたまにしか見ることのできない彼の笑顔に応援でもされたのか、
ルルーシュも張り詰めていた糸が解けて。
螺旋階段を上がって頂上へ行く頃には、一年前と変わらない笑顔に戻っていた。手を繋いでいる乾いた体温が妙に心地いい。
「たまたま通路のところでカレンと会ったんだけどな」
今日はスザクが部屋に居たし、バレちゃいけないと思って展望台の掃除に誘ったんだ。と、遠慮がちにスザクの隣に立つ。横を見れば、
ルルーシュの小さな顔に二つある紫電が半端にあかるい夕焼けを映していて、純粋に綺麗だな、と思った。自分で見る空より
彼女の瞳の中にある空のほうがうつくしいと思うだなんて。
「---------掃除も、出来れば今日したかったから」
二人でひいひい言いながらだったけど何とか出来たよ、と、暗くなりだしたそこをスザクが見やすいように、見晴らしのいい床のパネルに
面して何本も立つ支柱にある一本を目指し、歩いていった。そしてそこに埋め込むようにあるスイッチを押す。照明装置だろうか。
---------無防備に開いていた瞼を一瞬灼きつくすんじゃないかというほどの強い光がスザクの目を貫いて、
反射的に瞼を伏せて、また、そろりと開けてみたら……、せっせと一日かけて磨いたらしい路面のパネルが薄い水の膜を貼ったように
照明を受けて輝いていて、スザクはここに『本当に花が植わっていたのか』と、目を剥いた。
「全部抜いたわけじゃないんだけどな」
これからはちゃんと手入れをしてやりたいから、管理の行き届かないとこにある花は季節外れというのもあるし、剪定も含めて
処分してしまったものもあるらしい。
スザクはそれにうん、と頷きながら、ルルーシュが進んでいった支柱のほうまで降りていった。ここの展望台はよく見ると、
本校舎にある体育館より規模が広くて、学園の一番高い所にあるというのにその周りには手摺なんてなかった。一枚のパネルと、
螺旋階段で繋ぐように二枚目、三枚目、と、お重のように重なり合っている形態。ルルーシュが操作した照明装置は丁度二枚目の所にあった。
「驚いたか?」
「ええ。……何だか、スキー場のナイターみたいで、普段とは違う別空間みたいですよ。足元も、花壇がないとこはさみしいですが、
その分空を映して……綺麗です」
「ふふ」
そう言ってくれると思った、と黒髪を風に弄ばしながら笑って、支柱に添えていた手を離し歩いていった。向う所は手摺のない、危なげな
際の辺りである。
「殿下」
「え?」
「あんまり遠くに行かないでください」
思いもよらない一言が、口先から零れた。
え、と紫電は反射的に立ち止まって、スザクを見てくる。自分のほうも、まさか何てことない彼女の行為が、その身を危なげになんて
させるとも思いもせず、いや、思いもしなかったけれど、口をついてでてしまった。どうしてこんな言葉が。
「スザク……?」
自分のいる位置よりずっと先を行こうとした背中。その細い肩が、足元の亀裂を踏んだだけで、そこに突然現れた獣の口のような穴に
吸い込まれていったのを、スザクはそう遠くない昔に見たことがある。-----------まるで今、その時の恐怖に襲われた。
一年前みたいに、寸でのところで、大事なところで、また助けられなかったら。
「スザク……」
何故か知らないが固まってしまったスザクのもとに駆け寄って、俯いたくせっ毛を覗くように近づいたら、
多分自分でも意識してないほどに気持ちをぐらつかせてしまったからか、翡翠がはらりと揺れていた。……本当にどうしてか、
それを見た時ルルーシュは、『スザクを怯えさせてしまった』のだと思ったのだ。
「ご、めんなさい。まさか、……こんなことで動揺するなんて」
「スザク」
「すみません。や、でも、その、……行かないでください。どうか、どうか僕の傍で」
「……」
「また守れなくなるなんて嫌だから」
ごめんなさい。
「勝手です。本当に、すごく勝手なんですけど、……」
「うん」
「離れないでください」
「離れないよ。----------ここに居る」
ぎゅ、と手を掴む。それほど風は強くないのに、千切れた花弁がルルーシュの前を通り過ぎていった。
「何処にも行かない。スザクの目に入るとこに居るから」
「……はい」
ごめんなさい、とまたスザクは謝る。
『いいや俺こそ』と頭を振って、俯いたまま顔をあげないスザクの頬を、両手でそっと包んだ。
ぱちぱちと、何度かまばたきをしたスザクはゆっくりと視線をあげて、どこか心配げに真っ直ぐ自分を見てくる紫電を、
先ほどの夕焼け空のように眩しく、受け止めた。空気が少しひんやりとしてきて気持ちいい。乾いた自分の手と、
僅かに湿った細い手を合わせて、また見つめあった。
昏くなり始める空に呼応するように、照明が展望台を夜の中異空間にしていく。
----------ああ、なんだか。
「夢で、貴方に抱き締められてるのを感じていた……」
「え、俺?」
そう、と呟く。少し恥かしいなあ、と笑い声が返された。
そしてそれが止んだ頃に、
「嬉しかった」
「……え」
心の底から大切なことのように語る、声が届く。頬を包んでいた手を上から重ねるように触れられているから、
ルルーシュはじっと聞いているしかなかった。
「夢で、俺はスザクに何をしてたの……?」
「抱き締めて、くれてました。でも目の前には赤い線があったから、……貴方は引きとめていただけかもしれない」
「そう」
「でも僕には充分な動機だった」
支えるように触れていた手を離して、指で顎を掬い取るように口付けた。一瞬、おびえたように紫電が見開いたけれど、
すぐに強張った肩を落として、ゆっくりと瞼を下ろした。本当だ。……少し、灼けつくように照明が強い。
頭まで真っ白になってしまいそうな。
夢の中でも、スザクの視界は真っ白な壁に包まれていた。
けれど背中に感じる体温に、胸の前を交差する手に、包み込まれるその細い腕に、
束縛されたいと自ら望んでスザクは彼女を受け入れていたから、いつもの無表情の顔に刻んでいたのは驚くことに、笑みの形だった。
『スザク、本当にあの子が好きなのね』
恋愛と忠義と親愛、一体どれで動いてるの?
試すような目をして言われたセリフ。ミレイは自分が居ない間ずっとルルーシュの傍に付いてくれていた人間だ。
別にスザクはその彼女に返す言葉でもなく、ふいに口をつくように、合わせた唇の合間に囁いた。
ゴゥッと頬を打つほどの強い風が吹いて、果たしてその呟きが彼女に伝わったかは解らない。けれどルルーシュも自分と同じでそうならいい、と、
祈るようにまた目を閉じて、思った。
すべてこの存在が、
(……僕を突き動かすものだ)
ルルーシュなくして自分の行動に意味はない。
*
身を寄せ合う二人を遠くから見ている影があった。
手には借りたままで返しそびれた軍手が握られている。赤い髪の毛は照明の零れ火を受けて、風にたゆたっていた。