夕暮れ時。まさか放課後のこんな時間にまで校舎
を走ることになるとは思わなかった……と、
ルルーシュを探し回っていたミレイが見た光景は、思っていたものよりもそれ以上なもので。
展望台に辿り着いた所でずっと姿が見えなかったルルーシュと、彼女のその腕を掴んでミレイではわけのわからないことを
言い立てるロロの二人の暴れる姿があった。私は一体どんな場面に出くわしたんだ、と思いつつも、見過ごすなんてことは出来ず
嫌そうに嫌そうに腕を振るうルルーシュをどうにか助けてやろうと前に出た。
が、そんな自分の行動よりも早く彼女のほうが自力で出れてしまって。
待て、そこから先は足場がないぞ、と追いつかない足にイライラしながらミレイは叫んだ。何てことしてくれるんだこいつは、と
ロロを睨んだりもしたのだが。しかし、ルルーシュが展望台の下に落ちてしまうんじゃないかという心配は
嬉しいことに杞憂に終わった。同時に、解ったこともあった。自分の横を駆けて行った男の残像に、
昔の後輩を重ねることが出来たから。
ああ--------------。
ようやく思い出したか。
予想だにしない人物の登場に低く毒づいて去っていったロロは置いといて、とりあえずミレイは展望台に続く螺旋階段を
逆に降りていって、中庭を目指した。走ってく先に見上げた空は、随分と暗くなってしまっている。はあ、と吐息を
忙しくつきながら『もしかしてスザクと会話出来るんじゃないか』と期待した。が、残念なことに中庭には誰も居なかった。
後から行った先の倉庫には、彼に預けられたのかルルーシュを抱える元特派の主任の姿があって。
彼は至極残念そうな顔をして、腕の中のルルーシュを見下ろしている。
「ロイド伯爵……」
「ああ、思い出したみたいだよ、……彼は」
スザクくん、と。
ロイドはその名前をまるでルルーシュに零れ落とすように、また、呟いた。
君の名のコノテーション
林の中を歩きながら、障害となる小枝を指でぼきぼきとカレンは折っていった。
目の前を歩いていくのは、先ほど人間離れした運動能力で自分とカレンの同級生であり生徒会の副会長でもある
ルルーシュを助けたスザクである。
彼は、朝自分に『地下へと戻る』と言ったくせに早々に学園へと帰ってきた。あそこまで必死になって
助ける相手で”あるはずのない”ルルーシュを、彼はロロから守りきり、ロイドへと手渡したのだ。
(あの男を……ルルーシュ殿下の側近だった男だ)
まさかあの主任と会ったことにより昔のことを思い出してしまったのか、と一瞬カレンの胸がひやりとしたが、それが顔に出ていたのか
カレンの視線に気づいて振り返った彼は開口一番に『何でもない』と言う。正体も、この姿はルルーシュ以外に見せてない、と
弁解まがいのことを言い始めた。
「つまり何?ルルーシュと貴方はどんな関係になってるっていうの」
「デュエリストと花嫁以外の関係は無いよ」
「本当に……?」
「本当に。男の姿を見られたのもまだ彼女しか居ないし、彼女以外に作らない。安心して。……日本解放戦線のことも言ってないから」
「……そう」
外面だけでもそれで納得したというような素振りを見せた。
いや、別に憶測だけで彼に探りを入れてみたっていいのだ。しかし、あまり考えも無くそういうことをしてはいけないと、
獣のような予感を感じていた。だって先を行くスザクは必要以上のことを話さない。あくまでもカレンの質問に答えるのみで。つまりは
何故か知らないが怒っている……か、機嫌がよくないということであるのが解った。そんな彼に言い返されるのを解ってて
あえて踏み込むような真似を、カレンは出来ない。
「安心したわ」
だからむしろ穏便に、柔らかく受け止めたというような態度をみせることにした。突然口を開いた自分を怪訝な顔をして
スザクが振り返ってくる。森の中ならば誰も居ないと思って、それでも一応辺りを気にしながら、カレンはそんなスザクをそっと
見返した。
「自覚なかったかもしれないけど、保健室でルルーシュのボロボロな制服姿を前にしてからスザク、ちょっと変わったから」
「え……?」
「最初は興味ないって顔してたのに、ジョルジュにいいようにされるルルーシュを放っておけないって言って喧嘩売りに行った
でしょう。あれからよ、……よく解らなくなったのは。本音と建前がごっちゃになってるというか」
「……」
「気は済んだかしら。貴方はセザル・オーウィンとして学生のフリをしてるけど、それはフリなだけであって本業は内偵なんだからね。
スパイとして桐原の祖父さまの為に働くのよ……私に心配なんかさせないで。ね?」
「ああ、そうだね」
ごめんねカレン、とスザクは笑顔を見せた。まるで猛禽のようなそれに、内心怯えはじめていることを悟られないように頷いて
『行きましょう』と彼を導くように手をとる。しかし、まるでそうすることが不自然だというような反射速度でその手は振り払われ
一瞬唖然となった。
スザクは何か手の中に持つようにぐ、と拳を丸めている。しかし驚いたのは彼も同じだったのか『ごめん』と謝ってきた。
「わ、私も突然だったから、……」
もう手は触れずに、人一人分の距離を間にとって、後は黙って女子寮のほうに戻っていった。その道の中でカレンはまだ訊きたいことが
山ほどあったのだが、スザクのほうはそんな自分に気づかず、何かをじっと考え込んでいるようで。
(一体何があったのよ)
昨日死んだジョルジュを殺した犯人も気になったが、それよりも、スザク自身の様子の変化にカレンの気は囚われていた。
まさか彼女はスザクが一年前のことも昔のことも、最近の……解放戦線でのこともすべて思い出したとは、
思わなかったろう。スザク自身だって驚いたのだ。もうずっと、暗闇以外では会えないと思っていたルルーシュを
展望台の影から発見した時は、----------------正体がばれるなんて考えもしないで駆け出していった。
一年経ったって変わらなかった、自分の腕で囲んでしまえば閉じ込めてしまえるような細い身体。
反して伸びた黒い髪。けれどその隙間から覗いた白い肌は……一瞬だけ見れた潤おう瞳も、
スザクに彼女は別人になんかなってないということを教えてくれた。
外見だけでなく、頑ななまでに己の意志を貫く内面も怒鳴るように叫んでいた声から知ることが出来た。
ああ、そのままなのだ、と。
”あいつとの絆があったから---------”
俺は死ねた。 なんて、
(今もまだ耳に木霊する)
*
「ルルーシュの容態はどうなんですか」
とんでもない高さから落ちそうになったんですよ、とミレイは言う。その彼女を前に、横に寝かしたルルーシュを覗き込むロイドは
『でも彼がいたし』と言って、どこか投げ遣りに額に乗せていた濡れタオルを取り替えた。
熱が出てるわけではないが体力のない身体で暴れたものだから随分と衰弱もしている。セシルもミレイと同様にそんな彼女を心配して
行方不明であったロイドを見つけられなかったぶんも、と、大学部の研究室の中をあくせくと働いた。
「でもそのロロって子。コーネリア殿下のお名前を出したんでしょ。そして頼んだのはギルフォード卿だって……」
ルルーシュの具合を診ながらロイドから聞いたのか、戸棚の奥に手を入れながらセシルは突然そう切り出す。ミレイがその言葉に
反応して、訝しげにロイドを見た。ルルーシュの冷えた指先に、僅かにだが不安が募っていく。
「……バレてるってことですか」
この子が、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアと同一人物だって。
髪の長さも身長も、服装だって変わったからそう気づかれないものだと思っていた。それにルルーシュは起き上がってから一度も
政庁近くの市街へは出ていない。クラブハウスか校舎か大学部。この三箇所にしか滞在することなんてなかったはずで。
「そうだねえ」
ずっと狭い場所に居たからか、んーと肩を伸ばして、ルルーシュを寝かせたソファから立ち上がった。伸びた銀髪を鬱陶しそうに
掻きながら自分のデスクへと戻っていく。彼自身もどこか危惧していたという問題であると、その態度から滲みでていた。
「……あれから一年経ったんだ」
「はい」
「スザクくんが、あの処刑から消えて……、ブリタニアは、周辺諸国から穴あきの国だと狙われるようになった」
「穴あき?」
「まあその、……主がいないって意味?」
総督であったルルーシュが異母姉のコーネリアに国を預けた状態でいたから、コーネリアは自分一人では国を持たせることができず
周りの国と同盟を結んで政治を安定させようと、平和の道を選んだのだ。しかし、圧力をかけていたのはシュナイゼルが統治していた
ブリタニアのほうで、いくら主が代わったとはいえブリタニアがやったことは無くなるわけではないから、周りの国々は
コーネリアの申し出を全面的に断ってきた。外交が多くなった理由は、難航するその政治事情に由来する。
「コーネリアさまもそりゃ躍起になるよ。死んだと思っていたルルーシュ殿下が生きてるっていって、こんな風に学園に通って
いるんだから」
「それは……、別にいいじゃないですか。ルルーシュの勝手なんだから」
「でもねミレイ嬢。殿下には功績がある。シュナイゼル閣下に次いで、ブリタニアでは権力を持っていられたお方だったから」
KMFには騎れないけどね、と付け加える。不謹慎な、という目でセシルは睨んだが、まあロイドの言い分も間違っているわけではなく
むしろ的をいてる推測だと思ったから、渋い表情で黙って受け止めた。
けれどミレイのほうは、納得いかないというように口を引き結ぶ。だってようやく会えたのに、また再会することが叶ったのに
またどうしてブリタニアが出張ってくるんだと、言ってやりたかった。しかしきっと彼女がそう思っても、眠るルルーシュは
時が来れば異母姉のもとへ帰ってしまうんじゃないかとも、思う。
ルルーシュは律儀だから。
いや律儀というよりもスザクも呆れてしまうくらい兄弟に愛情深いから。きっと、ロロに強引に引かれればあまり抵抗することもなく
連れていかれるんだろう。
「……それじゃ困るわ」
「困る。けど、ねえ」
「私は応援してやりたいんです。どれだけこの子が不器用な奴でも。周りが妨害しない限りは、……スザクと居させてやりたい」
静かに天井を向いたまま、ソファに沈む黒髪は綺麗だ。その身体を受け止める為に何十メートルも走ってきたスザクを
ミレイはあの時誰よりも近くで見ていたのだ。
スザクはルルーシュを恨んでいると思ったのに。
(人の気持ちって複雑よ)
たった一言の相手の言葉で、天にも昇るような気持ちにさせるのだから。
「そういえばジョルジュ・ラールのことなんだけど……」
「ああそうだ。確かロイドさん、その彼を引き摺ってった先で捕まったんですよね。もう、マヌケなんだから」
え、そうだったんですか、と後ろを振り向いた。丁度書類と薬品を両手に持って、自分のデスクへとついたセシルが
冗談まじりにロイドをからかって言ったのだ。確か昼間も、ミレイに補習を言い渡した理学の教授が『アスプルンド博士を見ない』と
困っていたのを思い出す。ルルーシュも朝から探していたようで……。そうか、そういうことだったのか、と
何だかミレイも苦笑してしまった。ろくに言い返さず、口を不機嫌にひん曲げるロイドもロイドであるのだが。
「あーれーは、殿下に任されたんですよ、僕が、仕方なく。スザクくんが加減も見ずにやっちゃうものだから」
「え?」
「何ですか、じゃあ、スザクが犯人だってことは間違いないんですか」
それもロロの勝手な言い分だと思っていた。朝の状況もそうであるが、首に突き刺されたナイフなども見て
情報で知っていたミレイはスザクかもしれないと思っていたから。いやはや、まさか本当に彼であったとは。でも一体どうして。
「彼のほうも独自で調べてたんだろうね、……ルルーシュ殿下のこともだけど、突然うちに転入してきたスザクくんのほうを」
「じゃあスザクくんの素性も……?」
「さあ。……まあ動機に関しては簡単に想像出来るけどね。記憶がなくなっても変わらなかったんだよ彼は。殿下のことを
ああやこうや言われたら、すぐに手が出るっていうか。意識がなくても身体が反応しちゃうアレな感じで」
「何か、ルルーシュのことで言われたんですかね。ジョルジュに」
「僕も決闘の一切を見ていたわけではないけどね。何かそんな感じだったから、殺人の衝動は突発だったかな、って」
個人的な判断ですが、と言い置く。隣で聞いていたセシルは複雑そうに小さく頷いて『まあそうですよね』と呟く。
女史も女史で、大学部の仕事以外にブリタニア関連でも調べていたり、ルルーシュの情報に関してセキュリティを貼っていたり
色々してくれているらしいのだ。そんな風に守られていると知っているのか、当人であるそのルルーシュが結構簡単に危ない目に
遭ったりもするのだが……。ミレイはそのことに深く胸を痛ませる。
「もうこんなことが無いといいですね」
「そうよね。……いくら監督者だからって、ミレイさんもこうも立て続けにあると、参っちゃうでしょ」
「や、でも仕方ないですよ。一国の総督であった人を匿ってるんだから。これくらいの苦労は承知の上ですよ。全然苦とかじゃない」
なるべくこの言葉がやせ我慢で出たものだと思われないように、作り笑いをせずに答える。
それにルルーシュと居るのも楽しいし、と言って、目の前にある黒髪を指先で撫ぜた。この間『切れば』と言った前髪が
薄い瞼を覆っていて、その肌の白さを際立たせていて純粋に綺麗だった。でもその印象は強いものではなく、ミレイの目には
優しく映っていた。自分の母親をたまに美しいと感じるようなそんな感じを、いつもルルーシュの容貌は与えてくれる。
出来るだけこの顔をずっと眺めていたいと思う。
『殺人をただの衝動としか見ないお前になんて』と、ロロを一喝したその強さに---------ミレイは会った時から惹かれているのだから
余計に。
きっとその言葉は、シュナイゼルを手にかけたスザクのことを想って口にしたことなのだろう。
彼のあのもたらした結果に直面した時のルルーシュの心境はどうだったかなんて想像も出来ないが、ミレイが考えるのは
ルルーシュはもうそのことを全面的に許してしまってるということ。
叶うなら、……それが今のスザクに伝わるといい。
それこそが願いなんじゃないか。
*
本日、
『洗脳があまかったようだね』
『クーデターを起こそうなんて考えないで欲しい。もしそんなことをするなら、こちらにも考えがある』
『-----------ルルーシュ皇女の首をすぐにでも撥ねてやる』
まだ自分の記憶に半信半疑で籐堂に会いに行った所で、牽制という名の粛清を与えられた時に言われた言葉だった。
スザクはカレンと門の前で別れてから、真っ直ぐに女子寮の部屋へと戻ってきて、そっとクローゼットの扉にある鏡に自分を映した。
一年……という月日が経ったらしいが、そう変わらない自分の容姿の変化に吐息を零す。手を広げて、頬を包むように触れれば
乾いた感触がした。そして、まだ掌に残るルルーシュを受け止めた温度に眩暈も感じて、まるで酩酊するようなその熱さを振り払うように
クローゼットを乱暴に閉めた。
いとしい。
その気持ちは変わらなかった。
だからこそ、自分はこれからも、せめてルルーシュにだけは嘘をついていなきゃいけないと思った。
……そうでなければ彼女の身は。
「お邪魔するわ」
半開きであったのかリビングに続く玄関の扉はそっと開かれて、廊下の明かりが差し込んでくる。部屋は電気を点けていなかった。
誰かなんて問う必要もなく、歩く度にふわふわと揺れる金髪でミレイであると知ったから、『お久しぶりです』と口にした。
「ロイド伯爵に訊いて、色々勝手に考察もして……今のあんたの大体の状況が解ったわ」
「そうですか」
「閉めるわね」
実は立て篭もりされた時の場合を思って、寮の鍵を持って来てしまったのでしたー、とミレイは言って、
自分たちの会話が洩れてしまわないようにきっちりと隙間もなく閉めた。スザクは暗闇の中で夜目をきかせながらそれを見て
静かに笑う。ちゃりん、と胸の前にあげて揺れる鍵の音に、更に苦笑した。昨日までの自分だったらどう思ってたのか知らないが
今の本来のスザクであったなら、彼女のそんな茶目な部分を嫌には決して思わない。
「お世話をかけてしまったようで。……殿下ともども」
「そんなのはいいわ、好きでやってることだし。でも、抵抗もなく日本の奴らに捕まったとこだけは許しはしないわね。
あんたきっとそれがあるから、ルルーシュに打ち明けないんでしょう」
思い出したこと、と、遠慮がちに呟いた。その声にはっと顔をあげて、くしゃくしゃに顔を歪める。暗闇なのが幸いしてか、
ミレイにそんなみっともない様子を気づかれはしなかったけれど、情けない気持ちは残った。そうだ、籐堂に言われたからとかじゃない、
自分は一度ブリタニアを離れた身……言ってしまえばルルーシュを裏切ってしまった身であり、騎士として失格だった。
そんな身分では彼女の傍に居られない。綺麗な手のひらには包まれない、と強く感じる。だからロイドには何も言わず
カレンと去ったのだ。ルルーシュだけ置いて。
「あれでよかったの?」
「……」
「あんたは、一年っていう月日を越えてずっと待っててくれていた彼女を前に、そんな態度でいていいと思ってるの」
「……」
「それこそ、カレンの傍に居るよりも最低なことよ。二股になったっていいじゃないのよ、日本側に属してたってブリタニアに
戻ったってルルーシュに想われてることには変わりないんだから。あの子の気持ちを裏切るほうが罪よ。私はそっちのが
許せない」
恨んでいるわけでもなく、憎んでるわけでもないのなら戻ってきてあげて頂戴よ、と、掠れた声で言った。
(でも)
「僕は監視されている」
「誰に」
「勿論、解放戦線の彼らにです。今日会って確認してきたんだ。……簡単に身を引くことは出来ないっていうことを」
「つまり、今更ルルーシュの傍には戻れないって?ルルーシュが危険になるから?」
「……」
「いくらあんたが傍にいることで、ルルーシュの素性がバレることにも繋がるからって……ずるいわよ。そんな考え方。
やっと思い出して元に戻れるかもしれないっていうのに。彼女をぬか喜びさせる気?」
「ミレイさん……」
「ルルーシュは待ってたのよ」
「解ってます」
「そうなのに、また、突き放すわけ?」
「そう、なると思います」
「----------馬鹿言わないでよ」
「無意識にでもルルーシュを罵倒された時は、その相手を刺しちゃうくらいまだ慕ってるくせに……心と真逆なことを平気な顔して
言わないでよ」
必死に平静を装っているスザクの、薄っぺらい理性を突き刺すかのような言葉を抑えた声で言って、手の中にあった鍵を
その胸に投げつける。反射でそれを受け取ったスザクは、口を開くよりもまず、怪訝な顔をしてミレイがいるほうを見た。
「それはクラブハウスの鍵よ」
持って来ていた束のうちの一本を寄越したらしい。スザクの手の中でちゃりんと揺れているそれは、自分に何をもたらすのか。
すかさずミレイのほうへ首を振って、返そうとする。しかし彼女のほうが数瞬早く玄関のほうへ行ってしまって、
追いかけるよりも先に出ていってしまった。
「スザク」
無人の扉ごしに声が飛んでくる。ぴたり、と動きを止めて、手の中にある鍵を握りしめた。
「……ルルーシュはもう許しているわ。あんたがお兄さん殺したこと」
「……」
「前までは、私のほうが、あんたはルルーシュを許してないんだと思ってた。自分を置いて先に逝こうとしたあの子のこと。
だから解放戦線に身を投じたんだって。
でも嬉しかったんだよね。嬉しかったんでしょう……?あんたの為に、自分が一度死ぬことも含めて、全部したんだと知って」
人間嫌いに人間不信が合わさっているルルーシュが、そうまで言うなんてとても貴重なことよ、と扉が言う。
そうだろうな、と無言で頷いて、鍵をもっと強く握りしめた。気持ちはどんどんぐらついていく。ボンドでもあれば
それで埋めてしまうくらいに気持ちは強固でありたいのに。
(それが、出来ない)
……のは、多分、きっと。
「人は動物とは違って二足歩行だけど、空いた腕を支えてくれる相手が必要な動物だと思うわ。
どうか、自分を律する前にもっとよくあんたを必要とするルルーシュのことを考えてあげて」
「……」
「私はあんたたち二人が大好きだったのよ」
本当よ。
ミレイは寮の廊下を小走りに去って行った。あとはスザクがどう判断するかで事態は好転も暗転もする。
でも、どうか、どちらになっても、ルルーシュに居やすい世界になってほしいとミレイは願う。
扉の外から足音が遠のいていった後、スザクは背を返して、ベッド脇にある机の上にある紙片に目を留めた。
確か昨日は予期せぬことでルルーシュが泊っていったんだよな、と思って、自分が宛てた手紙らしいそれをとる。
どうにも手紙という形態に抵抗のあるスザクは、最初二つ折りにされたそれをすぐには開けずにいた。しかし、やはり気になるので
開けてみる。
中には、先に部屋から出て行くということと、本物のカップルではなかったにせよ、彼氏であるジョルジュを手にかけたことを
謝る文章が書かれていた。……どうにも偉そうなその文体に若干眉を顰めつつ、先を読み進める。五行ほどしかないその手紙は
半分がルルーシュへの言付けになっていた。けれど、後半の二行の文章はどこか独り言めいた内容のもので。
「……?」
”君は、
多分君が言う通り、僕の大切な人なのだと思う。でも、まだ気持ちが追いついていないから、返事は出来なかった。ごめん。
君の名前以外を思い出せた時に、返事をしたい。どうかよい日に”
(そうか、だから”僕”は地下へ行ったのか……)
ルルーシュの姿から思いだそうとしたのではなく、ルルーシュに対してまた新たに芽生えた気持ちから、彼女を知りたいと
思って自分は籐堂へ会いに行ったのか。なんて馬鹿なことを。
スザクは置き手紙であるそれを握って、ぐしゃぐしゃに丸め込んだ。そして振り上げた腕で叩きつけるように床へ落とし、
踏みつけて、その場に蹲る。どうしてもっと早く思い出してやらなかったんだ。せめてルルーシュが目覚めるよりももっと早く。
そうだったらカレンの手に落ちることもなく、スザク個人としてルルーシュを迎えに行けたのに。今みたいな状態にならなかったのに。
(どうしてそこまで尽くしてくれた彼女に、僕は何も報えることがないんだ)
『あの写真を取り返せたら、解ると思うんだ』
『スザク』
『また戦ってくれないか……?』
『もうお互いの生活があるもんな』
『俺がこわい?』
『---------今度は俺からお前に誓おう』
『騎士になってくれ』
暗闇に沈んでいた間に彼女が自分へ言っていてくれた言葉たちが、頭に浮かんでくる。
『スザクが恨んでるんじゃないかって心配した』とミレイは言っていたが、ルルーシュも突然現れたスザクに
同じように思っていたんじゃないだろうか。
そんな中で、どんな自分の態度にも挫けず求めるようなことをしてくれて……一年前までの自分たちを考えたら、
まるで逆転するかのような切り替わった関係に、胸がまた苦しくなった。
この手紙だってそうだ。
きっとスザクはスザクである自分を思いださなくったって、ルルーシュを好きになっていた。
(そうだから余計に)
区切りをつけることが出来なくなる。
そっと、非常灯しかついていない床を歩いて、前は窓を突き破って入ったその部屋に、今度は扉から入っていった。
ミレイに渡された鍵でそっと錠を外して、右足を踏み込む。落下したルルーシュを守ってすぐにロイドへとその彼女を預けたのだが
今もルルーシュは深く眠ってしまっているのか。または起きているのか、どちらであるのかスザクは不安だった。
外は雨が降り出している。
そう言えば誰かが迷信のように『夕焼けが綺麗な日は雨が降る』と言っていたっけな、と思い出した。その横顔は思い出に薄く
掠れてしまっていたけれど、確か金髪だった……と。何だ。まだ胸の中には存在するのか、憎い憎いはずの彼女の異母兄の姿。きっと
スザクが死ぬ時まで彼の亡霊は纏わり続けるのだろう、とどこか諦めのような気持ちが、ぽんと浮かんだ。
けどそれすらもルルーシュは越えて、スザクを選んだのだ。また違う世界では違う関係として会うことができるから、と信じてくれて。
そうまで思う価値が自分にあるのかと自問するのだが、でもそれはミレイの言うようにスザク自身が判断することではないのだ、と
納得づける。こんな己を想ってくれるルルーシュの為に。すうすうと、小さく細い息をついて、白いシーツの中に仰向けに眠る
彼女を、尚も変わらずいとしいと自分も感じるのだから、……どんなに環境が変わっても自分たちの繋がりは切れてなんかいない、と
想った。
(殿下)
声には出さず、顔の横にそっと手をついて、その寝顔を見る。
次いで指先で頬に触れて、包むように一度撫ぜた。ん……と小さく身じろぎした顔に一瞬ひやりとしたが、起きてはいなかったようで
すぐに身を起こして離れる。
しとしとと降り続ける滴の音に耳を満たしながら、しばらく寝顔を見つめた後、スザクは部屋から出ていこうと
ベッドへ背を向けた。
-------------ぐ、と腰を強く掴まれる。その何かに、予感していた事態が起きたことを知って、決して振り向かんと
体重を前のめりに強くスザクはかけた。しかし、踏ん張ることでは相手は諦めはしなかったのか、半身を起こしたらしい彼女は片手をついて、
スザクの服の裾を引く手にまたその手もかけて、両手で背中に張り付くように抱き締めてきた。……まさか起こしてしまったとは。
「……で」
「スザク」
んか、と続ける間もなく、声が掛けられる。後ろから既に胸のほうへ回されていて、簡単に振りほどくことは出来ない状態に
腕は交差していた。
「……殿下」
「今起きたんだ」
「離してください。すぐに、帰りますから」
「どうして?」
「……僕は、……枢木スザクじゃ、もう無いから」
「スザクはスザクだよ、俺にとって。変わらない」
「でも、」
「俺のこと思いだしてくれたんじゃないのか?昼間助けてくれて、……それで会いに来てくれたんじゃないのか」
胸の前を掴む指の力が、強くなる。スザクは困った顔をして、後ろからのしがみ付くような抱擁を受けた。でもずっと続けていい
接触ではないことを、痛いほど感じている。だからどれだけ彼女が迎えてくれようとしても、---------スザクは。
「やめてください」
「嫌」
「……離して」
「無理だ、そんな」
「そうでも、……お願いですどうか」
僕はもう貴方の騎士じゃないんです、と告げた。びく、と細い肩がその言葉に揺れたが、黒髪はぶんぶんとスザクの背中で揺れて
余計強く、身体を押し付けるように抱き締めてきた。その強まった接触に、呻くようにスザクは息を吐く。
どうにかしないとこのままでは、自分自身抑えが-----------。
「スザク、俺はずっと、お前に触れて欲しかったのに」
「……」
「昨日、一瞬でもお前が『殿下』って呼んでくれて、どれだけ嬉しかったか。……俺がまたした告白も、受け止めてくれて
どれだけ舞い上がったか。離れてたお前は、解らないだろう」
抱き締める腕の強さは変えることなく、背中に顔を埋めたまま、淡々と語っていく。スザクはそれを受けながら壁を見つめて
前にも後ろにも進めない自分を、自覚していた。ルルーシュが零してくれる本音が胸に染みこむように心地いい。でも
再び築いた壁を壊すような真似をしてしまっては、今度は自分だけじゃなくルルーシュも傷つけることになる。
(日本解放戦線にいる自分は)
そんな事態になっても貴方を守り通せるか解らないんですよ、と、告げて、決別するために来たのだというのに。
「スザク……っ、俺はお前が支えだったんだぞ!」
「-----------」
「お前にとって、俺は重荷だったのか?憎んでいるなら正直に憎いと言ってくれ。もう諦めるから。でも少しでもまだ俺に
気持ちがあったら、」
「重荷だなんてことはない」
(そんなこと、あるもんか)
背中のルルーシュの発言に、ふるふると首を振る。心臓が直に掴まれてるような錯覚に陥る。それは、思ってもないことを
彼女に言われて、そう思われてることに失望したから。スザクはスザク自身に。
(だって僕は……)
「貴方に求められて、はじめて自分を認められたんだ」
「……」
「憎いだなんて、そんなことある筈ないじゃないですか。嫌いだなんてことも……だって僕のほうが先に貴方を好きになったんですよ。
貴方にその気持ちを返してもらえた時どんなに嬉しかったか。胸を開いてみせることが出来たら、見せてやりたい。僕の気持ちを人間らしく
したのも貴方だ。殿下が死んだ時、……守りきれなかった自分にすごく絶望した。そこまで追い詰めてしまったことにも
怒りを通り越して、何にも感じられなくなったから。だから、せめて騎士として処刑されようとしたのに、……」
「スザク……」
埋らせていた黒髪をあげて、ルルーシュがスザクを振り返らせようとする。指先を掴んでいた服から離して
肩へ回した。そうしたらスザクも半身を翻らせて、照明のない暗がりで目と目が合うことになる。翡翠が睨むような鋭さで、
はっと目を開いた紫電を射抜いた。-----------もうそこまできてしまっては。
「--------------っ!」
背中ごと身体がシーツに吸い込まれるように、ルルーシュはベッドへと押し倒された。口を開こうとしたところで、スザクに
唇を塞がれる。ルルーシュは背中に腕を回して、離れてしまわないように、しがみつく指に力を込めた。
舌と舌が絡んで、角度を変えながら、まるでお互い翻弄するように中をくすぐり合う。スザクが、口を閉じようとするルルーシュに
追いすがるようにまた舌を絡ませて、強く吸った。ふわりとするような舌先の痺れる感覚に、内股に妙な力が入ってしまって
ぶるり……と背を震わす。
気づけば頬を赤くして、ルルーシュは胸元から肩先までふるふると揺れるように小刻みに震えていた。
「……ん、く……」
ようやく触れるほどの距離に来てくれたスザクとの間に、空間が出来てしまうのを怯えるのか、唇へのキスと頬を触れ合わせる接触の中で
ルルーシュの指はずっと背中に回されていた。それも爪を立てるほど強く。そうされながらスザクのほうは、ベッドに乗り上げた
状態で、ルルーシュとは違う別の意味で怯えていた。もっと奥に、もっと傍に寄り添いたいという欲求に任せてしまえば楽なのだろうが、
彼女を思えばそれはかならずしも正解ではなくて。……戸惑いと恐れに翡翠を揺らして、でも、キスはずっと長く続けていた。
雨の音さえ気にならないほど、足を交わらして、唇も合わせて、視線も空中でぶつかって。
「スザク……」
「殿下」
「もっと、呼んで」
「-----殿下」
「もっと……」
俺も触りたいよ、と、肩に回していた手を手前に下ろして、スザクの髪に触れた。
変わらずくしゃくしゃなその中に指を差し入れて、何度も何度も梳くようにする。
でんか、と、また呼びかける口元が額へと羽根のように触れてくるのに堪らなくなって。
ルルーシュはまた腕を広げてスザクを抱き締めた。背を浮かしていたから傍目にはしがみつくように見えたかもしれない。
スザクはもしかしたらこんなルルーシュ相手にすぐにでも立ち去りたいのかもしれない。けど。
(逃げたくない……)
異母兄の存在も、弟も、ブリタニアの家族そのものも、スザクを苦しめてしまうことはわかっていても、ルルーシュは離れたく
なかった。
だからしがみ付くように見えても抱き締める力を弱めないのだ。弱めてしまったらスザクの主張を通すことになってしまうから。
そんなことは、ようやく思い出して抱き合えたというのに、悲しすぎる。
「拒んでも……」
「?」
「拒んでも、殿下は繋いでくれるんですね」
肩口で声がして、そっと腕を外して覗き見る。スザクはルルーシュの胸に顔を埋めて、泣き出しそうな子どものような目で
見上げていた。そんな視線を受けて、ルルーシュははにかむような笑顔を返す。暗闇でも感じる暖かみは本当で、
今もまだ自分の手に戻ったわけではないけれど、スザクの気持ちが自分に在ることは真実だから、と目の端を緩める。
「繋いでるに決まってるじゃないか」
だからこそこんな甘い言葉が、自然と口から出るのだ。
愛してる、と、シュナイゼルを手にかけた時強く想ったのはスザクの錯覚じゃなかった。
あの時はただ必死に、神殿に落ちてしまったルルーシュの身が心配で、障害となる白いマントを除外することしか
頭になかった。ルルーシュの異母兄である彼との戦いの果てで、結局はルルーシュを傷つけ自分の前から消してしまうことに
なってしまったのだが、それでもスザクはずっと手を伸ばしていた。
自分たちは主従の誓いを立てる時、まず指を絡めたから。
(きっとこれからも離れることがあったって、どんな形ででも彼女を求め続けるだろう)
そんな予感が、スザクにはしていた。外の雨の音はもう意識の外で、今は身体の神経は全部腕の中の黒髪に注がれている。
見下ろす紫電は潤むように鮮明だった。いつもスザクへと躊躇わずに触れてくれる綺麗な指先は、雄弁に彼女の背負ってきた
孤独を証明している。
「貴方を、守る」
記憶のない状態でも手紙に託した思い、どんな自分であったってかならず彼女を想う心がある限り、それが消えることはない。
今だって柔らかい身体に包まれてこんなにも胸は歓喜している。
(だから)
「……スザク」
「ずっと呼んでいて下さい、僕を」
「うん」
「……殿下」
互いが互いの名前に隠された意味に心は満たされる。
どうか呼び合う間だけはずっとこんな風に寄り添っていたい。例え抱き合う腕と腕が、檻のようであったとしても、だ。