学園には決闘という慣わしがある。
現在の”花嫁”であるルルーシュが個々の挑戦者に与えられる”賞品”と決められているわけだが
その彼女が審判を務めた……数分前の決闘において、初めて死者が出た。
隔絶されていた空間がことの一部始終を隠してしまっていたものだから、第三者が知ることはなかった。
しかし今、花嫁であるルルーシュに後始末を頼まれたロイドは中庭の隅で膝をつき、瞑目していた。血がついた指先は
ジョルジュの体を(とりあえず)体育倉庫まで引き摺ったために付いたものである。
その、少し黒く掠れたように付着したものを銀瞳を伏せたまま----------口にした。当然苦かった。
この苦い思いを味わったのはお前であるわけではないのに体から滲み出てくるなんて不思議だな、と
ロイドはジョルジュの冷えた体温を思い返しつつ、ようやくまた目を開けた。
そこには、ショートボブの栗色の毛並みを持つ少女のような少年が居て、突然の出現に白衣は息を呑む。
「時は明けたようですね」
他の生徒と変わりなくアッシュフォードの制服に身を包んだそのシルエットは、夕暮れの空に翳って見えて
表情をあやふやにさせていた。ずん、ずんずん、と少年が木の下に座り込むロイドへと近づいてくる。
「誰、……君」
咄嗟に手を白衣の袖に隠して、臆することもなく不気味な風体の少年へ顔をあげれば、ようやくはっきりと顔が解ってきた。
近くで見ればルルーシュと何処か似た瞳をしている。
少年は近づきながらもポケットからナイフを取り出していたようで、ロイドの問いかけに慌ててそれを仕舞いなおした。
まるで口を開かなかったら殺していたというように。
(……まさか)
どこか人間離れした動きに古い友人を思い起こしかけながら、ごくん、とロイドは唾を呑みこんだ。彼はロロ。セシルとまだ
眠っていたルルーシュの横で、ブリタニアについて調べてる時、真っ先に上がってきた死神の名前である。
(思い出したぞこいつは)
「コーネリア副総督の、いや、総督の……」
「彼女の留守中を預かることになった、ロロです。義弟の身の上でファミリーネームはまだありません。でも確か空席があると
ギルフォード卿は言ったかな。もし僕がヴィ・ブリタニアと名乗るようになったら、伯爵はどんな顔をしてくれますか」
*
ルルーシュは一人キッチンに立っていた。
どうやらアッシュフォードの学生寮は個室と二人部屋と二種類あるようで、スザクは当然ながら個室のほうを借りていた。その部屋には
二人部屋にはないダイニングキッチンがリビングの端にどどんと置かれていて、それを見てルルーシュはリッチだなあなんて思ったりする。
が、彼は料理をするタイプでは元よりなかったから、例え記憶は失くしていても習慣は変わらなかったようで、
随分と銀色のシンクは綺麗だった。そこを指先で撫でながら『ふう』と胸を息をつく。
向うベッドルームではスザクが布団の中に埋るように眠っていた。衝動的に浴室で身を寄せ合ったあと、彼は泥のように
ルルーシュの体に崩れてきたのだ。まるで歩きつかれた迷子のように。無表情の裏に困惑と悲しみと自嘲を込めて
低く低くルルーシュの名を呼びながら、一度だけ果てて。一年前から記憶を喪失している彼は自分の体のことを知らないだろうから
組み敷かれてもルルーシュは静かにスザクを受け入れるのみだった。彼が簡単に事を済ませても何も言わなかったし何も思わなかった。
セシルには考え足らずだと怒られそうだったが、ルルーシュはただあの時『好きだ』と言えたことのほうが満足だったのだ。
セックスなんてそれに付随してきたものなだけである。
(だから別にいいんだろう)
火照る気持ちと触れられた肌に刻まれた痕に、ルルーシュは見ないフリをする。そうしたところでスザクも自分も楽になるわけではないのだが
でも、自分だけ高望みしてる分にはいい……と納得づかせた。何を、と問われれば、勿論スザクの記憶の復活をである。
『僕は、スザクじゃない』
ルルーシュの前で混乱の果てに零した言葉。本音の気持ちが滲み出てる充分なものだった。きっとルルーシュから抱き締めたのは、
それこそ衝動だったのだろう。彼にそんな顔をさせたくなかったからだ。昔の自分のような、自分自身を否定するような真似を
させたくなかったから。
「しっかりしなくちゃ、な。言ったじゃないか俺は」
『スザクはスザクだよ』
『俺のスザクだ』
……と。ならば自分は彼の在りのままを見ているしかない。昔、自分の騎士であった彼を押し付けてはいけない、と
ルルーシュは胸に誓う。今も、先ほどまで続いていた接触に震えるそこに、叩くように手をおいて。
言い聞かせた。
手元に開いたテキストに目を落として、ルルーシュは沈む気持ちを切り替えるように瞬きをした。少し落ち着きを取り戻した心音、
遠くで聞こえる彼の寝息。うんうんとまるで確認をとるように頷きながら、シンクに乗せていた手でページを捲った。料理なんて
自分一人でするのは実は初めてのことで、緊張している。
『ルルちゃんそんなことまでするの?』
とは数分前までこの部屋に居たミレイの言葉である。ねぇ、何かあった?とメールを寄越してきたのが丁度濡れねずみのスザクを
ベッドまで引き摺っていた時で。まるで藁にもすがるような思いで彼女からの着信をとった。ミレイとは昨夜口論をしたのだが
人が出来てる彼女はルルーシュに対して何の鬱屈も感じてないらしくて。もしくはすべて知っていたのか。何がって自分が自分の命を顧みず
スザクに近づいたことをだ。……そうだったら、それこそ自分から彼女のお世話に感謝したいくらいだった。ミレイはルルーシュにとって
良き理解者である。昔から、今もずっとこれからも。
ミレイのメールにルルーシュはすぐ返事を返した。幸い携帯の電波は良好である。『スザクが倒れたんだがどうしようか』という
メールにミレイは『すぐ行く』と言って、本当にすぐ来た。
一応腰元はタオルで隠していたが、下着同然の格好のルルーシュとスザクをセットで見ると、学園の寮がまるで場末のホテルの部屋のように
写って見える。やはり到着したミレイもそう思ったのか、とほほと肩を落として、『やっちまったか』と苦笑した。
「馬鹿ね。傷つくと解ってるくせに」
「それは……」
母親か姉のような視線にルルーシュはびくりと身を竦ませたが、しかし自分の判断が誤ってると思わなかったので
『いや』と首を振った。
「ミレイ、違うから」
「……何がよ」
「これは何も、」
「……」
優しさなんて欠片もない交わりだったのは理解しているが、得たものはあった。
ルルーシュは踏み込まれるのを譲りもせず紫電を鋭くして、ミレイを見上げる。
「自分を犠牲にしているわけじゃない」
「本当に?」
ミレイは、きっとスザクに好きにされたんだろう濡れて痕の浮かんだ身体を見て、きつく顔を顰めた。
「私があんたに昨日言ったこと、引き摺ってるんだと思ってた」
「そりゃ引き摺るさ。引き摺るよ、……理解はされないだろうけどひどく自分勝手なことをした。スザクが自棄になったのも責められない。
けど、だから、俺は変えられると思うんだ」
『殿下』という呟きを洩らして、一刺しで殺したジョルジュの身体を踏み越えて触れてきた”本来”のスザク。
あんな彼を前にして、もう日本解放戦線に渡したままのスザクでいいなんて、ルルーシュは言えないし思えない。
自分自身の判断ならこれは正しいのか、間違ってるのかなんて決められないけれど、------------判断は出来た。
(いいんだ、これで)
現在の、一度死んで”ただの”ルルーシュとなった自分が今のスザクを求めても。
誰に止められるものでもない。
(カレンにだって)
決心するようにミレイを見つめ返したルルーシュは、少しだけ紫電を緩めて『ごめんな』と言った。よく自分は人に謝ってるなと
思いこそすれ、謝罪の気持ちから鈍感ではいたくない……とも思う。そんなルルーシュの妙な律儀さを彼女は解ってるのか
ダイニングキッチンを指さして『やるの?』と訊いてきてくれた。勿論、女が寝込む男にすることなんて一つに決まっている。
どうやらミレイは携帯でメールを送りながら料理の教本も持ってきてくれたらしい。眠ったスザクの身体を寝室のベッドに埋めて
『さあどうするか』と俯いたルルーシュにミレイは生徒会の会長らしくテキパキと提案したのだ。粥を作ろう、と。
「リゾットのことか?」
「日本ではおじやとも言うわね……まあしかし、過度の疲労で衰弱した奴の身にとっては、具のあるものより粥のほうが
絶対にいいわね。材料は適当に厨房から持ってきたものがあるから、適当に使って」
夜も遅いし咲世子さんの世話にはなれない……と口に出そうとした所に、大きめのビニール袋を差し出される。中には調味料と
牛乳パックが一本入っていた。
「ミルクで煮るってことか?」
「スザクの好みがどうなのかは知らないけど、ミルク粥を嫌う人はそう居ないでしょう」
「そうか。そうだよな」
うんうん、と翻る金髪を見ながら頷く。ミレイは少し屈んで、足元からエプロンを取り出してきた。そんなものも袋には入れてあったらしい。
「ミレイ、それ何……」
「ルルちゃんが着るものに決まってるでしょう」
「どうして!何だよそのフリフリ……!俺はただ鍋の中に入れた米と牛乳を煮込めばいいだけなんだろう」
「馬鹿ね、恋愛には演出が必要よ」
どれだけ一年前の二人の関係が素朴で無骨で派手さのない付き合いだったかを知ってるだけに、
ミレイのルルーシュへの世話の焼きようはとてもマニアックだった。広げたエプロンの大きさは膝上くらい。色は勿論純白で、
生地はさらさらとしたシルクのような光沢をもっていた。
「こんなの着て『あーん』ってされたら、私なら思い出すな、すべて!いいじゃんやってごらんよルルーシュ」
「無理だ」
「そんな青褪めた顔で即答しないの。スザクはルルちゃんのことが変わらず好きなんだってば。こんなの着て目の前にやって来ても引かないって。
むしろ喜んで粥をすすると思うわ、安心して!保証するから」
「何を自信過剰に熱弁する。俺は、こういうのは好まないんだ。普通に尽くしたいんだよ。形から入れってんなら
別の演出を持ってこいってんだ」
両手に突き出すように持ったままのエプロンを片手でもぎ取って、ぐしゃぐしゃに丸めて足元へと放る。どんなことでも真摯に受け止めて
考えてくれるミレイにはいつも感謝しているが、まるで自分の変わりように面白がって何やかやと提案してくる破廉恥さは
好きにはなれなかった。
「えー。着ないのー?折角持ってきたのに」
そういえばあんた、薦めたのにオーバーニーも履いてくれなかったわよね……と口にしてくる。低いその呟きに『そうだったか?』と
忘れたフリをして、ダイニングに広げられたテキストのレシピに、らんと目を輝かせた。
「もっと料理って難解なものだと思ってた……。火の使い方さえ間違わなければ何とかなりそうだな、これ」
「言ってなかったけどルルちゃん、ここオール電化よ」
『ほらIH』と、ミレイがパネルの上を撫でる。あ、とそれを見つけたルルーシュは硬直して、自分の視界の狭さにがっくりと
肩を下げた。エプロンはもう自分たちの目に入らないように端に寄せてある。
「ごめんな、世話かけて。後は、スザクが起きるまでに間に合うよう自分で仕度する」
適当にあったゴムを腕に巻いて、腰まで伸びた髪を後ろでひとつに纏めた。ひらひらと猫のしっぽのようなしなやかさを持って
結ぶ動きに合わせて揺れる。それと、鼻の上あたりにつくんじゃないかというほどに伸びた前髪を見て、ミレイは
クラブハウスへ帰る支度をしながら『切ればいいのに』と呟いた。
「え?」
「なんか長くて鬱陶しいわよ。前みたいにショートボブにしゃえばいいのに、頭」
そういえば二人の出会いは政庁の式典の会場だった。ナナリーの替え玉と相対したルルーシュの窮地を救ったのが、
今目の前にいる金髪の友人である。その時既にルルーシュの髪は、肩までしかなかった。その数日前に英国を飛び出した時
ずっと長かったそれを異母妹に切ってもらっていたのだ。
「あ……」
気づいたように頭に手をおく。ミレイはムムと唸りながら、ルルーシュの黒髪へ同じく視線をやった。
「無精が続いて長くなっただけでしょ。切っちゃえば、少しは刺激されてスザクも思いだすかも」
悪意もなにもないのだろう。軽く笑いながら言ってくれるその助言に、ふわりと肩があがった。ルルーシュは既に自分の大事にしていた
写真……髪の短かった昔の己とスザクが写っているものを本人に見られていた。確かに彼女の言う通り、その姿のまま記憶を失った
彼の前に現れれば、話は早いのだろう。けど、多分そんなことをしても徒労に終わるだけのような気がしていた。
(だって)
スザクは、あの写真を見て、何も思い出さなかったのだ。『どうして君が?』という目をして、脅えたように
自分の知らない自分を知るルルーシュの肩を突き放したのだ。信じられないその態度も無理はないと思う。だからどうしても髪を
切ることは解決策にはならないような気がしたのだ。こちらの勝手な判断ではあるのだが。
「ミレイ」
「まあいいけど。ボーイッシュなルルーシュも私は好きだなあって言いたかっただけよ。それにさ、覚えてるかわかんないけど
初めて私たちが会った時も短かったじゃない?何かそれが身に染みちゃっててさ。おかしいよね」
「勿論覚えてるよ俺も。ミレイがあの時テーブルの下から助けてくんなきゃ、死んでたんだ。今こうして話すのもなんだけどさ、
確かにお前の言う通り懐かしいと思うよ。まだ『殿下』って呼んでくれてたんだもんな」
長さを確認するようにおいた手を胸に戻して、思い出し笑いのように声に出す。おかしい、と眉を下げたミレイも、あまり悪い気の
していないルルーシュに安心してあははと笑い返した。変わってないのも変わったのも、二人の間に置いてだけは、良い方に
転じていたのかもしれない。
ミレイから『今の関係のほうが好き』なんてとても言えたことじゃなかったが、対してルルーシュのほうも『ミレイとの関係だけは』
現在のほうがいいと胸をはって言えた。けど、ダイニングを挟んで言い合うには、あまりに場違いなような気がしたから
二人とも笑いあうだけにその気持ちを留めておく。きっとすべてが綺麗な形に納まったら、感謝としてそれを伝えることが出来るのだろう。
「じゃ、ルルちゃん。私帰るね」
「ああ。俺も学校が始まる前までにはクラブハウスに戻るよ」
玄関に続く扉の前で、変わらない気さくな仕草で手をあげたミレイにうんと頷く。見送りながら同じく手を振って
夜中であるのに来てくれた金髪に心中で深く頭をさげた。
「さて、やるか」
電気で熱を作ってくれるというパネルを布巾で拭いて、その上にことりと鍋を置いた。
『出来るかなあ』と内心首を傾げながらルルーシュはテキストに手をおいて、頭に入るように文面をなぞってみる。そして数度
瞬きした後よし!と腕に腰を当てて、米を研ぎ出した。少量の塩とだしで味つけをし、煮詰めるための牛乳で後は味の調整をすれば
大丈夫だろうというミルク粥。リゾットとおじやの境界もわからないルルーシュであったが、三十分ほどでどうにか完成した。
香ってくるまろやかな風味が焦りながらやった胸を朗らかにする。
ほ、と湿った額を拭いながら安心して、一度ルルーシュはキッチンの下に腰をおろした。
*
夢なんて最近までは見たこともなかったのに。
寮の部屋に帰ってくれば、また、地下の私室へと戻る時もすぐ意識を失くすスザクは、脳が彷徨う暇も与えない感じに
眠りについてしまうのだが、-----------今日は違った。今日見た自分にとって初めての感覚であるその夢には
白いドレスに身を包んで暗い道を走っていく、ひとりの少女が居た。閉じた瞼の裏で感じられるその少女の存在は
スザクにとって特に近しい人間に感じられる。ルルーシュ?カレン?または、違う誰かか。彼女は身につけたドレスの
身体のサイズが合ってない為にぶかぶかのそれを指先で掴んで、必死な様子で走っていた。手には長い長い剣を持っている。
(剣……?)
それは、僕のだ。
スザクはそう言おうとして初めて自分が彼女を追いかけてるということに気づいた。
『来ないで』
少女が振り向きもせずに叫ぶ。けど、自分は追う……無言で。伸ばした手の先に僅かにだがドレスが触れて
スザクは『あと少しだ』と思った。ぐん、とステップを踏むように伸ばす。しかし、掴まえることは出来なかった。少女が
剣を持ったまま霧散するように消失してしまったからだ。
(ル--------------……)
やはり、彼女であったのか。
小柄な体躯には不釣合いのドレス姿で居た少女は、来ないで、とそう言っただけで
スザクの夢から消えてしまった。自分は追いかけていたが、剣が欲しかったのか彼女が欲しかったのか、その暗い道の真ん中で
立ち止まる。
あれ?
おかしい。さっき、追いかける中であともう少しで触れそうだ……と思えた時、何かから解放されそうな期待に
足が軽くなったのに。それなのに、それなのに。
『来ないで!』
その声だけがまだ耳に残っている。
どこか、銃の残響にも似ていた。
*
「……ん?」
まるで繋がれた縄を乱暴に引いて立ち上がらせるような強引さで、スザクの意識は浮上した。
最初に目に映ったのは白い肌。次に見慣れた自分のパーカー。息をのんでその近さから身を引いたらやっと、
素のままの翡翠に映っているのはルルーシュであるということが解った。
驚くことに、彼女は仰向けの自分の額に自分のものを押し当てて熱を計っていたようなのだ。
「君ってやつは……」
「起きて早々なんだ」
「なんだはこっちのセリフだよ」
溜め息をつきながら身体を起き上がらせようと肘をつく。いつの間にか意識を失ってベッドに運ばれたようなのだ。どこまでもご丁寧
だなと思うのは、ルルーシュの細かに見える配慮だろうと思う。枕に挟まれたアイスノンにシャワーの水気を拭いて着替えさせてくれた
シャツとズボン。血の跡までも消えていて余計眉間が険しくなるのを感じた。
「な、……何だよ」
なんだに何だよと返す黒髪は、スザクの睨むような視線に怯えてるのか力なく床へ垂れてるように見える。何やら手には薬のようなものを
持っていて、傍らにはランチプレートのようなものが置かれていた。寮のキッチンにそんなものがあったことにスザクはまず驚く。
その顔をどう受け取ったのか、ルルーシュは慌てたように『漁ったわけじゃない』と手を振って、プレートに乗せて運んできた
コップと手の中の錠剤をスザクへと差し出した。
「逆上せたとかじゃなくて、何か熱が出てたみたいだったからさ、……常備薬の棚から持ってきた」
「薬?」
「そう」
思いもかけない優しさに僕はお前を襲ったやつなんだぞ、と健康体であったらだが、言ってやりたくなった。
……しかし、どうやらルルーシュは自分に抱かれたことを何とも思っていないようで『ほら、飲んで』と少し頬を赤くして
手の中のコップを向けてくる。一体どういう神経をしているのか。
(もしかしてあの写真……)
本来そうであるらしいスザクと、髪の短いルルーシュが写ったもの。あれを支えにルルーシュは自分に優しくしてくるのだろうか?と
ふと思って、受け取ろうとして上げた手を、空中で止めた。しかしそれとは少し違うようで。どうしてそう思うのかというと、
ルルーシュの気遣う様子が常とあまり変化がないようだったからだ。『好きだ』と面と向って告げるようだから、
どこそこの女のようにしなでも作るのかと思っていたら。
「?」
受け取らずにコップを見つめたまま静止するスザクを、じっと紫電が『どうしたんだ』と見上げてきた。ベッドのすぐ下に座る
彼女は、先ほど度肝を抜かしてくれたが自分の部屋着を身につけている。おいおい……と思ったが、制服のまま致したんだから
そうするしかないだろう、と思いなおして、その点にだけはコメントをせず、黙って薬を手にとった。
「有難く頂きます。……ついでに」
迷惑かけたのに更に面倒をかけてしまったようでごめんね
と、言い添えて解熱剤を口にした。
「それは」
「……ん?」
「迷惑をかけたのは俺のほうだから」
世話を焼いてるつもりはない、と拗ねた子どものような目をして見つめ返してくる。やばいなあ、と思いつつ心とは反して無表情に
『そう』と頷いた。
「僕も、……努力するよ」
「え」
「君と過ごしてたことは本当みたいだから」
こんな言葉を吐いたらどんな勘違いをされるか知れやしなかったが、それでも尽くしてくれようとする彼女の誠意に
自分も報う必要があると思って、ごくん、と薬を飲み込んで、伝える。
『-------------あの世捨て皇女の騎士だったとはな』
(まさか、とまさかがイコールで結ばれたような気持ちだ……)
ランペルージとしての彼女を知っていたジョルジュは、例え同名であったとはいえ、ルルーシュを世捨て皇女と言われている
ヴィ・ブリタニアの前総督と同一人物だと思わなかったのだろう。つまり、スザクを偽者と罵倒すると同時に、その言葉の中に
”不名誉な騎士”のレッテルも貼り付けていたのだ。
しかし、見方を変えて、例えばジョルジュがルルーシュ・ランペルージ=ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだと知っていたら
どうだったろう?と考える。
彼は、罵倒出来なかったはずだ。
そう、あの時ジョルジュは自分の彼女が無関係の他人であるという前提で
『世捨て皇女』
『お前を突き出してやる』
とのたまったのだ。
(……不思議な話だ)
お前が好いていた奴こそ、国を捨てた人間であるのに。
そして、皇族であるということ。------------スザクが内偵として追わなくてはいけない皇族の人間であること。その証明が出来た。
自分を『昔の騎士だ』という彼女の言葉を信じるならば、逆にそのルルーシュは皇女であるということだから。
そう、つまりだ。
(僕はルルーシュを解放戦線のみんなに連れていかなくてはいけない)
(でも)
「……努力って、何が?」
スザクの途切れた呟きに首を傾げる。さら、と踊るように解けた黒髪が、無機質な部屋に映えるように瞳に入ってきた。
どきり、と胸が脈打つ。ルルーシュ相手に。
感覚が研ぎ澄まされて、前とは違う目で彼女を見てしまいそうだった。
(どうしよう、みんなを……裏切ることになるなんて)
内偵の仕事を放棄するわけじゃない。でも、簡単に割り切れるほど、日本の人間に徹することが出来なくなっていた。
「そうだスザク。お粥作ったんだけどお腹に入りそうか?よかったら食べて欲しいんだけど」
足元に置いたプレートの上をごそごそと彷徨わせて、はい、とよそったらしい器を差し出される。そのルルーシュを前に
変わらない態度で『ありがとう』と受け取りながら、また更にスザクは……困惑した。
自分の中にまた新しく生まれた感情に、弱い自分が支配される。
「どうぞ」
ほんのり牛乳の香りを漂わせた熱い器と、キッチンを前にあくせくと動いて料理をしただろうルルーシュの括った頭を
見つめて、手にしたそれにぎゅ、と力を込めた。
(全く信じられないよな)
ああ、嬉しいだなんて。
知ってはならないことを知った後なのにこんなにも気持ちは穏やかだなんて、きっと知らないルルーシュの向けてくる
はにかむような笑顔に、くしゃりと胸は軋んだ。辛いな、辛いね。
ジョルジュを突き刺したあのナイフが、記憶から飛び出したものではなく、現在の本心から滲み出たものだなんて。
自覚した……今では。
「どうだ?」
れんげで掬ったものに数回息を吹いて、無心のまま口にしてみる。
そろり、と遠慮がちに膝に手をそろえて見上げてくる彼女は、スザクの心の裏の鬱屈を知らない。悟らせもしたくないと
スザクは甘くなる自分の心にぶんぶんと内心首を振って、もぐもぐと静かに粥を咀嚼しながら、自分の料理に不安げな様子の
彼女へ翡翠を向けた。
端についた米粒を指でとる。
「おいしいよ」
もう一杯、と器を押し出すように向けたら、ルルーシュはスザクが覚醒してから初めて花開くように笑い
『やった、やった』と喜びをあらわにして、おかわりである二杯目のミルク粥をすぐによそってくれた。
噛み締めるように何度も顎を動かす。
「おいしい」
飽きずにまた言う。そう伝えるたびにまたルルーシュも笑うから、スザクもまた告げる。
(そうかこの感覚か)
少しずつ、バラまいてしまったジグソーパズルのピースをひろっていくかのように
削除してしまった部分を取り戻していることを実感した。この記憶は何を形作っているパズルなのか。口の中に残るミルク味が
波のように不安定な気持ちを静めてくれていた。