賭けて、欠けて、掛けていく先で、半身を血塗れにしたスザクが考えることは何だっ たか。

一瞬真っ白になった頭。

決闘の場であるというのにやけにゆっくりと進んだ、時間。

それに等しく、-----------挑戦者である男の向ける剣先も、鮮明に翡翠には捉えられていた。


けど違う、何だか違った。
これは自分の体には身に覚えのない感覚、そう感じてしまっていた。
どうして自分はジョルジュにナイフを突き刺し、ルルーシュが止めるのも聞かずに殺してしまったのか?

(解らなかった)

気づいたら顔を真っ青にした紫電が脅えるように自分を見上げていて。
鼻腔を満たしたのは血臭で、状況を把握しクリアになった視界にまず入ってきたのは、足元の土に擦られた、絶命した人間の顔だった。
僕が殺したのか?何も死んで欲しかったわけではなかったのに。----------自分でした筈のことなのにその間の記憶が
ないものだから、詫びることも償うことも不可能だ。そもそもどうしてルルーシュに咎められたのに、ナイフを
引き抜いてしまったのか?そしてそこまでの殺意に襲われた理由が……、何よりもスザクには解らなかった。

誰か冷静にあの場面を見ていた人間が居たなら、教えて欲しい。

自分はどんな表情をしてどんなことを口走っていたか。とんでもない醜態をルルーシュに見られて
しまったんじゃないか。そう、……気が気じゃなかったのだ。
ふと、自分の体についた血と、足元の亡骸に向けていた意識が浮上する。
だって、ルルーシュ……彼女はまるで、今にも泣き出してしまいそうな子どもを見る目をして
スザクの背中を抱き締めていたのだ。猛烈に居た堪れなくなった。こんなの自分じゃない!と。だから。




「-------------待て!」

正門を避けて、裏門まで進もうと方向転換したスザクの視界に、全力でひいひいと息をあげた黒髪が飛び込んでくる。
彼女はスザクに触れたことで袖口を赤くしていた。その血の色に動揺して今更ながら客観的に自分のしてしまったことを
理解し、スザクは動きを止める。しかしそんな所で立ち止まってしまったら数分もしないうちに部活帰りの連中の
好奇の視線に曝されることになる。鼠を追い込むように追いかけてきたルルーシュは何よりもそれに怯えていた。
「そっちに行ったら運動部の連中に見られるんだぞっ」
「……っ」
「寮だスザク。そこがいい……」
視線を鋭くし、まるで暴れた馬を諌めるように腕を伸ばしたルルーシュをどう思えばよかったか。
もしかしたら先ほどと同じように振り払われるかもしれない……とルルーシュのほうは内心脅えたが、
意外にも抵抗なんてせずに、すんなりとスザクの血に塗れた指がルルーシュのものに重ねられた。
それを離さないようにギュ、と強く握りしめて『こっちだ』と今度は二人で駆け出していく。
スザクは後ろに従いながら終始無言で、はらはらと前方で揺れるルルーシュの黒髪をぼんやりと静かな瞳で眺めていた。













騙してください信じるのは下手なんです































スザクが『自分には歴史がない』と自覚し始めたのは、いつ頃からだったか。



時々泣き出してしまいそうになる時があった。足を負傷したといって地下のずっとずっと奥の部屋で、療養することを解放戦線の
人間たちに強いられていた頃。スザクは記憶も薄く、どこかおぼろげな状態で、それでも自分のことを『友人だ』というカレンに
首を縦に振って『そうだね』と言うことしか出来なかった。自分は何をどこに置いてきてしまったのだろう?
どうか置いてきぼりにしてしまった記憶に意志があるのなら、教えてくれないか、と無理を承知で乞うてしまいたい。
翡翠の周りに蜻蛉のように浮かぶ綺麗な黒髪は、誰のものだったのか。
口元にたまに火照る熱は誰が触れていてくれたものだったのか。
(知っているなら)
変わりに命を持っていってしまっても、構わない。変わりに埋没した歴史をくれるなら。
教えて欲しいと……強く更に願った。背中を優しく支えるシーツはどうしても冷たく感じられてしまったから。
叶うならどうか自分を(僕を)あの人の(ルルーシュの)所まで、運んでくれないだろうか。どんな過去の罪も贖ってみせるから。
(本当に頼む)
僕はあの人が恋しいんだよ、……とスザクはまたも、再び、空中に手を伸ばした。その先にはコンクリートの壁しか
自分を見つめてはいないのに、スザクの見えていない裏側には、ずっと捜し求めている当人が笑ってくれている気がした。
その笑顔が見慣れたものである友人のものか、まだ褪せることもなく脳裏に浮かぶ誰かのものか。
その判断はその時のスザクにはなかった。

目を閉じて、枕にことりと髪を鎮める。
重力が平等にスザクの肢体をシーツに押し付けて、眠れ、と命じるように意識を闇へと沈ませた。
(……殿下)
(殿下)
名前は簡単に呼べるのに、本人が居ない。本人が掴めない。その彼女が優しく笑っているだろうという夢想に抱かれながら
またもスザクは自分の記憶の欠片が、べりべりと剥がれていく音を聞いた。
眠っているのに------------。
感覚のない、忘却をまた味わっていく。

どうか望んでもいいことならば、叶えてくれないか、と再び枯れた声で乞うた。
しつこいと誰かに笑われてしまっても。
(お願いだ。もう殿下を焦がれることは止してしまいたい。……変わりにあの人の傍に行きたい)
闇の中から、
好きだという記憶を消してしまってもいいのか、ともう一人の自分の非難するような声がしたが、ふるふると首を振って
『そうじゃない』とスザクは伸ばしていた手に力を込めた。

(どんな世界に落ちてしまってもこの気持ちは変わらないから)
(-----------この気持ちは)




そうまで思った瞬間、ふわりと重たいままであった胸のあたりが、いやにすっきりと軽いものに変ってしまった。
伸ばしていた手は再び繋ぐことが出来たのか。そんなことは知れないが、目覚めた先では、足の傷も回復して
普通に歩けるようになっていた。

しかし”何か”を失くしてしまったということは、スザクにも解っていた。
踏み出すその一歩先が暗闇であることは変わりなかったから。地下にある組織から出たところで、そもそも変わるはずがないのだ。

(まだ僕の右手は空っぽのままだったから)
(あの日、あの人の手を離してしまったあの時間のまま、)

自分の所在が解らないまま。
暗闇のその先で笑う顔が、誰のものであるか知らないままに。








































「スザク?……スザク」
途中まで引かれるように繋いでいた手は、途中でぷつりと切れてしまっていた。スザクは覚束ないままぼんやりとルルーシュの後に続くよう
学生寮の門を潜ったわけだが、彼の部屋の鍵は勿論主であるスザクしか持っていない。カードキー型であるそれを制服の襟から
無言で取り出して壁際にある隙間にピッとかざすと、簡単にドアが開いた。自動で横にスライドし、主を出迎えた部屋に
スザクは入っていく。ルルーシュも続いた。
「へ、へえ。広いんだな結構。もっとこじんまりしてるもんだと思ってた……」
名前を呼びかけても返事をしないスザクの後ろで、諦めないルルーシュはまた再び、声をかける。別に今の状況でわざわざ口に出す
ことでもなかったのだが、一瞬でも間を置いてしまうと『帰れ』と言われてしまいそうだったから。……そろりと視線をあげて、
奥のバスタブへと入ってしまったくせっ毛を追った。パタパタと絨毯敷きの床を靴下で歩いて(下履きは玄関に)寝室を抜けて
浴室へと行ってしまった彼を探す。
ジョルジュの血に染まった制服の上は、既に洗濯籠に放り込まれていた。いつも女に扮装する為には不可欠なウイッグも
ベッドへと捨てられてしまっている。そろそろと後をついてきたルルーシュはそれらを目で確認しながら、まるで居た堪れないと
いったように頭を掻いた。スザクが早々に汚れを落とそうと、衣服を脱ぎ出したからである。
あくまで情緒不安定であるのに、スザクは潔癖さを失くさないのだ。彼はルルーシュが傍に居ることにも気づかず、構わず
たくし上げるように脱いだインナーとスカートをバスマットの上へと落とす。そして無言の状態も変わらずに、カラーコンタクトも
ゴミ箱へと捨ててしまった。
このままだと普通に風呂へと見送ることになってしまうのだが、そうなってしまったらルルーシュがここまで付いてきた意味がまるでない。
いきなり自分のことを『殿下』と呼び、ジョルジュをルール無視で殺してしまったことを自分の意志とは違う所でしてまった
スザクのことだから、うっとうしがられても”今だけは”放っておけなかった。……だってスザクは、ほんの数秒という短い間
だけだったけれど、ルルーシュのことを思い出したのだ。
「……スザク」
行かないで、と縋るようにみっともない声を出してしまう。
はっ、とすぐに自分の恥かしさに我に返り、口を塞いだ。引き結んだその唇のほうを冷めた翡翠が覗いてくる。目を、この部屋に入って
から初めて合わせることになった。
もうルルーシュは居ないだろうと思っていたスザクは、翡翠を見開く。
「なんで……」
帰ったらよかったのにと、スザクの零した呟きには込められていただろう。
何で、とまた口先に零す。
「どうして付いてきたんだここまで」
「放っておけなかったからだ」
「子どもじゃないんだから自分の始末くらいはつけられるよ」
「で、でも」
「----------そっとしといてくれよ」
「……」
「そっとしといて欲しい」
重い呟きが、彼の抱える鬱屈の量だけ、スザクの前に立ち尽くすルルーシュの肩にかかってきた。
出て行け、と暗に言われたものだから、すぐに踵を返して出ていったほうがいいのだろうと思う。でもルルーシュはスザクに痛い言葉を
ぶつけられても、この場から立ち去りたくはなかった。だって本当に今見捨ててしまったら、どうなってしまうか解らないから。
彼がガラガラに崩れてしまいそうだったから。本当に元通りにならないような気がして、ルルーシュは靴下の足を動かせなかったのだ。


「スザク」
「……呼ぶな」
「呼ぶよ。だって俺にとってはスザクのままなんだ」
拒絶の姿勢に被せるように声をかけて、振り向かせる。あと一歩分時間があったら、スザクは扉を閉めていたかもしれなかった。
「何で……」
昨日の決闘から不可解なことばっかりだ、突然態度を変えるようにルルーシュはスザクに執着しだして、自分に関わりだそうと
踏み込んでばかりくる。嫌だ、お前は駄目だ、と態度で示しても、果ては殺そうとしても、スザクに触れることをやめはしない。
だから今度はわかり易く言葉で伝えてやるのだ。僕の中にスペースはない。この浴室には一人しか入れないように。お前の優しさなんて
無用なんだよ、と、スザクはルルーシュに引いてほしかった。
けど、あろうことか黒髪は俯いて、こちらへと歩いてくる。『待ってくれ』と、ノブにかけた手で扉を引こうとしたのに。
「嫌」
(閉じるな)
靴下のままの制服の格好でルルーシュが入ってきて、閉じようと狭めた隙間に痩躯を押し込んでスザクの胸に張り付いてきた。
そのまま雪崩れ込むように二人はタイルへ尻餅をついた。黒髪が支えようとした両手に絡む。
だからどうして……と言おうとした、そう開こうとした唇を咎めるように腕の中の紫電が睨んで、すぐにルルーシュの手が
伸びてくる。何をされるんだ、と咄嗟に目を伏せたスザクは、条件反射でもなく当たり前な反応として、びくっと肩を揺らした。

彼女の腕がスザクの頭を包んでいる。
さらさらと手触りのいいルルーシュを象徴するような髪が肩にまで垂れかかってきて、浴槽に身を縮こまらせながら、
どこかその感触を優しいと感じた。自由に出られる檻のようにも感じた。どうしていきなりルルーシュが腕を伸ばしてきたかは
解らなかったけれど。包まれるその感触も、きゅ、と顎を埋めてくるように閉じられた胸の窮屈さも、……何故か、冷え切った自分を
解してくれるような希みを感じた。ルルーシュが自分に触れることを切望するなんて、思いはしなかったけれど。
「……こんな、こと」
お前が嫌うような強引さで押し寄せてしまって、すまない、と耳に囁かれた。反射でふるふると首を振ってしまう。嬉しいのか、
驚いたのか知れない彼女の反応に、興味をもってそろりと視線をあげたら、ルルーシュが今にも泣きそうな目でスザクを見下ろしていた。
(僕が泣いていたのに)
触れてくる彼女に驚く翡翠。抱き締めてきたことを不思議がるように見上げてきた彼を受け止めた紫電。その目が、充分に水分を
含んでいたものだから、ほろりほろりと端から涙を零してしまう。
「何で、泣くの」
また訊いた。こんな詰問めいた問いかけは気に入らないだろうか。スザクは怖かったけれどルルーシュの胸に鼻を押し付けて
そろそろと上げた手で、彼女の薄い身体を支える腰を掴んだ。何だか自分が喋ってしまったらそれで満足して、
ルルーシュが離れていってしまうかもしれないと思ったからだった。
そんな心境であるのなんて知りもせず、ぐすっ、ぐすっ、と肩を揺らすルルーシュは、くせっ毛に顎をのせたまま鼻を啜って
『簡単に出ちゃうんだ』と答える。今も昔もお前のことを考えると胃がじゅくじゅくして、どうしようもなくなってしまうと
話し出す。……そこまで、そこまで気持ちを募らせるなんて。そんな相手なのか僕は、と腰にあてた手に知らず力が入った。
「忘れちゃってるから、俺からこんなこと言ってもお前は信じられないと思うけど」
頬を押し当てられた頭を伝って、言葉がスザクに染み込もうとしている。うん、うん、と相槌を打つ代わりに瞬きをすれば
満足してくれるだろうか、してくれれば有難い……と、胸に顔を埋めたスザクは、睫を震わした。


「スザクが好き……」



気持ちが、音になる。
抱き締められた皮膚を通して伝わる震えに、彼女の、ルルーシュの本気を感じた。
(でも)

「僕はスザクじゃないよ」

口から出る返答は温度を全く持たないもので、言ってしまった途端笑いが出てしまう。しかし、鼻で笑われようとも
目を合わせられなくても、身を寄せていられる間だけは二人っきりの時間であると信じることが出来たから。ルルーシュは揺るぎもせず
被せるように口を開いた。
「俺のスザクだ」
「----------」
「難しいと思うけど、ちゃんと覚えててくれよ、もう忘れないでくれよ。痛々しいまま俺の前から消えないでくれよ。スザクが別の誰かに
変わってしまうことなんて、無いんだから。俺だけはそうだよって言えるんだから……、お前が、スザクだって」

だから俺自身を否定しないでよ……と、涙に滲む吐息とともに、呟きがスザクの頭へと落ちてきた。湿ったその暖かさが
彼女の必死さを現している。ルルーシュは嘘は言ってなかった。嘘であるならばこんな風に泣きじゃくってまでも本気になって
言葉を紡いでくることなんて、ある筈がない。ルルーシュは真実を語っていた。真実を嘘で否定していたいのは、スザクだった。

(だってどうしようもなく怖いんだ……)

また暗闇に独りになって、誰も見つけることなく死んでしまいそうな気がすごくするから。
掴まえていてくれるならずっとこうして欲しい、と願ってしまう。願っていいのか?いつかのように。……”彼女”だけの自分に
なれるようにと。
(そんなことを願ったのは、そう昔のことじゃない)
覚えている。忘れていたわけじゃなく失っていた記憶が、断片だけだけど徐々に胸に蘇ってきていた。それはきっとこの温もりの
おかげに他ならない。
嘘だ、----------まさか。
そんな。

「君は、……僕を、肯定してくれるように言うけど」
「……ああ」
「僕は君を、覚えてないのに」
「---------そんなんはいい」
「いいの?」
ああ。とスザクの答えに簡潔に頷いた黒髪はそっと離れて、ぽすん、と彼の膝の上に腰を落とした。
穏やかに細められた紫電はもう泣いてない。さっき告白を腕の中で聞いたスザクは、真正面となったその距離に僅かに頬を
朱くした。手を繋がれる。
「そんなんはいい」
もう一度呟くと、ルルーシュは制服のタイを指先で解いて、浴室の外へと放った。
そして手にしたスザクの指を脚に持ってこさせて、自分は胸を彼の体へ摺り寄せる。拙いながらも接触を求めるかのような動きに
心臓が浮いた気に襲われた。

自分を『スザクだ』と認めてくれる。
自分の拒もうとする行為を、やんわりと防いでくれる。こちら側へと引き戻してくれる。
その手で、……こんな自分を必要としてもくれる。

(元は殺す対象であった標的の彼女)

何の因果か、再び交わった運命の真ん中で、また翡翠は紫電に捉えられた気がした。

(そうか、これが……きっと……)

『スザクが好き』

あの音をまた思い出そうとするかのように、膝に抱いたルルーシュの唇に噛み付いた。ろくに角度も考えなかったので互いの鼻梁が
くすぐったく掠れてしまう。けれど構わず、スザクのほうから舌を入れて、奥の柔らかい部分を擽った。呻くような声と震えが
抱いた手に感じられたが、こんな状態になってまで体の理性が働くわけもなく……、制服のままの彼女をタイルの上に押し倒す。
そのまま下着を剥いで、
ルルーシュの伸びてきた手を掴んで、肩に回し、
音を消す為に流したシャワーの下で、交じり合った。








人を殺したことへの興奮と罪悪感、そんなことをした直後であるというのにセックスをしているという背徳感に
背中を降り注ぐ熱湯に打たれながらもスザクは苛まれたが、ルルーシュを手放すことは考えなかった。
彼女も、浴室の天井とスザクを見上げながら決して自分から拒むようなことはせず。血のついた手で
胸をまさぐられても、腰を抱える長い腕に強く組み敷かれても、嫌だなんて一度も言わなかった。スザクをひたと見つめたまま
同じく雨のような水に打たれて、腕をぐん、と伸ばして自らも彼を抱こうとした。いつだったかスザクが濡れるルルーシュを
抱き締めてくれたように。

『憎んでくれたっていい』と言いながら、その手と指先は優しいままにルルーシュを受け止めようとしてくれた、
あの日のスザクのように。

















(痛いのも泣くのもひとりじゃできません)