エリア11内に属するブリタニア政権において、遠い本国の宰相であったシュナイゼ
ル・エル・ブリタニアと、
その異母妹であるルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが、共に神根島で没命した日を『花の記念日』と称していた。
どうして”花”という言葉が使われているのかは、その記念日を制定したコーネリア新総督しか知ることはない。
彼女の側近であり騎士であったギルフォードは、同じく前総督であったルルーシュの騎士、枢木スザクを本人の希望通り
処刑することになったのだが、その時になって現れたレジスタンスの妨害により、振り上げた剣を下ろすことは叶わず、
コーネリアも見守るその前で、簡単に枢木スザクは身元不明・正体不明の一団に連れて行かれてしまった。
彼らがその事件から一年後となった今、アッシュフォード学園に潜伏させる為にカレンとスザクを送り出した
日本解放戦線であるとは、コーネリアもギルフォードも気づくことはない。が、死んでいたわけではなく、臣下の人間が
世界から隠すように生かしていたルルーシュは、すべてを思い出した瞬間自分の敵が現在誰なのか、望んだわけではないが
気づくことになった。------------自分が見つめ返す、レンズという虚飾に塞がれた彼の翡翠。その視線が、鋭く自分を突いてくる。
その剣のような眼差しに怯むこともなく顔を向けて、ルルーシュは言おうとした。……口を開いたのだが、
音には出来なかった。
好きだという言葉を。
その前にスザクが一歩前に出て、自分を通り過ぎ、後ろに居たジョルジュに相対したからだった。
「僕がどうして先輩のクラスまでやって来たか、お教え致しましょうか」
ルルーシュにビンタまでされたのにそのルルーシュにではなく、ジョルジュへと皮肉に口を曲げて
ヒラヒラと組んでいた腕を振ってみせる。挑発する動き、と言えば想像しやすいかもしれない。
そんな態度を見せられた彼のほうは、ルルーシュのことや決闘で負けたことに鬱憤が募っていたのもあって、簡単に
表情を露にした。
「女男だと言いふらしてることか」
「解ってるじゃないですか」
「……別に、嘘を言ってるわけじゃないだろ?実際お前は昨日、その正体を曝したじゃないか」
駆けてきたルルーシュを抱きとめたことにより、スザクはエクステとカラーコンタクトを外してしまった。そしてその姿を
剣を構えるジョルジュに当然ながら見られた。おまけにジョルジュはルルーシュの写真まで見ていて、昔の彼女と写っていたのが
誰かというのも知っている。そう、彼自身嫌がらせをする以上に確かめたいことなのは、昔のルルーシュと、一緒に写る男。
彼がスザクと同一人物であるのかということだった。
「僕は不思議なんだ、オーウィンくん」
「……?」
「ランペルージは君を庇うし、ランペルージは君を僕の手から遠ざけようとする。噛み付こうとしてきたのは君のほうだというのにね。
何でだろうかとずっと考えていたんだ。……けど、あんまり悩むこともなくすぐ解ったよ。そうか。君は”セザル・オーウィン”じゃ
ないんだ……ってね」
そこまで口にしたジョルジュが次にした行動は、前よりに出ていたルルーシュの肩を掴み、引き寄せ、胸元に手を突っ込み
仕舞っていた写真を奪うことだった。
あ!と叫ぶように声をあげた彼女を無視し、その写真を封筒から取り出そうとする。自分も見たことで大変驚いたが
目の前に立つこの転入生はもっと驚くだろう、と不気味に口端を釣り上がらせた。
そして言う。スザクにとっては真実の情報を。
「自分が本当に”自分である”と証明出来るか……?」
「……」
「出来はしなくても、後悔はしてもらおう」
写真を放ってこられる。スザクは迷うことなく指を伸ばして、空中で掬い取った。ルルーシュは音もなく踏み出し、
手にした写真を裏返そうとするスザクの手に掴みかかる。
怪訝に顔をあげたスザクは、柳のように細い手を払いのけようとした。
「離してくれ」
「嫌だ……」
「何でだ」
「駄目だ、今は……」
「お前に関係ないだろう」
さぞ不服げに言い放って、スザクはたった一言でルルーシュのそこから続けられる言葉を遮った。
ぱしんっと腕を完全に振り払い、ジョルジュから投げられた写真に目を落とす。
ルルーシュはそろそろと後退し、腕を広げたジョルジュの胸に凭れることになった。顔を蒼白にする。
涼しい表情でいたスザクは写真を見た瞬間、本当にちゃんと撮られたものなのか、それを疑いたくなった。
今、色を失ったように力を失くすルルーシュを抱えたジョルジュのように、写真の中に写る人物たちは立っている。
その人物たちは、楽しげに微笑んでファインダーを見上げて、この時間は明日も続くと言いたげな雰囲気を現していた。
---------------間違いようもなく、その姿は自分とルルーシュで。
記憶に空白を持って今まで生きてきたスザクは、頭の中でかしゃんという、何かがうまく嵌った音を耳にした気がした。
同時に、悄然と見つめてくるルルーシュの紫電にも、当惑した感情を掴み取ることが出来る。
彼女も彼女で言葉になどすることも出来ず、そろそろと手をあげて顔を覆った。一体どうすればいいというのか。
「僕だ……」
今のように女装してない自分。おそらくはそう昔ではない時間にルルーシュとカメラに写ったもの。
冷たい顔と戸惑った顔しか見たことはなかったが、スザクに後ろから抱き締められている彼女は
おずおずといった様子であったが軽やかな笑顔でこちらを向いていた。さぞ愛しい相手であるかのように
腰に回されたスザクの手に自分の腕を巻きつけてもいる。
スザクはルルーシュにこの写真が本物であるかを尋ねたかったが、その前に彼女はジョルジュの腕から抜け出して
顔を深く覆ったまま教室から出て行ってしまった。おい!と引きとめる男の声。まるでそれに引き摺られるように
目線で追ったスザクは、ちっぽけなまでに薄い手の中の紙一枚に、今まで過ごしてきた人生の大半を否定されているような
恐怖に襲われた。
(これは、僕だ……)
(でも、僕が知らない”僕”の姿だ……)
----------------そこに、何でルルーシュが居る?
こわかった、たまらなく怖かった。
何よりも、ここまで動揺してしまうなんて、一体自分は今まで何を支えにして生きてきたんだ、と
自問してしまう自分に、スザクは動揺した。
目指すさきが君になるなら
ジョルジュはスザクに優しさの猶予なんて与えず至極勝手に切り出した。
「退学させられたくなかったら僕に決闘で勝利することだな」
写真ほど物語るものはないぜ、と言って、呆然とするスザクの指先からピッと奪い取り、軽く笑いながら教室から
去って行く。
遠ざかる足音にどんどん正気を取り返し始めていたスザクであったが、それでも、受けた衝撃は瞼の奥にずっと残っていて。
早くどうにかしなければ自分の首も危ういのに、……放課後を告げるチャイムが鳴り出すまでスザクはずっとそこに立っていた。
……立っていることしか出来なかったのだ。
(スザクはどんな選択をするだろう?)
このままでいいのか、とミレイに問われて、それに、大人しくルルーシュは『スザクが傷つかなければ』と答えた。
でも実際、スザクは今でも傷ついている。
自分と写る写真を見て驚愕したあの表情は、ただ驚いただけで済まされる印象のものではなかった。どこか自分でも
自分自身が踏んできた道がおかしいものじゃないかと感じていたのだろう。
そしてもう一つ、ルルーシュが現れてから凄まじい速さで変わる日常にも。疑問を覚えていたはずだ。
ミレイにはいい子ちゃん、と罵倒されたが、それとは関係なくルルーシュは、カレンと形成し始めたスザクの日常を壊さずに
自分の居場所も彼の中に作れることを望んでいた。けど、そんなのはやはり無理で。スザクは昔騎士として気持ちを預けていた
重さと比例するように、ルルーシュを憎み出していたから。それに反発するような強さも感情も、自分の中には芽生えてこなかった。
だってやはり、スザクはずっと好きだった人間なのだ。
その男から、『関係ないだろ』『お前なんか』『殺してやる』なんて言われてしまうのは、痛い。
(どうしたって辛い……)
こんな気持ちを抱えたまま再会してよかったのか。自分はずっと眠ったままベッドに居ればよかったんじゃないかと
思ってしまう。それに実際そうなんだから、……もう手がつけられない心境だ。
Dクラスから本校舎を抜けて玄関ホールまで止まらずに駆けてきた体は、とすんと壁に吸い込まれるようにぶつかって、
ひんやりと冷たい鉄筋作りのタイルに、額を押し付けた。はあはあと肩があがる。両手で伏せたまま走ったからか
手の内側が湿っていた。……涙も含まれるそれは、自分の甘えをルルーシュ自身に訴えているかのようであり、
また、一年前までと違って甘えられる人間はいない、と責められてもいるようにどんどんとルルーシュの手を冷えさせていた。
「馬鹿じゃないのか」
誰も廊下には居ないからこそ、呟く。
「だって馬鹿だもの」
その自問にまた口を開いた。
「馬鹿だもの……」
口には出来なかったけど、まだ喉の奥に凝り固まった感情がへばりついている。
こつん、と踵が鳴る音を耳にして、背後に誰か来たのを知った。慌てて壁から方向転換すると、そこには赤い髪を玄関から入ってくる
風に靡かせた同級生が立っていて。
すぐに鼻を啜って『何だ』と注がれる視線に対抗した。
カレンは億劫げに細めた双眸を静かに閉じると、手にしていた文庫本をぱたんと閉じて、一歩前へと出てくる。そして今までずっと
解っていたかのような口振りと態度で、ルルーシュを案じるように声を掛けてきた。
「暴君シュナイゼル・エル・ブリタニアが死んだ日を、エリア11では花の記念日と言ってるそうよ。皮肉ね」
「……」
「その彼に寵愛されて一度死んでしまった異母妹は、その身柄を何者かに隠匿され、地下とはまた別の場所で生かされていたらしいわ」
「そう」
「この情報は全部私たちで調べたもの。……スザクが、どうしてまた学園に戻ってきたのか、知りたくない?」
「……え」
カレンの口から出た名前に心臓を掴まれた。
「日本解放戦線は、黒の騎士団の時みたく、簡単に壊されたりしないわ。……今度こそは貴方の首をとってやる」
ナナリーの影に消えた女将軍は一年前と変わらず獰猛な瞳をして、ルルーシュに向ってきた。
「スザクが来るよりも先に私は復学した。そこで何食わぬ顔をして生徒会に居る貴方と会って、ようやく亡くなったゼロに
報える日が来たと思ったの」
まさかそのゼロ……ナナリーが、シュナイゼルとの対戦でスザクを助けたなんて知りもせず、カレンは敗者の憎い気持ちだけを込め
折れそうな百合を思わせるその実姉を見た。
「彼の心がもう自分に戻るとは思わないで」
「-------------……」
「貴方が死んだと解った時、あいつは笑いながら泣いてたわ。銃弾で足を貫いた私の腕を掴んでね。
もう誰も貴方が甘えられる人間は居ないのよ。……そんな中で、学園の中ででも自由に振舞っていられると、勘違いしないで」
放課後となったからか、教室からはざわざわと生徒が廊下へと出て来ていた。その人並みがぽつんと立っていたルルーシュを呑み込んで
黒髪の姿をより希薄にしていく。カレンは自分から視線を外せない紫電に背を向けて、昇降口から去っていった。雑音がずっと続いて
いた静寂を打ち砕いて、よりルルーシュを生徒たちから、廊下から、学園から孤立させる。
目で見る視界の中にルルーシュ自身の居場所はなかった。
もしあったとしても、それは簡単に崩れる砂の城のような気がした。一年前まで築いていた地位はもう、何もない。
”ただのルルーシュ”が出来ることは何なんだろうか?
スザクを日本側から奪取する、とロイドたちに公言した昨日の自分は、今の自分よりもずっと強かったと思う。
けれどそれは、随分と独りよがりな強さだった。
カレンがルルーシュへ宣戦布告した理由は、とてもシンプルで、『覚悟しろ』と伝えたかっただけであって。
ミレイも言っていた。『今のスザクに近づいて殺されてしまっても文句は言えない』と。同一人物であると思うな、と。
その忠告の重みを、今になって知った。
(それでも-------------)
「……捨てたくないよ」
覚醒した時、ベッドの上から落ちて、全身がじんじんと痺れてもそれでも手放さなかった金属の欠片たちを
制服のポケットから取り出して見る。自分が一度人生を捨てたことで絶望した騎士は、この主従の証を枕元に置いて
去って行ったんだと思う。が、残されたほうのルルーシュは、そんなけじめのつけ方は出来なかった。
生きて、いたい。
ずっと居たい、と、願ったのはスザクが始めてだった。
この思いを挫くには、まだ痛みが足らない。まだ大丈夫だ、とルルーシュは雑踏の中頷いて
スッと視線を前へ向けてみた。その先に静かに立ち、黒髪を凝視している学生と目が合う。……彼女、いや彼は、
生徒たちの波を掻き分けるように近づいてきて、ルルーシュの前に辿り着いた。コンタクトで遮られる瞳の翡翠は
一年立っても雄弁にその内面を語る。
伝わってくる焦燥と困惑と嫌悪は、まだスザクが昔の自分を捨てきれてない証にも思えた。
部活動へと行く生徒たちの群れが閑散としてきた頃、ようやく口を開こうとしたスザクは、ルルーシュの手の中にある金の欠片に
目を留める。しかし隠すように制服のポケットへ仕舞ったルルーシュは、スザクが『それは何だ?』と訊いてくる前に
視線をあげた。
「俺がこわい?」
「……」
「こわいよな、不気味に決まってるさ。……俺もきっとお前がここに来る前にあの写真を見てたら、純粋に気味悪がってたと思う。
でも幸いにも俺は、セザルであるスザクを知って、スザクだったスザクを知っていた。だから蘇った記憶に戸惑うことなく
今の自分自身を受け止められたんだと思う。
どれだけどん底に落ちたって、すぐに立ち直ってたよ。何でだか知ってる?それはね、信じられないことかもしれないけど
お前が傍に居てくれたからなんだ」
不思議そうに、レンズごしの翡翠が瞬く。ルルーシュはそれに柔らかく微笑んで、制服の胸に戻した騎士証を服越しにぎゅ、と
握りしめた。
「---------------今度は俺からお前に誓おう」
廊下の真ん中で、昇降口と渡り廊下から差し込む風がお互いの髪を揺らすのを見つめながら
ルルーシュは胸に置いていた手をそのままに、目を伏せて軽く膝を折った。スザクがその姿勢と行為に目を見開いて、
息を呑む。
まるで英国の叙任式をなぞらうかのようなそれに、言葉もなかったから。
昨日発したセリフをもう一度言う。
「騎士になってくれ」
新しく生まれたルルーシュ・ランペルージの騎士に。
胸に当てた手とは逆のほうを差し出して、スザクへ受け取るように求めた。ルルーシュが持っている騎士証ではない。
形にはないがちゃんとそこに存在するというように向けた掌に、同じように彼の手が重ねられることを望んで。
「騎士に……」
向けられる眼差しと求められる接触に、誓いの神聖さを感じながら、スザクはスザクで何故か安心感を覚えていた。
小さい身なりで柳のように頼りない体躯であるのに、どこか頑強さを秘めている紫電の瞳。
まるで虫のようだな、……と、引き寄せられるような誘われる感覚に目を閉じた。
「俺はお前に嘘はつかない」
「……嘘、を?」
「ありのままで居る。-----------でも、信じるかはお前の自由だ」
「……」
(もう臆病なお前を傷つけたくない)
ずっと伸ばしている手とスザクを見つめながら、彼の視線の行先と次に出る行動に内心胸を騒がせる。
けど意外なことに簡単にスザクは手を重ねてきて、まるでお互いに蓋を閉じあうかのような形のものに
キスをするよりも恥かしい照れが顔に出てきた。向かい合うスザクの視線は静かなものだったが
触れ合う暖かさは無骨なものなんかじゃなかった。きゅ、と小さく指を絡めあう。そして、一度だけ握り合った。
「こんな気持ちは久しぶりだ」
「……スザク」
「君が約束してくれたんだから、……僕も誓うよ。ジョルジュに勝つ」
「---------------」
”ルルーシュを自由にする”と寄せた体で囁いて、スザクはそっと手を離した。
これほどまで二人、至近距離で見つめあったことなんて無かったな、と思いもして、差し込む光を受け止める紫電に
翡翠を細める。……懐かしいと思ったのだ。
同時に、スザクは同じだけそのひたむきな眼差しに、切なさを覚えたのだ。