神楽耶がずっと考えていた未来へのヴィジョン
は、今目の前に横たわって複数の医療班に処置をされている男とは、決してイコールではない。
ではどうしてそうなったのかというと自分が目測を誤りどこかで枢木スザクの身柄が掌中に収まっていると自惚れていたことに
他ならなかった。
「……」
いつだって誰かを裏切るのは簡単だ。自分も裏腹では藤堂とは別の道に進もうと踏ん張っている。
じゃあ何故彼≠ノ裏切られるのだけは我慢ならないのかというと、……それは勿論、あの皇女が絡んでいるからだった。
探さないで下さい会いに行くから
そんな彼女が知らぬ所では、物陰からずっと様子を窺っていたロイドの侵攻により、ラクシャータは負傷し、カレンはその彼女を引きずるように
KMFのコックピット目指して逃げていた。
(解放戦線のメンバーをほぼすべて滅したと通信で知っていたが)
ロイドは進みながらもう彼らたちと切れてしまったインカムを外す。隣にいるセシルも同じく自分にならって耳からそれを取った。
目線を前へと向ける先で、白い壁に蛇がのたうち回ったかのような後に見える血の惨状に顔を顰める。だがロイドはふう、と吐息するだけで
すぐにまた走り出した。手には拳銃を握っている。迷うことはない。
彼ら二人が逃げたあとの後始末は全部自分でつける。
その為にスザクを先に行かせたのだ。-------そんな思惑を知っている助手も、うしろをしっかりと付いてきてくれている。
もう怖さはなかった。
(あの時……)
ラクシャータに、ルルーシュと共に扉の外に出られなかったことを『残念だったな』と言われた。
確かに自分はルルーシュにすべてを告白し、楽になった心と共に、誰も介入ではない独立した世界で過ごしたかった。しかしそれを潔よしと
しなかったのは彼女の弱さと自分への未練と優しさであり、-----------いかないでほしい、と告げられた一言に進もうとした足は
立ち止って、言葉を失くしたのだ。あまりにもこんな自分には膨大すぎる信頼に。きっと頼りない、と自身を卑下するかもしれないが
そんなところはルルーシュはいいんだと思う。そんな彼女だからシュナイゼルもスザクも焦がれるんだ。……自分も、
勿論、彼らとは別な意味で。
「ロイドさん」
回想に沈んでいた自分を呼びもどす声に、顔をあげた。目線の先にはとぐろをうったかのような血の痕の他に、一人の女が立っている。
着物の小袖を肩に羽織って、動きやすいように下はブーツを履いていた。しかし顔は決して血色がいいとはいえない色をしていた。
白いおもざしが照明の明かりに映えて、そっと持ち上げた新緑の瞳で、ロイドとセシルを移す。背中にあるのは手術室か。
赤い表示が点滅したライトが今いる位置より一歩も近づけない壁のようにも思える。
だが……。
「貴方が、皇の巫女か」
「ブリタニアのお方で初めてお会いするのは、ルルーシュ皇女に次いで貴方が二人目ね。よろしくお願いします。私が神楽耶です」
にっこりと笑うまるで人形然とした顔が、小さく傾げられる。
セシルが何か違和感に気付き、声に発しようとしたら、その瞬間ひとときの間も与えられず、突然組織の屋根だと思っていた天井が
空へと全開に開いた。
------------いつの間にか降っていた雨も止んでいる。スザクたちがここを出て一体何時間経ったのか……。
そして先ほど感じた違和感は、空気の通りであった。セシルの振り仰いだ黒髪を、前の処置室から吹く風がさらさらと揺らす。
まさか、と顔を向け直した先でじっと目を凝らし窺っていたら、天井同様、神楽耶の背にあった処置室の扉も開かれた。
自動であるそれが低いうなりをあげて、その中に居る人物をロイドたちのもとへ晒す。
手にした長刀。
どこかで見たような構えのポーズ。
およそ八年ぶりに見る、黒い両目に冷えた双眸。
「みんながみんな、私の知らぬところで自由なことばかりする」
神楽耶の背後に居ながらその彼女をロイドたちから守るように出てきた藤堂は、腹部をギプスより厚く包帯で締めつけられている。
そうまで傷ついた格好で何が出来るんだ、と銀髪は天井から差し込む光と風を受けながら思ったが、---------何よりも自分は
避けなくてはいけない事態を見越していないことに気付いた。藤堂はこうまで解放戦線を殲滅されても諦めてはいない。
その姿が、姿勢が、自分を見ながらその後ろへ向けられていることで、ロイドはようやく気付いた。慌てて振り返る。いや天を向く。
だが遅かった。
深紅に広い翼を持った機体が空を横切っていった。
同乗しているのはラクシャータ本人か。すぐにつけた飛行ユニットであれほどの動作ができるわけもない。
だがそうまでしてもカレンは追いたかったのだろう。-----------逃げた当人たちを。
唖然としているロイドたちを前に、神楽耶は処置室の奥へそっと消え廊下には藤堂だけが残った。
足元が若干フラつく中、彼はそれでも浅い息をついて、刀を持っている。さすが師匠というだけあってシュナイゼルともスザクとも
同じポーズをしていた。見られているだけで半分命をなくすかのような錯覚に陥る。
だがここまでの状況に立たされたら、自分たちもそう簡単に後には引き返せないだろう、と思った。……しかし。
その彼も神楽耶にならうように背を向けて、刀の矛先は反らさないままに処置室の中へ消えようとしていた。二人でこの基地を
捨てようとしているのか、定かではない。けれど、
「……まったくいつも他人ばかり」
「------------?」
ぼそりと吐き出された藤堂の声が、ロイドの胸を撃った。
「あの子を連れていってしまうのは」
*
逃げない
初めて対人として藤堂が会話したルルーシュ・ランペルージという人は、人格がとても強固でいて、意地が強く、負けん気に満ちた目をして
例え敵側にいる自分へも怯まない視線を向けていた。-----------その彼女が、どうして昔、シュナイゼルがスザクを連れていこうとした時
『助けなかったのだ』と訊いてきた。『逃げたからじゃないか』と。自分ほどの力があったら兄と均等に渡りあえたはず。
奇襲であったというのは言い訳に他ならない……そうまで言った。平等における戦争があるはずないと思っていたが、藤堂が向かう彼女が
口にする言葉は、そう言っているのではない気がした。
ルルーシュは手首を戒められ、神楽耶とカレンに見下されても平気な姿勢で藤堂を見てきた。
心の奥までそっと見透かすような紫電の瞳をして。彼女は言う。
例えスザクが元々敵側の人間でいた場合でも、剣を突き付けられたらその憎しみを受け止める。逃げはしない、と。
逃げない。
その言葉が藤堂の足を早くさせる。
「貴方へのさいごの命令を言います」
神楽耶が人気の少なくなった収蔵庫で、空へ向けて開かれた天井部を見上げながら自分を待っていた。
上半身のほとんどを厚い包帯で止血されてどうにか立っていられる……といった状態の藤堂を、少し痛んだ目をして見つめながら
そっと白い手のひらを差し出す。気遣ってもいるかのようなその動きに自分のものを重ねようと、伸ばす。
しかし思いのほか止血はうまくいっていなかった。ベシャッ、と嫌な音が床へ散らばり、とくとくと足元を濡らしていく感触に
眩暈がする……目で見なくてもわかっていた。スザクが与えた致命傷は簡単には塞がらない。傷口が開いたのだ。
「……大丈夫、ですか」
神楽耶が、別に歩み寄ろうとはせず、差し出した手はそのままに声をかける。
「これくらい、自分の無念さに比べれば……」
感覚を喉元で押し殺した声で、それに答えた。少女は痛みごと租借するように目を閉じて、頷く。
「そう。八年前のことで一番自分を悔やんでいるのは、貴方なのですね」
「……」
「わかりました」
顔を傾けて、藤堂の目線と同じ位置に瞳をあげる。伸ばした手に追いつくように、下から受け止めるように重ねた。
「私の痛みを解るのはきっと貴方くらいしか居ない。いいでしょう。貴方の道連れに、私もなります。
怖いものなんてもうなくていいんですよ。作る必要もありません。貴方はよくやってくれたんですから。……もう蔑む必要なんかないですわ」
囁くように告げられた一言に、膠着していた胸が軋むようだった。
どうしてあの時スザクを助けなかったのだ、と質問されて、思わず答えが出なかった藤堂は、ではあの時自分は燃える炎に何を見ていたのか、と
自問する。振り返る。
ずっと近所の学童たちと転がり回っていた芝生は焼け野が原で、遠くには白い服を着た金髪が立っていた。
腕には意識を失った少年を抱えている。
くせっ毛が風にたなびいて、灰と一緒に空気まで彼の顔を隠そうとしていた。間違いなくこの時藤堂はシュナイゼルたちを追おうとしたのだ。
だが出来なかった-------何故か。遠くでえんえんと泣く少女の声が聞こえたからだ。
(そう)
「行きましょう。我々が、新しく生まれ変わる日本の礎となるのです」
自分が、
この手をとってしまったから。
コーネリアに与えられた傷に、皇の屋敷の奥に隠匿するように治療を受けていた彼女が、燃える業火と屋敷の者がほぼ全員死んでしまった
惨状に一人で抜け出すことなんてできず、わんわんと泣いて、助けを求めていたのだ。
藤堂は芝生に手をついて、何とか起き上がりシュナイゼルとスザクには背を向けた。自分のその判断が後でどんなことを引き寄せるか
頭では解っていたのに……どうして手が伸びたんだろう。まるで人の業とでもいうものを愛するかのように細めた紫暗の視線が、
背中に突き刺さる。
翌日、枢木夫妻の首が跳ねるのを、神楽耶の傍で見ていた。
解放戦線のみんなは藤堂が土壇場でした行動を知らなかったから、ただ憎いという目を若きブリタニアの皇子に向けていたが、
終始藤堂は顔を俯けていた。その時も手には白い少女の手があった。これだけで救われる思いがきっとある。
だからここまで走ってきたのだ。
自分のせいで滅ぼしてしまった日本を元に戻すために、またスザクと過ごすために、神楽耶を支える為に、生きようとして。
生きようとするのに、でもまたきっと破滅のほうへ道を進んでしまうことだろう。
走りながら振り返るたび足は無様にもつれるけれど、どうかずっと手綱のように引いていってくれないか、と少女に願う。
神楽耶もそうだった。
「藤堂……」
「はい」
「貴方が私の傍に居てくれてよかったわ」
昔も今もこれからも。
*
解放戦線の基地へ戻るか、このままロイドたちとも合流せずに先へ進むか。
別にスザクとルルーシュは話し合うべくもなく、ランスロットのハッチを開いて、森が開けた遠い先を見ていた。
デヴァイサー席に座るスザクがジャケットに入れたままであった無線を取り出して、まだ通信ができるものかといじってみるが
元々KMF以外の機械とは相性が悪い彼の手では、ガチャガチャと手の中で転がすばかりで。ハッチにもたれながら立っていたルルーシュが
後ろからそっと取り上げた。耳にかけてみる。だが相手からも通信が断たれたようで無音だった。
「……夜と違って晴れたみたいですけど、何だかすぐれない空模様ですね。また雨が降ってきそうだ」
「風が強いな」
「ええ」
「確か、ブリタニアをお前を連れて出てきた時も、風が強くて、特派のトレーラーに乗り込む時目が痛くて開けられなかった」
世間話をするような軽さで淡々と話すルルーシュは、もう用を失くした小型通信機……インカムを外へと放る。
新緑は確かにスザクが言うように輝いて見えるのに、頬に触れる空気は冷たく、雲の色はどんよりとしていた。
きっと葉や木々が綺麗に見えるのは、明け方まで降っていた雨がまだ湿って残っているからだろう。
「スザク」
「はい」
「それでも、世界は綺麗だ」
「ええ」
「どうして……兄君が燃やそうとしたのか解らない」
けどこれからまた俺たちが燃やすんだよな、と告げたルルーシュは、背をかがめて、一年ぶりに手に触れる懐かしいソレ≠ノ
紫電を細めた。
振り返ったスザクが見た時には、自分よりも目線が高い位置にいるからこそ眩しく見えるのか……ルルーシュの半身は緋色のマントに
覆われていて--------それがエリア11の総督としてずっと身につけていた執務服であると気付くのに、数秒かかった。
背中を向けて空を仰ぐ彼女の髪は昔よりずっと長かったから。束ねていない黒髪は吹き抜ける冷たい風にふわふわと舞っている。
世界は美しい、と言うが……スザクにはルルーシュが美しかった。
昨夜はあんなに近くに感じた姿が遠く感じるほどに。
「どうしてそれを着るんですか」
「----------、逃げないと……中佐に言ったことを思い出したから」
「そうですか」
「でも、でもな……スザク」
声が縋りつくような切なさを帯びる。振り返ったままルルーシュを仰ぐスザクの視線に、彼女のものが絡まった。
何だか少し照れ恥ずかしい顔をして、片手を前へ突き出した手を左胸にぴたりとつける動作をする。そのポーズは
自分より階級が上のものへする軍人の敬礼だった。もしくは、誓いを立ててでもいるかのような。
「逃げないって決めたからって、お前まで付き合うことはないんだぞ」
が、そんな意味が込められているものではないらしかった。
黒髪が告げるのは真逆の言葉である。昨夜誓った言葉をないようにするその気遣いと優しさに首を振って
スザクはランスロットのハンドルに回した手を外して、ルルーシュと同じポーズをとった。
(消えた騎士証はお互いの胸にある)
その姿を見せるだけで十分だとも思った。
逃避とは何だろうかと考える前に、目には守るべき存在があることに気付く。それだけで理由は成り立つ。抗議も上等。
追ってくる過去の楔は何でも切り離す。彼女が自分の手から離れること以外に恐れるものなんてもう無いのだから。
だから、
「うん……」
見つめ返す紫電の色は、穏やかであった。
その視線の先に紅蓮の影を見止めても、微笑みを少し残していられるくらいには。
スザクの目の前の画面には、サクラダイトという動力をつんでいる以上決して逃れられないKMFのセンサーに
自分と、別のナイトメアの存在が確認された。
視界が広く確立されている場所で臨戦態勢にはいる。ルルーシュもハッチが閉じられる前にスザクの傍らに滑り込み、特殊な技巧がされた
レンズを下から取り出し、顔にかけた。途端にうす暗くなるコックピットの中でお互いの真剣な呼吸だけ感じとる。
重ねた手のひらの熱も。
全部。