遠い……過去としては割り切れない感情がある。
それは鉛のように胸の底に落ちて、なかなか軽くなってくれない。どんな晴れの景色を見せられたって、
この感情ばかりはルルーシュが自分で自身を清算しなくては、きっとなくならないのだ。

『でもお前はいつだって自分を蔑ろにしてるじゃないか」

頭に異母兄の残像が現れたと思ったら、次に移り変ったのは緑色した髪の女だった。
その面影がルルーシュに辛辣な言葉を吐いて、マリアンヌに成り変る。
それに無意識に首を振って、ルルーシュは目を閉じた。本当のものを見ようとするなら、逆にこの視力は邪魔だというように。
本来ならば自分がそうあるべき姿を見つけるように----------、思い出ばかりが先行して未来の自分を潰してしまわないために、
ルルーシュは再び前を通り過ぎた異母兄の気配に、瞳を開けた。

「……っ」

まだ覚えている。自由を奪われたことのほうが多かったけれど、その兄の腕の中にいる間はこの世のどんな人間よりも
豊かで居られることを知っていたから。けれどそれが本当の幸せではないことに気付いたのは、いつからだったか。

「あにぎみ……」

ナナリーの存在が自分にとって楔のように感じた頃からだったか。
ロイドが自分の体を抱き上げてくれなくなった頃からか。
もしくは、女としてようやく、異性である他人を好きになった時からだろうか。

















「スザクっ……!!」


ルルーシュが叫んだ。ヴァリスが吐き出した火力によって、火の海になった茂みのほうへ。
スザクがルルーシュの身柄を神楽耶たちから引き離し、ロイドたちへ彼女を預けた瞬間駆け込んで行った先は
刀を手にする藤堂の元へだったのだ。
唖然とした顔で、神楽耶も壁のように自分と藤堂の間を遮った炎の先を見ている。


ルルーシュが地面から顔を起き上がらせた時、無理をしていい状態ではないのにアルヴィオンで駆けつけてくれた
スザクが言った一言が脳裏に蘇る。
だから、自身も疲弊して無理に動けない状態なのにも関わらず、よりルルーシュは胸を騒がせた。







『貴方が安心して居られる世界になればいい』




涙を掬ってくれた時に触れた頬の彼の感触がまだ残っている。
それが、しくしくと胸を軋ませていた。












4
























(安心……?)

ならばそれは具体的に何を指すのか。

一度はシュナイゼルを殺すことを諦め、けれど土壇場では結局刃を向けることを選んだ彼は
一年前のあの時、一体ルルーシュの何を願ってそうしたのか。

-----------今も。

行きつく先は堂々巡りばかり。きっと自分が『これでいい』としたことも、自分自身で満足した試しのないルルーシュにとっては
スザクのその優しささえ無意味なものなのかもしれない。

(でも)

スザクが賭けるに値するというこの命なら、まだ続けていてもいいんじゃないかと思ってしまう。













「スザク!」












自分もその先へ、と走って行きたかったが、背中を預けたロイドに肩を抑えられていて
それは不可能だった。
セシルが心配そうに自分の目線を負っている。スザクがアルヴィオンから降りて剣を取り上げた時から嫌な予感はしていたのだろうか。


先ほどまで優位に立っていた神楽耶も、いつの間にか茫然自失となったルルーシュのように顔から表情をなくしている。


その背中にセシルが声を掛けた。


「貴方もようやく馬鹿げたことをしている≠ニ気付いたんでしょう」
「え……」
「十年前の日本占領を経験した御方なら、この光景が意味することもお解りのはずです。戦争ではなく、貴方がルルーシュ殿下たちへ向ける
憎悪は怨恨は……、きっと」
「ちがう!」

初めて年相応に見える素振りとなった少女が、芝生からその声の勢いとともに立ちあがって、セシルとルルーシュを睨んだ。
「人殺しで国を手に入れる人間たちの集まりのくせに、知ったかぶりの口をきいて、何を言うの……!?
私が顔に傷を負ったのも、藤堂がまだ剣を捨てなかったことも、全部ひっくるめれば、貴方がたがしたことが残ってるからじゃない。
そんな方たちから正論を説かれても聞く気はないわ!私には私が思う許せない理由があって、そしてそれは、貴方のように何もしない
人間に特に振るう刃になる!くやしい。本当にお前は何もせずに人を傷つける天才だわ。屈辱よ!なのにどうして殺せないんでしょう。
それが死なない能力であるなら、どうしてお前なんかに根付いたんだか……大きなそれを砕いて仲間たちのもとへ割きたいわ。
私の身内が死んだのは全部あんたのせいよルルーシュ・ヴィ・ブリタニア!!お前が生まれて来さえしなければ
全部、全部、うまくいったのに……!」

前半はセシルへ、そして気持ちが高ぶりだした後半からはルルーシュへ神楽耶は本音をぶちまけた。

立ちあがった彼女は体を振り向かせ、炎を背にし、ロイドが転がした銃を探す。
反対に黙って静かに聞いていたルルーシュは、ロイドの腕をそっと離し、よろよろと立ちあがった。汚れ知らずの皇女という
自分を現すにはこれ以上のものはない、という言葉を浴びせられて、……なのにルルーシュは怒った表情ひとつしていない。

銃を手に取った少女がその腕を前へ突き出しても、ぴくりとも動かさない無表情で、その純粋な殺意を受け止めていた。


一発目、-----------それはルルーシュの肩を弾かせる。
二発目。威力に驚いたのか反らした銃口は、燃え立つ炎に逆立つ芝生へ、ぼとりと沈んだ。
三発目は、

「来るな!」
「……」

その銃口はまるで人質だ、というようにロイドたちへ向けられた。ルルーシュは痛いはずなのに表情を少しも動かさないで
ゆるゆると首を振る。右肩からはどんどん血が溢れていった。きっと掠めただけの銃創であるはずなのに、何故だか泣けてくるほどに痛い。
言葉と合わせてより神楽耶たちの無念が伝わるようで。

す、と手を差し出したルルーシュのそれを人一人分の距離に近づいた神楽耶はぱしん、と振りはらった。
そしてもう銃を捨てて、頬を素手で張り飛ばす。そうされたらまた黙っているかに見えたルルーシュは目の端をキッと釣りあげて
バシンッと払い返した。
「うっ……」
反動で、どさっと芝生へ落ちる少女を見て、悲しそうにルルーシュが紫電を曇らせる。そして一度だけこちらを見てくるロイドを振り返ると
まるで少し諦めたように苦笑いをし、一瞬だけ見せたその表情の変化を少女には悟らせないよう、また無表情に口元を引き結んだ。

はっとして、ロイドはセシルの横から立ちあがる。

「おやめください」
「---------大丈夫……」
「貴方が責任に思う理由は、何もありませんから」
「いいや、俺は背負うよ」


(優しくされたいから)

彼に。


「俺は、俺が否定する俺では、居たくないんだ」
「その少女の言葉全部を真に受けるつもりですか」
「ううん。……お前が俺を守ってくれたこともちゃんと覚えてるよ。その思い出を、後宮での生活を思い出すたんびに胸が苦しくなる。
大好きだった家族が今も別の世界でそこで穏やかに暮らしていると思えば尚更……。俺は、それも含めて、まだこの世界で立って居られる。
結局神楽耶の言う通り、支えなくしては生きられないんだ。一人で生きていたと思ったことも、ないけれど」
寂しそうにぽつぽつと呟く一言たちを、足元で頬を抑える神楽耶は訝しんだ顔をして聞いていた。
その顔にルルーシュはまた苦笑して、初めて人を殴った手のひらを胸に押しつける。


そしてその手のひらが離された胸には、縦一本であった傷跡が別の形に変化していた。いや、もはやそれは傷跡≠ナはなく
刻印≠ネのかもしれない-------------彼女の、C.C.が神殿で本当に預けようとしたもの。

まるで火の鳥の形をしたシンボルマーク。間近で見ていた神楽耶は声を失くし、後ずさった。

「ごめん、俺は行くよ」

(一緒に逃げようとした時、もう解放戦線の基地に向かった時には決めていたから)

「二人で逃げきれない時は、もう何もかも諦めて、全部受け入れようって。兄君がしたこともお前がしたことも、
ずっと日本が平和であったらしたかった……神楽耶のような気持ちを持つ人間の、その心ごと、俺が、引き継ぎたい」
「そんな自己犠牲」
「違う。いやそうかもしれないけど……俺は、そう思っていない」
顔は見ずにロイドへ首を振るってみせた。そして、腰を落とした神楽耶を越えて、ルルーシュは火のほうへ歩き出す。
最後にセシルへ目線だけで振りむいて、『きらわないでね』と笑った。顔を両手で覆った女史はぶんぶん首を振って、最大に否定の意を示す。

それを受けて、何故かまた、心強い気持ちになった。そんな感情におそわれては、この先生きていくにも辛いだけなのに。




































藤堂の体を踏み越えて、喉元に走った剣先を弾きながら踏み込んで行ったスザクは、逆に藤堂に体を芝生へ組み伏せられ、
すぐには動けないよう両足を拘束された。男の重圧が腰一点に集中してくる。
だが昔のシュナイゼルの時のように諦めるわけにはいかないと、何とか踏ん張って、重なっていた剣を外に向かって弾いた。
そうすることで元師匠であった男の剣がにぶる。

その隙をつこうとまた上半身だけ起き上がってみたら、そんな近くにはないだろうと思っていた逆の手で前髪を鷲掴みにされ、
スザクは再び地面へ押し倒された。

「君の騎士道精神には感服する……」
「!……っ」
「だが、君と同じくらいに日本へかけてきた歴史は重い。君が母国を思って名前を変えないことのように、私にも、
神楽耶さまの意に沿うことは、譲れないことの一つだ」
「----------」
「例えば何なんだ?君がルルーシュ皇女と成したいことは。その一つは。私ほどの重さがあるものなのか」
一度その命より少女の安全のほうを優先したことを踏まえて、藤堂は穏やかに囁く。
スザクは仙波より刺された腹の傷から血を溢れさせていたが、炎にも霞む視界の中懸命に悲鳴を堪えて、額から汗を浮かばせながら
そっと開いた翡翠を細めて、口を開いた。
「僕は、……解放戦線で生きるようになってから、殿下の本当にしたいこと、を、考えるようになりました。けど、
きっと解放戦線があっては、日本の旧世代が生きていては、あの人は幸せにはなれないんです。僕が傍に居てもそうなるかは
解らないんですけど……。でも、間違いなく、閣下と同じように、------------貴方がたは彼女にとっての敵だ」
藤堂の手が震える。スザクは自分の剣を握りなおし、ぐっと刀身を前へ押し出した。
お互いに限界が近い。-----------だから。
「藤堂さん、言ったじゃないですか」
「?」
「僕は、もう、枢木スザクじゃ、貴方の知ってるスザクでは、ない、と」
「ああ」
「だからそんな顔してくれなくていいんです。きっと僕は殿下の騎士でいる限り、彼女以外のものを全部切り捨てていく」
「そこまで気持ちを預けて、」
「選んだからです。この意志は、昔から変わらない。変わらなくていい……!」
むしろこの意志があったから記憶を失くしてもルルーシュの存在に気付けたのだ。



剣を振り上げた。藤堂の首めがけて。
そして彼の刃も下から腹部のほうへ突き出された。それをスザクは仙波の傷の上に受ける。下腹部から一気に吐き気のような衝動がきた。
では自分の剣はどうだったか。スザクは視線をあげて見る。だが藤堂は平気な顔だった。どうして。----------自分の手から刀身が
消えている。

「天の采配はここに下されたわけか」
「……っ、え……」
「これでいい。これで全部終いだ。こんなところまで付き合ってくれた君への感謝の意味も込めて、ここで-------」



「……っ」




驚いた顔をしたスザクが見ていた先は、自分の腹に刺さった藤堂の刃でも、ましてやその藤堂本人でもない。
目線をあげて奥をじっと見る先では、ゆらゆらと蜃気楼のように揺れるシルエットが近づいてくる。それがごく近い誰かを想起させたから、
スザクは声をなくして、翡翠を見開いた。


(殿下)


彼女が自分の手のひらに戻した長剣を藤堂の背中に飛び込んで、その胸を突き刺している。





もしかしたらシュナイゼルがスザクによって胸を刺され死んだのも、ルルーシュがその体の中へその剣をしまい込んだのも、
全部このシーンを予知していたからなのかもしれない。

藤堂は息をすることが出来なくなり、スザクのほうへどっと崩れ落ちてきた。
その体をまだ自分の腹に埋まっている刀ごと受け止める。-----------そして、くしゃりと翡翠をゆがめて、傍らに気配を感じる
主君の存在に、はじめてこの戦いで涙を落した。嬉しいのに笑えない。自分の手の汚さだけ彼女のそれも染まってしまったのだと知ったから。
もしかしたらもっといい方法があったのかもしれないのに。

ルルーシュは間一髪のところで自分たちのところへ駆け寄り、スザクが手にしていた剣を自分のところへ呼びもどして
自分から藤堂の命に幕を下ろしたのだ。その姿は、三人折り重なるように見えたかもしれない。

けれど。

「殿下」

スザクはおもむろに腹の中の刃を抜いて、藤堂の後ろから現れたその姿を体ごと引き寄せて、腕に抱いた。
痩せたその背中も震わして、ルルーシュも腕を伸ばして頬を埋める。すん、と鼻を啜って『おつかれさま』と耳に囁いた。




「お前だけが背負うことなんてないよ」

腕は二本、二人合わせれば四本もある。
------------それだけあれば支え合って生きていけるから。