「------------使ってくれたな?」
御簾を越して外側にいるカレンが見ている前で、神楽耶は首を傾げた。隣で話すスザクの物言いにさぞ疑問であると
現しているようだ。
瞳が少し鋭さを増すように、彼と同じ色である翡翠をすっと細めた。
「貴方が考えてらっしゃるほど日本解放戦線は仲間に冷たくできていませんわ。無論それが首相の息子なら尚の事。
……というか、こう解釈を改めるべきですわね。『使ってくれた』のではなく、自分は『日本の為に尽くせた』と。
貴方なんて今は無名の騎士ですが、第二皇子が来なければこの国の長になっていた人間なんですよ。また日本が名前ごと戻ってくれば
いいものじゃないですか。まず貴方は素顔のままで市街を歩けるようになる……」
そう言って、細めた瞼をおろし、ふいっと顔を背けた。一応神楽耶が座しているのは彼女用の寝室で、日本でいうなら寝屋である。
襦袢だけを厚い衣の下に纏ったラフな姿で、男を入れることなどあってはならない。
けれど反対に彼女はその状況を利用しようとした。わざわざ地上から地下まで降りてきたスザクが、まず先に此処へやって来ることは
彼が先日籐堂と会った時に予想していたからだ。よし、次に顔を見る時は隔絶された空間で話そう、と。元々は婚約者なのである。
主君と騎士よりも関係としては重い----------配偶者としての。だから、互いの距離が近ければ近いほど、本音で向き合って会話をすることが
可能である。例え建前から出たものであってもいい……、神楽耶はスザクから”こう話した”という事実が欲しいのだ。
つまり、
「わかってますわ。貴方が一秒でもはやく私と手を切りたいということは痛いほど。……けど、そんなことをしたらどうなると思います?
ルルーシュ殿下は?まず籐堂に首を撥ねられますわね。貴方は彼のした忠告が恐くてコソコソと動くことしか出来なかったんでしょう。
それがカレンに正体がバレたらどういうことですか。私の部屋にまでやって来て、随分と大胆になったじゃないですか。
さあ、どうしますか?お得意の剣技で私の胸を貫きますか?貴方の親代わりであった皇子のように。それもいいかもしれませんが
日本解放戦線を潰したいならもう少しいい方法があります」
「……神楽耶さま?」
アッシュフォードの制服にまだ身を包んだカレンが、顔をあげる。静かに無表情でいるスザクとを見合わせて、自分こそ大胆な物言いと
態度を見せる御簾の神楽耶に戸惑いを覚えた。彼女も向いにいるカレンの気持ちが解かったのだろう。早まるな、という視線に
にっこりとした笑みを向ける。優雅なまでの振る舞いと口調は、スザクが現れてから一分の隙もなく狂っていない。
「貴方が死んで?」
「……!」
「そうすれば、私がシュナイゼルを討ち取った英雄の名前を頂戴することにします。つまり代替わりですわね。新しく国を作るには
頭首が必要ですもの。頭首に必要なのは名前……血筋、家柄、過去……。すべて揃っている”枢木朱雀”という名前が、
私の存在を確固とした”日本の顔”にしてくれます。だから死んでくださいな、今ここで。そうすれば日本解放戦線は失くしましょう。
殿下の御命も狙わない。新しく行政特区・日本を用意して、ブリタニアを今度こそ潰します。それでいい、すごい名案じゃないですか。
ああやだ。どうして一年前貴方を助けてしまったんでしょう……時間を巻き戻してやりたいわ」
息も継がせない早さで捲くし立てた神楽耶は、黒髪の裾をはらって、綺麗に一本立ちになった。畳を音もなく踏んで現れたスザクの身のこなしと、
少し似通うところがある部分である。
するすると足袋を擦る音をさせて、奥にしまってある箪笥の中から樟の鞘に納められた、小刀を取り出した。幼女のようでもある
か弱い指先には余るほど大きなものにみえるが、カレンが持ってみたら片手ですっぽりと納まってしまうほどのサイズしかないものだ。
それを持ち出してきて、無言で佇むスザクへ立ったまま差し出した。
「自害だなんて考えたこともないと思いますが、これは、耳より三センチ下にある頚動脈を切るためのものです」
「……」
「他には、ずくのある者には切腹をするものにも使えますわね。あまり美しくありませんが、まあ貴方ならどちらでもいいでしょう。
---------------命よりもルルーシュ殿下が大事だというのなら、これで体を切りなさい。カレンと私が見ている前で。そうしたら
もう解放してあげましょう。貴方の希みもかなって一石二鳥ですわね。さあどうぞ」
ゆっくりとした所作で、軽く摘んだスザクの手を小刀の柄に触れさせた。膝をおって向かいに座りなおした神楽耶の、
親に菓子を強請るかのようなあまい眼差しは、まるで逆の意味をともなってスザクを射すくめる。考えれば考えるほど彼女の出した条件は
過酷で、逃げ道など見当たらないものだが、カレンはごくりと唾を飲んだ。スザクがどう動くのかが恐く感じる。
静かに神楽耶の髪を見つめる翡翠の色が、寮の中で騎士証を投げつけた時に見せた瞳の色と同じであったから。
「僕の名前だけ欲しいのか?」
ずっと無言でいたスザクの口が、少し開いた。カレンには彼が動く様子も御簾が障害となってよく解からないが、畳の上を膝で
僅かに進んだのが見えた。神楽耶が差し出した小刀をとって、逆さにして鞘を足元に落とす。そうしたら、香炉を炊くためにおこされた
火の光を受けて、白い刀身が睨むように神楽耶を見る、彼の顔を浮かび上がらせた。
「……枢木という名前が必要なほど、父さんが国に尽くしたとは思えない」
「ゲンブさまは立派な方でしたわ」
「そうか?親をわるく言うつもりはないが、肉親の贔屓目をなしにしても、父さんは国民よりも自分の意見を押し通す人だった。
現に、そうでなければ今は生まれてない。彼が下した決断でシュナイゼル閣下は日本に踏み入ってきたんだ。
父さんは処罰されて当然だったのかもしれない、母さんは僕を守ろうとしたけれど、あの火の海の中で父さんがしたことは
最後まで自分の部屋に篭ることだった」
「--------それは、外交できた第二皇子の言に耳を傾けないためです」
「周りにはそう見えていたのかもしれない。だが僕は見ていた。父さんが、母さんが諌めるのも聞かず自分の意志だけを信じて
ブリタニアと戦おうとしたことを」
「っ……」
「神楽耶。籐堂中佐の庇護の下にいて、まだ解からなかったのかい。日本はブリタニアが相手だったから負けたんじゃない。
日本は枢木の家系が関わったから滅びたんだ」
だから再興しても破滅への道筋はかえられない------------、とスザクは言おうとした。しかし言い切るのも待たず神楽耶はまた
腰だけ立ち上がらせて、スザクへ渡した小刀を乱暴に奪う。カレンが見ていた。彼女の黒髪が踊るように動いて、振りかざした刀で
遮断していた御簾を切るのを。
「……神楽耶さま」
そこでカレンは知ることになる。裏から入ってきたスザクがまず目にして、昔と変わらず息を呑んだもの。白い幼女のような面差しに
毒々しい刺青のような赤が染みこんだもの。そう、火傷の痕だ。翡翠の片目を眼帯のように覆う形で、傷が浮かんでいる。
解放戦線での会合でもけっして姿を見せなかったのは、このことにあったのか……。思わず同性としても直視することは出来なくて
カレンは慌てて顔を背けた。
「全部シュナイゼルのせいですわ……」
「神楽耶……」
「私があの暴君を憎む気持ちも、かの皇子の愛した異母妹を殺そうという気持ちも、全部ブリタニアが生ませたものですわ。
じゃなきゃこんなことしようとはしません。一度は婚約者と決めた相手を、殺そうとも使おうとも思いません。全部全部わるいのは、
あの皇子のせいです」
切り裂いた御簾が地面に落ちて、床を仕切るように置かれた畳の端を転がって、ずり落ちた。そのすぐ横に垂れていた着物の裾を
手繰り寄せて、自分の顔を見て絶句してるカレンから隠した。スザクはもうシュナイゼルに連れてかれる前から
彼女の傷のことは知っている。
これは、来日したコーネリアとある一件があって出来たものだ。当然スザクもその場に居た。
「……君は、」
「曲げるつもりはありません。もう、貴方が昔を思い出した以上、……変わらないものですわ」
「殿下を殺してどうするつもりなんだ」
君が手を出そうとしても、僕は守るよ、と告げる。カレンは心臓を直に掴まれるほど驚いた。目の前で見つめ合う翡翠と翡翠が
凍りつくような鋭さを持ち始めたから。神楽耶はなんと返すつもりなのだろうか。蒼瞳が、探るように見つめる。着物の袖で
声はくぐもっていたが、神楽耶の口調ははっきりとしていた。
「守ると言われても、殺します。かならず殺します。だって、私の親も殺されたから」
……第二皇女に、とか細く息が洩れる。スザクはそれに一瞬目を閉じて、俯いた。
「奪われたものは国だけじゃないよね」
「ええ」
「桐原のおじさんも、僕以上に閣下を憎んでるだろう」
「皇の家は強固としていますから」
近親婚を多くしてるのは血を薄めない為である。その中でどうして神楽耶がスザクと割り当てられたのかは不明だが
元々枢木とは交わる家系だった。先祖が近しい存在なのかもしれないが、今のスザクにとっては関係のない話である。
彼女がその家族愛から復讐を望んでいるのは痛いほど解かる。けれどスザクも同じものを抱いているか、と聞かれたら、答えはNOだった。
(僕はブリタニアの皇子たちの生き方を知っているから)
いつだったか、英国のルルーシュの部屋で服を脱いだ時、くやしそうに唇をすぼめて見上げてきたのを覚えている。
身長が頭ひとつほど離れているスザクの翡翠と、真っ直ぐ合わそうとする薄い灰色がかった彼女の紫は、驚くほど簡単に混ざったように
思えた。
きっとルルーシュは何も知らない自分を自覚して、ちゃんと自分なりにスザクを解かろうとしたのだろう。『いいですよ』と理解を
拒む声を聞いても、ゆるく首を振って、腕にしがみ付いてくる。
まだ自分が好きになってもいない時からルルーシュはそうだった。
誰が説き伏せたわけでもないのに、兄や姉や家族がしたことを知っていたのだ。だから自分は違う人間に、違う国を作ろうと
決めたのだ。
(そんな殿下の姿を知っている……)
胸が少しやわらかくなる。くやしそうに謝りの言葉も言えず、口を閉じて見上げてくる目を震わせて、スザクの前にいたルルーシュを
思い返すたび。
何だか救われる気がするのだ。
(だから、きっと)
自分、は。
手をとろう、と言ってくれる日本解放戦線の彼らを、他人以上に遠い存在に思ってしまうのだろう。
「神楽耶、これは返そう」
手にしていた小刀の鞘を戻して、畳の床へと放った。カレンが名前を呼んでくる。しかし諌めるようなそれにも首を振った。自分は
彼女、ルルーシュの騎士である。たとえ国はない状態であっても。
「スザク……」
「確かに僕は記憶が戻った後も動けずにいた。それが、籐堂さんの脅しがあって出たものだと言われても、違うとは答えられないだろう。
けど僕はブリタニアの騎士から一度日本に戻ってきてよかったと思う。君と会話が出来た。カレンとも。……それだけでいい。
今は、もうそれだけでいいと思う。現実には僕が殺さなくてはいけない相手は、他に居るから」
「第二皇子の他に誰が?むしろ自分自身ではなくて?……貴方も彼のようにならないとは言えないでしょう」
彼女を、きっと束縛して殺してしまうのだわ、と続けた。しかし一拍も合間を置くこともなくスザクは口を開く。立ち上がって黒髪を見下ろした高さで、
同じ昏さに変わった翡翠を見返したまま。
「ならないよ」
「……どんな根拠で」
「ならない。僕は僕だ。閣下は閣下だった。……僕には僕が持つ剣がある。それがあるなら」
一年前の同じ轍を踏むような真似はしない。
目が覚めて辿り着いた先ではルルーシュが死んでいた。胸の中に仕舞うように抱いていた剣は彼女の体に根付いてしまったのだろう。
きっとシュナイゼルが迎えた最期のように。……彼女もそうして自分が望んだ罰を受け入れた。
(けど今度こそはそんな目には遭わせない)
「殿下は僕が守る」
「そう」
でも、それが叶うかしら、と、呟いた神楽耶の部屋の隅にあった、火の灯火がゆらりとうごめいた。
複数の人間が狭い空間へと入ってきたからである。その人物とは、普段なら籐堂の右と左に居るはずの千葉と朝比奈である。
二人はカレンの横に起立して、親しさだけをすっと抜いたような視線でスザクを射すくめた。何が起こったのかすぐには理解出来ない
彼は、そこに立ち尽くすのみ。しかし元より簡単に地上へは行かせないと思っていた神楽耶はカレンの前で笑って、
片手だけは顔の傷を隠しながら、スザクの心中を深く切り裂くような言葉を吐いた。
「籐堂から聞いてなかったかしら。私たちは貴方をずっと泳がせていたのよ?
……ルルーシュ殿下の場所なんて最初から知っていた。知ってて放置していた。でももう、そんな遊びもお仕舞いね」
顔を、あげて見上げた夕焼け空には、白い飛行機雲が北西にぐん、と伸びていた。
黒い腰までの髪を風になびかせてルルーシュは、ずっと昼間から展望台に居た。足元には壊れた水道管とスプリンクラーから洩れた水で
花が流れていた。その花たちが校舎やグランドに向ったずっと下に落ちていって、その様子を高い位置からぼんやりと眺めていたという
わけだ。
空気がいつもより綺麗で。振りかぶるように勢いよく破壊していった展望台の装置たちは、散々な状態にもなっている。けど、
冷たい銀色のタイルに浮かぶ色とりどりの花びらというのは、純粋に綺麗だとも思った。どうして大事に育ててきた花壇たちを
こんな目にしてしまったのかは自分でもよくわからないが、自慢げに見せたこれを、『綺麗です』と答えてくれた彼は居ないと
思ったら本当に切なくなって。……気付いたら倉庫から斧を持ってきていた。目の前にはもう水が広がっていた。
気付いたらもう、夕暮れだったのだ。
自分の代わりにロロが居るから、スザクは簡単に自分の身を捨てていってしまったのか。
クラブハウスに居るかぎりは安全だとでも思うから、もう離さないと言ってくれた手を置いていってしまったのか。
朝生徒会室で自分自身抑え切れない怒りをカレンへぶつけた時、目の前が一気に真っ暗になって、果たしていつまた此処に明るさが
戻ってくるのかなんて考えたら……何故だか泣きたい気持ちになった。けれど広がるのは澄みきるような水面と、鮮やかな赤い空である。
ようやく知覚できたその景色にずぶ濡れの制服を孤立させて、べちゃり、と体の力を抜いて座り込んだ。ロロもミレイもこんな
みっともない自分には寄り付かないから、泣こうと思えば好きに泣ける。けれども、そうしてしまったら二度とスザクは帰ってこないんじゃないかと
思えてしまって、震えそうになる口元を慌てて両手で押さえつけた。目をつぶる。頼むから後生だから、もう孤独にはしないでほしかった。
……ふと、背中に気配を感じて振り返る。ロロか?と顔をあげたら、そこには見たこともない甲冑のような鎧のような衣服に身を包む
一本杉に似たシルエットの男が居て。深く頭を下げていた。
学生でもない部外者がどうしてこんな所に、と不思議に思って、水面から足をあげれば顔と顎と黒髪を一気に掬いとるような強風が
吹いてきて、後ろへ倒れこみそうになった。
「?……」
再び目をあけて、こらすように紫電を向けてみると、その男の背後にはKMFがあった。よく見つめなおして、夕暮れの中に立つその男に
近づいていこうとして、慌ててその足を止めた。トウドウだ。藤堂鏡志朗である。----------兄が首をとれなかったという、陸軍元中佐の。
「貴方、は」
「ずっと殿下のご様子を伺っていました……貴方が、エリア11の総督として、この国へ来た時から」
そう言って、差し出したのは手のひらではなく刀剣だった。腰にさしていた細く長い柳のようなそれを、5メートルも離れてない距離にいる
ルルーシュの首へと構える。ひく、と後ろへ下がろうとすれば、まるで引き戻すように風が逆風になった。
気付くと空に飛行機雲は消えていて、完全な暗闇へと染まろうとしている。
まるで舞台が暗転するかのような性急さで、日本解放戦線のトップが、ルルーシュのもとへとやって来た。彼はスザクに言っていたのだ。
『君が裏切ればルルーシュ殿下の首をとる』と。
それがようやく叶う。
「ここまでくるのは永かった。……彼を騙して、貴方の命を奪おうと画さんしたりもした。しかし、こうするのが一番
手っ取りばやかっただろうな」
「そう……でしょうね」
「こうまで辛い境遇に立たれて、貴方は悔やみませんか。ブリタニアの皇女として生まれてきたことを、エリア11の総督になられたことを。
……日本の嫡子である枢木スザクと出会ったことを」
悔やみませんか、と問われる。ぴしゃ、ぴしゃ、と水が揺れてはねる音が近くで聞こえた気がした。ゆるく瞼を伏せながら、風に弄ばれる
髪をおさえて、唇をきゅっとすぼめる。耳を塞ぐように両手で頭を抑えていた。そんな姿が、たとえ息詰まった人間の成れの果てに見えても、
自分は。
「悔やみません」
(もどかしくて泣きたくなるけれど、笑っていたいんだ)
この笑顔が、強気なものから出たものであれ、臆病さから現れたものであれ、どっちでもいいんだ。
「俺がルルーシュである限り、この気持ちは彼と繋がっているから」