スザクがシュナイゼルの手によって英国に連れてかれる前の、まだ日本で暮らしていた頃の話。
竹やぶのずっと奥にある桐原の屋敷本邸で一度彼は桐原本人が言う所の息子の長女……である神楽耶と、対面していた。
印象強かったのは自分と同じ色の翡翠である。その瞳がはんなりと笑って、お兄さま、と呟いた。けれど当然スザクは首を傾げ
本当に自分の婚約者となる女なのか?と、疑うように桐原を見上げた。しかしどこか預言的に彼は言ってきた。
『お前がいつ誰と添い遂げようとも、皇と枢木の繋がりは絶対だ。例えその時お前の傍に神楽耶以上の存在が居ても、な』
『まるで生まれた頃から決まっていたようですね』
『なんだ、せがれを婿に出すのは不服か』
『……ううん』
スザクの手を繋いでこの屋敷まで引き連れてきたゲンブは、そう聞く老人には目を向けず、神楽耶のほうへ足を向けた。
彼女はゲンブが寄ってくるとは思わなかったのだろう。清浄な気が保たれた香の焚かれた御簾近くに親子が立ったところで、
その御簾ごしにすっと息を呑む気配がした。------------大人への免疫がまるでないというような子どものそれ。スザクは揺れる黒髪を
見て少しだけ安堵を覚えた。
『神楽耶ちゃん』
ゲンブが膝をつく。スザクの頭と同じ位置くらいに彼の口があった。
神楽耶は応えをせず、無言でいた。桐原が後から静かにやってくるのにゲンブのほうはリアクションひとつせず、小さく、
『いいのかい』と呟いた。
『-----------桐原さんの言う通りで、いいのかい』

スザクは期待した。父と手を繋げながらひたと同じ色の瞳を見つめて、どうか断ってくれと。
そんな思い出を夢に思い返す、現在のスザク自身もまた、……期待していた。断りか否定か拒絶の意志を。でなければ怯えた声をあげて
ゲンブの言葉を遮って欲しいと思った。しかし彼女は桐原の家の内情も、ゆくゆくは世襲のようにスザクがゲンブのように首相に
なることを知っていたのか、自分やゲンブが期待していた答えとは反対の言葉を紡いだ。

『いいえ』



『断りません。スザクお兄さまは私の夫となる方、……桐原より聞いてます。ですから、私の血はもう枢木のものと同じ』

まだ8にも満たない子が言うには大仰なセリフである。
けれどもスザクは、期待が打ち崩されたのと同時に、この時妙に戦慄してしまった。
神楽耶は女で自分は男。
英国との間に何もなければ自分たちは夫婦になっていた-------------けれど、自分は日本を離れてしまった。日本はこの邂逅の数日後
第二皇子の手によって滅ぼされてしまったから。

しかしそんなことでこの神楽耶の翡翠は揺らがないだろう。



彼女が妻となると決めた男はスザクだけ。ゲンブもスザクも彼女の意志の固さは十二分に解った。
であるから、自分がカレンの手によってでも日本解放戦線に呼び戻されたのは、何故だか納得できた。
記憶がない状態でやってきた自分だったがそのスザクに対しても揺らがない不動の姿勢でまた御簾に腰掛けて、
桐原は傍に居なく、周りには鼻につく香が漂っていた。

見つめる視線は昔と何ら変わらない、同色のそれ。ただその奥にある真摯なほどに深い凶悪が、一度日本を裏切ったスザクを
射抜くのは昔と変わらない。そう。彼女は変わらずの強さでまた日本へと帰ってきた自分と相対していたのだ。











(体が、痛い……)





学園の寮の部屋から飛び出して、また転入早々記憶のない状態でルルーシュを襲いに行った時同様、生垣にどさりと落ちたスザクが
意識を取り戻したのは、香というよりも人工的なものに近い……薬品の匂いで満たされた白い天井のある部屋だった。


「ロイドさん、起きたみたいですよ」


耳に馴染んだ音がぼやけるスザクの意識をノックする。……具合はどうか、と瞼を撫でてくる冷たい指先が誰かを連想させて、
ハッと落ちかける視界を全開にさせた。
「ロ……っ?」
思わず耳にした名前を反復するほどに驚いていた。パスがなければ入れない大学部にロイドとセシルは居ると聞いていたが、
まさか、その彼らが。
「スザクくん、連絡通路の端に転がってたのよ。あ、お腹の傷は手当しといたから。あんまり動かないようにね」
「満身創痍なのは相変わらずだねえ、君は。学園は楽しいのかい」
会わなくちゃ会わなくちゃと思っていた両人が、天井同様真白い白衣に身を包んで目の前に立っていた。

「ろ……イ、ドさん、セシルさん……」

全身を殴打された痛みも吹っ飛ぶほど素早く身を起き上がらせて、処置代の上で唖然と口を開けるしかなかった。
一番傍に立っていたセシルは、一年立って少しばかり身の丈が大きくなったスザクを見て少し驚いた顔をし、
その女史とは違って二度目の再会となるロイドのほうは、書類を整理していた机から顔をあげて、どこか眩しそうに目を細めて
スザクを見ていた。





























「る、ルルちゃん……!ストップストップ、ストップ!!相手は無抵抗の同級生よ」
「-----------……ッッ」
腕を、力一杯振り上げて、跪かせた赤髪に落としてやろうかと思っていたルルーシュの腕を阻んだのは、真後ろの机に腰掛けていた
ミレイだった。
向う生徒会室の扉に居たロロのほうは、無表情の仮面に顔を切り替えた姉の豹変ぶりに困惑しながら立ち尽くしていることしか出来ず。
自分の騎士を、それもようやっと再会できたスザクを傷つけられ葬られたと知ったルルーシュは、とくに設定していない沸点を
越すでもするような怒りに完全に理性を持っていかれていた。無言で殴る・蹴るをする黒髪は、背後からは狂人としか見れない。
「離せミレイ!」
こんな彼女の怒鳴る声は初めてだった。
腰を後ろから抱くようにして押さえつけたミレイは、解けそうになる腕を必死に引き寄せてルルーシュの動きが少しでも収まるのを待つ。
気持ちが解るからこんなことをするのは充分に辛いが、けれど、無理に何もしない人間へ暴力を振るうなど、それこそおかしい話じゃないだろうかと
言ってしまいたい。
そしてどうか怒りに心を任せるよりも今は気付いてほしいことがあった。こんなことをしていてもスザクは戻ってこないのだ。主従だと
言い張るのなら尚更。彼の所在を突き止めるほうに力を使ったほうが絶対にいい。
ロロもそう思ってか、ようやく我に返った様子で一歩ルルーシュへと近づいてきた。足元にいるカレンは蹴られた頭を痛そうに
抱えている。唇は吐息にではなく何かを呟きたいのかわなわなと震えているのが見えた。
(おいおい)
まさかこの状態を更に助長させるようなことをするんじゃないだろうな-----------。いやな予感に背筋がまたブルッと震えた。


「かいちょー?顧問の先生から聞いたんですけど、また何かやらかすんですかー?」

カレンが居るのが窓から見えたから来たんだけど、と、閉ざした扉から声がする。
ロロがその声に振り返った。ミレイは朝の練習からすぐに来てくれたシャーリーの登場に拍手をしたい気分だったが
全身でルルーシュを抑えてる今それは出来ない。いやむしろ、カレンの友人である彼女にこの状況を見られたら、余計事態が悪くなる
んじゃないかと思った。
そしてその予感は的中する。シャーリーがノックもせず扉を開けて、まず足元にいるカレンではなく、顔を赤くさせて拳を振り上げる
ルルーシュを目にしたのだ。『わっ』と身構える。しかしロロが『違うんです』と声を掛けるのと同じタイミングで
ずっと床に伏していた赤髪が起き上がり、ミレイに羽交い絞めにされた黒髪を睨みつけて、シャーリーと入れ違いになるように
廊下へ去っていってしまった。


「待てカレン!」


鋭い矢のような声が、遠くにまで消えた彼女を追いかける。


ルルーシュはそれを発したあとどっと肩から力を抜き、呆然とするシャーリーとロロの前に膝から崩れ落ちた。床に散らばった金属の欠片を
手に敷いて、小刻みに身体を震わせている。なんとも言い切れないような諍いを目にしてしまって、また、友人の理性をなくした表情を
前にして、ミレイは複雑そうに口を曲げるしかなかった。
ロロも蹲るルルーシュの背を撫でるのが精一杯でミレイと同様だ。
「あ、あ、あの、カレン、顔……血ぃ出てましたけど、どうしたんですか……?」
この中でシャーリーだけが、いつも通り変わらない口調で声を掛けてきた。ううん、あんたは気にしないでいいことよ、と金髪を軽く
振って、せめてここだけであったことであるのを強調するように笑みをつくった。
自分も、ロロに習うように、床についたルルーシュの手に閉じた指を重ねて。

怒りもかなしみも超えてしまったかのような、混乱、というのが一番近い感情を表した彼女、……ルルーシュの長い髪に隠された顔を見ながら
ああもう、また戦争が始まってしまったのか、と、泣きたい気持ちになった。



































「まっさか再会が女の子の格好で果たすことになっちゃうとはね。セシルくんドン引きだったよ」
「ていうかロイドさん。貴方が先に言っておいてくれれば驚くこともなかったんじゃないですか!まさかスザクくんが女装で
内偵やってるだなんて」
「あれ、殿下言ってなかったっけ?」
「女装で、なんて言ってません」
顔を赤くさせているのは、あまりに廃れきれた格好で転がっていたのを見られたからだろうか。
意識が朦朧としながらカレンのもとから逃げてきたスザクは、とにかく草むらに隠れて朝を待つしか考える策がなかった。
だから当然、まだ女の格好でいたのかは把握してもおらず……。セシルが第一発見者だというのは今聞いたが、いやはや、考えてみても
恥かしい光景である。まさかずっと子どもの頃から世話になってる女史にあんな格好をしているのがバレるだなんて。
「日本解放戦線もやることが悪質でいやらしいですね!普通考えませんよ。いくら名前をバラさないようにっていうのだからって
わざわざ女の子に成りすませようとか」
「実際嫌がらせだったんじゃないの〜〜。彼らにとっては英国に渡った少佐は、裏切り者以外の何者でもないし」
「そうか、……そうですよね。ならいいじゃない、スザクくん!このまま殿下のものになっちゃいなさいよ。スパッとあんな人たち
切っちゃって!」
スザクくんを貶すような輩は閣下でも許しません、といつか言ってくれたセシルのことだ。解放戦線の彼らにも同じ感情が芽生えたのだろう。
大きめのソファに腰掛けてロイドから説明を聞く隣で、目の前にある処置台の上にいるスザクを元気づけるように
ぐ、と握った拳をみせた。
「もう殿下とは会えて、話もちゃんと出来たんでしょ?」
「あ、……はい」
その返事に、セシルの顔はぱぁっと輝いた。
「じゃあいいじゃない。記憶も戻ったんだから。このまま、」
「-----セシルくん」

「そうは、……いかないんです。セシルさん」


重たげに口を開く。ロイドも察していたのかマグカップを片手にしながら、小さく頷いてみせた。困惑げに『何故だ』とセシルは
見てくる。
「僕はあいつらをあのまま野放しにしておくとは、考えていません」
「そんな……」
「こうして、自分の身が危険に曝されても、一矢報いなければ気が晴れないんです。殿下だって、僕が不甲斐ないばかりに
傷つけられた、何度も。だから余計に怒りは高まってます。……でも、必要なだけの力は、悔しいけどありません」
「スザクくん……」
「------------こんな状態で、殿下の傍には戻れないから」
だからそう簡単にはいかないんです……と、空の拳を握った。上半身は厚手のサポーターで固定されている。どこか薬品の匂いがするのは
化膿どめと痛みどめを注射でも点滴ででも投薬してくれたからだろう。ふと、自分はどれほど気を失ってたのかが気になって
スザクはロイドを見た。丁度彼が見ろとでもいうように片手を曲げた状態であげていたからだ。----------深夜2時。
「そんな時間まで、落ちて」
「貴方を見つけたのは始業のチャイムが鳴るあたりのことよ。一晩中寒いところに居たから、じきに熱も出てくると思うわ」
「そんなもの、気にしません」
膝に掛けられていた毛布をおもむろに剥ぎ取って、足を処置台の外へと投げ出した。
「え、ええ……っ」
「ちょっと待って少佐!」
それに戸惑ったセシルとロイドは腰掛けていたソファから立ち上がり、無心でドアまで行こうとしてしまう背中を慌てて追いかけた。
「スザクくんったら、」
まずセシルが前に立ちはだかるように手をひろげ、両手で進もうとする身体を阻む。ぐっ、と息を呑むように立ち止まったスザクは
何の嫌がらせか、その痩躯をネコのように柔らかくして背中から抱きついてきたロイドに、とうとう動きを止められてしまった。
「どういう経緯があって貴方が倒れてたかは知らないけど……本調子じゃないのに無理をしてでも行くなんて、正気じゃないわ」
「でもっ」
殿下が、壊された騎士証が、……と、錯乱のあまりわけのわからないことを口走ってしまいそうになる。
その頭を落ち着かせるように伸びてきた白い手に、どきりと心臓は緊張した。冷たい掌の温度がルルーシュのものと同じに感じる。
正にロイドのそれだった。
(いつも混乱した時は殴るよりもこうして頭を押さえつけてくけていた、……)
一年前、殺意に似たような眼差しで睨んだ相手であるのに、ロイドはルルーシュの身体をずっと守ってこうして傍に居てくれた。
本当なら今のことも含めてスザクは謝らなければならなかった。----------しかしそれが出来ないのは、当然、日本解放戦線に
まだ自分が在籍しているからである。

生存不明なゲンブの息子として。

「っ……」
「まずは落ち着いて、スザクくん。ね」
「馬鹿みたいに成長した君の身体だからな。セシルくんや僕なんかじゃ押し留められないよ」
だからとりあえずは座ってなさい、と、掴まれたままの白い手に誘導され、ぼすんっとロイドがさっきまで掛けていたソファに
沈まされた。
ぽかん、としていた隙をついてすかさず栄養剤のようなゼリーを渡される。いやだな、不味そうだな、と見ていたら
目の前でもぐもぐと咀嚼する音が聞こえた。勿論放り込んできたロイドから、である。こんな黄色いだけの物体がうまいのか、と
覗き込んでくるセシルを見上げたら『だって丸一日寝てたのよ』と眉を吊り上げられた。
「いきなり重いものは入れられないし……今夜だけは我慢して。明日の朝にはパンくらい用意するから」
「はあ。……あの、セシルさん」
「?」
「大学部に居ることは殿下と会長から聞いてたんですけど……、ここは特派のあった政庁でもないし、どこで生活してるんですか?
とても居住空間と一緒になってる研究室には見えないんですけど」
遠慮がちに翡翠が動いて、ハンガーに干されたままの汚れた白衣と、何重にも積み重ねられたビーカーで埋った水道台を見た。
それにえへへと照れたように笑ったセシルは、肩まで伸びた髪を横に軽く払いながら『……見る?』と
意味ありげに瞳を細めた。
「見る、って」
それにまたぽかん……と口を開ける。ついで、食べ終えたのかゼリーの空をゴミ箱に放ったロイドを見た。
「よく考えればわかることでしょ、僕たちがやることなんて」
「や、やること……」
「ロイドさんと私が二人ですることなんて一つしかないじゃない。一年前までスザクくんも手伝ってくれてたくせにぃ。
忘れちゃったの?」
「や、どうですかね……」
何を二人がにやにやとして、言おうとしてるのか判然としなかった。
眩しいまでの女史の照れたような笑みに『えへ』と自分も笑ってみるが全然殿下のように可愛らしい花も出ない。
それは当然だがしかし笑顔は置いといてどうしてロイドたちは自分を試すような質問をしてくるのだろう。
ううん……と目をつぶって首をかしげても答えは出てこなかった。どうすれば。
「頭が相変わらず固いのねえ。それじゃまだまだ殿下も苦労するでしょうに……」
「すみません」
無表情で答える。
「まあまあセシルくん。一年もブランクがあるんだ。いきなりいつもの調子で接しても戸惑うだけだよ」
「ああ、まあそうですよね……でもスザクくんには是非知ってて欲しいなあ。ねえ、倉庫のほうに降りちゃいませんか?
折角間借りさせてもらってるんだし……」
「ええ〜、まだ完成してないからやだよお。アップデートは殿下が来た時に一緒にやろうと思ってたんだからあ」
「いいじゃない、いいじゃないですか!スザクくんと再会出来た記念としてでも、ねっ。はい決定!」
誰にともなく了解を得た女史は片手をあげて、嬉しそうに兎が野原を飛びはねるような軽さで、しがみつくようにスザクの腕を持ち上げて
立ち上がらせた。無言で倉庫の鍵をとりにいくロイドに拒否権はないらしい。
「この間途中報告をした時殿下にも呆れられちゃったのよね。『変わってないねー、セシル』だって!どうしようスザクくん」
「さあ。それは知りませんけど……。見せたいものって一体何なんですか。ケガとかしないものですか。肉眼で捉えられるものですか?」
出来れば普通で居られるものがいいなあ、と呟いてみる。セシルは腕にぶら下がりながら『大丈夫、大丈夫よ』とまた繰り返すように
答えて、後にとぼとぼと付いてくるロイドを振り返って『お早く』と銀髪を急かした。
「守衛さんに見つからないといいんだけど。いざとなったら私とロイドさんを抱えて逃げてね、スザクくん」
「怪我人の僕にそんな重労働を命じるんですか」
ぼそりと呟かれたお願いに思わず低い調子で答えれば、昔の自分だったら戦慄するような笑顔に今の気持ちを全開に現しただろう
セシルが、『本気よ』と、身長までも数センチ伸びたくせっ気に腕を伸ばして、つま先立ちになりながら数回撫でた。

「主従になったばかりの頃はまだあんなにあどけなかったのにね……、暫く見ないうちに見違えるように大きくなっちゃった。
成長したわね、スザクくん」


処置台で目が覚めてから『なんだこの人たち』と退いていた気持ちが、不意にそのセシルの言葉でグンと引き寄せられるように
沸きあがってきた。何かが。
反射的に『いえ』と返して、……聞こえてはいないだろう音で、がんばったんです、と呟いた。何故だかそう認めてもらえたことが嬉しい。
そんな思いで。

そして、一年経ってもまだこんな風に気安く接せられるなんてルルーシュ以上に思っていなかったから、
スザクは純粋に女史の絡めてきた腕が嬉しかったのだ。勿論ロイドの見守るような背中への視線も。
きっと変わったのは……



(殿下と、僕だけか)













































きっと自分が、名家ではあるが庶民の出なものだから持っている偏見なのかもしれないが、
カレンへ突然態度を豹変させたルルーシュの姿は、昔から彼女がずっと苦手意識を持っていた”上に立つ者”そのものの姿で。


「ルルちゃん……ルルーシュ」



怒鳴ることも、ましてや人に暴力を振るうことも滅多にないのだろう。膝を折って粉々になった破片を拾い集めながら
床の上でひくひくと肩を震わせてる黒髪は、ミレイが背を撫ぜても、無理に椅子に座らせようとも、俯けられたまま見上げられることは
一度もなかった。

膝に手をおいて下から覗いてみたら、かろうじて前髪の奥から固く閉じられた瞼が見えるのみで、

(こりゃ駄目だわ……)

友人としてかけるべき言葉も、ミレイが普段のルルーシュに戻す手立ても可能性すらないことを知った。お手上げとばかりに
傍で見守っていたロロへ両手をあげる。彼は、そのミレイのジェスチャーを見て、紫陽花色の瞳を苦笑に揺らした。目線だけで
『わかりました』と言う。----------この少年が彼女の面倒を見るらしい。
「頼んだ。私はカレンを追っかけるわ。……スザクのことそのままにもしちゃおけないし」
「あの人、バレるようなポカでもしたんですかね。キスしてるとこでも見られたとか……?どうかな」
「さあ知らないけど。とりあえず、あんまり目離さないでおいてね。一人だと何しでかすか解らないから」
ぽんぽん、と項垂れたルルーシュの肩を叩いて、ミレイは生徒会室から足早に出て行った。すぐにロロは膝を床に落として
先ほどのミレイと同じく下から覗きこんでみる。
僅かに開けられた紫電と、一度興奮したからか薄い水の膜がはったそこしか特に異常があるように見られなかった。

いつも触ろうとするのに戸惑うような、柔らかい触感の白い指先に、自分の手のひらを重ねてみる。
じっと、殻に閉じこもるようにピクリとも動かない偽の姉を黙って見つめながら、震えだけ納まるようにスルスルと小さく
撫ぜはじめた。

「元気出して、姉さん」


自分に半分遺伝子を分けてくれたシュナイゼルなら、消沈する姉をどう励ましていたのかな、とロロは思ってみたりもしたが
すぐにぱちぱちと瞬きをし、半分ほど閉じかけていた紫電をルルーシュは開いてくれたから
深くイメージしようとはしなかった。
「ロロ……」
スザクが、自分の『一般人になりたい』という願いのせいで犠牲になったんじゃないか、と怯える目は、また水の膜に揺れ出した。
それにかぶりを振って、違うよと無表情に伝える。わざとらしさを出したくないから、不遜なまでに低い声音で発した。それをどう
受け取られるのか怯える心をロロも自覚して。
けれど逆にそれで安心したのか、すうすう、と止まっていた呼吸を取り戻しはじめたルルーシュは、
がっくりとなるように突然ロロのほうへ屈み込んできた。
「!」
慌てて自分の肩口で垂れかかる黒髪を零れてしまわないように支える。
う、ぐすん、と鼻も啜る音も聞こえはじめたから、今さら後に引くことも出来ず、彼女の震えがおさまるまでじっと床に座り込んでいた。

どうしてここまでお互い引き摺りあうことが出来るのか。
繋いでいる絆が”主従”というものでなく”恋人”のそれであったなら、まだここまで苦労はしなかったのに----------。

ロロはそっと手をあげて、一度だけ髪の毛に触れた。さらりとひと房すくうように指にとって、絡まらないように綺麗に撫で付ける。
そうしながら素朴な疑問として一言『何で認めようとしないのか』と、耳元へではなく胸元へ呟いた。別に聞かれなくてもいいと
思ってした行動だった。

































ミレイが走っていった先(最近よくそうしてる気がする)顔をあげて何もない無人の廊下を奥まで見渡せば
駆け出していったカレンをすぐに追いかけていったはずのシャーリーだけがぽつん一人立っていて。手にはなぜか血のついたハンカチを
持っている。
そうか、それでルルーシュに蹴られて出来た傷でもおさえてやったのか……と思い、鼻がつんとする。それを誤魔化すように
手の甲で鼻を拭うようにして、どこか放心としている彼女の瞳を自分へと向けた。
「会長……」
「なあに、シャーリー。あの子とうとう学園から出てっちゃったか?」
「今までの恨みを色んなバリエーションで怒鳴り散らしたあと、バシンと一発叩かれて、引きとめる間もなく二階のこの窓から
飛びだしていっちゃいました。……あの子って、病弱じゃありませんでしたっけ。ものすごいスカイダイバーでしたよ」
「きっと体育の時にルルちゃんに一斉射撃をした時から、嘘がつきづらくなってたのかもしれないわね」
一斉射撃とミレイが揶揄したのは、先日のバレーの時間にルルーシュが彼女から受けた行為をさす。
見学をしていなければカレン・シュタットフェルトを保てない彼女が、ルルーシュと横に並んだというだけでおかしいのだ。
それにもっと早く気づいてやればよかったのに。
「ねえ、ずっと私おかしいと思ってたんです」
「……ん?」
「ルルはどうしてカレンを床に踏みつけたんですか?カレンはどうして一昨日辺りから、……少し、いや大分、ルルへの態度が変わったんですか?
会長……私ずっと二人と一緒に居たつもりだったんですけど、やっぱり、それはつもりだっただけなんですか」
シャーリー、と呼びかけたつもりだった。開けられたまま締められない窓の格子が、風に揺れて耳障りにキイキイと鳴っている。
そんな些細な音であるだけなのに、言葉はかき消えてしまった。
「-----------嘘なんですか」
「え」
察しのいい後輩の目が射抜くように見上げてくる。シャーリーは何かカレンから言われたのだろうか?そう言えばさっき、
わあわあと怒鳴り散らしていったと言っていた、ということは、ルルーシュが本来誰であるかも-------------。
「嘘なんですか」
「シャーリー」
「会長、私に嘘つかないでくださいよ。結構ショックなんです。カレンに聞かされて……本人であるルルじゃなくて、あんな取り乱した
カレンに全部言われて、私どう受け止めていいかわかんないんです、会長……」
「……」
悔しそうに目を顰めて、震える口元を隠すように顔を背けた。その姿を見ているだけでも痛ましいのに、シャーリーはミレイからの
返事を待つように逃げ出さずじっとその場にいた。そんな後輩に報えばいいのかミレイはこの時わからなくて。
きっと全部それとなく勘づいていた彼女の橙色の髪に手を置いて、黙って肩口に引き寄せた。震えはいっそう強くなった。だけど、

シャーリーが期待してるような”真実”だけは語れなかった。ミレイがそれをするということは、一年前に死んだ”二人”を
本当に殺してしまうに等しいことだったからだ。








































逃げ場所がうまく思いつかなくて、走りながらぼんやりと思考する頭で普通に地下への道を行くことを選んでいた。
ふらふらと覚束ない足で、カレンは俯きながら自分とスザクしかない隠し通路の入り口へと入る。習性で、誰にも後をつけられて
ないことを気配で確認しながら、進む足は遅くても止まらせずに、しっかりと本拠地である日本解放戦線の本部まで
降りていった。
下水に面していること以外は不自由を感じない道は、どこかスザクの深奥さを思い出させる。
カレンが何発も一方的に殴りながら『裏切った、裏切った』と言ったのに彼は、じっと自分の肩口に顎をのせながら痛みに耐えていた。
痛み以外にも吐き出したいものは一杯あっただろうに。
-----------それが主君を取り戻した犬の姿か?
カレンはそうも感じたが、見つめる先にいた彼の翡翠は、淀むよりも少し影を落とした澄んだ色をしていて。
普段よりも一層濃い色になった眼差しを見つめていたら、いつの間にか目の前からスザクは消えていた。あれから丸一日経ったが
音沙汰が全く無い。シャーリーにも感情に任せてすべて言ってしまった。心配してくれただろうに血の出る額を拭ってくれる手を
ないがしろに振り払って、力まかせに怒鳴った。『ルルーシュは皇女』『セザルはスザク』『二人ともに嘘をついていた』

『嘘をつき合って、ずっと隠れて一緒にいた』


……知らなかったカレンはセザルであるスザクを本当に安心して仲間のように思っていた。
怖さも知らないで、寮の彼の部屋に居て友人のフリをしつつ、普通に人とのコミュニケーションをして
ああ少しこのままでもいいかな、と思うくらいには日々に満足していた。そう満足していたからこそ今のカレンは昔の自分を許せない。

体を分裂させることが出来れば、己の腹部にも殴打を入れてやりたい。それが出来ないからカレンは地下へとおりて
日本解放戦線の幹部である籐堂や朝比奈を呼ばずに、一人で、……総帥代理である神楽耶のもとへ向うのだ。



(どうか厳罰を)


(少しでも貴方の”もの”であった男に気を許した己に、罰を。
罰をくれて叱ってやってください)




そうしてくれなければ、もう地上に出ることもかなわない。




辿り着いた部屋の前で、日のもとへと出れない彼女を守るように下げられた御簾ごしに、彼女の居る気配を探った。
神楽耶は日本解放戦線をサポートする桐原の親戚である。もともと皇家とは枢木とは縁深い間柄で、
一年前カレンがスザクを連れてきた時、『真っ先に会わせろ』と自分から御簾の外へ出てきたくらいだった。

しかし、執着というよりもそれは憎悪に近い思いで。

そう昔ではない記憶を手繰りながら、あの時神楽耶はどんな顔をしてスザクと向かい合ってたか……思い返そうとしていた。
けれどすかさずカレンの到着に気付いたのか、白く小さい手が御簾を少し開いて、そこから顔が覗いた。一度だけ間近で見た
彼の少し濃くなった翡翠と同じ色……と気付いた時には、黒髪は薄闇の中でも判別出来るくらいに外へ出てしまっている。
「何用で」
軽く垂れかかる前髪を払った仕草さえ貫禄が感じられる少女の毅然とした姿は、まだ日本を忘れきれていないカレンには
眩しく思えて仕方なく。瞬きさえ戸惑う謁見の最中で、息を呑んだ。用は何か、と口にした神楽耶の背後に
昨夜最後に見たまま会ってない------------細く高いシルエットを発見したから。

その影は一歩踏み出して神楽耶の真後ろに立つ。まだ解放戦線に居た頃は記憶もなく、様をつけて呼んでいた彼は低い声音で
無造作に『神楽耶』と呼び捨てにした。
神出鬼没といっていい登場にカレンと違って怯みもしないのか、肌襦袢に厚い衣しか着付けてないのに優雅な身のこなしで
前髪を払った手を膝へと置いたら、『何用ですか』とまた言った。その言葉はきっと先に登場したカレンにではなく
ずっと背後のスザクへと言っていたのかもしれない。

「お久しぶりですね、セザルではないそちらのスザクさん……?」

久しぶりの逢瀬でもあるのにまるで昨日も会ったような親しげな視線で、同色の目を重ねあった。
緩やかに頭を垂れてからスッと背筋を直した神楽耶の仕草に、体を身構えることもなく憮然と立ったままでいたスザクは
耳に白いインカムを付けていた。そこにあるスイッチを指先だけでオフにする。……小声で会話する声は、御簾を挟んだ外にいるカレンには
聞こえなかった。

そうまでして何を話すのか?
膝だけ折って目線を神楽耶とスザクは合わす。それに気をよくしたのか、黒髪が機嫌よさげに少し揺れて
少女のような容貌に可愛らしさの微塵もみせない皮肉げな笑みをのせ、近づいたスザクの顔をまじまじと見上げた。
「何も悪いことなど知らない、数日前の顔はどこへ行ったのやら」
「生憎そこに居るカレンのおかげでね、いいキッカケだと思って君に話をしようと思ってやって来たんだ。……時間がないとは言わせない」
「いいですよ。私は英国に行っていた頃の貴方と同じように、捕囚の身。桐原が外出している時は嫌でも御簾の外に出られません。
だからスザクさんはここへ直接来て下さったんじゃないの?」
「随分よく解ってるね。……そんな顔をして、君は、一年前僕を連れ出してから今まで、物見遊山な気持ちで見ていたってわけか」
「滑稽でしたわよ、優秀な役人のように文句もなく言うことをよく聞いて。感動してましたわ。……でももうお終いですのね」
「ああ」

……ふ、と、優美に細めていた口元が、突然鮮やかさを失った。


「大人になりましたわね。嬉しそうに言えてなかったらごめんなさい」

釣り上げるような語尾の高さは、味方にと引き入れた人間に体よく尻尾を振られた主の、無残な抵抗によく似ている。
挑発げにも見えるその響きに、咀嚼するように瞼を一度伏せたスザクはすうっと深く息を吸い込み、緩やかにそれを吐き出して
手を伸ばせば首が絞めれるほど近くに寄った神楽耶の、------------11年前と変わらない揺らがない翡翠を見返して、
動かさずに見せないままでいた刃を、自分の反逆を明らかにするように、くるりと返した。


「こちらこそ。------------よくも今まで使ってくれたな」







(戦争は終わらない)