暗闇からぽん、と浮き出るような、軽い感覚。そう、今まで意識の奥の最も深い場所 で眠り続けていた。



起き上がって初めに見たものは、白い空。
明るい日差しは正午の時刻を告げている。
薄い瞼を貫通するように差してくる開かれたカーテンの光に、眉を顰めた。

ルルーシュは起きたのだ。-----------けれど。


「…………?」


胸の下にまでつくようになった黒髪の先をとり、自分の状態の変化に困惑する。すぐに立ち上がって
両足で目の前の化粧台まで歩こうとしたら、ガクンッ……と、糸が切れるように床の上に倒れ伏した。
したたかに顎を打ち、誰かを呼ぶ声も、そもそも痛みに対する苦悶の声もあげれず、蹲る。
少しずつだがやっと指先にまで神経が通ったことを認識出来た時には、既に日は傾いてカーテンの白を橙色に染めていた。

部屋には自分以外誰も居ない。苦しくても、手を伸ばしてもそれをとってくれる相手が居ないということも
冷えていた肌が蘇った血流に火照っていくことを、喜んでくれる相手が傍に居ないということは
それほどルルーシュにとっては悲しいことじゃなかった。
自分には記憶がなかった。いや、正しく言うならば”曖昧”に覚えている、……という、そんな所で。

しかし滑稽なことに身体は感じているのか、伸ばした手に触れた金属の欠片を、掌の中に握りしめていた。
「ふ……」
突き出るように鋭利であった先端が、柔らかな肉を裂いて血を溢れ出す。ようやく開けられるようになった紫電を開いて
その様子を床に顔をつけたまま、じっと見ていた。
じわじわと滲むように指の隙間から流れていく赤。
その元凶ともなった金属は、何かの破片とかそういう粗末なものではなく
一つの象徴でもあるような翼のモチーフが施されていた。造形的に見て、胸元につけるブローチのような。
それを無意識に握りしめた自分は、”昔”、何かこれに思いいれがあって生きてきたということなのか、その証明であるのか。

解らないままルルーシュは、そこの部屋の管理主である男が駆けつけてくるまで、ずっとベッドの下でそうしていた。

完全に身体が動けるようになるのはその三日後である。昏睡中も関節だけは動かしてくれてあったようで
廊下を歩くくらいは自由でいられた。動けないままに停滞していた期間を思えば、今の自分の状態のほうがずっといいと思う。
が、違和感は残っていた。初めに目覚めた時につけた傷、そこに巻かれた包帯を見つめながら
眉を寄せて、自分の傍に腰掛ける男へ聞いたのだ。












貴方は誰、

俺は『誰』?と。





































誰かに『こうあるんだ』と教えられてきたわけではないが、まるで自分以外の第三者に操作されるようにして
無意識に身体が動いてしまうことがある。……そう、例えば、道を歩いてるとき。


通りすがりに鼻先を掠めた髪に視線が奪われて、よろけるように傾いたその学生の肩に慌てて手を伸ばして
支えるように後ろへと手を添えた。
彼女はぼんやりしていたようで、腰ほどにある髪を揺らしてペコリと頭を下げ
駆け足で立ち去っていく。
触れた温かみがじんわりと染み込んで、ゆっくりと冷めていった。屋内とは言え壁に仕切られていない
渡り廊下は、耳を小さく揺らすような細い風が吹いている。

「セザル。あんまり余所見しちゃ駄目よ」
「ああ、うん」

隣を歩いている赤髪の幼馴染が、たしなめるように自分の腕を引いた。”セザル”という名前に反応したのではない、
彼女の親密さを現す言葉のイントネーションに引き寄せられたのだ。

肌に直に張り付くような、ぴったりとした黄色みがかった色が印象的なアッシュフォードの制服。
常であれば自分は真っ黒な男子学生服のほうを着ていただろう。しかし些細なことから女子のほうの、……膝丈よりまだ短い
スカートを履くことになってしまった。勿論、名前だって偽名だ。暗号のようにフルネームをバラバラにして
パズルのピースのように並べ替えたセザル・オーウィンというブリタニア人の名前。それは自分とは程遠い人格をもった別人のもの。

スザクはその別人に成り代わるようにして、ブリタニアの中枢に位置する、このアッシュフォード学園の生徒となった。

勿論、趣味や享楽や学業の為などではない。用が済めばすぐに退散しよう。
ただ、その用が簡単に終わればいいのだが。




『スザクくん』

もう自分が幼少の頃には、軍服に身を包み父のもとに仕えていた兄代わりといってもいい男、藤堂に
スザクは呼び出された。この時自分の所属する反政府組織----------日本解放戦線は地下街のもっとずっと下層区域を転々とするように
動いていた。それもすべて枢木の家と深く交わりを強くする権力者、桐原の力添えあってのものだろう。

既に古い記憶にある地上の光は、地下組織を満たす暗闇に覆われていた。そんな風に感じてしまう己の薄情さに何の戸惑いも感じないし
自分はまるで忍のような、影で動く人間でいいと思っているのだ。内偵とはつまり、人間の裏側を見ることをいうのだろう。
その為の訓練も藤堂の弟子のもとで大分学んだ。そろそろ一つの任務でも与えられていいものだと、スザクは呼び出されるのを
ずっと待っていたのだ。ようやく自分に仕事が任される、カレンへ報えることが出来る、そう思って。

『お待たせ致しました。藤堂先生』
『急がせてしまったかな』
『いえ。丁度休憩しよう、と朝比奈さんが言ってたところだったので』

でお話とは、……と期待に輝かせた瞳で藤堂を見上げる。
彼は一度瞑目した後、静かに胸ポケットからあるものを取り出し、スザクの翡翠へと翳した。

(これは)

カレンも自分も藤堂の弟子だって所持することは許されていない、地上へと続く道しるべ。
それは一枚のカードの形をしていた。訓練の最中で、地下組織から地上の租界へと続く道は網のように入り組んでいて
けれど幹部からの許しが出れば、迷うことなくその道を容易に抜け出し外の光を自由に浴びることが出来るという、代物。

ある意味それを手にしているということは日本解放戦線での幹部であるということの証。


『先生、……』
『君ももう十八になるな』
『はい』
『紅月くんにも言ってあることだが、君にこのカードを渡そうと思う』
もう桐原の許可や藤堂への説明がなくても、組織と租界を行き来出来るということか。

スザクは無表情で目の前にあるカードを見つめながら、背筋にはひんやりと汗をかいていた。緊張する。少しでも自由になるということは。
どこかでまだ縛られているということを認識していたいということなのかもしれない。
(でも何でだ……?)
任務を請け負うことをどこかで、何故か予感していた。
まさか、いやもしかしたら、このカードはその為に必要なものなのか。そうであるならば自分は
-------------ようやく。
(ブリタニアを……)



「スザク?」

名前は、呼ばないようにしよう、と今朝学生寮で誓ったはずのカレンの口からその名前が飛び出てくる。
ぼんやりと真昼の廊下で突っ立った自分は、横をすり抜ける学生にも不審に思われていた。
別に自分の中途半端な変装に対してではない。じっと掌を凝視する女子生徒に対してのものであった。
「もしかして学校に緊張してるの?さっきから立ち止まったり手見たりしておかしいわよ、貴方」
「ごめん。あー……でもその、緊張してるわけじゃないんだ。ただなんとなく、落ち着かない感じ」
「落ち着かないって、格好に?」
「……ま、まあ」



『どうして僕が女の子の格好をしなくちゃいけないんですか?』



既に成人しかかろうという男であるはずなのに、藤堂は内偵へ行く要件としてまず、”女子生徒に扮するんだ”と告げた。
『いいか。ブリタニア人が九割を占める学園では、君は圧倒的に動きづらく、不利となるだろう。故にサポート役として
紅月くんをつける。彼女はシュタットフェルトの名義で、既に在籍済みの三年生だ。彼女と同姓であれば
色々打ち合わせなどもしやすいだろう。それに、影からサポートもしやすい』
『最初から女であるほうが動きづらいですよ。どうして男じゃ駄目なんですか?男のままなら、決して任務中カレンに迷惑は
かけません。無事に遂行してみせます。だから』
『-------------しかしもう入学手続きはとってしまった』
先ほど示されたカードとともに、緑色の封筒に入れられた入学完了届というものを見せられる。うわ手が早い、とスザクは
目を剥いた。
『名前も、違う……』
『そうだ。君はセザルという女子として、学園に潜伏する』
『……枢木スザクじゃ駄目ということですね』
『ああ。だって君はゲンブ首相の消息を掴む為に、そこへ向うのだから』

”枢木”という名前は強すぎる。スザクという自己は捨てざるをえないのだ。
そう藤堂の鋭くなった視線が語っていた。

『一年前、ブリタニア本国で第二皇子シュナイゼルが死んだ』
『はい。一人の反逆者が仕留めたのだと』
解放戦線の中では英雄視されている、無名の騎士。
スザクはその時藤堂のもとには居なかったから、深くは知らない。今はエリア11内でも必死に体制を立て直そうと
たった一人の総督が世界中を動き回っているらしい。
ブリタニアは本来、国の数ほど子息たちが居る。しかし、内紛や他国でのテロなどで近年まれに見る死亡数が
ブリタニア国民を震撼させた。
その隙を突いて籐堂たちは黒の騎士団を引き継ぐように”日本解放戦線”として前線に出て来た。黒の騎士団とは
スザクが俗世より離れている時期、エリア11を中心にテロ活動を行って、租界とゲットーを仕切る壁を壊したある一団のことを
指す。
今度は自分がその場に立つのだ。
立って、幼い頃奪われたものを奪い返す。ブリタニアは今となっても憎いだけの欲を吸い取る他国。
(シュナイゼルは、つまり、そのブリタニアを世界における大国まで成長させた、暴君だ)
彼が死んだだけで、自分たちを重く組み敷くほど強大だった国が、すぐにバランスを崩して元の形を保てなくなってしまうほど
重要な柱であった王の存在。
シュナイゼルの後を継ぐのはコーネリアだと言われているが、まだその席は無人のままだ。そう、ブリタニアは一年経った今でも
バランスを保てないまま不安定なのである。

そして籐堂が継げる自分へ託すという任務。
アッシュフォードに居るはずの、一年前突然行方不明となったはずの皇女を、生け捕りにしてこいというものらしい。
(行方不明……?)


『死んだとか、そういうのじゃないのですか』
『生存は確認されている。しかし、第三者によってその戸籍を抹消され、今は別名で隠匿されるように
学園で生きている』
『そこまで……。一体誰が調べたのですか』
あと一歩、というとこまで行ってるじゃないか、という意味を込めて告げる。『いや』とすぐに首は振られた。
『現在はどんな姿で生きているのかこちらは知らないんだ』
『……”生きている”ってことは掴んでいるのに?じゃあ僕がすることは』




『まず、その皇女を見つけることだ』








地下の奥底で、日の光からは大分遠ざかった場所で、スザクは咽喉下にナイフを突きつけられたような
そんな錯覚に襲われた。
この感覚、どこかで知ってる。
あと少しでそれが、何処でどんな風に味わったものなのかを思い出せるはずなのに、最後まで辿り着けず、
引き戻されるようにいつも目が醒めてしまう。

今はこんな曖昧なままでも進むしかないのだろうか。

だって居なくなってしまった父の存在、それを握っているというのがその皇女であるならば
自分は彼女を見つけるしか他はない。

掌がしっとりと汗を滲ませていた。まるで何かから振り切るようにそれをズボンに擦り付けた。

















































スカートだなんて、本当に落ち着かない。
例えば『どうすりゃいいんだ』ってのが、トイレの時。僕は変態じゃないんだから普通に女の子として
女の子しか入らないような場所には居られない。カレンに、頼むから誰も寄り付かない時間を選ぶから
せめて用をたす時くらいは男子のほうに行かせてくれ、と言った。けれど、『好都合じゃない』と逆に
女子トイレへと引き戻される。

「どうして!」
「女同士にしか見えないんだから、普通に個室に入って打ち合わせとか出来るんじゃない」
意外に声通りづらいのよ、と説明なんてされる。そんなこと知ったってなんの得にもならないし、そもそも打ち合わせがあるなら
寮の自分の部屋ですればいいのだ。どうして男の僕がこんな場所に自分から入らなくてはいけない。

困ったのは服装だけでなく、女らしさを解らせる為に必要な”適度に高音な”音程の声だった。
声帯を自由に絞れることが出来ればいいのだろうが、そこまで訓練されてるわけじゃない。知らず話しかけられても
不器用な低音のぼそぼそとして喋り声になってしまう。
しかし、外見が、茶色のくるくるのパーマをエクステンションとして髪につけているからか
見た目ハデでいて性格は内気、……と周りは思ってくれたようで、あまり喜べたことじゃないだろうが内心ではホッとした。

化粧も、派手にではないが一応している。
日本人離れしている翡翠も、余計な面倒になっても困るから、と、濃い茶色のものへ変えた。コンタクトというのは手入れが
面倒だが、人相を変える上では丁度いい。スザクはちょっと身長高めで口数の少ないその辺に居ても何らおかしくはない
学園の女子生徒に成り代わっていた。

(さびしくない、かなしくなんてない……さっさと皇女を見つければいいんだ。
行方不明、とブリタニア側は発表しているその女の身元を)

簡単に見つかるわけなんてないが、『この学園にいる』と籐堂が示したのだ。焦ることもなくのんびりと構えて
捜索すればいいだろう。

まずは自由に動けるように、この学園に慣れることが先決だった。カレンの案内なく校内を回れて
何百人という学生に埋もれる皇女を見つけられるように。--------------まずは歩いて知らなくては。















ふと、訪れた場所に、展望台に続く階段があった。
螺旋のように天上へ渦を巻いていて、ぼんやりと扉を開けたままスザクは、そこを眺める。
空は曇っているようで回りは薄暗かった。けれど誘うように花弁が降ってきてヒラリと頬を掠めた時
トン……と軽く背を押されるように、階段へと足を踏み出していた。


(僕には、明確な思い出がない)


アルバムは消失してしまった、と、桐原の人間に言われた。そうか、と静かに受け止められるように
自分も過去に固執しない。不思議と曖昧なままのカレンとの交わりも、籐堂への敬愛の念も、”今があればいい”という考えだけで
特に不審もなく『そうなんだ』と感じていた。思い出なんて形に残すほど、いい生を送ってきたわけではないだろうと思うから
全く”今”が不自然というわけではない。
スザクは満足していた。
空っぽだとどこかで認識する自分がいても、
それに背を向けることが出来るくらいには。-------------でも、



(僕はこの一歩を後悔することになる)


足が、ようやっと屋上の庭園へ到達した瞬間、
長い煙突のように起立する時計台の真下に、寄りかかるようにして背を預けて
ゆるく目を伏せる少女を見つけた、スザクは。

「…………っ」



一面に咲く花なんて見ることもなく、釘付けになった。

そこには自分の空白を埋める人間が居た。

いつも無意識に、どうしても視線で追ってしまう黒髪の女性。その訳がようやく解った。
彼女が屋上に居る自分以外の気配に目を開いた時。

紫電と翡翠が合って、呼吸が潰れた。











また道が交わったのである。