「うわぁ〜〜、かーわいいー!これこれっ、この猫ちゃん知ってる。耳がぺたってねちゃってるのが特徴的な
スコティッシュフォールドでしょう」


薬品臭が常に漂っている収蔵室の通路に、珍しいトーンの声が響き渡った。

金髪にウェーブな髪形をした女性が、灰色のスーツの襟を伸ばしてルルーシュの上司の手にある携帯をさしている。
上司は、その彼女からの言葉に『そうよ』と穏やかに相槌したあと、画面を切り替えて、
一人暮らしだから、と自宅の部屋にとりつけてある定点カメラから送信される数時間ごとのペットの映像を
見せてやった。

「うわぁ、お水ぺろぺろしてるぅ〜。可愛いなあ。先生、意外ですね。ペットは飼われてるって訊いてたけど
まさか猫ちゃんだったなんて!」
「お店で見た時ひと目ぼれしちゃってね。作品でも滅多なことじゃなければそんなことしないのに、飼うって決めた時は
もう我を忘れて、自分でも信じられない乙女な有頂天っぷりだったわ。まあ後悔してないけどね」
「うふふ、そうですよね。……それで待受けにもされてるんですね。この写真も可愛いなあ。あ、それで名前はなんていうんです?」
「ルル」


がしゃーん。


手にしていた額縁がするっと手袋からすり抜けて床へと落ちてしまった。
こんな失態、なんてことだ、と赤面した顔でわなわなと振り返ったら、上司はそんなルルーシュに苦笑しながら
『でもね、飼い始めたのはあなたと会う前だったわよ』と一応、一言そう断った。





(でもいいなあ、ペットかあ)



家でも一匹(ネコ科ではない哺乳類だが)を育てているようなものだが、
上司みたいに休憩時間の合間に定点カメラのような便利な機能を使って、様子を逐一観察してみるのも楽しそうだ。
別にスザクに対してもそうしたいとは思わないが、……そんな、携帯を手にしながら笑って自分のペットを紹介できるような、
そんな上司と同僚の気安い姿を目にしてしまって、少し、いやかなり僅かなものだが、羨ましいとルルーシュは感じてしまった。

不意に顔をあげた同僚が、白衣の裾を返してまたデスクに戻ったルルーシュに視線を向ける。
何か予感を感じて『え?』と顔を元に戻したら、いきなり、自分の携帯を差し出してこられた。


「ねえ、ランペルージはさ、動物とかって結構好きだよね?枢木スザクの展覧会の時動物コーナーのキャプションだけ
こっそり自分の書いたやつに差し替えてたじゃん!」
「まあ」
「わっ、こら、ばらすな!」
「実はねぇ、持ってるんだよねー、貴方が好きそうな動物写真。待受けにもしてるんだぁ。だからさ、それ見せるかわりに
貴方のもどんなのに設定してるのか見せてよ!」


昔から押しの強い女性ばかり相手して、そして、翻弄されてきた気がする。
……何でだよ、ばかやろう、と抵抗しようとしたところで、こういうタイプの女性相手には歯向かう余地なんて全くないんだろう。
はー、くそ、もう、どうにでもなってしまえ。


恋人にすら見せたことのない携帯電話の待ち受け画面。
そのフラップを開けた状態で、ルルーシュはトコトコと近づいていた同僚の手元に
そっと差し出すように一瞬だけかざしてみせた。



「……」
「……」


なに、いまの?と大きく開いた瞳が訊いている。
だけどただフルフルと首を振ってルルーシュは今度こそ、体の向きを変えて作業に戻った。

ルルーシュの上司が急に静かになった同僚に『何が設定されてあったの』と訊いた。だが同僚はぽかんとした顔はそのままで
中々二の句が告げずに、背中を向けたルルーシュからも視線が離せない。
その様子に先ほどまでは愛猫の話題で頬を綻ばせていた上司は急に神妙な顔になって、
更に、固まったままのその同僚の肩に手を添えて、ゆすってみた。

「す、すいません……」
「どうしたの?何が写ってたの?」
「あ、はい、その、まあ、普通の写真だったんですけど……」


なら別にそこまで驚くことないじゃないか、と笑ってみた。
だが次に続いた言葉に、自分の配置に戻ろうと動いた足が止まった。


「座敷牢みたいな、赤い線がいっぱいの……なんて言うんだろう、あれ。
障子に何かが沢山書かれてた」
「障子?」
「はい。今じゃキョウトにでも行かないかぎり拝めないような……。
ランペルージって、ブリタニア人だけど、キョウトに行ったことあるのかな?」


仕事を再開させたルルーシュは無言でパソコンのキーボードを叩き、
そっと零される上司と同僚の呟きを、ただ背中で受け止めていた。
















先生、0から教えて


















「……これって」
ソメイが手にしたスザクの携帯の画面には、黒い髪をした青年が、とても楽しそうに
栗色の髪した少女に身を寄せたツーショット。
すぐさまスザクは彼女から携帯をとりあげて、ぱしん、とそのフラップを閉じた。
「これが答えだ」
「おともだち、なんですか」
「いや、恋人……と、その妹」
「え?」
正確にはシュナイゼルの戸籍に入る形でルルーシュとスザクは養子縁組をしているのだが。
同性婚がまだ認められてない日本では、自分らにひけめはないにしても、説明するのには
時間がかかる問題ではある。
だが、しかし。
どんどんエスカレートするソメイの追及にいちいち遠慮していては区切りがつかない。
そんなに短気な気性でもないのだが……スザクは空となった蕎麦へごちそうさまをして、
ルルーシュの妹とは脱色して似てもにつかないウェーブをした髪をもつ自称ストーカーへ
その翡翠をすっと細めて言った。
「無駄だよ。僕の中に居場所を見つけようとするのは」
「……」
「見てのとおり相手は男だ。それもとっても美人の。まあ顔で選んだわけではないけどね」
好みのタイプではあるが、ずず、と水を啜ってもう一発。
「ああ、ちなみにプラトニックな関係とかじゃないから。さっきも言ったように同居してて
付き合いは今年で9年目になる。それで、毎日僕が食べてるお弁当も彼が作ってくれてるものだ」
「じゃあ、講堂の前でキスしてた女の人は」
「あの人は以前勤務していた大学で僕の助手をしてくれていた女性だ」
スザクは自分の携帯を取り出して写真を映し出したそれを腕を伸ばしてとりあげ、
唖然とするその目の前でピッとその写真を消した。
「それにキスじゃない。たまたま目に入ったゴミをとろうとして、顔の角度でそう見えてしまっただけ」
「うそです!」
「いい加減にしろ」
荒い語気で返す言葉は、意味合いは本気だがほとんど演技だった。
立ち上がったスザクはソメイの携帯をテーブルに置いて、
会計のレシートだけもってレジへ歩く。
それにガタッと音立ててたちあがったソメイの、まるで置き去りにされたペットのような追い縋る視線を
振り切るように、無言でその店から出ていった。




































(ああ、やっちゃった……)
後のち面倒なことになる。
だが、あれくらいは必要なことだった。


本当だったら自分以外、ましてやルルーシュやカレンに対しても
見せていい口にしていい話題じゃなかった。
だが、ことさら干渉を嫌う性分である。
見た目では温和そうに見えるかもしれないが、実は、他人をはじめから拒絶する癖は
ルルーシュと籍を同じくした後でさえも、変わることはなくて。
そして自らの不甲斐なさを呪った。カレンが自分に二度目のキスをしてきたことは
別に責めるつもりはない。
しかしその現場を全く関係ない他人に見られたことは、本当に自分の落ち度といっていい他はなく。
(あの女の子がカレンさんに因縁つけるとか、……そんなことあったらどうすりゃいいんだ)
ルルーシュがまず怒るだろう。彼にとって自分の次くらいに大事な人であるのだから。
そうだ。そこが一番カレンに対してスザクが曖昧にしてしまってる要因だ。
(……)


もっと、自分に厳しくしろってことなのかな。


途方もなく蒼い昼下がりの空を見上げて、ふう、と息をついた後、
スザクは踵を返して、朝まで自分が着ていたシャツをいれてある、駅前のロッカーを目指した。















































「なあ、携帯の待受けって何にしてる?」



なにをいきなり、……蒼い瞳をきょとんとまるくしたカレンが
学芸員用の白衣に袖まくりした出で立ちのルルーシュへ『藪から棒に』と眉をひそめた。
「何かスタッフの間で話題になったんだ。これを見せたら上司と同僚が固まってた」
どれどれ、とルルーシュの銀色の携帯を手に取って見てみる。
それに、はあ……と溜息をついた。
「こんなの、枢木さんを知ってる人間じゃないとわかんないものじゃない。
ある種ホラーよ、ホラー」
「そうか?……まあ、スザクには見せたことがないけど」
それに知りようもないことだし。
突然職場へやってきたカレンを無碍に追い返すこともせず、
美術館の受付前にあるロビーへカレンを促す。
ルルーシュが座った隣へ座った彼女は、手にした携帯を持ち主へ返した。
「まあ、なんか、律儀よねルルーシュも。枢木さんの、-------いまは遺物となったご実家の景色なんて
写真にして持ち歩いて」
「律儀とかじゃない。もとはといえばブリタニアがスザクのお父さんを殺したようなものだし」
「……」
「忘れないためにあるんだ。これは。だから多分、あいつももし携帯の待受けに設定してるものがあるなら
ナナリーとか藤堂先生の写真じゃないか」
それはどうかしらね……そもそもあの人が、人物を手元でずっと持ち歩くものに設定したりするだろうか。
「お前はどうなんだ。待受け」
「へっ!?いきなり?」
「俺も見せたんだ。教えてくれ」
「え〜……」
いやよ、そんなの。
また何を言われるかわかったもんじゃないし。
突然押しかけてきたのはカレンのほうなのに、すっくとソファーから立ち上がって
わざとらしく腕時計を見るフリをしながら、何かにせかされる間満載で
ルルーシュの傍から立ち去ろうとする。が。
「何だよ。何か俺に用だったんじゃないか?」
(う)
ほんとに勘がいいこいつは……。
因縁ともいっていい付き合いの年月の深さを恨めしく思う。
「この間の新聞屋の件といい、なんかあるんじゃないか?最近変だぞ、お前」
「そ、そう……?」




「ああ。すっごく」





ぐさあああっと背中にささったのを感じた。
ナイフのように鋭く鋼のように真っ直ぐな材質の。
言葉という刃が。



(ま、まさか就職の相談じゃなく、結婚に関する意見を聞きにきたなんて)



仕事がないなら、家に帰れ。


義兄ガタイクの言葉が脳裏によみがえる。
しかも相手は一度破談になった枢木スザクとの。



(言おう、……何か助言をもらおう、とそう思って来たのに)


なんでよりにもよって、相手から先に言われたからって、そこで怯んでしまう臆病ものなんだろう。



(わたしは)



キスをしたからってスザクと一緒になりたいなんて、そんな望み微塵もあるわけがない。
多分そのことはルルーシュは知ってる。彼のことでこの紫電が見落とすものなんて何もないのだから。
二人が出会ってから今日まで。ほんとに、なにも。


その関係性を知ってしまってるんだから、
カレンからは何も言えなかった。


ただその眼差しが優しいから。
あの枢木スザクさえも包みこんでしまうくら、優しいから。
だから----------。










「私、ルルーシュのそういう所、すき」













は?紫電が目を見張った気配。だが振り切るように次の言葉を切りだしたのは
カレンが先だった。
「あんたの傍居心地よかった。……ありがとう、この間も、私を泣かせてくれて」
「なんだ。いきなり」
「いきなりじゃないわよ。私がお節介やくのは、あんたが優しくしてくれるからで……」
夏の日差しにひからびて居場所を失うような状態になってる時に、
よんでもいないのに霧雨のように降り注ぐ、形容したらそんな雨のような優しさ。

(そう、だから)




これは罰よ。



紅月カレンでいたい我が儘が生んだ天命のようなものなんだから。



(だから、私)















「家に、帰ろうと思うの」
「……突然、なんじゃないか?」
「ええ」
「スザクは知ってるのか」
「ルルーシュにしか言わない」



背中ごしに伝わる緊張感。
手の震えさえわかるんじゃないかという距離感のなかに、びりびりと迫って来るそれが
カレンに急げ急げと訴えてもくるような。
恐怖に近い何か。
だが口に出さないと実行しない。
何も言わずにオランダへと旅立ったあの人のように強くないから。






歩き出したカレンをルルーシュは追わなかった。


だが気づいていた。
赤い髪のその姿を、自分たちから離れたところで監視している気配を。










































『せんせぇ』



昔。
まだ枢木スザクが助教授だったころ。
助手であるカレンが、後輩の院生の制作を手伝っていた時だ。彼女と一緒に腰をおろして
石膏の粉を運んでいて。スザクが小柄な彼女がやりやすいように、ビニールシートの端を持ち上げながら
その院生の言葉に、なに?と首を傾げる。

『せんせぇは、どうしてカレンさんを助手にしたの?』
コーラを口に含んでいたものだから、
院生の突然の質問にぶはぁっと勢いよく吹いてしまった。
それを目にとめながら無言でそのへんに転がってたタオルを渡すだけにして
う〜んと一瞬考え込む。
しかしあまり間をあけることなく、スザクは院生をまっすぐに見ながら答えた。
『優しいから』
『へ?』
『史学科の院生さんみたいに、また散らかして!とか言ってこないのに、
僕が欲しいもの僕以上に知ってて、正直助かってるから』
『そうかぁ。正に助手のカガミですね!』
でしょ〜とのほほんと笑うスザク。
タオルで口元を覆う手はそのままに、ふいに、赤面した顔を隠すだけでその時カレンは精一杯だった。

『まあ、それは冗談として』


一息ついて、石膏がぶじ作られたバケツをよいしょ、と抱えた緑のツナギが、
カレンの横を通り過ぎ、院生の作品の近くに移動する。
それをカレンは視線だけでおいながら、午後の陽ざしにかげり、逆光となったスザクのシルエットが
ふいに紡いだ呟きを、……一生憶えておこう。そう、思った。

(それくらい、……)




(貴方は、私を)










『僕と似てるからかな』









満たす。