本当の恋なんて、確実にこうだという風に断言したことなんて一度もないが、
けれどこんな私にだって異性≠ニ付き合った経験なら一度くらいはあった。

しかし最初に言い添えておくがその男に対して好意的な感情はもう一ミリも残ってない。
でも、飲み会での席だったり、ゼミでの発表のあとのコンパだったりで『話して話して』と
自分と彼の共通の知人に迫られたりしたら、一言や二言ならば、まあ話してやらなくもない、なんて
口にしたりすることはあるかもしれなかった。


カレン=紅月=シュタットフェルト。
それが私の名前だ。
父はブリタニア人、母はその父の生家で働いていた召使の純日本人。
そして、話題にあがっているその異性≠ニいうのは……今もまだ付き合いがあるぶん、
何だか文章的に形容するのは恥ずかしいから、今は語らずにおいておく。



そんな私は今、飛行機と高速バスとフェリーを乗り継いで、とある田舎の無人駅で、ある人と待ち合わせをしていた。


「うっわ〜……さむいね、やっぱ日本海側は。ナガノ生活で大分山の寒さには耐性がついてたはずなんだけど
やっぱり海となると違うんだね。そうだ、カレンさんはちゃんとお腹と背中にホッカイロ、つけてきた?」

振り返る。
三時間に一本しか路線の通っていない時刻表を愕然と見ていたカレンの後ろには、
『待ち合わせは現地で』と、昨日の日付ギリギリにメールを送ってきたその人が
口に両手をあててはあーと白い息を吐きかけていた。

「こんばんは、……枢木さん。その、いま何時だと思ってますか」
「夜の十時。で、カレンさん。ちゃんとカイロ持ってきた?」

自分のした質問に答えなかったのが気に入らなかったのか、まるで自分も反抗するかのようにアッサリとした返答をした
翡翠が、不服げに眉を顰めてずんずんと近づいてきた。


「……何ですか。ちゃんと時間通りに来てさしあげたじゃないですか。三十分も遅刻してきたのはそっちなくせに」
「だから心配してるんじゃない。待たせたぶんのお詫びにさ。わかる?いまの温度。氷点下十度だよ十度。
果物が凍ってておかしくない温度だ。だから……カイロでもつけてなけりゃさ、山にも入れない気温ってわけで」
「は?」





山に入るんですか?




人口がどれだけいるかわからない田舎町に来るよう呼び出され、到着して一番に言われた一言に信じられない気持を抱く。
『なに?伝えてなかったっけ』としれっとした顔つきで言うから余計に腹立たしさがこみあげてきた。



「そうだよ。こういう人里離れたところの山林に誰が好き好んで来るのさ。
この辺の浅い沢のほうにしか自生しない造形用の土を、二人でえっせらほっせら採取して、大学に持ってくのが
目的に決まってるじゃない」


カレンさん頼りにしてる、その為に交通費全額もってこっちまで来てもらったんだから。


なんてどんな心理状態で言えるのか。けれど目の前にいる元・助教授であり元・上司は嬉しそうに爛々と目を輝かせて
人が寝静まってていい時間帯であるのに『今から行こう』とでもいう勢いで、呆気にとられている自分の手を引いて、
街灯も数メートルおきにしか灯ってない夜道を歩きだした。











瞬 き 禁 止 









突然きたそのおねがい≠ヘカレンの下宿のパソコンに直通でくるプライベート専用のアドレスで送られてきた。






From:S.Kururugi
Subject:突然でわるいんですが
Messege;
    明日早朝発の金沢行きの列車に乗って、都心からちょっと行ったとこにある山麓の
    土壌散策に付き合ってほしいんですが、都合はつきますか?
    切符はルルーシュがそちらに行く用事があるということなので勝手に用意したものを託しました。
    どうして金沢に行くのかは彼には内緒です。何か訊かれても答えないであげてください。
    よろしく。








「……???」

就活用の履歴書を用意していた徹夜明けのカレンの目に飛び込んできた意外な人物からの突然の頼み。
『ちょっと待ってよ、電車が出るまでもう24時間もないじゃない』と、鞄から手帳を取り出して
企業の面接やら公務員の試験日などの都合を確認しようと立ち上がったその時、ふと感じた違和感に立ち止る。
----------おいおい、と。
何でもう作家と助手の関係でもなくなった人の言うことをきこうなんてすぐ思ったんだろうと
我に返る。
ポスン、と、座卓の前にあった座布団に座りなおした。

が、そんなカレンをすぐまた慌ただしくさせたのは、メールにも名前を連ねていた
最近カレンが特に会いたくない人物。

呼び鈴も鳴らさずにズカズカとあがりこんできた長身に身構える暇もなく、猫のように
を掴まれ、畳から無理やり立ち上がらせられる。
今年の春から地元の県立美術館で働きだした元同級生でもあり、いまパソコンにメールがきたその人物の
同居相手でもあるルルーシュ・ランペルージが、女以下の扱い方で、カレンにスザクから託されたという切符を突きつけてきた。
「……」
ぺちぺちと。左の頬に冷たい紙の感触がする。
(……)
言葉にも胸にも刃に似た暗い何かが湧きあがる。
こいつの妹以外に対する女性へのマナーの無さはどうにかならないのか-----------。
「不法侵入者。ノックくらいしろ」
「ロックもしてなかったぞ。そんなこと期待してもなかったんじゃないか」
「ちょっとはしたわ。ていうか、少しは気を使ってくれる?私は今徹夜で履歴書書いてて
これからお風呂に入って十数時間は寝たいと思ってるの。くったくたに疲れてるわ。更に、枢木さんの頼みだろうが大学からのお願いだろうが
今年一杯は自分の時間は自分のためだけに使おうと思ってる。そのへん理解して下さる?」
「知らんな。あいつは言い出したら聞きゃしないから」
「……あんたの旦那でしょう。ナントカ言って言い聞かせなさいよ」
「お前を頼りにしてるんだから暇な時間くらい付き合ってやれよ」
ドスをきかせた顔をして睨みつけたら、もっと低くドスをきかせた顔で迫り寄ってきた。
こいつや、……あの人には、プー太郎にはプー太郎なりの水面下での頑張り期間があって
それに対する気遣いとかはないんだろうか、と一瞬不安になった。だがルルーシュの言葉は真実なようで、カレンに異を言わせない
強さで、ぺちぺちと頬に当てた切符を今度は胸に押しつけてくる。

首根っこを掴んで立ち上がらせたり、あと数センチで触れそうなほど近くに寄ってきたりと
こいつはほんとに私のことを女として見てないんだな、と思いながら、
見つめてくる視線の鋭さに、もう後ろにはスザクの要求から逃げ切れるようなスペースもないんだと思い知った。

「……わかった、わよ」
「ああ」
「行けば、いいんでしょ」
「そうだ。それが聞きたかった。じゃあスザクには俺から言っておくから、
すぐに準備して電車で向かってやれよ。流石に金沢なんて真冬の時期に一人で歩くなんてできないから。
心理的に」

いくらスザクでも、とルルーシュは言い置いて、ぺたん、とまた地面に足をおろしたその膝にチケットを落として
高らかに笑いながら去っていった。

壁にかけられたカーテンレールの隙間からは健康的な朝日が覗いている。
今から徹夜をして書いた履歴書を郵便局に持っていってその足で国鉄に乗り込む-------女として
服装の準備にかける時間は一時間もないと一睡してない頭で逆算しながら、どこか諦めのような感情にうん、と一人で頷いた。
(まあいいや。どうせ枢木さんなんだし)
突然舞い降りた二人っきりでの遠出の予定。
楽しみか?と訊かれれば、そりゃやぶさかでもない、と答えるだろう。
でもそれが今から着替える服装にも表れるかどうかとは別だ。


そう思って、カーキ色のジャケットにユニクロで買ったロングコート、そして長靴のようにも見える
数年前友達に譲ってもらったブーツを履いて、ブラリブラリと新幹線と地下鉄を乗り継いで金沢を目指し、
辿りついたその先で本当にこんな格好でよかったんだ、と思い知った。それが先ほどの駅でのこと。
本当にこんな格好でよかったのだ。


あの、若くして助教授として某大学に君臨してた頃はそれはそれは男女ともにモテまくったその人自身も、
自分と全く同じような格好に----------柄の長いスコップを持って、待ち合わせの場所に来ていたのだから。













(よく不審者に思われなかったわね……)



外見的には百八十は超す長身の男に見られるだろう。肩幅もがっしりしてるし、スポーツマンタイプの青年と言った感じで、
もともと芸術系を選んでなければすぐに芸能界からスカウトがきていそうなルックスだった。
まあ、彼の同居人であるルルーシュもビジュアルは抜きんでていいがが、その良さと比べるとスザクのそれは
愛嬌≠ノ比重が傾いてる良さだと思った。
どのようにしてそう思うのかというと、先ほどのようにカレンに向けて喋ってたように誰かと喋っていれば
それなりに可愛くもカッコよくも見える良さ、だ。それが無言になったり誰とも喋らないムードになると、顔つきが全く違ってくる。
もしも彼が常にニコニコと喋っていられる性格だったなら友達の数もきっと今と比べて倍以上あっただろうが、
残念なことにこの枢木スザクという男は、顔の造作や体のスタイルは誰よりも恵まれているのに、
オンとオフの切り替えが人によって実に激しく変わる偏屈≠ネところがあったのだ。
それが彼を人から遠ざけてる要因だった。
だがそれこそが枢木スザクだ、と思っているのも、また事実だ。

……話は大きく脱線したが、現状を説明すると先に呟いたことの通り、いま、目の前にいる彼の姿は
街灯のない住宅地に歩いていたらすぐに警察にでも通報されそうな装備をしていた。
何で夜行列車とフェリーを乗り継いでしか来れないところに、柄の長いスコップを持って(自分の分もわざわざ)
やって来れるのよ、と行く先をとめて問いただしたくなったが、何かに対して集中し乗り気になってる枢木スザクを
そう易々と止めてはいけない、と長くはないがしかし短くはない付き合いの中から生まれた勘のようなものが、
そうすることを必死に塞き止めていた。

まあ、別に、いいのだけれど。

元々彼と違って大学を卒業してからは定職についていなかったのだから。
院を出てからは特にすることもしたいこともなく、実家の母方の祖父の工房で籠りっぱなしであった。
就職活動以外に何か気分転換でもしたい、とどこかで逃げ道になるようなことを考えて、探していたのも事実だった。

それがひょんな切っ掛けで、叶っている。
それも暫く会っていなかった相手で、それもずっと会いたいと思っていた相手だった。
例え自分の腕力をあてにされただけだとしても、突然の誘いも、徹夜明けにいきなりきたメールも嬉しかった。
『先生から返信きたことなんて一度もありませんよ』と昔彼のゼミに入っていた女の子から聞いてたからこそ
余計に。

(……だから、いいんだ)

ずしずし、と足音を立てて進んでいく雪道の中、目の前を進んでいく背中は輝いて見えたから。
胸の奥に溜まった思いの名残の分だけ、まだその背中を目指していようと思った。正に、就活中の息抜きだ。
こころの底からの息抜きだ。

















「……さて」
「じゃないわっ!」



何て事してるんですか弁明してくださいよ、と、二人でがっさごっそと湿った土を掘りながら
『何かがおかしい』『なんで死体遺棄にも見間違えんばかりの作業をしなくちゃいけないのよそれも深夜に』
『ちょっと尋常じゃないわ』-----------と思い、ようやくそう口にしようと、冬なのに顎に汗が伝う顔をあげたその時。
理由も目的も説明しようとしなかった枢木スザクから諦めのような終止符を打つ声が落ちた。


「10kgは溜まったんじゃないかな……現地の人に見つかる前に、今度は山裾のほうへ移ろう」
「山裾のほうへ移ろう、……って、携帯のGPSの地図見たら、むっちゃ私たちが今いるここも不可侵区域じゃないですかっ!
ここって普通だったら市役所の人とか行政の人とかに許可貰わないと入れないとこじゃないんですかっ!?
それを場所をかえてもっと先にまでって……何時までこんなことやるおつもりですか!」
「明け方より少し前にしようかな、とか。なるべく逃げるのも暗いうちがいいでしょ。それに山に住む人間は武器は最期まで使わずに、
火のみを使って狩りもやってるみたいだから。さすがに火持ってこられたら太刀打ちできないじゃない」
と言って、ザクザク掘っていたスコップを持上げる。
「そこまで徹底したリサーチをやってらっしゃるんなら、もっと安全に土を採取する方法をとりましょうよ!!」

枢木スザクは見た目ばかりじゃない。彼特有のモラルの無さも、助教授時代から健在だった。


何か山林の奥のほうで声が聞こえる。何を喋っているのかは聞きとれないが、確実に判断できることは一つだけ。
それは、今スザクが予想した通りのことだった。
そう、……こちらを目指して段々大きくなってくる足音からも推察できること。
確かにスザクの言う通り、逃げるにしてもこのまま作業を続けるにしても、場所を変えるのは必要だと思った。
加えて、このマイナス10度越えの寒さである。じっと同じところにいて動かなかったからか、膝関節から下が
寒さにかじかんで動きが鈍い。上半身はスザクから貸与されたホッカイロのおかげもあって暖かいのだが。

「カレンさん」

声を小さくして『とにかく行こう』と言われ、手にしていたスコップをとりあげられる。
そして彼は逆の手でゴミ袋に入れた10kgの土も持っていこうと----------……。

「ま、待ってください!」

肩を弱くしている人がなんて大荷物で山を歩こうとしているのだ。


多分一応女だからと気を使ってくれているのだろうが、そんなこと、こちらは全然期待してない。
むしろこんな重たいものを一人で運ばせたと彼の同居人にバレたりした日には一体どうなることやら。
「私が持ちますよ、土くらいっ。だから枢木さん、離してくだ……っ」
「あ、やばいかも」
見上げた先、ざわざわとする風の揺れる山林の奥から、自分たちが最初に訊いた足音とは全く別質の音が
聞こえ始めた。
やばい、もしかしたら村人に包囲されているかもしれない-----------。
カレンは咄嗟にスザクに掴まれた手を離し、彼が引き取った自分のぶんのスコップを握りとった。
そしてそれを背中あわせに構える。
「カレンさん?」
「しっ。……都会育ちの私でも知ってます。田舎者っていうのはやたら不可侵区域をひろく持っていて
自分たちの領域に入り込んできたものに容赦がないって。つまり、都会みたいに警備会社を雇えないかわりに
自分たちで自衛するしかないってことですね。それよく解ります。だから、それに対応する手段っていったら
もうコレしかないと思うんです……」
不可侵区域が、とか。
あれ、とかコレとか。
やたらと直接的な表現に触れずにただぶっきらぼうにスコップを青眼に構えるカレンをスザクはどう思ったかは知らないが、
ニヤ、と一瞬笑った気がした。
「そっか。見つかる前にこっちから仕掛けてヤれってことだね」
物分かりが非常にいい。
雑木林のなか、そんな人物と、背中あわせに立って居ることが誇らしく思えた。
「枢木さんは私がひきつけてる間に、粘土はおいて、来た道を引き返して逃げてください」
「……」
「あなたは、私が守りますから」
「なんで」
「だってルルーシュが居ないんだもの。ルルーシュが居ない時にあなたが危険な目に遭ったら
守るのは私でしょう?そういう風に昔、あいつと決めたんだから」
「何それ」
鼻で笑われたような声が聞こえた。
「そもそもカレンさん女の子なのにスコップ両手に持って、ちょっとおかしいよ。
紅月のお祖父さまが見たら悲しんじゃうよ」
「もともと女として扱われてませんから!……っていうか、今更。さん&tけで呼ぶのだって枢木さんくらいしか
居ないですもの。きっとルルーシュだってシャーリーだってカルデモンドくんだって、私のこと女なんて微塵も-------」


「それはどうだろうね」



ふわ……と蛍のような光が、鼻の先を掠めたような気がした。
気づけば耳で拝聴不能な地元訛りの激しい声が辺りにひしめいている。とうとう村人が自分たちを追い詰めたのだ。
そして飛んできた光は蛍じゃない、火の粉だった。そんなとこまで予想通りにしてくれなくてよかったのに
まるで想像通りの村人スタイルでこの山の住人たちは寝床からやって来たのだ。私たちには分厚過ぎる上着のような、
しかし彼らにとってはちゃんちゃんこ≠ニいう、れっきとした防寒服といういでたちで。
そして馬の油か何かを湿らせた棒に灯らせた、松明。
その明りがあるからこそ解る、恐ろしい顔に変貌した表情----------。
……もう勘べんしてくれ……。
私のよく知る枢木スザクの同居人なら、頭を抱えて蹲ってる状況だった。


「枢木さん、いいから逃げてください……」
「やだ。僕が言いだしたことだし、この粘土捨てて逃げてくなんて以ての外だし、
僕にとってはこんなことも仕事のうちの一つだし……」

現地民の怒りを買うことがですかっ!?


のんびりとした声音で、決して退かないという意志を現すところは頼もしかったが、
最後ののほほんとした彼独自の見解はいらなかった。


「もっとよく考えてください!そもそも何でこんな真冬に粘土採りに来たんですか?
まさか制作なんて始めたわけじゃないですよね?ルルーシュからは主夫になったって訊いたし……」
「うん、なったよ。得意料理はマーボー豆腐だ」
あれ片栗粉いれるタイミングが大事だよね……とこっちの言葉に望んでもいない呟きを落とす。
それを吐息ごと耳元で感じながら、慌ててぶんぶんと首を振った。
止めたりしなければそのままルルーシュとの同居生活の惚気に繋がりそうだ。
「あー、もう、だから!!どうしてこんなとこまで粘土掘りに来ようとしたんですかっ?
採取場所ならもっと東京から近い場所にあったでしょうに」
それに都心ならあなたのことを知ってる人も多いから、喜んで提供する同業者だって居ただろうに。
そう思っても、そこまでは何だか口に出せずにいた。
多分それは、一番この人が望んでいないものだったろうと思ったからだ。


(何で……)

そもそも、私を連れて来たの?とか。

ホッカイロをつけてることをやたらと心配してくれたり、高い踵のブーツで歩く山道を歩きやすいように、と
足元すら覚束ない暗い道を先導してくれたり……
今だって(触れるのが嫌なくせに)ぴったりと背中をくっつけて
松明もった尋常じゃない数の村人に自分と同じ目線で対峙してくれてるの、とか。

胸の中に呑み込んでも、スザクに直接訊きたいことは、山ほどあった。


でも、今はそうする時じゃない。
彼がどんな理想をもってこの地にやって来たのとか関係なく
ルルーシュが居ない場面で、危険な目に遭わせてはいけない、と、固く決意した。



「------------何で此処に来たのかって?」

ろくな答えも期待せずに待っていた言葉が、背中を預けた後ろから
カレンが忘れた頃にぽつりと落とされた。

へ、と振り向こうとした瞬間、視界のはしに村人の持つ松明が大きく揺らいだのを見つけた。
すぐに枢木スザクが左手で高々と振りあげたスコップが命中したからということを知った。その場に
臨戦態勢でいた村人の数人が、ひえええ、祟りだ、とか何とか叫んで蜘蛛の子を散らすようにはけてく。

「えっ」

続けてもう一発。いらないや、と言ってカレンのぶんのスコップも村人へ振りあげたスザクが
にこっと笑ってそれを投げ、確実に誰か一人に当たったのを見届けた後、カレンにだけ聞こえる音量で
先ほどの続きを囁いた。




「ルルーシュとカレンさん両方にあげたかったんだ」
「……へ?」

走りだす。
道なんてろくに知らない二人の足でどこまで行けるっていうのか。それでも、走りだす。
日本海側、真冬の、しかもどこの区域なのかもわからない山の中で
それでも、その時カレンは、スザクと二人で何処かを目指しながら走り、そして、
きっと何処かに行きつくんじゃないのか……いやそうでなくても、この時代遅れの村人たちから
逃げ切れるんじゃないかと信じられた。

(だって枢木さんだもの)
(理由を、言い訳にしない、人だもの……)



だからいいの。
何処へだって付いていく。
だから好きなの。今も好きなの。

(-------------……っ)


「私とっ、ルルーシュの二人にって、どういうこと……です、かっ……」
「え?だって明日ってバレンタインじゃない?粘土って茶色だしさ、チョコの代わりにもできると思って」
マーボー豆腐はできてもお菓子作りはハードルが高いしなあ、という高い声の呟きがもれる。
まさか、普通なら女子がそわそわ準備しそうな季節もののお祝いを、スザクなりにしたいからということで
こんな日本海側まで来たというのか。
「ちょ、チョコって」
「だから、バレンタインにさ。あげるんだよ。ルルーシュには内緒にしたけど、多分言ったところで理解できないと思うし、
なら、カレンさんだったらさ、……何となく通じてるとこあるから、解ってくれると思って。だから今年は二人分!」


採りたての粘土で作るんだ。何かを。

まさかとは思ったが、そんな些細な思いつきひとつでこんな田舎まで来れてしまうのだろうか。
いや、でもそれがこの人だと思った。
そのアバウトさ溢れる無邪気で純真で子どものような制作への欲望が
繋いで走りだした手からもじゅん、と伝わってくるようだった。









が、このまま逃げきれそうだと感じたその矢先、カレンの目の前に不幸が舞い降りる。
正に文字通り舞い降りて≠ォた……。




どさっ、   ばさあああああああああああああ。


「きゃ、きゃっ、きゃぁーーーーあああああ、っご、ぁっ、ばへっ!」
「カレンさんっ?!」


繋いでいた手が離れ、カレンの頭上から落ちてきたものともどもに、山道の傾斜の中転がっていく。
ぐるぐると視界が上に下に回転していく中、頭がまだ追いついていない状況で理解したことは、
その舞い降りてきた何か≠ニは、林の上に降り積もっていた雪そのものだったのだ。



(うう〜、や、やだ、死んじゃうよ……!)


豪雪地帯によくあることの一つなのが、積雪。
普通に生活するところでなら一般家庭の屋根の上とかにあるものなのだが、雑木林のそれも奥、
現地民しか立ち入ることのない山奥の積雪なら、通常のものとはわけが違う。一体これだけで何kgあるのか。
むしろそけが全身に降りかかったものだから、口やら服の隙間やらに入ってきた不快感ともあわせて、
カレンが予想していたよりも倍以上の重さだった。

奇声をあげながら足元数センチ深く沈んでしまったその体。
一緒に同じ方向にむかって逃げていたスザクと離れ、転がる前いた場所とは何十メートルと降下してしまった
ことを、雪だるまのように埋まった中から這いでた時に吸った空気で知る。情けなさも知る。
そして目前の景色もちがう。まるでちがっていた。
遠くから自分を呼んでるだろうスザクの声も、気配もしない。誰もいない木立のなか一人ぽつん……と、いきなり
別世界に放り出されてしまったようだった。


どうしよう。

不安と恐怖が、孤立という凶器にかわって突き刺さってくる。


手にはもう武器とも道具ともなるスコップは、ない。
突然陥ってしまった事態に追いつくような普段の冷静さは、この時なかった。




だが雪の白さすら残酷に思える孤独な夜の中、自分の名前を呼びながら駆けてきてくれた存在のおかげで、
ようやく腰より深くはまってしまった雪の中から生還する。


「大丈夫?折れたとか、ない?!」
「く、るぎ、さ……」
「走って麓のほうまで向かってたらさ、途中で別方向に雪だるまみたいに転がっていっちゃったから、
流石に焦った。カレンさんに何かあったらルルーシュに怒られるのは僕だもんね」





つい今しがた言ったばかりの言葉を、
胸が一番冷えて苦しい瞬間に返された。


-------------「あなたは、私が守りますから」
       「なんで」
       「だってルルーシュが居ないんだもの。ルルーシュが居ない時にあなたが危険な目に遭ったら
        守るのは私でしょう?そういう風に昔、あいつと決めたんだから」








(うそ……)






空も飛べそうなほど嬉しい気分というのは、正にこの気持ちこそ、だと思った。



雪だまに掴まった全身を掬いあげるように、痩せ形なのに上腕だけ随分たくましいその腕で
よいしょっというかけ声とともに引き起こされる。
ブーツの中やコートの内側などは積雪に潰されたおかげで随分冷え切ってしまって
気持ちはぽかぽかと嬉しくなって暖かいのに、やはり現実的なものは現実的で、
普通に走ってきたスザクとは違って自分の体はやけにぐっしょりとして、重かった。

だけれど、こんな軽々に手を繋いで、また一緒に山を降りようとしてくれている。
本来なら山道を転がり落ちていった時に見捨てられててもおかしくなかったのに。


「どうして……」
「え?」


さっきも訊こうと思っていたことを口にする。


「私を、選んだんですか」

間が空く。何を問われているのか理解していない顔だったから、すっと吐きだした白い息をのみこんで、
また口を開いた。






「私は確かにルルーシュの次くらいには貴方に信頼されてると自負してますが」
「……」
「ぶっちゃけ、こんな山道、女の私なんてお荷物じゃないですか。現にこんな迷惑かけたし……
ここに来た目的も最初理解してなかったし、どうして、私を選んでくれたのか」
「僕は別に選んだ≠けじゃないよ」



目と目を合わせる勇気がなくて俯き加減でいた顔が、無意識にあがった。
まるで当然だとでも言いたげな翡翠の瞳。堂々と口にしたこっちとしてはとても心もとない問いかけだったのに、
そこで出会った瞳は得意げに細められていたのだ。




「土の採取を思いついたのと同時に、道連れにぱっとカレンさんが出てきたんだ。
これって選んだ≠ニは言わないよね」








(--------------)




そう言うやいなや、こちらの動作も体内時間も止めてくれるほどの爆弾発言をしたその人は、
カレンの肩を掴み、そのまま、麓へ真っ逆さまにおりる急斜面に身を躍り出した。











































「------------お前らは命知らずなのか?」









石川県からまたフェリーと新幹線とバスを乗り継いで、(途中脱線したりもして)
ようやく本来の住処である都心に帰ってきたのは、およそ三日経った後。
ルルーシュはどうやらカレンを送り出した後スザクの出立を見もせずに自身は出張に出てしまったらしく、
マンションに帰ってきたらスザクも居らず、カレンとも連絡がつかず、ただの土の採取にどれだけ時間がかかってるんだ、と
流石に心配になったらしい。
じりじりと堪えて待つこと数日……。
ようやく帰ってきたスザクとカレンからの連絡を受けて、新幹線のホームまで迎えに来てくれたそのルルーシュは
開口一番に、労いの言葉など微塵もかけることなく、罵倒を口にした。




「ごめんなさい」
「すいません」



顔をあげたらきっと阿修羅も裸足で逃げだしそうな顔をしてるんだろう、と決めつけて
その時カレンは項垂れた頭はそのままに、顔をあげることはしなかった。
だが、14日という予定日にちゃんと間にあったということを証明したいらしい
好奇心旺盛なスザクのほうは、ルルーシュの説教が終わる頃を見計らって
キャリーケースの中に入れていた木の箱をくるんだ風呂敷を、ぱっと取り出した。



新幹線から降り立った人たちが通りすがりにスザクが差し出したものをチラチラと見ていく。

「な、なんだ?それは……」


土を採取しにいったのに、その土は全く持ちかえった荷物には見られないのにコイツは気付かないのか。
俯いた視線はそのまま、カレンはルルーシュの健在であるその素ボケに
自分と元助教授の日本海旅行は終止符をうったのだと自覚した。

スザクから差し出されたその風呂敷を、両手でそっと受け取ったルルーシュ。
横で冷めた視線で眺めていたカレンは、既に、その風呂敷のなかにある中身を焼くために
窯だけ貸してくれたスザクの師匠の家で、受け取っていた。




カレンの祖父ならとうとうと語ってくれそうだが、
土というものは土地柄によって焼いた時の色合いが微妙に違うらしく、
スザクは一度陶器をあげたことのあるルルーシュにあげるその二体目の色のほうは、
できれば白っぽいものではなく、濁りのあるものに仕上げたかったらしいのだ。

一緒に制作まで付き合わされたカレンは、その仕上がりに対するスザクのこだわりようをずっと傍で観察していて、
箱をあけて現物をみたルルーシュの顔も、その時点で何だか想像できていた。きっとコイツ喜ぶに違いない。
今も人に売ったりなどせずに、最初にもらったその器のほうも、大事に大事に自分の部屋に飾ってるくらいなのだから。


「ありがとう」


短いその礼の言葉にありったけの好意と愛情を感じる。
翡翠が満足げに細められて、瞬間、へにゃっと赤面して笑ったその顔を、
見たいとも思っていなかったのに、隣からまじまじと見ることになってしまった。




大学を卒業してからも、ずっと忘れられないのは自分を認めて必要としてくれたスザクのほう。
だが----------初めて恋というものを教えられた人。忘れられたくとも忘れられない、若い時に本気で好きになったその人は、
カレンがいま想う人の、目の前に居た。


「大事にする」




ルルーシュ・ランペルージはそう言うと、
器が入っていた木の箱を自分の胸のほうで、ぎゅっと抱きしめ、
手のひらをかざすようにそっとそれをひと撫でした。