実は私、ミレイ・アッシュフォードは『上に立つ
人間』が全般的に大嫌いである。
こんな子供の我儘みたいな、現に論理の通っていない考えをぐだぐだと述べるのもなんだが、ミレイは幼少の頃より
教師や、学園長、親、年上の兄弟、国をまとめる政治家たち-----つまり皇族と皇帝、数えて挙げればキリがないくらい
『上』に座す人間が気に入らなかった。そう思いながらも、いま自分は生徒会長の椅子に座って、祖父の経営する学園の
実質的支配者の位置に納まっている。そう、納まってしまっているのだ、まるでそれが当然の義務のように。
「流石に租界一の学業都市でありますね。-----此処がひとつの箱庭みたいだ」
そんな憂いに沈む学園生徒会長の後に続いていた青年が、翡翠の双眸を穏やかに丸めて窓の外を見る。その下には
午後のクラブ活動に精を出す下級生たちが見えて、ミレイも自然と頬が緩んだ。此処はゲットーと違って
とても穏やかだ。治安は維持されているし、先日突然総督が暗殺されたなんて、およそ察しがつかないくらい平和な場所だった。
(ふん、……私も随分とした支配者に成り下がっちゃったものね------……)
ここで暮らす者たちさえ、安穏であればそれでいいと。
そんなことが本当の平和ではない事くらい理解している筈なのに、此処を護る為なら外の世界なんてどうでもいいなんて、
随分とした支配者の心構えであった。そんな風に成りたいなんて思ったことは一度もないのに。
「会長、……さん?」
言葉に応じない彼女を心配して、青年の声がかけられる。ミレイはそれにすかさず反応するように、綺麗な弧を描いて
振り向いた。
「ミレイよ。ミレイ・アッシュフォード。会長なんて役職だけで呼ばれたくはないわね、もう」
「-------あ、そうですか。じゃ名前のほうで呼ばせて頂いても?ミレイさん」
窓際を向いていた翡翠が、燦燦と差し込む日差しにキラリと光ってミレイを射抜いた。上等だ。態度としては役員に申し分ない。
「もち、当然よ。お祖父さまに代わって、今日よりアッシュフォード学園高等部2年、そして生徒会役員として君を歓迎する。
枢木スザクくん」
傾きかけた純情
「お前は学生をやれ」
「なんで!」
ここ何日かエリア11の政庁において繰り返される問答であった。コーネリアは身支度をギルフォードに任せながら、
テーブル越しに睨みあう主従を横目で伺う。ルルーシュはメイドが用意したパンを齧りながら、片手の指でくるんくるんと
フォークを操っている。スザクはひょっこり現れたセシルに学生服を半ば強引に着せられながら、およそ騎士にそぐわない口調で
黒髪の主君に抗議した。
「総督の騎士であるのなら、自分は殿下の傍に居るのが一番でしょう」
「偉そうなことを言うな。俺にはお前の他に親衛隊もできる。それに普段は細かな諍いやテロ活動しかないから、皇室でも准尉に居られると
困るんだよ、それに、お前……」
パチンと指を鳴らして、呼びつけたロイドからファイリングされた書類を受け取った。それをスザクの見つめる前でパラパラと捲り
『はあ』と吐息する。
「騎士には学も必要だ」
「学、って」
「セシルやロイドから聞いたぞ。お前苦手科目ばかりじゃないか。こんなんじゃ総督の騎士は務まらん」
「あ、貴方だって未就学じゃないですか」
「そういう言い方は好きじゃない!」
ダンッと行儀悪くテーブルを叩いて、見下ろすように睨み付けてくるスザクの顔へ真っ向から対立した。
眦を鋭く吊り上げて、じりじりと男へ寄っていく。ぴくぴくと頬が引き攣っているのは何故なのだろうか。
「じゃ何か?お前は俺に総督も学生もやれっていうのか」
「いや別にそんな二足の草鞋は強要しませんよ。ただ、どうして僕には学が必要だからって騎士を放任して学校へ行かせるのに、貴方は
そんな学も体力もある騎士の上にいる総督のくせに何にもしないのかってことを言いたいんですよ。皇室は暇なんでしょ?」
先代であるクロヴィスの奔放ぶりを何処かで見ていたのか、大胆にもコーネリアの方をみてスザクは口を開く。
「っ!!」
まるで(異母姉妹であるから当然だが)そっくりな形相をして、新任の総督、副総督であるルルーシュとコーネリアは
皇族の名誉を保つ為、男の身体へと詰め寄った。
「な、なんだなんだその言い方!俺が命令するんだから大人しく学校に行ってろ!正直に言って欲しいのか『お前がいると迷惑』
なんだって!!折角俺が気ぃ使ってやってんのに!」
「そうだそうだ、ルルーシュの言う通りだ!学園へ行くのは何も知識を得る為だけではない!英国では軍に缶詰にしてしまっていたから
此処では好きに青春を全うさせてやろうっていう私達の気遣いが解らないのか!これだから騎士って奴は!」
流石にそこまで言われるとは(考えがあるとは)思いもしなかったスザクは、反抗する口を閉ざし、ピタリと固まってしまった。
(解れよ、解ってくれよ、もう……)
お前は態度が根本的になってない、少しこちらが甘くしたらすぐに増長する、とコーネリアが怒鳴る横で、人知れずルルーシュは
溜め息をついた。先ほど准尉の成績をみて零したものとは違う。それは。
(……あの事があってから、お前とどう距離をとっていいのか解らないんだ)
そう。先日英国を異母姉共々飛び出してきた戦艦の中で、言い方は悪いがルルーシュは騎士に犯された。
まさか自分を女として見ているとは思わず、ルルーシュも組み敷かれながら混乱し、半ば感覚すらまともに味あわず
男の中の性を受け止めた。その事を騎士は謝罪すらしていない。倦怠感とある意味での喪失感と共に起きたルルーシュへキスしただけ。
(どういう意味なんだ)
まだ自分に初潮が来ていなかったぶん、ダメージも少なかったのだが。けれどやはり事実として受け止めるには
難しい問題であるし、スザク自身がどう思ってああしたのかも解らなかった。好きで?主君でもあり亡国の仇であるはずの自分のことを
特別に好いて、本気で抱きたいと思ったから?
(嫌だ)
そんなの有り得ないし理解出来なかった。自分が騎士にした彼であるはずなのに、まるで見えないその思考。
そして第二にルルーシュが恐ろしく思っていることは、ここ最近の自分の体調の変化だった。
明日には総督の着任式典もあって、民衆の前に出なくてはならないのに、何故か全身が火照って、偏頭痛が重く、下腹部が張ったような
感じがする。そして無性に苛苛するのだ。騎士に対しても、異母姉も、部下であっても。
「セシル……」
ひっそりとそばめた声で、部下の一人をテーブルまで呼んだ。端のほうでロイドと見物していた彼女は『ん?』と首を傾げて
こちらへとやって来る。
「どうしました?お茶のお替りでも」
「そんな事をお前にさせる為に呼んだんじゃない。その、ちょっと聞きたい、ことが、あって」
「私などに、聞きたいこと?」
「ああ、姉君に相談しようと思ったんだが……」
チラ、と視線をやる先ではスザクと一触即発に睨みあっている。
そんな彼らにまた溜め息を零して。
屈むように覗いてくるセシルの優しい視線に振り返って、意を決したようにルルーシュは彼女の制服の袖を引いた。
「ちょっと、私に」
朝の突発的に起きた騒動の後、憂鬱でもなく気落ちしたように瞳を伏せる異母妹の傍へ、そっとコーネリアが歩み寄った。
まるで背もたれに身を預けるように椅子に座り、半身をテーブルについた片手で支えるルルーシュの足元へ、膝をつく。
そのコーネリアの姿勢にピク、と眉をあげた。驚いたように顔をあげる。
「あねきみ……」
「あれは仕方ないことだよルルーシュ。枢木を政庁に置き続けることは出来ないのだから」
「ああ……」
苦笑いのように口元を歪めて、伸びてきた姉の指先を掴む。労わる手は、今はこの身体に触れてほしくないという気持ちの表れで、
でもそれを異母姉にそのまま知られては欲しくなくて、やんわりと握り返す。
「親衛隊の構築は皇族の務めだ。私を見てきたからよく知っているだろう」
「ええ、姉君。……その構成人員次第で、あいつの立場が悪くなることもね。けど避けられなかった。異母兄上のかわりに総督を
やるということは」
コンコン、と扉が叩かれた。「何用だ」とコーネリアが腰をあげる。ルルーシュが紫電をそこへやった。
「遅ればせながらご挨拶に参りました、ルルーシュ殿下……いや、総督。亡き先代エリア11総督であり第三皇子でありました
クロヴィス殿下の親衛隊隊長、ジェレミア・ゴットバルトでございます」
琥珀に近い眼差しを温和にし、正装である騎士服に身を包んだ長身の男が現れた。後ろには控えているのだろう、同じく、元々から
此処エリア11の政庁に勤務する部下が二人居た。銀髪の女と、金髪の男。しかし一番前に立つその騎士だけは堂々とした佇まいであった。
それが少々癪に障って、ルルーシュの眉間に皺がよる。これは決して自分の体調の悪さが原因ではない。
「よく参った。今日をもってお前らは我が異母妹でありエリア11の総督となったルルーシュを護衛する親衛隊である。心して任務にかかれ」
「イエス。コーネリア副総督」
「お初にお目にかかります、殿下」
腕を前にし膝をついて頭を下げるジェレミアに習うように、後ろの部下も腰を低くした。
それにいちいち返答するのも面倒といったように指で払う動作をし、椅子から重い腰をあげてルルーシュは鬱陶しげに口を開いた。
「……よろしく頼む」
まさかイレヴンである彼を受け入れるとは、……とミレイは当初、祖父の前で目を見張った。しかし覚悟はしているようで、
渡された生徒ファイルを胸に抱え生徒会室の席につく。校舎案内を済ませた彼女は『政庁に戻る』といった転校生を
校門まで送っていった。
今朝、いつもはにぎやかで納まりのつかない教室であるのに、彼が入ってきただけでシン……と静まった。生徒たちから音が消え、
黙って腰を下ろしていくその中で、青年の眼差しはどこまでも真摯に思えた。紹介する教員も声は震えていただろうに、
元気とまではいかないが明瞭な声で『枢木スザクです』と教壇に立っていた。その姿勢は感服する。人間としてはとても好きだ。
しかし、
「かいちょー!リヴァルがまたドロンしましたーっ」
「何ぃ!?」
部屋に響く少女の声に顔を上げて、ぱたぱたと走り寄る学生へ顔をあげる。
腰までの橙色の髪が特徴的なその役員の名はシャーリー。臨時委員会にも顔を出してくれるいい後輩である。今日のような突然の大掃除も
嫌な顔せず請け負ってくれる。しかし他にも一人助っ人が居たはずだ。鼠のようなひょうきんな顔した少年が。
「またどこに行ったんだか……」
「ほんとですよ全く!こっちは埃まみれになってあちらこちら掃除してるっつーに!」
手にした布巾を掌で弄びながら、ふんと荒く息をついた。
「ごめんねシャーリー。転入生のくせに役員にまで指名してくれちゃったお祖父ちゃんの所為で、こんな雑用までさせちゃって」
「いいですよ、アッシュフォードに転入生なんて時期的に珍しいし、クラスでも色々いう子居たけど、私は仲良くしたいって思うから。
それに彼、えっと枢木くん、だったかな。結構人当たりいいと思いますよ。故意に敵は作らない感じで」
「そうね」
そこが問題なんじゃないか、と思う。
どうにも毛嫌いしてしまう人間性、彼は新任の総督である皇女の騎士(公言してはいないが)だというし、それなりの内在的能力が
あるという事なのかもしれないが、あまり余って性格はどこか歪んでいる気がする。そこが少し、ミレイとしては苦手であり
会長として、財閥の娘としてどう接していいか解らないところではある。
「まあリヴァルはいいとして、カレンもニーナも明日の歓迎会来るのかな……私からも声くらいは掛けようかなって思うんですけど」
「ああニーナはね。無理に言わなくてもいいわよ、私からも『時間が出来たら』って言ってあるから。カレンも今日トンズラしたあいつも
明日は来ると思うから。ていうか来てくれないと困るのよ。ゴージャスフォー発注したんだから」
「ご、ごーじゃす……」
「そうよ。こういう所で予算使わなきゃ」
注文関係の料理はすべてリスト通りに発注した。後は古馴染みの弟分とそのメイドの手料理があれば、乗り切れるだろう。
「あ、それと明日は歓迎会の他に、政庁のほうで総督と副総督の着任式典があるのよ。もち生徒会役員は学園代表として出席ね」
「ええ〜っ私ドレスなんてクリーニングに出したまんまですよ」
「困ったらうちに来なさい。私が中学生のときの貸してあげるから」
「ひどい……」
そりゃサイズ合わないでしょうけどさぁ、と呟いて、シャーリーは転校生用の席とロッカーを空ける為掃除に戻った。
ミレイはその背中をしばし見送った後、手元に置かれたままであった名簿のファイルを開く。そこの『枢木スザク』のページに
附箋が貼られていた。その部分をちょちょいと指で弄ったあと、またファイルを閉じた。会長という席についた時は思ってもなかったこと
だが、予想外に困ったこととなった。彼が、十年前に廃国となった島国の首相、現エリア11のことであるが、……その総理大臣の
息子であるなんて。
書類には書かれていない。彼が英国の皇子に身柄を引き取られ、三年ほど牢の中で過ごし、後、妹である皇女の騎士となったことだけが
略歴として記されているのみだ。
「牢の中で三年……」
とはどうものなのだろう。いわゆる支配国家ブリタニアの闇歴史のようなものだ。そんな男をわざわざ騎士とした皇女のことも気になる。
それに、この青年の目というものは、どこか、幽閉されていた虜囚の目とは少し違う。
まるで、相手の喉下に喰らいつこうとする、凶暴な狼。
「まずは一からご説明したいと思います」
午前中に決められたシフトタイムを放っぽいて、セシルはその時間ずっとある調べごとをするのに忙しくしていた。
それは朝食の時に皇女に頼まれた『あること』に起因するわけだが、その皇女自体にまったくの知識がない、すなわち多くの兄弟から
(おそらくコーネリアからも)その手の教育を受けていないという事なので、今から報告し教える彼女に今後の責任が重くのしかかっている。
というかなんで、今になってルルーシュ皇女がそのテの知識を得たいのかということも、知りえないのだが。
(でも深く追求しちゃ駄目よね。いち兵士なんですもの。我慢我慢……)
皇族服を脱いで楽な装いとなったルルーシュの前にライトボックスを起き、パネル化した模式図を張り込んでいく。その図式の
グロテスクな形に、紫電が緊張しているのが見てわかった。……本当に、初めて見るものなのだな、とセシルの背も強張る。
「周期的に、すべての女性に同年齢で起こるものではないと、まずお考え下さい。いま殿下の身体に現れている症状はおそらく、
時期的には結構遅めな月経の諸症状です。数日ないしは一週間もしないうちに初潮が現れるでしょう。下り物の具合からするに」
「げ、月経って」
「女性が子供を宿せるようになったということですわ」
暗室同然に光を落とした室内で、重く息をつくルルーシュの表情が落胆に沈むのを見た。やはりそうか、彼女は自分が成長し女性と
なるのが本当に嫌な人なのだ。しかし、自分で遅めようとしても結局はきてしまう。それが他人にもたらされたものであればあるほど。
「話によると、どうしても遅くなって自発的にこの症状が来られない女性には、ホルモン的な治療が施術されると聞きます。私は
全くの門外漢ですが、あまりに遅いと不妊ではないのかと、」
「月経がくると何か変わるのか」
「ええ?」
「それがくると、その……身体的に、公務に差し支えが……」
「それは、コーネリアさまも私も、ユーフェミアさまだって無事にこなせていましたから、問題はないかと思いますが、その」
「……」
「殿下、ここからは邪推の域を全くでないただの憶測ですが-----------」
コホン、とひとつ咳をついて、ライトボックスに半分だけ照らされた皇女の顔を見て言った。
「初潮というものは女性が思春期に突入する時に起こるものであると言われています。大まかな例をあげますと、その、女性が男性を
意識するようになるってことなんですが、」
「違う!」
蒼白な面差しで突然立ち上がった。握られた拳は節だって白い。
「殿下」
「……違う、その、何でもない、と思うから。違うから。俺がそんな風になるなんて有り得ないから……」
「……殿下」
焦点の合わない視線を交差させるのは難しいから、震える少女の両手を向かい側から包むように引っ張った。あまりに混乱すると
ルルーシュは立ち上がり全身を粟立たせてしまうらしい。こんな彼女の弱さを知っていたら、もう少しあの騎士にも遣りようがあったん
じゃないかと、詰ってやりたくなるくらい、今のルルーシュは。
「落ち着いてください。変なことを言ってしまってすみませんでした、殿下」
「い、いい、よ。俺、や私が、お前に相談したことだから……だって最近、ほんとに、日本に来てから、おかしい、んだ」
「……」
最初にルルーシュがセシルを呼びつけた要件は、体調の変化とメンタル面での不安定さであった。
もしかしたら、スザクとの間に何か実質的にあったんじゃないか、と思ってしまったのだが、詳しいことは『聞くな』とロイドから
言われていたのもあって、出来なかった。しかしやはりこういうものは、女性に相談してこそ解消される悩みでもあるわけだから、
「殿下、お辛いようでしたら何でもおっしゃってください」
「ん……」
「スザクくんに、何かされたんですか」
「…………」
両手で包んでいた彼女の姿勢が、ガクンと揺らいだ。それを立ち上がって受け止めて、そのまま着いていた座席に雪崩落ちる。
小刻みにずっと震え続ける痩躯を抱きとめながら、どう言葉をかけていいかも解らずただ黒髪を撫でることに専念した。皇女は、
この悩みを異母姉にも言えず、英国の頃から愚痴を言い合うほど許していた騎士にも、何よりその元凶であるそのスザクに対しても
目を背けることしか出来なかったというのか。ルルーシュは。
「聞いた、のか?准尉から」
細い声がセシルの胸のあたりからする。
「いいえ何も」
それに頭を振った。そんなことは決して無いというように。
その態度を見て決心したのか、ルルーシュが着実に昨日よりも成長する身体からぐったりと力を抜き、部下の腕の中で気持ちを吐露しだした。
「俺はやっぱりおかしいのかもしれない……」
「何がです」
「自分のことを心底嫌ってくれると思ってた奴だから、騎士にしたのに、俺……准尉にキスされて……」
でんか、と口だけの動きで少女の言葉を聞いていた。セシルが半ば固まりながらも、ルルーシュの告白は続いていく。
「う、嬉しいなんて……」