未だ喧騒が収まらない式典の会場の中央で、再び
ルルーシュとミレイは相見えることとなった。
「先刻は助かった。貴方が仮面の男の気を引いてくれなかったら、俺は死んでただろう」
何者にも狂わされない、まっすぐで硬質な、耳に心地よい声が彼女に届く。ミレイは自身の傷だらけになった足と
ドレスの裾を持ち上げてにっこりと笑い返した。
「ルルーシュさまがご無事で本当によかったと思います。私なんて場をかき乱すくらいでしかお役に立てなかった」
「ううん……いや、そんな事はないよ。こちらだってまだまだ未熟だ。……もう油断しないと決意したのに、また
同じ轍を踏むような事をしてしまったわけだから」
苦々しく紫電を顰めて、白い面差しが下を向いた。ミレイよりも僅かに身長が低いから、ルルーシュの表情は
よく解らなかった。声だけで、苦痛を訴えているように思う。
別に元気づけるつもりでもなかったが、黙っているのも気持ち悪いと思って、彼女は皇女に対して再び口を開いた。
「私は少し、……総督に安心しましたが」
「安心?」
「ええ。だって貴方は、ちょっと……他の皇族の方達とは違う気がして」
「……」
「貴方のような方にこそ、エリア11の統治は務まるのだと思います。だから、どうか」
らしくない、と胸の内で呟きながら、無礼にならない程度に緩く力を込めてルルーシュの掌を包んだ。
「あまりご自分を、責めないでください」
傾きかけた純情
絢爛な意匠が施された式典会場はガラスの海となって、現実に還ってきた。
先ほどまで戦争が繰り広げられていたとはおよそ想像がつかない。その中をパキパキと革靴で踏み込んで、ジェレミアは同じ兵士である
ヴィレッタと共に辺りの警戒へ回った。本当は負傷した皇女についていようと思ったのだが、仮面の男の遺体から寸分も離れず
尚且つ『俺に構うな』と睨まれてしまった。背後でヴィレッタがフンと鼻で笑っていたように思う。
「くそっ……!」
本当は、あの惨状の最中で一番にルルーシュを護りたかったのは自分であった。
なのに式典に遅れてきたあのイレヴンが、まんまとその役を奪ってしまい、ジェレミアが何か活躍する間も与えず事態を終息させて
しまった。
その騎士枢木スザクは、コーネリアとルルーシュが遺体の周りに並んだ途端気が抜けたのか、その場に崩れ落ちるように意識を
失ってしまった。皇女は慌てるように驚いて、駆けつけてきたロイドとセシル(奴らは特派で工学関係だろ?)に預けてしまった。
垣間見たルルーシュの顔は、無残に引き連れていたように思う。けして口では言わなかったが、あれは心底騎士の安否を心配している
表情だった。
「准尉……、准尉!起きろ!しっかりしろ!」
「殿下、失血のショックで気を失ってるだけですから……」
「救護班!担架持って来てー!」
ふら〜〜……っと皇女の足元に倒れたスザクの容態は、どうにも説明しづらいものだった。
ルルーシュは騎士の頭を膝元に抱えて、ぺしぺしと頬を叩く。破れたドレスの裾のむき出しの腿の上に乗せるなんて、柔らかな感触を
味わえなくてスザクくん可愛そうに、とセシルは思ったが、べりりとその身を皇女から引き剥がして、無残に傷跡が膨れあがった背中の
具合を改めて見た。頭上ではロイドが腕を振り上げて、助っ人を呼んでいる。
ひょっこりと覗いて見るスザクの表情は、失血が酷いからか大分青ざめていた。『あ、これはちょっとマズイかも』と小声で呟き
とりあえず止血しなきゃ、と脱がせた学生服を紐状に捩って、肩口にぐいぐいと縛り付けた。
「せ、セシル。准尉は」
「大丈夫ですよ。や、でも微妙かも……、スザクくんも肩に突き刺さったままにしてくれてれば、出血もそんなに酷くなくて済んだのに。
もう」
「まあ細菌が入って敗血症、なんてのはヤだからね〜」
数人で運んできた担架をその場で組み立てて、ロイドは暢気にそんなことを呟きながら『とりあえず医務室〜』と
スザクの身体を担ぎ上げた人員を誘導した。
セシルがその集団について行き、後にはロイドとルルーシュだけその場に残された。未だに青ざめて指先を震わせる皇女を
無表情に見下ろして、溜め息をつく。ロイドはもう何度目になるかなあ、と自分に呟きながら口を開いた。
「准尉のアレは、仕方ないと思いますよ」
「仕方ない、て……?」
「えーと、まあ、良い言い方をするなら『貴方を護った』ことです」
「それが仕方ないのか?」
「ええ、まあ、……」
後に続く言葉を、思わず濁してしまった。
ロイドは真っ向から皇女の瞳を受け止める。騎士の行動に困惑して、同時に安堵して、けれどそんな自分を認められないような、
それが苦しみとなってどうしようもないくらいに胸を騒がせてしまうことは。どう言葉に表せばいいのだろう?
慰めることは、自分の役目ではないから、置いといて。
「准尉は……俺をどうしたいんだと思う?ロイド」
「どうしたい、んでしょうね」
そんな事真面目に聞かれても、と思った。セシルは順調に枢木スザクの身体を医務室へと運んでくれているのだろうか。
よそを向くロイドの顔を見つつ、手元を頼りなく動かして、ぽとりと呟きを洩らした。
「俺はどうされたいのかな……」
ルルーシュの口から、誰かに何かを期待する言葉が出るとは、思わなかった。
ロイドは瞳を瞬いて、声も出せず口を開けたまま皇女を見下ろした。よくよく見ればルルーシュのほうが傷ついていて、
むきだしの背中は薄い打撲痕が浮かんでしまっていた。自分は到着が遅れてしまったが、確か舞台袖で見ていたセシルから『ルルーシュも
怪我を負っている』と聞いていたような気がする。そんな事も思い返さず、慌しい状況に巻き込まれてしまっている自分に
舌打ちした。
ロイドは乱暴な所作で、自分の着ていた白衣を皇女の埃にまみれた肩へとかけた。
「?ロイ……」
「どうされたいのかは、目覚めた枢木くんに聞けばいい。今はご自分の身体のことを考えてください」
「俺は別に怪我なんて」
「してますってば。見えてないでしょうけど手首と背中、すごいですよ。すぐに僕と医務室まで来てください」
周りを忙しく走っていた救護班から毛布を受け取り、重ねてそれも皇女の痩躯へとかけた。きっとこれはスザクの役目なのだろうが
気にしない。くたばるほうが悪いんだとそう思って。
「待ってロイド、まだちゃんと遺体を確認してない……」
「後で報告に向かわせますから、立ってるのだってやっとでしょう」
自分はこんなに人に対して甲斐甲斐しかったか?と内心首を傾げて、それでも皇女の肩を支えながら会場を後にした。
「血液検査の結果でました」
「よし、回せ」
総督の公務室の奥まった場所に設置してある暗室にて、コーネリアは数人の部下と騎士ギルフォードと共に、先ほど回収した
遺体を前に様々なファイルをスライドに照射していた。無地のスクリーンに映し出されるのは犯罪者履歴。それもエリア11限定の
ものだ。
式典最中はギルフォードと共に政庁の周りを警備する部隊にいたコーネリアは、中の異常な騒々しさに、ルルーシュの傍に居なかった
ことを酷く後悔しながら向かい、テラスごしに拳銃で仮面の頭部を打ち砕いた。
「これを」
「……ああ」
原型をとどめずに霧散した遺体からは、血液と肉片くらいしかデータは採取出来なかった。しかしゼロ本人ではなく単なる偽者だということは
皇族である異母妹とコーネリアにのみ見て解った。卑しく歪んだ口元は、およそ失踪したナナリーとは似ても似つかない。
しかしそれだけの情報で”黒の騎士団”の現状は掌握出来るわけではなかった。採取した血液サンプルを早急に調べさせ、
その人物がどのような血縁の人間であるかをデータとして手に入れる。コーネリアはギルフォードから渡された書類を受け取り、
スライドシアターの片隅で光に照らしながら、そこに印字された情報結果に声を失った。
「っ……」
「副総督?」
「なぜ、」
やっと息が出来たかと思えば、落ち着いた途端脳内に飛び込んできた結果は信じられない事実で。まさか、テロだレジスタンスだ
帝国の破壊だ、と。力を手に入れようとする輩の中に、まさか、ブリタニアを憎いはずのイレヴンの他に、……
「ブリタニア---------------……」
東洋・西洋系人種の欄の隅に、神聖なる母国ブリタニアの印字。
血液情報は嘘をつかない。この男はイレヴンでなくブリタニア人だったのだ。
帝国臣民の敵は、その帝国の中にこそ在ったのだ。
「セシルくん。そっち終わった?」
「へっ?」
シャッ、と白いカーテンを乱暴に引いた上司の顔を、間抜けな面差しで見つめ返した。ちょっと傷口が予想外に酷い状態で、
うつ伏せに寝かせた准尉の背中に張り付くように縫合と消毒をしていたのだ。突然入ってきた者はそれを見てぎょっとするだろう。
傍らで脱脂綿と新しい消毒液を用意する隊員の身体を乗り越えて、ロイドの視線が未だ昏睡するスザクへと向けられた。
「悪いんだけどさ、途中でもいいから僕と交代してくれない?殿下が隣に居るんだけど」
「ルルーシュさまも、どこか負傷されたのですか?」
「背中を少しね。僕だとちょっと問題があるから、変わって頂戴」
「はいはい。女の子ですもんね。私も肩が凝ってたんです」
視力はそんなに悪いほうではないのだが、准尉は後の始末を気にせず刃の先を引っこ抜いたものだから、傷口が個々に開いて
細かい汚れと止血がしづらくなってしまっていたのだった。
そういう細かい仕事は上司のほうが向いてると思い、席をロイドへと譲る。セシルは道を交差するように反対側へ回り、
ピンセットだけ新しいものに交換してルルーシュのもとへ急いだ。
その背中を目線だけで見送ったあと、ドスンと腰を落ち着けて、消毒と縫合だけ済まされた患部を見つめた。上半身だけ裸となっている
状態だからか、幼い頃に負ったであろう拷問の痕などが名残となって所々にある。この光景はルルーシュが見るものではないな、と
思った。
「あの、これ、どうしましょうか」
「ああ。後は僕一人でやるから、君は他の人の救護に回って」
傍らで脱脂綿の袋を開けていた隊員に、言外に出て行けと声をかける。意味を察してくれたのか、何も言わずに開けられたカーテンは
閉められた。二人しかいない治療台を静寂が包む。ピク、と枕に伏せたスザクの頭が動いた。
「…………起きたかい」
驚くほど、自分の咽喉から低い声が洩れた。
うつ伏せのままの姿勢は変わらず、枕に伏せたくせっ毛がその言葉に対し、こくんと、僅かに揺れるのを確認した。ロイドは指先を
そこへと伸ばし、わしゃわしゃと犬を撫でるように掻き毟る。くすぐったそうに准尉の肩甲骨が筋にそって起き上がった。
「ロ、イドさん」
「うん。此処は医務室だよ。政庁の」
「ん……」
「意識は?」
「多分、言ってることは理解出来てると思います。夢中だったからなあ……殿下、は?」
依然たどたどしく、普段の彼では想像できない拙い言葉が、ほろほろと溢れ出す。
後頭部に乗せていたロイドの手首を後ろ手に掴み、しっかりと開いた眼で上司を見上げてきた。
「……ルルーシュは、殿下は、どうしてる……?」
(---------もう)
そこまでか、とロイドは思った。
そして同時に、ああまでルルーシュがこの男を脅えるわけも、わかった気がした。
「殿下は背中の傷を診てもらってるよ、隣で」
「……そうか」
「いま君が専念するべきことは自分の傷だよ。肩なんて止血しづらい場所にこんな怪我して、どれだけ僕が迷惑か」
「はは、すいません」
翡翠が穏やかに細められて、呼気からは細い笑い声が洩れた。ロイドがいま何をどう思って居るかもしらない。
……だから言ってやろうと思った。
「殿下が好きかい?」
「-------------」
「殿下が好きかい……?」
二度聞く。
ひく、と首を反らせて翡翠が銀髪の上司を仰いだ。掴んだ手は下ろされて、探るようにじっと見つめられる。
ロイドはそれに視線を交錯させるわけでもなく、蛍光灯の明かりに眼鏡を反射させた無表情でもって、准尉の眼差しを受け止めた。
その姿に、なぜ突然それを聞くのかに対してなのか、何度かまばたきを繰り返して、
けれど迷うことなくスザクは口を開いた。
「 すき、です 」
「だって。ルルーシュ殿下」
向こう側のカーテンの幕がシャッと開く。セシルが顔を俯かせて、口元を片手で覆いながら逆の手で引いたのだ。
その彼女に隠れるように、背中を向けたまま前を向くルルーシュが座っていた。黒の騎士団の兵士に殴られた部分には
湿布を貼ってもらったのか、背中の右肩あたりが白く映えていて。
翡翠がその突然の光景に見開かれた。勿論それは予想外のもので、驚きで、戸惑いで、数分前まで自らを包んでいた空気が消失したのを、
どこか冷静な部分で意識した。
ロイドが(よくよく見ればトレードマークである白衣を着ていない)黙って椅子から立ち上がって、
医務室の外へと出ていってしまう。セシルもまるで上司に習うように後に続いて、静かに扉を閉めていった。
「で、殿下……」
暫くの沈黙のあと。ようやく出せたのはそんな呼びかけで。
縫合したばかりだから皮膚が引き攣れてうまく起き上がれない。だから肩肘をベッドについて、無理やり身体を上げさせて
ルルーシュのほうへと向いた。
彼女はスザクとは逆側を向いたまま、動かない。
自分の指で引き裂いて、思う存分会場で暴れた結果無残な姿となったドレスのまま、男の告白を背中で聞いたのだ。
「………、つ」
言葉もうまく出なくて、頬が紅潮しているのだけはなんとなく解った。
振り向けばいいのか、それとも何も聞いてないフリをして逃げ去ればいいのか。
でももうルルーシュは抱擁も、キスも、それ以上のこともスザクと経験していた。既に無かったことになど出来なかった。
けど自分がそれによって女になるのが怖かった。身体も未発達で、考えも人間として幼くて、何より自分が大切なものなんて
作ってしまっていいのか解らなくて。
セシルに言われた言葉を思い返す。彼女は反対側のカーテンに准尉とロイドが居ることをそれとなく教え、
自分の背中の治療をしてくれたのだ。その時、
『殿下には支えがいるんですよ』
耳元で背中をポンと押すように、ひっそりと囁かれた。許しのような言葉だった。
最後の砦は、准尉に気持ちを言われてしまうことにあった。
それまでは、まだ、騎士と皇女でいいと思っていた。気持ちや思いに名前をつけられなければ、無かったことに。
酷い女で居られると思っていた。
「准尉」
ゆっくりと振り向いて、起き上がりかけのスザクの表情を真っ直ぐにみた。自分と同じくらい情けない顔をして、
こちらを見ていた。ルルーシュが反応するのを待っていたのだ。
でもこちらからはこれ以上どうする事も出来ない。全身が展開についていけず、震えてうまく動けないのだ。どうしようどうしよう、
口にするだけではこの思いは軽すぎる。
「………本当は、ずっと待ってた」
「------え?」
そっと足を進めて、カーテンで仕切られた空間を踏み越えていく。近くなったスザクの表情に余計顔が熱くなった。
「クロヴィス異母兄上の変わりに総督を務めるということは、騎士も引き連れることだから、俺は拒めなかった。
お前の他に騎士なんて居らないと思ってたのに、……正直ここ数日、不安でよくわからなくなっていた」
傍に寄って、寝台のすぐ下に膝をつく。手だけ准尉の枕元に乗せて静かに見つめてくる翡翠を受け止めた。
「でも、だから、お前は俺に呆れて式典には来ないんじゃないかって思ってた。思ってたけど、でもそんな風に断定することも
怖くて、心のどこかできっと来てくれるんじゃないか、って期待して、待ってた……待ってて、よかった」
ふわり、と。
歪になってしまわないように笑う。笑う顔が不細工ではないだろうか、ルルーシュはあまり笑うことが出来ないから、
どこか笑顔を見せることは怖かった。怖かったけど、信じてよかった。
「約束、守ってくれたな」
「……約束?」
「ああ。俺思ったよ。……お前が来てくれたとき、どうしようもなく不安だったものが全部吹っ飛んでった。嬉しかった。
お前に護られる皇女で」
「……ルルーシュ」
顎を端にのせて、一番近い距離で目元を染める准尉の顔を覗き見た。息が触れそうなほど、距離が近い。
「ね、もう一度言って。そうしたら俺も、ちゃんと言うから」
口付けを待つ仕草のように瞼を下ろして、指を骨ばった男の掌に沿わした。すぐにそれは暖かく絡みとられる。
「うん」
小さく応えが返され、指先ごと力強く引かれてそのままスザクの胸に倒れこむ。そうして唇が重なって、初めて誘うように
口を開いた。
「貴方が……」
「……ん」
「好きです」
「ああ」
「俺も」
「おいルルーシュは何処だ。そこで治療を受けてるのか?」
「や。いまその、えっと…………ロイドさん、どうするんですか?」
「(修羅場か濡れ場かわかんないからねぇ……)んん、と、殿下はいま所用で」
「そ、そうです。ちょっとそこまで行っちゃってますので」
「はあ?」
不自然なまでにロイドとセシルは医務室の前で仁王立ちになっていた。
(宰相閣下がお知りになったらどうなるかな……)
その答えを知る者はいない。