ルルーシュは固まった。目の前でいきなり自分の
騎士が横に吹っ飛んだからだった。
がしゃん、といつもセシルが掛けている椅子が横に倒れて、その下にスザクの身体が転がった。
いま自分達は英国に帰還して、アヴァロンの司令室にいる。
全身を困惑と恐怖に強張らせながら、優雅に白いマントをくつろげてダールトンに渡すシュナイゼルへ声を掛けた。
「あ、兄君、その……」
「うん。エリア11でのことはコーネリアから聞いているよ、詳しくね。ルルーシュが無事で本当によかった、顔も見れなくて
ずっと不安だったんだよ?まさか一人でゲットーまで降りちゃうなんてお転婆だなあ、と思ったけど、まあいいよ。それなりに
理由があるからねお前には。--------ただ」
急に声のトーンが落ちて『ぐう』と蹲る准尉へと視線を落とす。いつもは華やかでさえある双眸が、今はとてつもなく昏い色と
なっていて、それだけ異母兄が内心で怒っているのだということが解った。
「枢木くん、私が下した勅命は覚えていたかな?」
「……三日間、外に出るな、と」
「うん、ランスロットからね」
「出ません、でした、よ」
そう、准尉が言いたいのは、謹慎がまだ明けずとも”実際にランスロットから出た”わけではないのだから
ゲットーへルルーシュを迎えに行ったのは命令違反じゃない。と、そう言いたいのだった。
それを今、異母妹たちの無事を確認しにきたシュナイゼルへ飄々と口にする。
後ろに控えていた直属の部下、ダールトン将軍は目を剥いた。コーネリアの横に並んでいたギルフォードの眼鏡もずれた。
長い腕が特派の制服を掴み、ルルーシュが『准尉っ』と声をあげた途端、目にも止まらぬ速さでシュナイゼルは
スザクの顔をまたぶん殴った。続いて長い脚が『跪け』というように准尉のブーツを薙ぎ払って、今度こそは椅子にぶつかることもなく
頭から床へ転倒した。もうルルーシュは異母兄になんて言っていいのかが解らなかった。
「屁理屈はよしなさい、枢木くん」
「僕は閣下の命令をそのように受け止めましたが」
「……ん?」
「きたる事態に備える為に、ランスロットの中で待機していろと。僕なりにそう受け止めましたが」
違ったんでしょうか?と尚も暴言を続ける。しかもその瞳が獰猛なまでにシュナイゼルを睨んでいるものだから、
ルルーシュも『こいつは悪くないんです』と前に出ずらかった。何よりも自分達を包む空気が悪かった。
「閣下、進言をお許しください」
そんな張り詰めた空気の中、セシルが片手をあげて一歩出て、どうしていいかオロオロとするルルーシュを庇うように背にし、
床へ這い蹲っているスザクの身体を跨いだ。未だに、頬と頭へ受けた衝撃の所為で立ち上がれないでいるのか、ふてぶてしい発言を
繰り返す口ははっきりと動いたが、翡翠の焦点は合っていなかった。普段軍人勤めをしている人間をこうもくたばらせることが
出来るのだから、シュナイゼルの豪腕は恐れ多きものだった。ダールトンだってくらいたくない。
そんな畏怖の目で見られている第二皇子は、特派の紅一点である女史の提言に穏やかな笑みを向けた。本当に女(と兄弟)にだけは
優しい。
「何でしょう、セシルさん」
「え、ええと……流石に今回ばかりは枢木准尉も、殿下の御命の為に動いたことでありますから、その……命令違反とは言い難いのでは
ありませんでしょうか。私どもも、殿下が失踪された時は見っとも無く慌ててしまって、准尉のように迅速には動けませんでしたわ。
まあその、エナジーフィラーをハッチの方へ無理やり接続したのには、拳骨くらいは食らわせてやりたいとは思いますけれど」
前半は穏やかな調子で、後半は静かにだが剣呑な響きを込めてセシルは股下の男へも聞かせるように紡いでいった。ピクリと准尉の
指先が動いたのを目の端でとらえたルルーシュは、向かい合う異母兄とセシルを尻目にその場へ屈み、そっとポケットから取り出したハンカチを
准尉の口元へ当てた。
「ほう、枢木くんはそんな勝手までしてくれたんだね?ロイド」
「あーまー、そうなりますかねえ。でもいいじゃないですか。准尉が言う通り、ルルーシュ殿下も帰ってきて結果オーライ」
「いつからお前、結果主義者になったんだい」
「あら、過程のほうがお大事で?」
「……そうじゃない、私はだねロイド。もう少し彼に騎士としても軍人としても人間としても、ちゃんと振舞ってもらいたいってだけで」
---------別に個人的に苛めたいわけじゃ。
とブツブツ言い訳のようなことを口にしている。セシルは上司と閣下の掛け合い溜め息交じりに傍観した。その下では蹲っている
男の口元をせっせと拭う皇女の姿がある。スザクは別にいいのに、と何とかしてあがる右腕で少女の手を掴むが、
『化膿するから』と強引にされるがままになっている。何というか、手前で行われている会話と、足元で展開している主従のいちゃつき
には、とんでもない寒暖の差があった。
「殿下、もういいから……」
「ダメだ。お前だって兄君のキックくらい避けられただろう。なのに」
もそもそとされる会話は絶対に第二皇子たちには聞かれてはならないものである。セシルは跨いだ准尉の横腹を小さく小突いた。
「宰相閣下。枢木准尉の命令違反については、軍規法にのっとり我々が処分させて頂きます」
そっと離れた位置から口を開いたのはギルフォードだった。うむ、と頷くように顎をひいて、コーネリアもシュナイゼルへと進言する。
「確かにそこのよく解らない野良犬の処遇に関しては、兄上が関わりにならないほうが宜しいと思います。それよりも、今後、兄弟の誰が
エリア11に総督として残るか。その事についての議論が必要だと思うのですが」
その言葉を転機として、アヴァロンを包む空気が一瞬でヒヤリとしたものになった。ルルーシュはパッと身を起こし、薄い胸を張り
異母兄たちが向かい合う前へと出た。紫電の色は先日までの淀んだものとは違う、明瞭なものであった。
「クロヴィス亡きあと、ゲットーを封鎖し、孤島のような形で租界が生まれた。周りは常に巡視船が徘徊し、内部事情はイレヴンと
英国軍で氾濫としている……長として纏め、統治する人材が必要だ」
第二皇女の言葉に続くように、ロイドの横で朗々と紡がれていく声の裏には、暗鬱とした意味合いも充分に込められていた。
テロリストとレジスタンス。
イレヴンとブリタニア人。
相反する存在同士が反発し、内乱が起こる。ルルーシュたちが偵察に来る前よりももっとその現状は悪化した。それは、
先日ルルーシュも直に見に行った退廃した光景。仲間以外は寄せ付けない孤島を護る重鎮として、一度は死んだと思われたブリタニアの
皇子が居たから。それがナナリーの変わった姿だったから。
きゅ、とルルーシュは悔しさに唇を噛む。掌には准尉の血を拭ったハンカチがあった。眉はきつく寄せられ、俯くこともせずただ
無人である空中を睨んでいる。ナナリーが、一度は手を離してしまった弟はルルーシュにとってそんな存在となっていた。空気。
その存在の重量ではない存在感が、暗くルルーシュ自身を押しつぶす。
しかし、もう迷うことはしなくてよい気がした。隣には変わらずに居てくれると誓った騎士の存在があったから。
チラリ、と紫電で足元にくたばる男の影を見て、勇気づけられるように口元を僅かに綻ばせ、異母兄たちへ真っ直ぐに顔を上げた。
「兄君、姉君、ルルーシュから折り入ってお願いがあるのですが」
「お願い……?」
「何だね」
すぐにこちらの方へ振り向いてくる視線に、『う』と若干腰をひきかけたが、すぐに体勢を立て直して口火をきった。
「私が、総督になろうと思うのですが」
ぐてんと転がったままのスザクの襟首を掴んでいたセシルも、シュナイゼルの横で欠伸をしていたロイドも、やはり後ろに控えていた
ダールトンもギルフォードも、……そして輪の中心であるルルーシュのすぐ傍にいた皇子と皇女も。
全員が固まった。
普段は落ち着いたモノトーンに語りかける声の、キーが微かに震えて、その言葉の真意と重さを説明するように続けられる口上も、
すべてが非現実なもののように思えた。
「ルルーシュ」
信じられないというように、コーネリアの視線がルルーシュを刺す。
「-----本気かい」
自立心や向上心、反抗心を責めるでもないシュナイゼルの声が、やんわりと痩躯を押し包んだ。
(それでも、)
決めたからにはやる。言い出しておいて行動に出ないなんて不実行も甚だしい。
一閃のかたちに紫電を釣りあがらせて、こくりと頷く。瞳はたじろがず、口調も変わらず明瞭に異母兄たちへと向けられた。
(俺が決めたことだから)
「私がエリア11の総督として、クロヴィス兄君の跡を継ぎます。ナナリーの始末もつけます、あれは俺の問題だから」
いつ頃だったからか。ルルーシュは一人称をシュナイゼルたちの前でだけは『私』に変えた。
『俺』という個人を指すのではなく、立派な皇族対皇族として。ルルーシュがそう立ち向かいたいという自立心の現れだった。
幼い頃、どうしても『俺』という個人に執着し、女としての自分を受け入れきれなかったが、---------それでも今は。
ナイトメアにも騎れない、拒まれる。
作戦の指示をする、でもやりきれなかった。
その過去すべてを撤廃する。意志の力だけは人一倍あった。頑固者だと笑われようとも。
「私は構いません、もう決めたんです。……内乱を終わらせることを」
その最終地点に血まみれの弟が立っていようとも。
もう迷いはなかった。
燦燦と日差しが差し込み、芝生を輝かさせる陽気のなか駆け足になってルルーシュは奥へ向かった。離宮のすぐ端に白いテラスがあって、
たまに時間が空いた時に異母兄が読書をしているのを見たことがあった。今はその場所にひとつ違いの異母妹が座っていて、
はあはあと息を弾ませてくるルルーシュへと視線を向けてくる。
「ルルーシュ……吃驚した。帰還して一番に来てくれるなんて」
不思議そうに首を傾げながら、手入れしていた花桶を足元へと置いた。ルルーシュは頬を紅潮させたままユーフェミアの手をとる。
「ゆ、ふぃ……おね、お願いがあるんだけど」
「うん、なに?」
「あのな」
縺れる舌を落ち着かせながら、自分と同じ紫電を見上げて一息に言い切った。
「俺の髪、切ってほしいんだ」
がっしゃん。
ユーフェミアは手にしていた手入れ鋏をタイルの上に落としてしまった。
「殿下、何処にいってしまったんでしょうか……?」
住み慣れた根城であるトレーラーの中で、給湯室のようになっているスペースでセシルはポットを片手に
茶葉が詰まった缶を振りながら、ロイドへと身体を向けた。とうの上司は、部下の思案げな声も気にせず、両腕をガシッと
掴まれてギルフォードとダールトンにより訓練場に引き込まれたスザクのことを考えていた。
「ねー、僕たちもさー、エリア11に転属ってことになるのかな?」
「なるんじゃないでしょうか。スザクくんも向かうなら」
「もしかして僕たちって彼と一心同体?」
「-----それならルルーシュさまとがいいですね」
コポコポとお湯の煮立つ音が、狭い空間を支配した。言っておくが、女史の手にしているのは『玉露』と印字された缶であり、
当然熱湯で注げばマズイものである。
数分後、ロイドは吐き気とともにトレーラーから飛び出した。
一週間振りに自室である宮殿のほうへ戻って来れたスザクは、襟元や制服のタイなどがよれよれとなった状態で、
そのままベッドへと突っ伏した。
先ほど、無言のまま、巨漢である先輩騎士二人に訓練場に押し込まれたスザクは、尋問のような形で
空中より撮影されたランスロットの戦闘風景をスライドショーとした画面の前で、極限なまでに心情を吐露させられた。
『お前ぶっちゃけルルーシュさまのことどう思ってるんだ』
『……はっ?』
『大丈夫ですよ、ここは防音もばっちり』
『いやそんなことじゃなくて、何でいきなり、』
『夜中、殿下の部屋によく行ってるんだろ?』
そろり、と顔を近づけてくる。ダールトンの特徴でもあるもみあげ部分が頬に触れて、スザクは距離をあけるため身を捩った。
『そ、れは誤解ですよ……自分と殿下は何も』
『アヴァロンに戻ってきた時、ルルーシュさまは泣いておられたように見えたが?』
ギルフォードの眼鏡が、スライドシアターの光に反射する。何故だか二人とも顔が近い。
『あ、あの、将軍……ギルフォード卿。顔近……』
『悪いな、枢木准尉。こっちは閣下に頼まれてるんだ、直々に』
『私もそれは同じです。コーネリアさまは随分と気にしておられた。……主にルルーシュ殿下を』
そんなこと知ったものか。スザクはギリギリと締め付けられる手首をどうにか緩めようと腰をもがくが、それでも背中に張り付く
ダールトンの拘束は解けない。シュナイゼルには三発も殴られるわ、自分が床と友達状態のときに主君は勝手にこれからのことを決めて
しまっているわで、本当にここの所報われていない。一体自分が何をしたというんだ。
『まあ、閣下が殴ったのは、こいつがルルーシュさまを殴った分のお返し、ってことだよな』
『当然です。宰相閣下は慈愛深い御方ですから』
そんな人が報復だといって容赦なく殴るだろうか。蹴られた脇腹が未だに軋んで、スザクの目じりに涙が浮かんだ。
『お、こいつ泣くぞ』
『男のくせに情けない……尋問の相手が我々だということにもっと感謝しなさい』
(誰がするもんか!)
拘束されてさえ居なければ両目を拭うことだって出来ただろうに。見っとも無くひんひんとしゃっくりあげてしまった。
やっと解放されたのはそれから数十分後のこと。内線でコーネリアが将軍たちを呼びつけたからだ。正直助かったと思ったスザクは、
『まだ真相を聞いていないっ』と押さえつけてくる腕を避けて、訓練場の裏にある自分しか知らない抜け道を通って、宮殿のほうまで
駆けてきた。随分と締め付けられたからか、無残にも特派の制服はボロボロである。まあ替えがあるからいいのだが。
「うう……」
ルルーシュの騎士となって、主君の私室のすぐ傍に誂えられたスザクの部屋は狭い。ベッドとクローゼット、あとは机くらいしか
家具は入らない。
その分ベッドはスザク用に大きかった。ぐぐ、と身体を伸ばして横たわる。制服のタイはもう完全に解けて、小さな擦り傷やら
古傷などが胸元から見えてしまっていたが、此処にはそれを気にするべき少女も居ない、と思ってそのまま翡翠を閉じた。
「なんでだろう、ほんとに……なんでなんだ、ほんとに……」
スザクは内心で自問した。どうして今のようにベッドへ身を預けるとき、決まって瞼の裏に現れるのがあの少女なのだろうと。
いや、スザクの中ではまだ『少年』だった。女なんかじゃない。昨夜、コックピットの中で抱き締めたときだって、
別に慰める以外の意味合いなんて持たなかった。
(嫌いなんだよブリタニアは、嫌いなままでいいじゃないか、その方がずっと生きるには楽だ)
意識に薄くモヤがかかりだした。
最後にピリ、とした口端の痛みを感じたが、それもまあ寝れば治るだろうと思ってそのままにした。
……そのままにしたのが、悪かった。
「准尉、……准尉、おきて」
ゆっさゆっさと自分の肩が揺すられる。枕に埋めた頭もガクガクとぶれて『お願いだからもうそっとしといてくれ』と
起こそうとしてくる手から逃れようと寝返りをうつ。
「准尉」
それでも、小さく、触れる掌とは反して密やかな溜め息が頬に触れる。スザクの某皇族に殴られてパンパンに腫れた顔が、
固く閉じる瞼を覗き込んでくる誰かの呼気に震えた。--------え?
(誰……だ)
疲労と心労が圧力となって鈍くなった神経を研ぎ澄ます。
それでも暗闇からのそりと跨ってくる人物の顔は解らなかった。しかし身体に染み込んでくる体温は慣れたものだった。これは、
「で、んか……?」
吐息のような呟きと共に、翡翠は暗闇の中で空間を探る。
そして懐かしい面影がゆらりと動き、その身がスザクのほうへ屈みこんできた。
「……ん……?」
ルルーシュ、そう、主君が自室に忍び込んできたのはわかる。腰の上を跨がれるなんて日常茶飯事だなことで、特に驚きはない。
が、しかし。
いつもなら帳のように流れてくる、黒髪の感触がない。あまりにもルルーシュの存在がコンパクトなものになりすぎていた。
(まさかまさかまさか)
「っ!」
スザクはグンと腕を伸ばして彼女の頭をひっ掴んだ。ギチ、と毛髪を手の中で握り、くんくんと手前のほうへと乱暴に引く。
「痛っ、た、……痛い!いたいイタイ!准尉っ」
細い悲鳴が天井まで響いて、そこでスザクは覚醒した。
「------------髪が、無い!」
勢いよくスザクが跳ね起きた先には、おろおろと慌てた様子で部屋を覗くユーフェミアの姿があった。
片手には断髪に使用したのか枝きり用の鋏があって、くらり……とかなしい眩暈が脳天を襲った。はやい、なんかもうやる事成す事が
はやすぎる……!
「離せー、痛いー!くそ准尉!」
未だ膝に跨ったままスザクの掌に拘束されているルルーシュは、掴まれた髪を別の手でぐいぐいと引っ張り、唖然と固まったまま動かない
准尉の顔を見ようともしない。よれよれとなった制服が今の心境を表してるようだ。ユーフェミアも気持ちは解るのか
ひっそりと伸ばした指先を口元にあて『静かに』と二人へ伝えた。
「……ルルーシュ、あんまり騒がしくしてしまうとお姉さまたちが来てしまうわよ」
「っそうだ」
ぱっと向き直りスザクへと視線をあげた皇女が次にとった行動は、准尉の手を掴んで部屋から飛び出すことだった。そんなに
身軽ではないはずなのに体重にまかせて引かれたからか、簡単にスザクの身体はシーツから離れ、部屋の外から零れる光の下で
改めて皇女の変わった姿をみた。--------見事に襟元のあたりまでバッサリといってしまっている。
「殿下……」
「准尉、俺とエリア11に行こう」
「は?」
「俺と日本に行こう」
落ち着く間もなく、そのままスザクはルルーシュに手を握られたまま回廊へ出た。
「ルルーシュ、出るなら今のうちよ。東の回廊が手薄になってるから、そこでセシルさんたちが待ってる」
すれ違いざま、ユーフェミアが『またね』とルルーシュへ手を振っていたのを視界に納めた。
ずっと手首を引かれて走ることには慣れていたが、昔と違うのは皇女の髪の長さだった。
いや違う、もしかしたら、もうルルーシュは変わってしまったのかもしれなかった。
「殿下、貴方……本当に此処からお出になるのですか」
「え?」
絨毯をバタバタと踏みながら声を張り上げる。
「此処から出るっていうことは------閣下たちと離れることになるんですよ……!」
自分は主君を止めたかったのかもしれなかった。でもルルーシュは振り返った時にみせた笑顔でその迷いを一蹴した。
「いらない」
「……ぇ……」
「もう要らない」
以前よりもっと少年に近い容貌となった彼女の口端が、少しだけ吊り上がってるのを見た。すぐにも奥にある扉は開かれて、
スザクは抵抗もなくその先に投げ込まれる。どしゃっと身体で着地したそこは特派のトレーラーの開口部であった。セシルもロイドも
先ほどのスザクと同じく唖然とした表情でルルーシュの頭を見ている。明るい場所でまじまじと見たからか、スザクも更に
ルルーシュの姿に驚いた。
座ったまま呆けるスザクの前で、開口部のハッチに手をついて身を乗り上げる。本当に後悔は無いようなのか声を張り上げて
『このままアヴァロンまで行け』とセシルへ言っていた。ロイドが止める間もなく女史は命令に従って、急発車するトレーラー
の中が極端に揺れて上司と共にスザクは壁側へと転がった。
「ロイドいいよな……?」
密かな問い掛けが奥へと掛けられる。スザクを下敷きにした白衣がむくりと起き上がった。
「これは裏切りじゃないよな」
「……ご自分が決心して弟君の始末をつけられるなら、僕は結構なことだと思いますよ」
「そうか」
その返答が後押しだったのか、突然入ってきた内線をセシルが応答する前に引っつかんだ。
「ルルーシュです」
『……自分一人を追い込もうとするなルルーシュ』
「兄君……」
『総督のこともお前にはまだ早すぎる、昔もお前に言ったよな、ナナリーのことを責めたりはしないと』
思い出したくもない情景が双眸に浮かんだ。今だって開いたままの窓枠と光を遮る新緑の影が怖い。責めるというよりは
トラウマだった。必死に泣いて弟の前でシュナイゼルとロイドに縋った春の日。あの状況を目の前にして異母兄たちは決して
ルルーシュを詰らなかった。ただ哀れみのような視線を向けるだけだった……その事が今とても腹立たしい。
「--------けれど私の責任です。あいつの始末をつけない限り、英国には戻らない」
『ルルー、』
「貴方はいつだって、私のことを優先して、どんな事も勝手に決めた。ミドルスクールのクラス分け、人間関係の選抜、
皇族会議への出席不可。軍に関わることを何よりも嫌いましたね。そんな事も、兄君の配慮だと思って甘んじて受けていました。
……でも准尉の事は違います。彼は俺が選んだ俺の騎士です」
そこで一呼吸ついて、受話器を持つ手に力を入れた。
「よくも、殴ってくれたな……」
昏い、地を這うような声だった。足元に座り込んだままのスザクもロイドも、揺れるトレーラーの中で唖然と皇女を見上げている。
囲われた檻から出ようとでもいうのか。下から見上げるルルーシュの背中はピンと立っていた。スザクは眩しそうに目を細める。
「もう絶対に、手を離さないと誓ったんです、誓ってくれたんです……、だから俺はもう、兄君の傍には居られない」
耳元でなにか囁かれる気配がした、それでもわざと聞こえないふりをして通話を切る。そのままルルーシュは追跡を逃れるように
内線のケーブルを引きちぎって、開口部のロックをした。
アヴァロンには既にコーネリア隊が居るらしく、宮殿の中はいつも以上にひっそりと静かだった。
切られた電話は意味を持たないから、手袋に包まれた手を一閃して机上からはじき捨てた。その様子を残されたユーフェミアが
扉の影から見つめる。隠れてるような素振りもないのですぐにシュナイゼルは気づいてしまうのだが。
「過保護と過干渉は同じですけど、支配は違いますわお兄さま」
「私が、支配していたと?」
「ええ、ルルーシュもよく今まで我慢していたなとは思ったけど、本当に突然でしたわね。私は軍には一切関わり無い皇室務めで
ありますから、本当の苦しみは解らないけれど、本当の願いは聞いてあげられる」
「だから、ネリアにあいつと共に行けと伝えたのか?」
ふう、と嘆息しながら背もたれへ身を預ける異母兄の姿を見て、僅かに両目を開く。
「そうですわ。いけない事だったかしら?」
「常套だ。枢木スザクと二人きりでなければいい」
持ち上げた掌を固く握り、硬い机の上にそれをたたき付けた。ドン!という音が二人の間に響く。ユーフェミアの姿勢はビクともしなかった。
「七年前に殺しておけばよかったな」
「そんな事したら本当にルルーシュから嫌われてしまいますよ」
「嫌われたって構わないよ。私にとっての宝はルルーシュだからね」
叩き付けた拳をゆっくりと開いたら、中には一匹の潰れた虫の死骸があった。『汚らしい』と口だけで呟いて手袋を捨てる。
クロヴィス、実弟が亡くなっても『何も感じない』と言い切った青年は、異母妹の見つめる前で汚らしい本音を撒き散らした。
「野良犬に渡ってしまうくらいなら、くれてやる前に始末しよう」