--------もちろんこれは例え話です。



ある国には窓がひとつしかありませんでした。お部屋もひとつしかありませんでした。

何時間も腕をあげたまま木を刈っていた庭師や、みんなの為に美味しい料理を作ろうと何時間も立ちっぱなしだった料理人が
座る椅子も休むベッドもひとつしかありません。

『世界一美しいのはだあれ?』ときくお妃さまの鏡も、王女さまが身繕いをする鏡もひとつしかありませんでした。

村人は言いました。

そもそもお城がひとつしかないのがいけないんじゃないのか? と。

それは尤もなご意見です。
この国には土地はあっても”個人”が所有する”ひとつの”部屋がなかったのです。

ぐるりと見回せば隣人が笑い、一歩進めば友人と出会う。その国の人たちは同じ空間で居住していたのです。

それでも彼らがその事以外で異を唱えたことはありませんでした。

たとえ恋人と触れ合っている最中に後ろでは殴り合いの修羅場が始まっていても、みんなみんな仲良しであったからか、
本当の諍い、---------つまり戦争が起こることなど無かったのです。有り得ない事態だったのです。

いつだったか皇帝が笑いました。『やっぱり国がひとつになることはいいなあ』と。

お城も、庭も、椅子もベッドも自分を映す鏡でさえも、ひとつしかなかったからうまくいっていたのです。
ですがモノはひとつでも、それを使用する人間はひとりではありません。残念なことに、皇帝が満足する”ひとつの国”には
”おおくの国民”が生活していたのでした。

あるとき、皇帝がとても愛していたお妃さまが死にました。そのすぐ後にお妃さまの騎士が亡くなりました。
たったひとりの王女さまは、それはそれは悲しみました。その時ばかりは国民たちも、ひとつしかない枕を差し出して
王女さまの慟哭しかなしみに暮れる姿をただ見守っていました。けれどあるひとりの国民が立ち上がって意見しました。そいつは男で、
密かにお妃さまのことを慕っていた国民でした。

その男は涙に溺れる王女さまに言うのです。彼女のたったひとりの父である皇帝が、たったひとりのお妃さまを殺したことを。

嘘をいうな、本当に見たのか。”おおくの国民”が言います。
そんな怒号の中で、まったく抑揚もない冷静な声で男は答えました。

だって浮気も恋愛も、それを仕切る壁がないから、どんなものだって見えるじゃないか。



人間はよく自分に都合のいいものしか見ないと言います。
無意識のうちに国民たちは、王女さまも含めて、見たいものしか見ていなかったのでありました。

それこそが自分自身の中に築いた壁、空間、ひとつしかない自分の自由に出来る”ひとつの”家だったのです。
やはり国民たちは納得していませんでした。この国の、皇帝の世界の理に。

王女さまは走ります。

たったひとつしかない料理人の包丁を持って、
たったひとつしかない皇帝の間まで、
なにひとつ考えることなく、ひとに殺意を覚えることこそが”自由”の象徴である、

その事こそに歓喜しながら進んで行きました。












そして、ひとつの国で内乱が起こりました。
ひとつの国はふたつの国になって、国民は人々と呼ばれるようになりました。
人々は個人となって、やがて名前が生まれるようになりました。しかしそれ故に、戦争も起きるようになってしまったのです。

たくさん人も死にます。たくさん人も悲しみます。
けれど、自分一人が悲しむことはない、とその時の王さまは笑いました。彼女はあの時の王女さまだったのです。

やっぱり人間、”自分だけのものが欲しい”というのが理なのでした。


もちろんこれは例え話です。


きっと何処かの国で誰かが作った、”たったひとつ”の御伽噺。

































『殿下には、護衛をつけて下さっていたのではないのですか』

嫌味かおい、という准尉の声が音声で届いた。セシルもロイドも頭を伏せ、大画面に映るコーネリアの表情を見れずにいる。

反省させる為と安全を図る為に閉じ込めておいたのに、当の本人がそそくさと
窓を飛び降りていってしまった。あの身軽な身体にはきっと羽根が生えてでもいるのだろう。ルルーシュは一度決めたことは
曲げないし、成功するだろう作戦を停止させて、私情にまかせて腕を振るったこと。……本当はすぐにでも根を絶たなくてはいけない
存在なのに、血の通う弟を庇ったのだ。反省や懺悔の気持ちがゼロであるはずはない、きっと責任を感じて、傷心の果てに
ゲットーへ飛び出したのだ。

そうまでの責任を感じてくれるるくらいなら、最初から停戦命令なんてしなきゃよかったんだ、と、スザクは思った。
そして同時に知ってみたくなった。自分が14で軍に入る以前に廃嫡とされたルルーシュの弟のことを。セシルが前に
瞳の端を垂れさせて柔らかく言っていた、笑顔が綺麗で、姉のルルーシュを親愛していた、その男。
(殿下の)
心の奥の奥にある繊細な部分に、今も尚根付く毒のような存在。ルルーシュ自身を強くさせ、同時に脆くさせる
致死性の猛毒であった。自分にそれを撤廃してやることなど出来はしないと、思う、けれど。
ランスロット中から外の喧騒を耳にしながら、スザクはこのコックピットでルルーシュの顔を殴ったことを思い出した。
あの時の表情は、驚きと、ただひたすら申し訳ないという、苦悶の色を滲みだしていたように思う。スザクがそんな顔にさせたのだ。
(そうか、まだ謝ってない)

それだけでも迎えに行く理由にはなると思って、特派の制服のポケットに潜りこませていたランスロットのキーを
足元近くにある差込口に突き刺すように入れた。











穏やかな昼下がりの午後、暗い地下通路にしか居住していないと思われていたイレヴンたちは、クロヴィスが殉死したお陰で
陽の下での生活を許された。いや、むしろ自分たちで生活を勝ち取ったといってもいい。ある子供は崩壊したビル郡の真ん中を
突っ切るように駆けていき、ボロボロの衣服に身を包んだ母親へと抱きついていた。幸せそうな、家族の光景。今まで英国が奪って、
イレヴンが失くしていたものだった。
ルルーシュは臣下の者たちにバレないよう、なるべく黒でもなく白でもない、灰色に近いマントを頭からすっぽりと被った状態で、
戦艦から飛び出してきていた。
もしかしたらナナリーが指揮する軍隊、レジスタンスのアジトの手懸りが掴めると思って、
先ほどから裏道しか通っていなかった。もっと租界にいけば道路も舗装されて、名誉ブリタニア人なども居るのだろうが、
それに頭を向けることは逃げのような気がして、硬く紫電を伏せた。

いけない、いけないのだ。

柔らかく『許さない』と言った弟を、自分が許してはいけない。
弟への罪の意識で部下たちを、英国を巻き込んじゃいけない。
冷たく無慈悲なピリオドを肉親へとつけたはずなのに、まだルルーシュは気持ちを区切れずにいた。だって自分は加害者だから、
(……俺以外にも、みんな傷ついている)
ナイトメアにも騎れない自分は、指揮官にも成りきれていなかった。
三年前のサクラダイト開発後、ナナリーが消えて目的を失いかけていた時に手を組んだ白い騎士、スザクからはもう主君としても
指揮官としても思われていなかった。
確かに野望を胸に、まだ少年だった彼の手を強引にとって、自分の騎士につかせたのに、とうの主君には迷いがある。それが、
どうしようもなくルルーシュ自身のシコリだった。消えない痣だった。誰にも消せないナナリーの爪あとだった。

昔。
ユーフェミアとナナリーと三人で、よく遊んだものだった。ナナリーは他の皇族の兄弟にも優しくて、何故か姉のルルーシュが
それに嫉妬して、離宮から抜け出したものだった。依存していたといってもいい。でもかならずナナリーは時間を少しあけて、
迎えに来てくれていた。自分よりも幾分柔らかい菫色の瞳を細めて、『帰りましょう』と自分を見上げて。
あんなに優しい弟を、血まみれにさせたのはルルーシュだった。弟はナイトメアに騎れない変わりに軍隊を作り、
指揮官となったルルーシュへ相対した。もう彼が迎えにきてくれることは有り得ない。手を離したのはルルーシュの方だったから。
ふ、と突然視界が暗くなってルルーシュは顔をあげた。崩壊したビルのバックには、視界の広い大きい空が広がって、
生き物のような雲が風に流されていた。ふわふわとした足場の感覚を頼りに、また日陰へとルルーシュは身を隠す。
こんな事を独断で続けていても、意味はないと思った。しかし、一度でも自分の足で弟が選んだ国の土を踏んでみたかったのだ。

「--------誰だ」

覚束ない足取りで、もっと奥の方に進もうと振り返ったとき、ルルーシュは突然上から声を掛けられた。
はっとなって、マントで口元を隠す。外壁が崩れた岩肌を足場にした少女が、自分を見下ろしていた。
赤銅の髪と反した蒼瞳を細めさせて、睨むようにいるその少女をルルーシュは見たことがあった。彼女はあれだ、先日紅いナイトメアに
騎っていたパイロットだ。く、と咽喉が引き攣る。
(失態だ)
開いた視界の隅には、彼女の仲間と思しき男たちが居た。同じような黒い衣装から、きっとそれが制服のようなものだというのが解る。
けれど暢気に会話など出来るはずがなかった。ルルーシュは異母兄たちと違って公式の場には出ていなかったが、瞳を見ただけでも
皇族と知られてしまうだろう。何でこんなゲットーの奥地にまで踏み込んでしまったんだ、と内心で舌打ちをした。
「誰って聞いてるんだけど、……貴方、見たことない顔ね」
「!」
「隠してるつもりだろうけど、マントなんて此処じゃ意味ないよ」
後ずさろうとしたルルーシュのすぐ傍まで、飛ぶような軽さで少女は近づいてきた。『っ』と声が詰まり、反射で顔を伏せる。
迷いもなく突き出された腕から逃れるように身を反らし、ルルーシュは懐に飛び込むように踏み出した。
そんな動きは予想外であったからか、少女は小さく声を上げて、駆け出すルルーシュに道を譲る。逃げるには今しかないと思い、
そのまま後ろも見ずに走って行った。
「カレン、あいつ」
「妙ですね、此処に住んでる人たちはもう租界の方に向かってるっていうのに、あいつは逆の方へ逃げていきました。日本人じゃ
ないと思います」
額に同じベルトを巻いた男の前で軽く頷き、ルルーシュが去っていったほうへカレンと呼ばれた少女は足を向けた。
はっはっと短く息を発し、両手でマントを掴みながらルルーシュは先へ先へと進むことしか考えていなかった。
暗い闇を識別するように動く紫電の前には、ただの岩と崩れた柱、千切れたケーブルしかなかった。後ろからは依然追いかけてくる
足音が響いてきて、息を呑む。『逃げなきゃ』という考えしかなかったのだ。
何処か身を隠す場所はないか、と辺りを見回す。しかしまともなものは何ひとつなく、焦燥だけが募った。いやな汗が背筋を流れて
それだけで焦りに眩暈がしそうだった。
「こっちだ」
「へ、…------!」
突然横から引かれた腕に足をとられて、蓋を開けられたマンホールにそのまま落とされてしまった。
「ひっ」
と口から出る生理的な声を掌で抑える、足首を掴んできたのは自分と同じ女であるらしい。視界に光が全く無いからか、外見も容貌も
見ることは出来なかった。
自分に続いて降りてきたその女は、頭の形にすっぽりと嵌るようなキャップを目深に被っていた。
ルルーシュはペタンと落ちてしまった腰をどうする事もなく、口をみっともなく開いた状態で絶句した。
その女は、先日アヴァロンの司令室の画面で宣戦布告をしてくれたあの面差しとそっくりだったのだ。
「おっおおっ……!」
指だけ突き出してわなわなと震えるルルーシュを不思議そうに見下ろして、その女は艶やかに笑って。
「『お前は』と言いたいんだなブリタニアの皇女」
「……ガウェインの」
「そうだ、私が操縦していた。お前の弟と契約した女だと認識しておけ」
かあっと瞬間的に頬へ血が走った。なぜだか怒りのほうが先立って、自分のみっともなさや情けなさを棚に上げて
目元に青く筋が入るほどの感情を誰かにぶつけてしまいたかった。
それすらも呑み込んだというように女は笑って、腰を抜かしたままのルルーシュの手首を掴み、腕だけで立ち上がらせた。
「助けてやった恩人に感謝もないのか」
「あいつらの事を言ってるのか……仲間なんだろ?お前の」
「確かに形はそうなっているが、あの連中とはツルまないさ、私は独断で動くことに価値を持っているから」
片手でマントのあわせを掴んで、地下通路の更に下に位置するだろうこの暗い空間においても、尚光るような眼差しをもつ
女の口上にルルーシュは黙った。
どうして弟が、この女を近しい場所においているのかが少しわかった気がして、また拳に力が入る。
時間と空いた距離により、お互いの性格も立場も、何を好きでどんな事をしようと決めるのかでさえ、変わってしまったのだろうと思う。

自分のことを
(……憎んで)
ブリタニアに刃向かい、エリア11を廃墟と化して、尚も反抗することをやめないというのなら、
その道を選んで本当にルルーシュの手を自分から離すというのなら、
(俺も)

相応の覚悟がいると思った。



「…………おい」
引き結ばれていた唇が開く。ん?とルルーシュのほうへ女は振り向いた。
「質問に答えてほしい」
「質問にもよるな」
被るように返事がかえされ、ルルーシュは僅かにだが眉を顰めて、出そうになる罵倒を押さえ込んだ。女はわざとルルーシュの
神経を波立たせるように振舞っているのだろう。呑まれてはいけない、と自分に言い聞かせ、ルルーシュは唾をのみこんだ。
すっと息を吸う音がひび割れたコンクリートに反響する。そして、

「お前たちの本当の希みはなんなんだ」

絡みつくように粘る唾液を飲み下して、一息に発した。

先日、ガウェインがアヴァロンの着艦を阻止したあの時、ランスロットが敵側の機体であるガウェインをやっとのことで取り押さえた
あの瞬間、淀む意識のなかでも確かな決断として自分はスザクの攻撃を止めさせた。
冷静さを象徴するような翡翠を怒りに染めて、スザクはルルーシュを厳しくなじった。それでも停戦させたことに後悔がなかったのは、
ルルーシュの中にどうしても気懸りに思う事実があったからだった。

「俺はナナリーに憎まれてることは知っている……死んだと思っていたから、もう償うことも、謝ることさえ出来ないと思っていた。
けど生きてて、成長しても変わらない声とか表情とかを懐かしくも思った。だから、俺のなかに迷いがあったっていうのも自覚してる。
……ただひとつの気懸りを除いては」
「それは?」
「それは------俺を殺すことが目的だというが、それ以外にも他に目的があるんじゃないのか、という事だ」
「……」
女は黙った。ルルーシュは役目をなくしたマントを肩まで下げて、表情を露にする。その方が同軸に立っているという証明になる
気がしたからだ。なにはなくとも対等な位置で、”敵”として立ち向かう必要があると思った。


『たったひとつ』の。



「確かに、肉親への恨みだけでは、国ひとつ滅ぼそうなんて思いもしないだろうな」
何が可笑しいのか女は笑って、暗闇の中でルルーシュの手首を掴んだ。
「な、」
「来い、ゲットーが封鎖される前に見せておきたいものがある」
そうか、総督が亡くなったから、イレヴンたちはみんな租界へと逃げ込んだのだな。
ルルーシュは自分も皇族で軍事にも関わっていた人間であったのに、ずっとそのことを失念していた。ブリタニアの人間としても
失格かもしれない。
ナナリーが本当に希んでいるものや、ナナリーが自分と離れている間に見てきた景色を知りたいと思って、ルルーシュはゲットーまで来た。
なのに、自分はまったく知らない。国も人も、弟の考えてることすら掴めずに、ただフワフワと浮くように生活している。
「……おい、何処に行くんだ」
「今なら紅月たちも居なくなっている頃だろう。地上に出るんだ」
「地上……」
岩肌がハシゴに使えるような形に隆起していて、そこを二人で登っていった。途中でピシ、と岩の欠片が砕けて落ちていったが
どうにかして日の差す地上へとあがってこれた。
頬に触れる風は少しひやりとしていて、肩にかけただけのマントの裾は羽のように舞っていた。
それを手だけで押しとめて、女が眺める方向へ視線を注ぐ。
「これは」
「租界とゲットーを分ける海だ」
二人が立ち尽くす場所より下は、もう海となっていた。目で見える距離に租界はあって、長いビル郡が島のような形に連なっていた。
チカチカと点滅し浮遊するのは、亡国民がいないかどうか監視する軍艦であるのだろう。
その姿の異様さにルルーシュは声を失くす。
だってそこに広がる光景は、まるでひとつだけ世界から孤立する国が、介入し侵入されることを拒むように独立している様に見えたのだ。
誰からの、干渉も認めない、ような。
「解ったか、あの男のことが」
「……解るわけないだろ」
「明日からもうここのゲットーは封鎖され、国民はみんなあっちで生活するようになる」
「ナナリーが、そうまで世界を動かしたっていうのか」
「その通りだ、ゼロの姉」
波打つ水の色が橙色に染まった頃合、夕陽も深い血のような色になっていた。
女もルルーシュも、二人が立つ岸壁ですら朱に染まる。
見つめてくる黄金色の双眸は、ルルーシュの紫電には眩しすぎて、心とは裏腹に目を反らしたくなった。
叶うことならルルーシュは、ナナリーの暴虐も反逆も止めたいと思っていた。
なるべく、もう、足も目も身体も心もなにひとつ傷つけずに、今度こそ護りたいと思って。
なのに、ああ本当にどうしてなんだろう。

(いつだって自分は独りよがりだ)

「償いの気持ちだけじゃ誰も救われないぞ」
「………」
黒髪を重く伏せてルルーシュは目をつぶった。女の声がダイレクトに脳へ響く。
「ゼロはもう、お前を愛してない」
「……」
「憎むだけの、独りよがりだ」

「ゆるされることはもうきっとない」

足場が崩れるような感覚が、脊髄から脳天にまで突き抜けるようだった。
閉じていた瞼をかっと開いて、情けなさを露呈するように女へ顔をあげる。どこか寂しそうに租界のほうを見つめていた。
犯してしまったものも消えず、償いさえも与えられず、自分を責めるだけで終わる生涯。
そんなのは嫌だった。自分がいまここで死ぬよりも嫌だった。
どうか本当に、いま自分にできる範囲で構わないから、弟のように己を包む世界を変えたかった。
もう、弟の笑顔を見ることはないと解っていても


「--------俺はっ……」


思いを形に変えようとした時、突然天上から轟音が響いてきた。
「!」
「えっ……」
二人同時に見上げた空には、夕焼けに染まるようにして降り立つ白い獅子が在って、
崩れた廃墟のなかを滑るように走ってきたのか、足首には斜面を滑る用にスケートが嵌められていた。
ルルーシュは唖然とした顔で、ランスロットを見上げる。
「准尉」
助かったのか、助けられたのか。判然としない面持ちで剣を掲げる獅子を、どこか遠く眺めて、
その場に安心したようにルルーシュは腰を落とした。
素性を知られないようにずっと自らを包めていたマントは風に攫われて、蹲る小さな背中が露になる。
しかし女は、ルルーシュを見もせずにランスロットへ背を向けた。

スザクは十通りくらいの規約を破っていることを自覚しながら、攻撃するために掲げていた剣を、
じっと背を丸めたまま動かない皇女の足元に深く突きたてた。『立て』とそう言うように。
ガ、キィィン……!という金属と金属がぶつかりあう音が響いて、火花がルルーシュの腿へと散る。細かい砂塵が
女の後を追うように舞った。誰もなにも喋ることなく別れてしまった。








ルルーシュが我が身ひとつで戦艦から飛び出した後、
アヴァロンより、コーネリアの前で動くことも出来ずに固まっていたセシルたちを尻目にスザクは迷うことなく
皇女を追った。
行く道はきっとゲットーの方だろうと踏んで、案の定見慣れた影を発見した時は、密かに胸を撫で下ろした。心底無事で安心したのだ。
が、傍には見たことのない女が一人いた。
スザクは訝しみ、それをルルーシュに聞こうと思ったが、それはどうしても躊躇われた。
彼女がどこまでも憔悴とした風体で、コックピットから差し出したスザクの手をとったからだった。
「……殿下」
「--------」
一人用の座席に二人で座ることは無理だから、今だけは我慢してもらおうと膝の上に乗ってもらっている。
正面を向くスザクに反して横に身体を向けたまま、膝を抱えるようにルルーシュは俯いていた。泣きもしないし喋りもしない、
一体あのゲットーで何を見たのだろう、と心配になった。
しかし、優しさというものが今いち解らない准尉は、余計な言葉で傷つけるくらいなら黙っていようと、先ほどから黒髪しか翡翠に映していない。
見つめられていることはわかっているだろうに、ルルーシュもなにも話そうとしなかった。けれど、外の景色が夕暮れから夜へと
変わりかけた時、細い指先を特派の制服へと伸ばして、軽く握るように掴んでぽつりと口を開いた。
「准尉」
「は、い……?」
細い吐息だった。スザクは震える肩でも撫でたほうがいいかなと思ったが、今この状態でそんな事をしたら即座に第二皇子に抹殺されるだろうと
思って、ルルーシュのされるがままに操縦することに専念していた。
「俺は、一度、弟を殺したんだ」
「……ええ」
「でもまだ生きてる」
「……はい」
「いや生きてた、生きててくれてたんだ」
敵として。たったひとりの弟は、ルルーシュの敵となったのだ。
「----------それを、俺、が……」
声に涙が滲んできた時、焦ったようにスザクは操作卓を指ではじいて、ランスロットの走行を止めさせた。ルルーシュが蹲るように
上体を伏せてしまったからだ。
顔が見えない。
本当に泣いているのかもわからなかった。
「あの、殿下」
情けないな僕、と思いながら、そっと、本当に軽く触れるだけ、膝元に散らばる黒髪を一房もって、顔を隠す前髪を梳くように持った。
そうしたら目の端に雫をためる紫電とはちあって『う』と低く呻きを洩らしてしまった。スザクはルルーシュが泣くところなんて
一度も見たことがなかったから、いざ目の当たりにしてもどう慰めればいいのか解らなかったのだ。
解らないことだらけで、眩暈がする。
それでも、ひんひんいいながら身体を震わす少女を見守るだけではいけない気がして、『柄にも無い』と内心舌を打ちながら
黒髪を撫でていた手をそのまま自分のほうへと引き寄せて、小さな頭を腕に抱え込んだ。
自分は接触が何よりも嫌いだったのに。
この皇女だけは特別なんだな、と自覚して。
「殿下」
ふううう、とくぐもった嗚咽が届く。ちょっとだけ可笑しいな、と思いつつ、セリフにそれが滲みでないよう注意しながら、
慎重に言葉を紡いでいった。
「言いたいことがあるなら、いつも部屋に連れ込むみたいに言えばいいでしょう」
「………言いたい、こと?」
「そうですよ、あれがあったからどんな不満も溜め込まずに、貴方の騎士になれたんだから」
「……」
「いつも僕の愚痴を聞いてくれたでしょう、だから今だけは」
「……」
「僕が聞いてさしあげます」
さーどうぞ、というようにスザクは抱えたルルーシュの後頭部へと顎をのせて、伸ばした掌で薄い背中をとんとんと叩いてやった。
ルルーシュは心の中は荒れ狂っていたはずなのに、それだけの接触で最奥のあたりがジンと暖かくなっていって、
また緩んだ涙腺からぽろぽろと何かが落ちていった。ぴくぴくと膝がわらう。
今の、こんな情けない自分でもいいというように、スザクが許してくれた気がして、
固く自分の中で閉ざした本音を、重くたどたどしく、吐露していった。
「お、おれが、ナナリーの事にも、決着をつけなくちゃいけないと思って」
「ええ」
「でもそれは、自分のしたことの償いにしかならないことで、」
「……そう、ですね」
「そんな俺に、お前はついてきてくれるのかなっ、て……」
怖くてスザクの顔が見れなかった。けど腕は離してほしくなくて、おずおずと伸ばした指先は掴んだまま、
押し付けるようにスザクの胸へと黒髪を擦り付けた。
たった一言、誰かの言葉が欲しかった。
一言でもいい『いいよ』の言葉があれば、もう何に迷うこともなく自分は進むことが出来ると思って。
そして願うなら、相手はこの男がよかった。

弟の手を離してしまったルルーシュだけど、スザクの手を取ったのもルルーシュだったから、

ひとりでは戦えない弱さを笑ってくれてもいい。
ただ傍には居てほしい。ひとりで暗い世界に溺れてしまうことがないように、
仕方ないなと溜め息を零しながらでも、自分を本当に『大事にしない』手を伸ばしてほしかった。
その方が信じられると思ったから。


「だから、准尉……俺のこと」
「はい」
「何も知らなくてもいいから、騎士でいて」

聞こえているだろうかと危ぶまれたが、抱き締めるスザクの腕は緩むことなく、ルルーシュの背を撫でたまま、
たった一言『イエス』と、耳元に囁くように誓った。