空に平等に散っていく、元は便箋であった欠片を
目で追っていた。
(私の思いは、…………迷惑でしたか)
----------------そんなことない。ナナリー。
……やがて海に落ちていくだろうその欠片たちを、確かに心に留めていようと、ルルーシュは瞼を伏せる。
その白い紙が、昏い夜空に風が流れていくのと同じだけの速度で沈んでいくように感じて。
スザクはそれを見て、闇に溶けてしまいそうな錯覚を覚え、咄嗟に伸ばした手でルルーシュの肩を抱いた。びっくりして紫電が
パッと見開かれる。
「あっ……」
スザクは見たこともないような、何かに追いつこうというような必死な顔をしていて。
何をそんなに焦ってるんだ……と、まじまじ見上げながら、どこか安心させるように笑いかけた。誘われるように
抱かれた肩にポンと身を預けて、黒髪を脇に埋める。
それに安心してくれたのか、もしくはやってくる何かから引き止めようとしてか、肩を抱いた上に後ろから、腰に回した腕を
簡単に引き剥がせない強さで引き寄せてくれた。
ルルーシュは僅かに苦笑し、手元に残っていた最後の紙きれが風に飛んでいくのを見る。
そこで『あ』と思いついたように声を出す。『何ですか』と今度はスザクが驚いたように訊き返した。
「写真撮ろう、スザク」
「……どうして」
記録に残されるのを何より嫌っていた筈だろうに。スザクにだって記憶にあるルルーシュのものはロイドに見せてもらった
一枚だけである。
スザクの質問には答えず『待ってて』と言い、アヴァロンの中へと戻っていった。すぐにカメラを持ってルルーシュが
やって来る。
「何でカメラなんかアヴァロンに」
「さあ。多分、戦闘の記録用じゃないかな……。トレーラーの隅に転がってたけど」
はあ、と納得してなさげに頷いたら、『日が沈んじゃう前に撮ろう』と笑顔で寄り添ってきて、スザクの胸に凭れながら
細い腕を顔の辺りまで持ち上げる。そこから二人の顔がフレームに納まるというわけだ。
そうしてカメラを構えたルルーシュの腰に再度腕を回しながら、自分だけ見切れてしまわないように顎を黒髪の上に置く。
スザクの身体に納まりながら、数回、シャッターを押した。記念だ。この夕闇に落ちていく中でスザクと二人きりに居れた
証として、ずっと残しておける……そうなれば此処までやってきた意味にもなる、とルルーシュは嬉しさにはにかんで。
「……スザク」
「ん?」
「お前と写れてよかった」
俺ほんとに写真とか少ないから、と、両手に持ったままのカメラへ視線を落とす。それを背中から抱きすくめていたスザクは
腕に力を込めながら、今度は顎でなく頬を、黒髪に擦り付けた。
「もっと撮りましょう」
「……」
「ブリタニアでも、エリア11でも、どちらも貴方の家なんだから。ロイドさんや閣下と決着がついたら……僕のとだけじゃなく
色んな人と撮ればいい」
「……色んな、人?」
「ええ。……だから帰りましょう」
「…………」
「貴方と居たいから」
本心だ、とルルーシュを抱きしめる力が証明してた。
耳にした言葉が尊すぎて意識がぼう……となる。そして、知らずスザクの指先が震えているように思えた。何故だろう、と
顔だけ振り向いてみても、ふわふわのくせっ毛が首に埋っているから表情は解らない。
ルルーシュは空へとカメラを向けて、その景色もフレームに納めた。
どうして突然写真を撮りたくなったのかは解らない。
ただどうしてか、……突然過ぎ去っていった思い出を振り返ってみたくなったのだ。けれど、
そうしてみても自分の後ろには、足元にも、何の面影も残ってない。
それが、ナナリーの気持ちを宛てられた手紙から知る中で、たまらなく寂しく思えてしまったので、
だから一番好きで大切な、自分の騎士と始めに写った。
この写真は後に残ってくれるだろうか。
----------------ルルーシュの胸の中には残るだろうが。
自動操縦に切り替えて、セシルは二人の様子を影からそっと眺めていた。
最初、誓約した時はすれ違いの連続ばかりで、お互いに不器用だったから両思いでも中々本心を打ち明けられない……
そんな不安定な関係であったルルーシュとスザクは、今は互いに微笑んでいて、理想の関係じゃないか、と口元を抑える。
堪え切れそうにない咽喉の震えと、そこから込み上げてくるものが外へと湧き出してきてしまうのだ。
ロイドが何を神根島へしに行ったのかを、セシルは知っている。
でも言えなかった。希望を抱いて進む彼らが自分にとっても理想であったからだった。
送り出す時はどんな顔をしてやればいいか、悩む。
半分スザクは気づいているだろう。そしてルルーシュは真相を全部知っているが知らないフリをしている。
誰かの愛情から始まった独占欲が、一人一人の人生を狂わして、最終的には孤独となっているその姿に
……物語の結末がどんな風になるかを予想した。思わず膝から力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。
精算する為に誰かが犠牲となる運命なんて、誰も受け入れようはずがない。
けれど、
(ロイドさん……私)
あの時もう少し弱かったら今のようにはなってなかった、と後悔する。あの時とは勿論、富士鉱山へ向おうと決断を下した時だ。
透き通る指先
神殿までの地図を頭に入れ、時刻は既に深夜を過ぎていたが、ルルーシュは構わず森の中へ足を踏み入れた。その後ろを
普段通りスザクが追う。セシルは『アヴァロンで待機していろ』というルルーシュの命令に、無言であった。
その姿を視界の端に納め、また、止まることもなく彼女に付いていく。スザクは右手に長剣を持って、左はハンドライトを手にして
いた。それでルルーシュの足元を照らす。
「情報通り、人が立ち入った形跡が見られるな……」
開かれた道を見て、呟く。
「クロヴィスの研究所はこことは離れた式根島にあるらしいが、こっちにあるのは神殿だけらしい。地図が正しければ」
「前総督は軍事よりも研究のほうに手をかけられていたんですか?」
「ああ。……まさか、こんな場所と関連があることだとは思ってなかったよ」
苦笑する気配を感じた。スザクは無言で頷きながら、スムーズに止まることなく歩いて行くルルーシュの背中を見る。
小さくはあるがずっと強くなった、気丈さも見れるその背中。いつも見つめていたからこそ解るその成長の変化。
(一度は進み出したというのに……)
ルルーシュを組み敷き、その身体を開くことで彼女に二次性徴がきた。
ロイドが望んだことだ。……ならば、彼はそれまで、ルルーシュの停まった成長を早めようとは思わなかったのだろうか?
やはり、それも----------固執か。
彼にとっての、彼自身のバランスを保つ……。
『人間ってねぇ』
思い出が唐突に脳裏を過ぎった。
スザクがロイドと知り合った頃の、まだルルーシュが完全にナナリーのことから立ち直ってなかった頃の、
彼の言葉。
『……何かひとつに没頭してないとバランスとれない動物なの』
『バランス?』
首を傾げる己に、眼鏡の銀瞳は平淡なほど軽くその言葉を唱えていた。
『支柱といってもいい。大体が二本足で生きていけるんだけどね、時には気持ちが安定しなくって自分の両手に爆弾のごとく不満を
溜め込んでしまう生き物なんだ。それを発動させない為に安定剤として、支柱は存在する。僕にもあるし閣下にもある、
ルルーシュ殿下にも……。君にも、勿論ね』
(ロイドさんは、僕に殿下のことを任せた時、……既に殿下の身体を束縛しようとなんてしていなかったのか……?
-------手放していた。……それなら、それならどうして今になってまだ殿下の時は進んでないんだ?)
でも、何より彼は殿下の傍に居て、殿下の先行きが幸せであることを望んでいた。
突然。先ほどのようにルルーシュが何処かへいってしまうんじゃないかという衝動に襲われた。びく、と行く先が止まって
足が硬直する。『?』と不思議に黒髪がさらりと揺れれば、いつの間にかスザクの手はまたルルーシュの手に触れていた。
「スザク?」
暗闇にもわかる紫電の色に、再び安堵して『……何でもないです』と翡翠を細める。
どうかしている、あのユーフェミアの手紙に書かれていたことが本当であるかも確かめていないのに。ただ文字で知らされたその事実に
スザク自身が弄ばれてるだけ。スザクはルルーシュを守る存在でなくてはならないのに。
まさか殺すことを考えるなんて。
……それは違う、間違っていることだ。首を激しく振りかぶり、繋いだ手をそっと離した。
「ごめんなさい、殿下」
「いや。-----------何かあったのか?」
「違う……違うんです、ちょっと」
「具合でも悪くしたか」
そう言えば傷だってまだ酷いんじゃ……と、離れた手をまた取られる。進んでいた足を止めてしまったことに対してスザクは
申し訳なく思い、すぐに振り払おうとした。
もし、このまま何もなく先を進んでいけば、……自分たちは何処へ辿り着くだろう。
神殿か?そこに行けばロイドが待っているのだろうか。----------わからない。本当にこのままルルーシュと共に行ったとして
自分たちが、何よりルルーシュが自由になれるのかなんてことは解らないことだった。
そのことに、恐怖さえ感じる。
ユーフェミアは何てものを残してくれたんだ。
自分が、-----------ルルーシュを想う自分が、その手で彼女の身体を解放してやろうなんて。
そんなこと出来るはずないのに。
「本当に大丈夫か?顔真っ青じゃないか……。スザク」
立ち止まったまま、道の途中で動かなくなった自分の手を擦りながら、ルルーシュが見上げてくる。
それから無性に視線を逸らしたくなってしまった。このまま進んだら最悪の結果、彼女を手にかけてしまわなくてはならないから。
そんな可能性を強く感じる。
嫌だ。無理だ。有り得ない。
”俺”はルルーシュの騎士なのに。
そうまで追い詰められたところで、足元がふわりと軽くなったように感じた。翡翠を、その下に落として目を見開く。
いつの間にか二人して、妙な紋様が書かれている石版の上に立っていた。そしてその紋様はスザクが見たことのある、
自分が誘拐された時に受けた”彼”の目から飛び出た光の印象の---------------。
あの朱い鳥の閃光そのものだった。
「これは……!」
浮遊感と自由落下の予兆に、身体の神経が足場に集中する。ルルーシュの手を繋いだまま、翡翠はその紋様を凝視していた。
そして彼女の声に顔を上げれば、そのルルーシュの額には同じく朱色の光。絶句した。ルルーシュがこの中に呼ばれている。
そう本能で感じ取ったから、スザクは、ガタガタと震えだした石版の上で、離れそうになる手を強く掴み直した。
----------引き寄せようと、手前へと力を込める。でも、二人の間は瞬時にして、分かれることとなった。
石版である地面が二つに裂けたからだ。
「っ……で、」
「---------スザク!」
「殿下!」
長剣を放り、足場が崩れた彼女の腕を両手で掴み、決して離さないようにする。が、踏ん張るように足をつくその石版も
崩れ始め、一瞬力の緩んだ膝からガクッと折れるようにスザクは倒れてしまった。
当然、引く力がなくなれば、ひび割れた石版はルルーシュの身体を受け止めることもなく、足場が無くなる。
「あっ……!」
落ちていく前に咄嗟に伸ばされたルルーシュの手へ、ぐんっと指を伸ばした。けれど無常にも掠める程度で、
彼女の身体は空いた暗闇に落ちていく。
名前を呼ぼうと、掴みそこなった腕を伸ばしたまま声を張り上げた。しかしその瞬間、咽喉に電流が走ったかのように麻痺が起こり
息が詰まり呼吸が出来なくなる。これは、---------ナナリーにかけられた呪いだ。しかし何故、どうしてこんな場所にまで。
ルルーシュの身体はやがて見えなくなる。完全に石版の中へ吸い込まれるように落ちていってしまった。スザクの身体は、まだ亀裂が
入りきっていない石版の上にある。
伸ばした腕をダラリとさげていたが、我慢も出来ず、逆の手で悔しさをその石版に叩きつけた。
(ルルーシュッ……!!)
すぐに続いて中に入り込もうと腰をあげたが、深淵……と称するほどそこは深く、先が見えない。まさに闇の巣窟のようなそこに
余計苛立ちが募った。ルルーシュがちゃんと着地していればまだ安心だが、この暗さからすると余程深い穴に思える。
スザクは即座に立ち上がり、脇に捨てた長剣を手にとり、また中を覗いた。
ルルーシュとスザクの二人が石版に立った所で、この場所は亀裂が入り、崩れたのだ。
一体どういう原理なのか……スザク一人では何も解らない。そして紋様。このマークは間違いなくあの閃光だ。
スザクが始めてナナリーの双眸を直視した----------あの時の。
「がら空きだな」
石版の空洞よりは闇の濃度が薄いその空気を震わせ、耳によく聞いた人間の声が、スザクを振り返らせた。
長剣を持ち直していてよかった-----------相手の、すぐにも首ごと薙ぎ払おうと闇から真っ直ぐに銀の一線が
自分の咽喉下へ向っていたからだ。
「くっ……!」
腰を捩るように身体を反転し、石版から外れた地面をすっ転ぶ。地面と砂利が皮膚を擦れ、ブリタニアで受けた皇子の傷に響いた。
しかし逡巡を感じさせない動作で、また起き上がる。声のしたほうと刃が飛んできた方向は同じだった。そこから金の装飾に白磁の
陶器を思わせる衣装の、林の影からやってきた”彼”を見る。今記憶によみがえらせていた”彼”ではないほうの”彼”……
シュナイゼル。
ルルーシュの兄。
スザクの…………。
「宰相閣下」
「君とはいつかこんな時が来るんじゃないかと、どこかで期待していた。君がKMF……あのランスロットのデヴァイサーとなって
ルルーシュの騎士になった辺りからか」
「僕はそんなこと」
「嘘を言え。望んでなかったとは言わせない。私は君に保険をかけていたんだよ、昔から。そうでもないと日本から連れ出した意味が
ないだろう?」
その保険とは、……つまり、自分を、
「閣下……」
(貴方は何処まで僕を憎ませれば気が済むんだ)
向けられる剣先に身体の全神経が震えた。
いつだってそうだ。前からずっと、彼と初めて会った時からスザクは常に感じている。シュナイゼルとの間に壁がないこと、距離が
余りに開き過ぎているということ、理解の範疇を超えていること、--------そして互いに憎みあうように彼自身が
手を回しているということ。
そう。
彼は……。
「枢木スザク。私を殺さないと此処から先にいるルルーシュへは辿り着かないよ」
「……殿下に何をしようとなさるおつもりですか」
鞘から抜いた剣先を、腰を低くと横やりに構えるシュナイゼルと同じ要領で、向ける。彼はほくそ笑んでいた。スザクのその
素直な態度に。きっと胸の内では安堵していたのだろう。スザクにとっては、今は目の前の障害でしかないが。
「私が憎いか」
「憎いです」
「親を殺したからか、居場所であった国を奪ってやったからか」
「…………違う」
「では何だ」
じゃり、と地面の砂を少し蹴る。片足にぐ、と体重をかけた。
ルルーシュを守りたい。
ルルーシュを助けたい。
(僕は殺したくなんてないんだ……)
『スザク、貴方にだから頼むのよ』
ふざけるな。あの笑顔を”俺”は守りたいだけなんだ。
先も、これからも、明日のことなんてまるで解らない。解らないから、ずっと先のことまで押し付けないでくれ。
ただ幸せにしたい。あの人を心から幸せにしたいだけなんだ。だけなんだよ。
『ロイドー』
『…………』
『ロイドー、どこー?』
『こちらですよ、ルルーシュさま』
ぱたぱた、と王宮を走る小さな足音を耳にして、ロイドは工具箱をその場に放置し、
テラスから飛び出してくる少女へ向って手を振った。
『わー。見つけたー』
彼女は至極嬉しそうに紫電を丸めて、微笑み、ロイドの腰ほどにしか背のない身体をぴょんぴょん跳ねらせて芝生を
走ってくる。
『ナナリーが読めない字があるって訊いてきたんだけど、俺もそれが読めなくって……。居心地悪くなって部屋から抜け出して
きちゃった』
『そんなことしていいんですか。お姉ちゃんなのに?』
ふふふ、と眼鏡ごしに笑う。そうしたら、心外だったのか頬を膨らませ、小さな手でロイドの膝を殴った。
『そんなことない。俺だって自覚はあるんだけど、知らないものは教えようがないの』
『はー』
『何その返事!ちゃんと真面目に俺の話を聞いてーっ』
どんどこどん、殴る力は強くなっていく。
ロイドは『イタタ』と腰を曲げながら、足元からじっと見上げてくるルルーシュに視線を合わして
その瞳が怒りではなく別の何かを秘めてることに気づいた。すぐに笑いを止める。
『……ルルーシュさま?』
首をかしげて、少女の目線と合うように芝生に腰を落とした。すぐにその身体に黒髪が飛び込んでくる。
まるでコアラの赤ん坊が母親に抱きつくように、ロイドは肩にしがみつかれたのだ。
『俺、だめな子……?』
耳元に、信じられない言葉が届く。ロイドはルルーシュが駆けてきた先を見つめた。そこにはユーフェミアとコーネリアが
楽しそうに唄を口ずさんでいた。一体どうしてそんな言葉が出てくるのか。
『弟に、ナナリーに優しく出来ないと、いけない子……?』
不安が限界にまで張り詰めているのか。抱きついてきた身体が震えている。
とりあえずロイドは視線をルルーシュへ戻し、その小さく軽い身体を腕に抱き上げた。
大丈夫だ。スパナ十本分よりかは重くない。
誰がどう彼女を責めたのか大体の予想はついたが、あえてそれは口にせず、ロイドは抱えたことのない人間の重さを噛み締めながら
その黒髪に説き伏せるように口を開いた。
『兄弟なんてみんな仲良かったら全員結婚してる』
『えっ!』
『仲の良し悪しなんてあったっていいと思うんです。じゃないと、他人の意味がないでしょ?他人だからこそよく知れるっていうことも
あるっていうのに』
『…………』
『兄弟だから、仲良くするんじゃない。人間的な魅力を感じて、いつの間にか傍に居るっていうのが一番いいんだ。
貴方もナナリー皇子を人として見れるようになったら、その時には、こんな風に逃げずに仲良く出来ることもあるかもしれないし』
『……うん』
『だから大丈夫です、ルルーシュさま。人間なんて最初はみんな他人に対しては無知なんだから。きっと未来には好きになる』
『そう?』
『そうですよ』
『ふふ、そうかー』
ゆさゆさと、抱えた尻を揺らしてみた。ルルーシュが嬉しそうにきゃあきゃあと騒ぐ。
自分の言ったことがすべて他の人間に当て嵌まることではないと思ったが
例え嘘でもルルーシュが安心し、笑顔になるなら、全然構わないと思った。彼女の笑顔は見ていて和む。ずっとこのままで
居てくれたらいいのに。
『ロイド、ありがとう』
…………そう。
ルルーシュに、好きな人が出来るまでの期限と、定めていた。自分にとっての幸せは。
だからもういいのだ。昔を振り返るな。彼女はその思い出の中には居ない。今を生きている。今を別の人間と生きようとしている。
阻もうとするのは、いけない。
いけないと解っていたのに。
「ロイド」
何の因果か。
また彼女が自分のもとに現れた。ブリタニアへスザクたちと共に飛んだ時は、ただカノンの暴走から守ろうとして
ロイドは行動しただけだというのに。
今度はルルーシュから寄ってきた。まるで昔は変わらない光景。違うのはきっと……この場所が”神”に一番近い場所であると
いうことだ。
ルルーシュは崩れた瓦礫の中から、ゆっくりと起き上がり、ロイドの居る神殿の奥まで進んでくる。自分の今居る場所には
少しだけ外から洩れてきている光があった。それに自身は反射される。ルルーシュも銀髪が眩しいと思っているのか
目を細めてゆっくりとやって来た。
また逃げられては仕方ないから。
「俺は知りに来たんだ」
絵本の意味も、ロイドが自分を庇護してくれた理由も、全部。
近づいて来るその存在に怯えているわけではないが、躊躇うように、ロイドは身体を向ける。扉に背中はくっつくほど
彼女の歩いてくる所からは離れていた。
「ロイド」
惹きつけるかのように、名を呼ばれる。
瞳を伏せた。
「御伽噺は、丁度貴方が僕に懐き始めた時だ」
「書いたのがか?」
「ええ。毎日祖父の手伝いばかりで鬱憤がたまってたんですよ。でも、彼が死んだおかげで自分にKMFの仕事が回ってきた。
それからは特にあの話を書いたことは気にしてない。マリアンヌ皇妃はずっと閣下が書いたものだと思ってたし」
「……そう」
「僕はどう思われようと構わなかった。貴方に、どんな人間だって」
「-----------------」
ひたと見つめ返す。ルルーシュは目を背けなかった。金色に照り輝く祭壇のような天上にまで伸びるほどの大きな扉を
その瞳に納めている。自分ごと。
いいのに、----------別にいいのに。見捨ててくれたって。
時を停めようとした張本人だと、責めてくれたらいい。
そうしたらロイドだって楽に行けるのに。
「その扉の先は?」
「……」
「ロイド。俺はお前を追ってきたんだ」
「此処は、僕の理想の場所です。……第二の」
「え?」
紫電が瞬く。ロイドはにっこりと唇だけ釣り上げて、スザクに一度見せ、そしてずっと今まで手元に隠していた一枚の写真を
取り出した。ナナリーとルルーシュが写っているものだ。セピア色の。
「あ……」
「第一の希望を知りたいですか」
「俺が聞いていいものならな」
睨むような瞳に笑みが自然と深くなった。ロイドはふう、と息をつき、手元の写真をルルーシュに向って投げる。
そして、扉へと手をかけた。
「待って……これ、」
「僕は貴方をずっと孤独にしたかった」
背中を見せたまま大声をあげる。追いすがろうとする足音が、踏みとどまったのかピタリと止んだ。
この響きこそ、堪えていた何かだ。ルルーシュに伝えようにも、ずっとひた隠しにしていた思いだった。
「孤独であることを思い知らせて、……孤立してた自分を解ってもらおうと、してた」
「…………」
「でも駄目だ。そんなことしたって僕の望みは貴方を手に入れることなんかじゃない。
結局は自分の開発の犠牲にしかしてこなかったんですよ。貴方も、全部」
最初に耐えられなくなったのは、叙任式。
貴方が純粋に選んだ彼と、白と黒の相反する衣装に包まれて一生の契りを誓約した時だ。
貴方は何処までも頑なに心を開かなかったスザクを思いやり
スザクはどこまでも自分に対して向き合わないルルーシュの傍に居た。
二人が主従となったその時に、既にルルーシュにかけた魔法の綻びは生まれていた。
スザクによって身体を開かれたことで肉体と心の成長が同じになり、ルルーシュは『生きる』と
口にするようにもなった。顔に笑みを浮かべて、スザクとずっと居ることも約束しているのを見た。
泣いてる顔と笑ってる顔。悔しそうに自分の身体に対して八つ当たってた負けん気な顔。様々な彼女の表情を知っている。
「……僕は」
拒むように近づくルルーシュの足元から全身を、鋭く見据えたまま、手にかけた扉を徐々に開けていった。
そこから更に光が溢れ出す。ルルーシュは咄嗟に眼を隠した。頭の奥まで痛むように眩い。ロイドが黒いシルエットに霞む。
ルルーシュがそれでもロイドに近づいて引きとめようと手を伸ばした時、またルルーシュの額にも腕にも足にも
朱色の紋様が浮かび上がった。
「……こ、れ……」
「僕と閣下は、貴方のことが大切だとそれだけを言い分として、マリアンヌさまとナナリー皇子、ユーフェミアさまさえ
この手にかけた」
代償はとる。何人分であろうと。ロイドがぼそりと呟く。
(頼む”憎んでくれ”)
と再度心の中で怒鳴る。自分では死ねない身体に貴方をした。-------------だから、と。
この扉の先には天国のような、牢獄のような、地獄のような、永遠の世界が存在する。
皇帝もマリアンヌもユーフェミアも、自分たちに関わった人間たちがみな回帰する場所だ。それが神殿だ。
ロイドはシュナイゼルと共にこの場所を知り、とても楽な気持ちになった。何も考えなくていい時間が欲しい、とそれだけを
望んでいたから。
永遠の孤独がそこに待っている、と一歩その光の中に踏み込む。しかし、その時がし、と、強く誰かに手を引かれた。
「俺が王宮に居られたのは、ロイドのおかげなんだぞ……?」
痩躯が、背中を羽交い絞めるようにしがみついてきた。涙混じりにルルーシュが声にする。
「でも僕は貴方の周りを柵で囲むようなことしかしてなかった」
閣下と変わらない、と言う。後ろでぶんぶんと首を振った。扉の光と身体の紋様が反応して気持ち悪い。
骨ごと焼けてしまうような感覚が走る。けれど。
「ロイド違う……っ」
「え……?」
「俺はそんなことされてるなんて一度も思ったことなんてなかった……特派があって、セシルとスザクとロイドが居て。そこに俺も居て
毎日政庁で何でもないことに対して、賑やかに笑ったり泣いたりするのが……そんな日常が欲しかっただけ。
それをエリア11で俺にくれてたじゃないか。居場所ごと……!ロイドは悪いことなんて何もしてない!俺に対して気を配ってくれてた
のはいつだってお前だったじゃないか!」
股下から、ずくん、と何かが駆け上がる。
構わず、一度背中から身を離して、ロイドの首にしがみついた。その先に行ってしまわないように。
もうひとつも後悔してしまわないように。
「行かないで欲しい……!」
あの御伽噺のように、ひとつしかない世界に閉じこもってしまわないで。
確かに人間は一人しか居ないけれど、心はひとつしか埋らないほど狭いわけじゃない。
ルルーシュは日常が戻ってくれるならどんな大きなものだって全部受け止める。欲しいのなら何だってする。だから、
本当の本当に……自分を孤独にだけはして欲しくなかった。
これも自分にとってはエゴなのだから。それを受け止めて欲しい。
扉の先の光の洪水の中で、いつだったかの母の面影に近いシルエットが、儚げに揺れてるのを見た。
けど、手招くようなその輝きから目を背けて『ごめんなさい』と一言呟く。
ロイドの身体を手前へ引き、扉がまた閉まろうとする。本当に完全にそこが閉まりきってしまう前に
マリアンヌが寂しそうに笑ってるのが目に入った。
”全部欲しい”なんて我儘だろうか。
……どうして、あの御伽噺の王女さまは、自分が欲しいと思うものを最初から我慢して、他人に譲っていたのだろう、と
不思議に思う。
でも人間というのはそういうものだ、と強く感じる。本当に欲しいものこそ手にできないのだ。そんなものばかり他人の
手に渡ってしまう。
全身を走る激痛に、ルルーシュは神殿の祭壇に倒れながら、びくびくと痩躯を痙攣させていた。
汗が噴出し、紫電が何も映すことが出来なくて、視界をぼやけさせる。しかし、その神殿の段差の下。丁度ルルーシュの顔の前に
ライトグリーンの髪の……いつしか会ったことのある女性が、じっとこちらを見つめながら立っているのに気づいた。
口を開けて、声にせず名を呼ぼうとする。しかし、何だったかな……と、思い出せなくて、また意識までぼやけてきた。
その女性は倒れるロイドと、ルルーシュの間に腰を落とし、黒髪をそっと手に持ち、その顔を上向かせた。
「久しぶりだな」
(お前は……)
菫色の封筒が千切れていく様を、胸に思い返した。
黄金色の双眸が真っ直ぐに見下ろしてくる。どうして、死んだ筈じゃなかったのか……と言おうとしたら、指先で額と
腕を、検分するように触られた。何かを確認しているような仕草ともとれる。離してほしい、と思って身じろごうとしたら
『お前の身体ではもう無理だ』と優しく言われた。
(何がだ)
おぼろげな意識の淵にたゆたいながら、紫電でライトグリーンの垂れかかる長髪を見上げた。女は何も着ていない状態であったが
その身体は内から発光しているようにも見えて。
ルルーシュは再び口を開ける。が、それに覆い被せるように先に女のほうが口を開いた。
「生きたいか」
そんなことを訊かれる。
(死ぬのか……?)
それにどう返事をしていいか朦朧とした頭では考えられず、全身が火照り焼け付く感覚に
もう神経が持たなそうになってしまっていた。
手を真っ直ぐに伸ばして、空中にある何かを掴もうと、する。
手首から指先から、汗の雫がぽたぽたと落ちてきて、涙のように頬にまで垂れてきた。この異常な発汗は、どうして。
女はルルーシュのその手をとり、胸の真ん中辺りへ持ってこさせた。その、柔らかく白い胸にしるされた刻印。その朱色の鳥が
ルルーシュの意識を繋ぎとめる。気づけば女の額も、自分の紋様と同じものが浮かび上がっていて。
「お前の異母妹はお前が楽になって、この世自体から解放されることを望んでいるぞ……?
そして、お前の男は今お前の異母兄と戦っている。……確かにルルーシュ、人間というのは自分が欲しいものは手に入りにくく
特に欲しくないものは簡単に手に入ってしまうな。……ナナリーもそうだった。
そのナナリーがお前に何を望んでいるか知ってるか?」
そうだ。彼女はC.C.。思い出した……。ルルーシュはその問い掛けに、こくりと一つ頷き
胸に当てられた手にぎゅ、と力をこめた。”命”、と。
「違う」
すぐに答えは返され、ルルーシュの予想は否定された。
薄目をぼんやり開けたまま正解を待つ。ナナリーがルルーシュに望んでいるもの。……そんなのって。
(あるのか)
酷いことばかりして、姉らしく抱いてやることすらしなかった。手紙も破ってしまった。区切りをつけた思いであったから
受け止めるだけでいいと思って。
それに対しC.C.は『そんなことでお前の答えを否定したんじゃない』と首を振る。じゃあ何だ、と目で訴えた。
「お前に与えてもらった分の愛情だけ、お前が誰かから愛されることだ」
落ちていく意識の狭間に、その声が染み込んできた。
うそだ、そんなの。と口元だけで呟く。けれど、もし本当にそれを弟が望んでいてくれるなら、
こんな身体でもこんな人生でも、迷うことなく生きてられるんじゃないか、と思った。
ナナリー。どうしてお前を殺そうとした俺にそう言ってくれるのかは解らないけれど
------------そういうのが家族愛だというのなら、初めて皇族である自分を認められる気がする。
C.C.に触れていた部分から手の中へ、奔流のようなただの空気のようなものが入り込んでくる。
そこで完全に意識回路が途絶えた。身体が、何の言うことも利かない。
けれど瞳を開いて、ルルーシュには覗ける世界があった。
そこは広い野原のような場所で、みんな裸に近い格好で寛いでいる。ルルーシュは大きな木の下に立ちながら、どうしていいか解らず
ずっと下を向いていた。
そしたら、ひょっこりと、俯いていた顔を足元から覗くように、幼いナナリーが現れて。
『え、ええ』
『こっちだよ』
自分は大人であるのに、弟は小さな子どもだった。彼は自分の手をとって、野原の中央へ自分を引っ張ってくる。
そこには白い布団があって、ユーフェミアもコーネリアもマリアンヌも、シュナイゼルやクロヴィスさえ緩やかに眠っていた。
そこにナナリーがぼすんっと倒れこむ。おいでおいでと言う。それに従いつつも、目は、スザクとロイドの影を追っていた。
(……いない)
手に触れたC.C.と溶け合うような感覚に呑みこまれながら、心はずっと、あの騎士の存在を待ち望んでいる。
スザク。
---------------彼は。
あれはいつの頃だったか、…………必死に思い出す。
まだ彼と剣を交えているうちに、思いださなくてはいけないことだった。
後ろからスザクを狙ったシュナイゼルは、一度地面に派手にその身体を倒しながらも、また起き上がり立ち向かってくる。
その狼のような本性に至極満足しながら、構えた剣先が僅かに震えてしまっているのに気づいていた。しかし、それをスザクに悟らせまいと
次々に急所ばかりを狙った攻撃をしかける。
元より、足の歩幅、跳躍力、剣の扱いからして差のある自分たちだ。
すぐに決着はついてしまうだろうと思っていた。けれどシュナイゼルはわざとでもいいから、と、戦いを長引かせる。
スザクが懐に飛び込んで、シュナイゼルが授けた剣を真っ直ぐに横一線、首を刈り取ろうと向けてきた。いい覚悟だ。
それにまた微笑みながら、彼が行く先を阻むように立ち回り、シュナイゼルはシュナイゼルで、彼の素早さを逆手に
とった攻撃をし返していた。
スザクの獰猛な翡翠が、殺意に燃え上がっているように見える。それを刃とともに受け止めながら、腹部に負った傷の末期具合を
知られないように、シュナイゼルは刀剣を持っていないほうの拳を彼の鳩尾に叩き込んだ。
軽く吹っ飛ぶ。砂利の上を転がり頭を石版の上へと伏せていた。
そしてそこまで歩いて行き、昏倒しかけて翡翠の焦点を合わせてないその身体を跨ぎ、首元に刀剣を突きつける。
すぐにスザクは押さえ込まれたことに気づき、感覚ではとらえきれない速さで、シュナイゼルの刀剣を己の長剣で弾き返した。
火花と金属のなる音が断続的に二人の距離を縮ませる。
触れるほどに近づく顔と顔に、冷静な判断能力は皆無だった。スザクは何も喋らずただシュナイゼルを殺そうと刃を向けてくる。
--------------ああ、こんなにも立ちあえることは、今までなかった。
そう思う。
シュナイゼルは自分が残しておいた”保険”に、感謝したくなった。そして充分楽しんでいるということも。
痛みは既に遠くなっている。とても、ダールトンに抉られた腹部が痛んでいたというのに。もう腐るところも身体にないということか、と
心中でこそりと苦笑した。目前には、一匹の狼が居る。-----------普段は人間という皮を被った、獣の。
『兄君』
腰ほどに髪は長くなっても身長は一向に伸びない彼女。ルルーシュがシュナイゼルの執務室に訪れる時は決まって
軍内の話となる。
余程ロイドが主任となる特派を任されたのが嬉しいのか、逐一報告にやってくるのだ。その姿がまた可愛らしくて
『頑張ってるね』と微笑んで声をかけてしまう。ルルーシュも花が開くように笑ってくれるから、その時間は自分にとって
お気に入りで、充実した時間でもあった。
『そう言えば、この間騎士の話をされましたよね……』
『ああ。そうだね』
『実は、もう決めてあるんです。……その、騎士を』
『誰だい』
『枢木スザク一等兵です。-----------彼を、俺の騎士にしたくって』
同じように微笑みながら、呟かれた一言。
信じられない思いで一杯になって『本気かい』とすぐに聞き返してしまった。彼からもなりたい、と聞いていただけに
シュナイゼルは驚いてしまって。
でも既に約束を交わしてしまっていたようで、何を言ったとしてもその気持ちは互いに変わらないように思えた。
スザクを殺さずに連れ帰った理由。それを剣を交えながら模索する。
シュナイゼルの振りかぶる刀剣を受け止めるスザクの手首は包帯がとれ、血が再び滲み出していた。これは彼が自分に対して
復讐心よりもコーネリアの命をとったという代償から受けた傷である。
スザクはあの時自分への執着、憎悪を乗り越えたのだろうが、自分は-------------まだだ。
足りない。もっと、もっと殺意を向けてくれなくては、シュナイゼルは捨てられない。ルルーシュもスザクも。
「ぐ、……ぁっ!」
手首の骨ごと折ってしまうような圧力を、身長差を利用してかける。勢いよく振りかぶった刀剣はスザクの脳天をかち割るかに
思えたがすんでのところで、地に膝をついた体勢で、スザクはシュナイゼルの体重ごとそれを受け止めた。
「っ、う……」
右手を包んでいた包帯が完全にほどけ、貫通した刀傷から血を噴出される。完全に開いてしまったらしい。
「どうした」
低く言い捨てて、弧を描くように足を振り上げ、彼の半身を数メートル先へ飛ばした。右手に気を取られていたのもあって
スザクはその打撃を避けようもなく地面に再び倒れ伏す。今度こそは起き上がってこられないように
その腹に足をつけ、グ、と全体重をかけてやった。骨がぎちぎちと軋む感触が足裏から伝わってくる。ふん、と一息に力を入れ込んだ。
「ア……ッ!!」
自分と同じ下腹部に、同じような損傷を与える。
肋骨の骨が内臓を抉ったか、スザクの口は大きく開かれ、声にない絶叫を響かせた。
(これまでか)
(……そんなはずはないだろう)
両手に刀剣を持ち直し、痛みに震える彼の身体に、それを真っ逆さまに振り落とす。
ひ……っ、と声があがった。突き刺したのは、腕。ちょうど左の上腕部である。
彼は磔刑にされた救世主のように身動きがとれなくなり、地面の上を這うように足先だけばたつかせて、どうにか刀剣を抜こうとする。
しかしそんにことをしても傷がより深くなるだけで。それにも気づいているはずなのだが、スザクは無我夢中に腕から
剣を抜こう、と、伸ばした右手で刀身を掴もうとした。
身体を捩るようにしているから、余計血管が絞られ、傷口から噴きだしてくる。
そしてその血がとくとくと地面へ流れてきた。シュナイゼルはその一切を紫暗に写し、様子を仔細に眺める。
「ここまでか!」
今度は声にして言った。
意識朦朧とする彼は、何を言われてるのかを理解出来ないのだろう。霞む翡翠だけ向けて、シュナイゼルを睨んでくる。
次いで、彼が手にしていた元は自分の長剣を持ち出し、その刃先も彼へ向けた。次は咽喉。もう用はない。
シュナイゼルにも結局見つけられなかった。
どうして彼に執着していたのか。
(もう、……いいか)
誰かに自分と同じ答えを求めるように、呟いてみる。しかし応えは当然ながら何もなかった。
シュナイゼルは軽く手に取った長剣を、ピタリ、と咽喉にあてる。スザクの皮膚がざわつくように過敏となった。翡翠が天を
凝視する。そこにシュナイゼルの影があって、宵闇にも白金の髪は艶やかであった。
グ……、と刃は顎に触れて首の中を切り裂いていくもの、と思われた。しかし、いつの間にか、シュナイゼルにはある感覚が
なかった。目の前を派手に血が飛び散る。スザクが半身だけ無理に起き上がって、刀剣の長さのある分だけ腕を伸ばし、
振り下ろされた長剣の刀身を握っていたのだ。
左の上腕部が限界を訴えるように、びくびくと痙攣しだした。しかし、眉を顰めるだけで、スザクは引かない。
シュナイゼルに一時奪われたそれを自分の手に取り返し、左側はまだ地面に貼り付けられたまま、その右手をシュナイゼルの身体に
突き入れたのだ。
「……っ、ぐ……!」
彼の、胸の下。腹のど真ん中にその刀身を柄の部分まで埋める。スザクも必死だった。シュナイゼルを殺すことだけ考えていた。
スザクのその猛攻に、腹部に剣を刺したまま、今度はシュナイゼルが地面へ膝をつく。
……それだけ応戦したところで、次に攻撃をすることは、スザクにもシュナイゼルにも出来ない。スザクは左から流れる血に
滑って、地面の上にまた伏してしまった。砂利に刃先がめりこんでいることもあるから、これ以上は自由にならないだろう、と
どこか冷静な部分で考える。
「く、ははっ……は……」
殴打による負傷と、今受けた刀傷で、大分シュナイゼルも血を流した。スザクはもうピクリとも動かない。夜は深くなっていくばかり。
事の外、おかしく思えた。数年来憎しみあった相手同士で、こうも決着がつかないなんて。……そんなこと。
シュナイゼルはひとしきり笑って、スザクの血の気の失せた顔を一瞥した後、ゆっくりと立ち上がった。スザクの長剣は突き刺した
ままだ。シュナイゼルの刀剣はスザクを地面へ縫いとめたまま。空は二人を平等に包んでいる。
立ち上がった足の行く先は、多分神殿。痛みの感覚と意識が完全にぼやけた状態で、それでも諦めずシュナイゼルは模索しながら
ルルーシュが居るだろうそこへ歩いていった。後ろには、血の跡が続いている。とぐろを巻いたかのような、その跡。
そしてそれが繋がるのは、スザクが倒れている場所だった。もう目を閉じて、浅く息をつくことしか出来ない。全身が突然の寒気に
震えだす。翡翠は月を見れなかった。
……出ていたのかも、解らない。あったとしてもきっと月は、シュナイゼルのほうを向いて彼の行く先を照らしていたろう。
(死ぬのか)
嫌だ。
守りたいと自分は言ってるくせに、もう何度も彼女の前で誓ったくせに、こんなことで身体は動かなくなってしまうなんて。
ルルーシュの騎士となる為にシュナイゼルから貰った長剣は、彼に持っていかれてしまった。
……嫌だ。
透き通っていくほど鮮明となる意識、の反面、身体はどこも億劫だった。空だけが自分の言うことを聞いて見て知ってくれているような
世界に一人だけの感覚に陥る。でもそんなことはない。自分には彼女が居る。何よりも離してはいけなかったのに
ルルーシュの手を離してしまった。……そしてシュナイゼルは、その彼女のもとへ行こうとしている。嫌だ。死んでほしくない。
生きたい。生きたい。生きたい。誰か、誰でもいい。どんなことだってどんな罰だって受けるから、
この剣を抜いてくれ。-----------ルルーシュのもとに行かせてくれ、早く。
幸せにしたい。幸せにしたい、
…………ことが、どうしてこんなに、……難しいんだよ。
『スザク。お願いします』
嫌だ。助けたいのはそういう意味じゃない。死んで安らかになるなんてどんな茶番劇だ。彼女はそんな人間に当て嵌まらない。
何よりも、尊くて、近くて、通じ合えて、二人で居るだけでも心が安らいだ、自分の存在そのものな彼女。彼女の存在があるから
自分の存在も見つめられる。自分がそうして居るからこそ、彼女の存在も感じられる。ああ、--------だから、”俺”から
とっていかないでくれ、ルルーシュを消さないでくれ。お願いだから。
(……愛してる)
初めてこんな気持ちが芽生えた。
最初に見たのは、犬の亡骸を抱いて、ひいひい泣いている後姿。それを見て自分はブリタニア人に染まってしまうのに構わず英語を覚え
彼女と会話出来るように頑張った。
次に出会えたのは、皇帝の謁見室前。シュナイゼルとの会談を聞いて戦慄した時。暴力を振るったのに彼女は辛抱づよく追いかけて
きてくれた。嬉しかった。一緒に頑張ってくれること、お前の為に世界を壊すと言ってくれたこと、……すべて。
だから、そうして懸命に自分の為に尽くしてくれるあの少女を、もう騎士としても男としても、うまく境目がつかないくらいに
気持ちが膨れ上がって……-----------いつしかそれが、シュナイゼルやナナリーのものと同じなんじゃないかと不安になる
ようになった。でも実際には違っていた。……彼女から寂しいと言ってくれたこと、夜の静かさが恐くて眠れない、と
頼ってきてくれたこと、何より……こんな未熟な心のままの己でもいい、と言って抱きしめてくれたこと。守るよ、と言ってくれた
あの声を、一生腕に抱いて閉じ込めたい。
彼女が欲しい。ルルーシュをずっと守りたかった。
そう。
何でもいい。
この身体で差し出せるものがあるのなら、何だって捨ててやれる。
(だから)
動いてくれ、止まらないでくれ。シュナイゼルを追わなきゃ、---------”俺”は。
耳元に、触れる感触があった。
スザクは閉じかけていた翡翠を開く。横に向けて、それが何なのかを知る。栗色の毛に、内から発光してるんじゃないかというほどの
白い肌。ルルーシュの弟だ。死んでいるのか生きているのかさえもあやふやだった存在が、いま素面で、スザクの頭を抱いて
座っている。
紫紺の眼差しが射抜くようにスザクを見ていた。
「手紙」
「……」
「ありがとうございます。----------よかった……」
誰にも受け取られず、あの引き出しに仕舞われたままだと思っていた。
ルルーシュによく似た抑揚の声が、耳をくすぐるように入ってくる。そうか、僕や、
……ユーフェミアさまがしたことに、意味はあるのかと口元を和らげた。
「スザクさん」
「……うん」
「お姉さまは扉を潜らなかった」
何故だかわかりますか、と声が降ってくる。
スザクはそれにゆるく頭を振りながら、ナナリーの膝にぐったりと顔を伏せた。
「扉、て……」
「お姉さまは貴方と今生きている」
「…………」
「生きようとしている、だから」
私の晴れない思いごと、お姉さまに手紙を届けて下さった代わりに、一つだけ願いを叶えてあげます。
「それなら……」
力の入らない、完全に傷ついてまともな感覚がなくなってしまった右手を持ち上げ、ナナリーの手をとる。
暖かかった。
君は、どう生きていたのか……この島にあの海から流れ着いていたのか、と問いたかった。
けどきっとここにやって来てくれたこと自体が、それを証明しているのだと思う。スザクは確かにその手を握りながら
彼自身にこの身を捧げるように、深く目を閉じた。
”私の身体をあげる代わりに、私の業も背負ってもらいます。いいですか。
そうすれば貴方の身体も、人とは違う時を生きることになるんですよ”
ナナリーはそう言いながら、頭の隅ではもう一人の片割れ、C.C.がルルーシュへ成したことを悟った。そしてそれを感じたままに
握られた掌に力を込める。すべては自分たちがつくった柵から彼女を解放する為に。だから。
”ごめんなさい、スザクさん”
その言葉がどういう気持ちから出てきたものなのかは、知らない……。でも、スザクはナナリーの彼女への愛情ごと全部受け取ろうと
思った。自分は彼女たち姉弟に充分な結末を用意してやれなかったから、余計。
”神”の居る、島。
辺りは、風が吹き荒れて、それが獣の咆哮のようなものに聞こえてみえた。
もしかしたら一匹の魔物が、産まれたその声かもしれないが。
神殿を、ぽやぽやと包み、ふわふわと浮く、蛍のような光が、そこをもっと異空間とした場所に見せていた。
身体をうつ伏せるように倒れていたのか、額と床の石が擦れて、痛みを覚えた。紫電をそろりと上げながら、その蛍のような
綿のような光が頬に触れるのを見て、僅かに驚く。
はっと正気に返って、うまく四肢に力は入らないながらも、傍らに倒れるロイドのもとまでにじり寄った。
特に外傷はなく、気を失っているだけのようである。ルルーシュはそれに安堵して、乱れた銀髪を何度か梳くように撫ぜた。
そうしてようやく指先にまで感覚が戻った頃。神殿の近くに人の気配を感じる。その場まで立って歩いて行き、誰かなのか確認しに
行こうと思ったからだ。もしかしたらスザクかもしれない。ならば、ようやくロイドを取り戻したことを報告しなくては。
走ることはまだ出来なかったので、ゆっくりとした足取りで神殿の外へ出て行こうとする。明るい場所によく空を見てみたら
いつの間にか朝になっていた。だから、虫のようなこんな光るものが回りに浮いてみえるのか。ルルーシュは納得しつつ
先を進んだ。
開いた視界のすぐ先には、小川が流れている。小さな片手に持つほどの岩の山が所々に見えて、
その隙間を清水が流れている、という感じであった。ルルーシュはそこに人影を見つけて、そこへ向おうとする。
-------------鼻を異臭がつき、いつしかのトラウマを刺激された。
ルルーシュは息を呑んで、川に傷ついた身体を伏せながら胸部からは剣を覗かせるその姿を目に入れた。金髪が、重く岩に伏せられて
紫暗は固く閉じられているように思う。どうすればいいか解らず、誰の仕業かなんても解らず、とにかく傍に寄って
川から身を起こさねば、とルルーシュはシュナイゼルの肩に手を置いた。
「兄君……」
恐る恐る声を掛ければ、瞼がぴく、と僅かに動いた。それに安心して、ゆっくりと支えながら身体を引きずり出す。
そして大きい岩肌を背にし凭れさせ、身体から突き出るその刃は見ないように、朝の光と川の水に反射された金髪を
楽なようにと耳へ払いのけた。----------そこで、彼の双眸が、開かれる。至近距離で見つめるルルーシュを見る。
「ああ……」
その紫電に安堵したのか、首が前のめりになり、ルルーシュの胸元へと近づく。寄りかかってきたその半身を避けることも出来ず
ルルーシュは両手で支えながら、シュナイゼルの顔を覗きこんだ。
「兄君、これは」
「-----------夢を、見ていたよ。……ルルーシュ」
「え?」
恍惚とした、どこか寂しさも感じられるような眼差しをして、唇が触れるほどに近づく。ルルーシュはただ耳を傾けるしかない。
「それ……」
「夢では、いつも何処かからやって来た女の子と二人で、何でもない話ばかりして午後の時間を過ごしていた。でも最近は起きている
間も見るようになって……気になるものだから、彼女の後をこの間は追ってみたんだ。そうしたら、いつの間にかそれがロイドになって
今は……あの面影は、少し、お前と似ていたような……」
「俺と?」
「ああ……」
薄い水の膜が、紫電と絡まるシュナイゼルの瞳を覆い、いつしか話しながら涙を落としていた。ルルーシュはその異母兄の様子に
声を失くす。そして腹やその剣先からも、まだ血は溢れていた。
「どうしてそんな夢を見るんだろうな」
「……何故でしょうね」
「懐かしい、から」
「懐かしい……?」
「そう。初めて……髪を褒められた時、--------の」
「…………」
「手を触れたこと。名前を呼ばれたこと。好きな景色を言い当てて一緒に写真を撮ろうと約束したこと。……私は忘れすぎて
しまっていたのかな。何だかもうそれは取り返せるものではなくなっている気がする。お前に触れてもらっても現実味がないのと同じように」
「でも俺は覚えています、貴方とのこと……」
一筋の糸のように、垂れていってしまう血を傷口に手を当て、ルルーシュは抑えつけた。うとうとと眠り出すように閉じられていく
紫暗の瞳に、無理やり顔を捻じ込んで。
「兄君のこと。……俺は、ひとつひとつ覚えている。希薄だなんてことはない。忘れません。忘れてない。抱き上げてもらったことも
馬に乗せてもらったことも、色々な勉強を教えてもらったことも。優しくしてもらったことも全部。だから、だから兄君……」
片手から、両手で抑えつける。ぐ、と押しても血は一向に止まらず、剣が刺さっていてもとくとくとそれは脈打って岩の下に零れて
いった。ルルーシュはそれを見ないように目を逸らし、俯いて、-------------でも、……とうとう肩を震わせる。指の隙間から
血潮が滲み出してくるのを見て、より一層。
「あに、ぎみ……っ」
傷口から手を外し、感情の向くままに両手を広げ、異母兄の首に縋り付いた。黒髪をシュナイゼルの肩に埋める。濁りなんて全くない
清水に、徐々に溢れ出した異母兄の血が混ざっていくようになった。
「ルルーシュ」
包まれる温もりに、息が洩れた。ぎゅ、と腕は強くなる。シュナイゼルよりも暖める為に抱きしめているルルーシュのほうが
背中、全身を震わせていた。空がもう完全に明るい。鳥がその辺を飛んでいる。ああ、……いつの間にか。
「兄君。いかないで」
ロイドにも告げた言葉を、無意識に呟いた。その微小な囁きを彼の耳は掬い取り、片手だけもちあげて黒髪を自分の胸に押し付ける。
鼓動はそろそろ止んでしまうかもしれない。けれど、ルルーシュの呼吸だけは身体で感じていたかった。
「思い出したよ、ルルーシュ」
「え」
「あれは、-----------お前たちだった」
「……」
異母兄の、見たこともないような笑顔を見る。薄く瞳を開けて覗いてくる紫暗はルルーシュに多くの意味を預けようとしていた。
思い出したとは、何を。
「そうだった……。ずっと納得してたんだ。どうしてお前が彼を選んだのかを」
「……兄君……」
「私も、彼を選んだから」
”お兄さんも、桜好き?”
じゃあ俺と一緒に見ましょうよ、と笑いかけてくれた、あの瞳が、心を掴み取ったのだ。
シュナイゼルはうん、と頷き、差し出された手を取り約束をした。
彼と、あの時のスザクと。そうだ。ちゃんと理由はあったのだ。ただ、思い出せなかっただけで。
-----------------自分は、奪うばかりじゃなく。
頼りなく、細い胸と腕で包んでいた異母兄の身体から、力が抜けたのを肌で感じた。ルルーシュはそっと抱いてた身を引いて
シュナイゼルの閉じられた瞼を見る。最期に、嬉しそうに印象的な思い出を語っていった。どんな心境だったのだろうか。
それはどんな思い出だったのだろうか。記録に残すことを嫌っていたのはルルーシュばかりではない。彼も酷く臆病だったのだ。
形として過去に残っているということが、とても。
ルルーシュは静かに、岩の上に立ち上がった。そして異母兄の身体から伸びている剣先を手に取り、ゆっくりと引き抜く。
両手に持ち直して、その長剣が自分の騎士のものであるのを確認した。紫電を細めて、きつく瞳を伏せる。それを抱くように
腕で包んだ。
どうして、自分たちは、すれ違うことでしか存在を確かめられないのだろう。
息を上げて、神殿を目指したスザクは、森の茂みが開けた所に流れていた川を辿って、その上流に人影があるのに気づき
駆け寄った。
そこには絶命したシュナイゼルの、静かに眠る姿があった。きっと致命傷はあの一刺しだったのだろう、と腹部にドス黒く溜まった
血の痕を見る。スザクはそのまますぐ傍にある神殿の門まで駆け上がっていった。ルルーシュは無事だろうか。なら。
------------どうして、シュナイゼルの遺体の傍に長剣が無かったのか。
それをもっと異変として受け止めていたらよかったのに。
スザクは静まり返ったその中に足を踏み入れ、まずロイドが昏倒しているのに気づいた。遠めから見ても彼は無事なように見えたから
特に手をかけることはなく、すぐに後ろを振り返る。……祭壇の段差の影になるようにして黒髪がうつ伏せに倒れているのを
目にした。その場に駆けより、その身を揺り動かす。
「殿下」
返事はない。意識が落ちているからか?けど様子がおかしい。何で呼吸も聞こえないんだ……とその身に手を差し入れ
自分の方へくるりと返してみたら、有り得ないその状態に、スザクは言葉を失くした。
そして、自分自身の存在を強く呪う。
「何……、で……」
彼女の胸に白い刃がしっかりと抱かれていた。
柄のあたりを、両手にして、ルルーシュは蹲っていたのだ。息はない。瞳も閉じられている。身体は冷たかった。
状況からして信じられないことだが、これは間違いようもなく、誰かによって刺されたというものではない。
ルルーシュ自身が望んで、そこに倒れ、時を停まらせたのだ。スザクの長剣だけ抱いて。
シュナイゼルから彼女を守る為に貰った、------------それを。
視界は突如に暗転する。もう何も見えない。スザクの前に光は無くなって。
「……ルルーシュ」
(ようやく君の名前を呼ぶことが出来たのに)