「よくシュナイゼル閣下の言うことを聞いたじゃ
ないか」
眼鏡のフレームを押し上げながら、日も暮れたテラスへと自分を連れ出したギルフォードを見る。
まだ腹底でぶすぶすと怒りが湧き上がっているような気がしたが、先輩騎士でもある彼の、慰めてでもいるかのような静かな呟きに
スザクは黙って頷いて、あとは再び口の端から零れていきそうな醜いうめき声を、掌で押さえつけることしか出来なかった。
荒野で君を見失った
廊下で待機していた時、何者かが床に倒れるような音を耳にして、ギルフォードは素早くその扉を開けて
中の様子を見た。
そうしたら案の定、スザクとアーニャの足元でジノが倒れこんでいるのを目にし、眩暈を覚える。
何か汚い言葉をスザクは吐き出していたが、ラウンズの片割れであるアーニャが何かをする前に
その堪え性ではあるがいざ点火したらすぐ爆発してしまう彼の、襟首を掴み、外へと連れ出した。
騎士にとって主君を守れないなんてことは有り得ないことの一つで
ギルフォードも、港沖の騎士団との戦闘ではコーネリアを守れずに負傷させてしまったことから
彼の誰のことを責めても自分を蔑んでも癒えないような苦痛はよく解った。
だから、特に自分から、ラウンズの人間を放り投げたことは責めたりしない。
それに今問題とすべきことは彼のした行動ではなく、これからとるべく行動であると思ったのだ。
「枢木」
「はい」
すぐに返事が返ってくる。彼はそう距離をとらないようにギルフォードの隣へ立ち、共にテラスの手摺へ腰掛けた。
「殿下とちゃんと話はしたか」
「いえ……」
「お前がラウンズに引き渡そうとする時、殿下はどんな顔をされた」
「……」
見ているこちらの景色が一瞬で真っ白に染まってしまうような、そんな顔色をしていた。けれど、それでもルルーシュは
スザクの不器用に見つめる視線からは決して紫電を逸らさなかった。
そうまで、真っ直ぐに思われて、---------------尚更スザクはスザク自身を情けなく感じた。
もし自分に力があるのなら、ラウンズに渡す為に繋いだその手を、離さずに、二人してこのエリア11からも逃げ出したい。
(でもそんなことは叶わない)
ルルーシュが、ルルーシュのままでいる限り、彼女は自分のせいで痛みつけられた人間を放っておかないから。
「君たちが主従から離れたらどうなる」
「……?」
突然、スザクの言葉を待っていたギルフォードから質問された。その問い掛けの意味が暫し解らず、沈黙する。
けどすぐに頭の中を走った映像は”あの時”のフラッシュバックで。
「あ……」
夜明け前。
ナナリーを一度は殺そうとしたことを、語ってくれた時だった。
スザクはその前にルルーシュに告げたのだ。普通に、人として『好きだ』と。
でも反対にルルーシュは薬を飲んで否定して、---------結局は自分の隠している本性をひけらかすことにより
スザクが離れてくれると思ったのだ。
ルルーシュは、『自分はこんな人間でそんな奴に対してもお前は好きだって言えるのか』と聞いてきた。
裏側には、きっとスザクは諦めるだろう……とそんな意味合いを潜ませて。
しかしスザクはその問いに対し『イエス』と言った。それだけで伝わると思ったからだ。
(ああそうだ)
-------------僕は、何度彼女へ”好きだ”と言っただろう。
あの時から一定の間隔をおいて傍にいた自分ではあるけれど、少しでも距離は縮まっているだろうか、不安になる。
ルルーシュはシュナイゼルの異母妹で、ルルーシュはナナリーの異母姉だ。
関係で言えば、血よりも濃いものなんてないが--------------そう言ってしまうと自分とルルーシュを結ぶものは、
主従しかない。しかもそれが無くなったら、本当に何も無い。
「枢木」
またギルフォードが呼びかけてくる。スザクは静かに顔をあげて、眼鏡に少し褪せた黒い瞳を見返した。
「私たちは誓約を交わしたその日から騎士だ」
白い手袋に包まれた利き手をぎゅ、っと握って、その手を自分の胸にある騎士証へコツンと当てた。
スザクは瞳を見開き、まぬけにも口を開けて呆けてしまう。
(そうだ、僕)
誰よりも近い場所に居る為に、代償をもってしてもスザクは選びとったのだ。
ルルーシュを。
それは変わらない。誰にも侵されない。確固とした関係だ。自分たちが認めているかぎり。
不覚にもそのことを忘れていて、ルルーシュの帰還が決まればそこで自分たちの主君と騎士という関係も終わる、と
勘違いをしていた。そう考えて……シュナイゼルの言葉を受けて頭を真っ白にしてしまったのだ。
再びエレベーターで見たルルーシュの顔を思い出す。
ああ、
(……本当に、俺は……)
「わ、びっくりした……」
目をぐしぐしと擦りながらようやく応接間から私室へと戻って来たルルーシュは、
扉を開けてすぐの所に地下へ帰ったと思っていたスザクが居たものだから
つい驚いて、声を出してしまった。
「どうしたんだ一体」
椅子かベッドにでも座って待ってればいいのに、と言って、ルルーシュは後ろ手に扉を閉めた。
「ラウンズの二人にはもう言ってきたんですか」
「ああ。明朝、彼らが来たVTOLに乗って帰るよ」
「そう」
「期間はいつまでか解んないけどさ」
あはは、とわざと声にして笑ってみせる。スザクも立っているものだからどこに座るわけにもいかず
ルルーシュも習うように彼と同じ体勢で、向かい合うように立った。
「ここ」
「え」
「腫れてます」
紫電と、左頬を見比べるように翡翠が追って、スザクは自分のその部分を人差し指で示した。
確かにルルーシュの頬はエレベーターの前で別れた時より幾分か赤くなっているように見える。
その彼の目ざとさに『あはは』と虚しく声にして笑ってみせたけれど、やはり、言い繕うのも、何でもないことのようにやり過ごすのも
今の心境ではどうしたって無理で。
こくん、と一度黒髪を傾けて、項垂れるように背筋を曲げたまま、その熱を持ってきた頬へ手を当てた。
「まず、俺が謝らなければならないのは姉君だった」
「----------……まさか」
「俺、ユフィのこと、何て言っていいかわかんなくて、頭下げたんだ。それで許してくれるわけなんてないのに。
でも姉君はそうした俺に対して、痛そうに顔を歪めて……。『あ、駄目だったんだ』て思った時には
みっともなく身体は壁にぶつかってた。ぶたれたことなんてお前くらいにしか無かったから、それにお前のアレは手加減されてたのもあるし
それと違って姉君のビンタは、凄かったよ。思わず少し、泣いちゃった」
目を細めて、せめても騎士を安心させるように笑ってみる。
けど、顔を上げて見たスザクの表情は、別れた時より痛みや、自分や周りへのやるせなさに潰れそうなものになっていた。
「……、スザク?」
たまらなく不安になって、まるで暗闇の中手を伸ばすように特派の制服を掴む。先ほどもこうして胸のあたりへ顔を埋めた。
しかし今ルルーシュがしているこれは、全く別の意味合いを含んだもので。
暗くなる翡翠が前髪に隠れてしまうのを恐れるように、胸から、頭へと手を伸ばす。頭一つと半分ほど身長差のある自分では
全然届かないほど、スザクとの距離は縮まらなかった。
拒まれるかと思われた接触は意外にも受け入れられたのか、くせっ毛へ指先を埋めたらスザクのほうから背をかがみ
ルルーシュのほうへ寄りかかってきた。片手ほどで握りきることの出来そうな白い首に、
その肩に、火照ったように熱い額がすっぽりと納まる。
いつもは抱き締められることが多いルルーシュが、今度は逆にスザクを抱き締めていた。
「殿下」
「ん?」
耳障りにならない程度の、小さな声で話をする。もしくは、外で立ち聞きされていても大丈夫なようにという
安全策でもあったのか。
(……でも)
肌で触れてれば触れているほど、説明されてもいないが、スザクが負ってきたものが解るような気がする。
逆にスザクもルルーシュを支えようとしてくれているのか、背と腰に回された腕は安堵するほど優しかった。
「何だ?」
数瞬間が空いて、促すように聞き返す。
「今からちょっとだけ、子供返りしてもいいですか」
「子供返り……?」
どういうことだ、とルルーシュが訊けば『俺』、と肩口にぽつりと落とされた。
(そうか一人称という意味で……)
彼は自分に対して主従になるという約束の前と後で一人称が変わった。
そのことを言ってるのか、別に気にしなくていいのに。と、ルルーシュは真面目にも承諾がわりに頷く。
口元から小さく、息を吸い、吐かれた。胸を撫で下ろすかのようなそれは緊張する背筋を宥める為か。
ルルーシュは恐る恐るといったように回していた腕をあげ、肩甲骨のあたりをするすると撫ぜた。
「ずっと”僕”と言って……無理をしていたのか」
「『俺』--------と続けていたのは、反発の意味もありました」
あと騎士にもなるし言葉は丁寧なほうがいいでしょ、と続ける。まあそうだな、と胸の内で頷いた。
「でもスザク、反発もあったけど我慢をしているというのもあったんじゃないか」
「我慢なんて、……どういう」
「”俺”って言ってた頃のスザクは、持って回した言い方がすごく目立ってた。『ああ、本心はそうじゃないんだな』と
聞きながら思ってたよ。でも”僕”になって、それは更に強くなったように思う。
お前はそれを俺が与えてくれた安心だと言って、『自分は弱い、甘えてる』なんてさっき言った。
けど、そんなんじゃないよ。お前は弱くないよ。お前が悪いんじゃないよ。
そうだからずっと本音も言わず、騎士になって俺の傍に居てくれたんだろ?お前はね、安心して甘えてたんじゃない、
必死に自分を見ようとしてたんだ-----------……俺と違って」
最後の一言に、声にするだけでは込められない思いを滲ませ、ぎゅ、と抱き寄せる。
彼が、ずっと彼を見てきた自分の言葉を聞いて、どう思うか。
触れる肌は暖かいが内情までは知れない。身体を離して覗いてみてもいいけど、抱き締めてくれる腕がまだ強いうちは
そうまでしないほうがいいと思った。いや、したくないと思った。
淡々とはしていたが、含ませた言葉の意味は安直なものじゃない。等しい重さがこもってるといいと願う。
ふと、抱えていたスザクの肩が、僅かに震えた。
首元に納まった額はどんどんと熱くなっていってる。吐く息も湿ってて、少し待てば嗚咽がルルーシュの私室を満たした。
(ああそうだよ)
スザクが自身を『弱い』と責めてしまうのは、きっとシュナイゼルと会談する前にルルーシュへキスを強請ったような、
他人を少し試してしまう……そのことを指していると思うのだ。
人を試すのが悪いと言うのなら、人間関係はどこも疑心暗鬼なまま進んでしまう。
会う人間全員と意思疎通を図りたいとは思わないが、ルルーシュは、なるべくなら自分が大切と決めた人とは
繋がっていたいと思った。
(だから俺もお前を試すよ)
「貴方を守りたい……」
嗚咽に交じった切なる訴えが、耳に届いた。ルルーシュはすかさず答えを返す。
「俺がお前を守りたいよ」
瞳が言葉の真意を汲み取れないというように見開かれて、不意に顔が上げられた。スザクとの間に隙間が出来る。
ルルーシュも静かに顎を引いて、スザクを見つめ返せば、長い腕が今度は腰ではなく頭を覆うように回された。
瞳を閉じるよりはやく、唇が触れる。
噛み付くように強く吸われれば、追いていかれないようにと必死に背伸びをし、
ルルーシュはスザクの胸の辺りをきつく引き寄せた。
そしてゆっくりと、瞼を閉じた。
「どうしてブリタニアは日本に侵攻してきたんですか?」
元は、ただの観光と偵察を前提に皇子がやって来ただけでしょうに、とジノはコーネリアに問う。
異母妹を半ば放り出すような形で廊下から応接間へとやってきたコーネリアは、遅れながらの挨拶をラウンズの二人へと済ませた後、
腰を痛そうにさするジノから真正面に詰問された。
横にいるアーニャは少なからずスザクに引き倒されたジノをあんじているようだった。傍らに寄り添うように
立つ。
一瞬ジノから聞かれた意味が解らなかったコーネリアだが、とりあえず彼らを直立させたままなのは悪いと思ったので椅子をすすめ
自分はソファへ浅く腰掛けた。
半身のカーディガンの胸元を開いて、シャツのポケットに忍ばせていた写真を取り出す。
茶色くは端が擦り切れてしまっているような状態を見て、大分昔に撮影したものだというのが解った。
そこにはまだ十代も半ばであったコーネリアとシュナイゼル、マリアンヌが居た。
「これは……」
「私が唯一手元に置いてある写真だ」
「御三人、とても仲がよろしいように見える」
「そうか。まあ、そうだったな」
アーニャまで回ったところで、コーネリアは再びそれを胸元へと戻した。
ゆっくりと、背を落ち着かせながら話し出す。
「皇暦二千十年。ルルーシュが七つの頃だ。私たちは富士の山が欲しくて、地図上でこの国を選び、外交を目的に当時の首相に
取り入ったのは」
「日本侵攻にはコーネリアさまも関わっておられたのですか……?」
ジノが背を椅子から離した。
コーネリアは目を細めて続ける。
「私たちはその時どうしようもなく、新世代を作り上げた試作段階のKMFを完成させたかったんだよ」
「それは、父上からも深く聞いてます。多くの失敗と労力が必要だったとも。けどどうしてそれが日本なんですか。
サクラダイトという資源は、ここでしか手に入らないんですか」
ジノの言葉は、サクラダイト入手という名目以外に他に理由があるんじゃないかということを示唆していた。
アーニャも同感だ、というようにじっと見つめてくる。
「……そうだな」
コーネリアは低く応じた。
「ヴァインベルグ。貴公ならどうしていたと思う」
「はい……?」
「もし政治という枠組みや任務、行為を超えて、----------他国を侵略したいと思うなら」
「------------」
「お前は冷静に気づけるか。私たちはあの時人じゃなかった。間違いようもなく修羅の鬼だった。我が身も振り返らずに
敵の尊厳など無視して枢木の両親を含む日本の要人をたくさん殺した。そして日本を手に入れた」
二人は返事も出来ずに押し黙った。まだそこまで突き詰めて公務について考えてことなどなかったからだ。
そんな向かいに座るジノとアーニャを、ルルーシュと変わらない紫電の眼差しで射るように睨む。そして艶やかに笑った。
「そんな奴が明日から総督に成って変わるんだ。皮肉だと思わないか」
もう幾分か慣れた口付けのあと、すぐに我に返ったらしいスザクはルルーシュの身体から手を離し『帰ります』と
出て行こうとした。それを無言のまま腕を掴んでベッドへと連れて行き、上着だけ引っぺがしシーツへと押し倒した。
「何を……」
泣いてしまったこともあるし、離れたくないと思って勝手に私室で待っていたということもあって
情けなさと恥かしさから早々にルルーシュの前から立ち去りたかった。けれど反対に彼女はにこ、と小さく微笑んで
『寝てけ』と一言。
「そんな、いいです。大丈夫です」
そんなつもりで来たんじゃない、と充血した瞳で睨む。が、ルルーシュは聞こえないフリをしているようで、
それ以上は何も答えずスザクの隣に潜り込んだ。戸惑いながらもルルーシュが入れるスペースを作ろうと身じろいだら
細い手が引き止めるようにスザクの肩を掴む。
後ろにも前にも、寝返りも打てないまま硬直していたら、すぐに翡翠の視界をルルーシュのカッターシャツが埋めることになった。
「……っ」
息を止め更に縮こまる。枕に黒髪を伏せながらルルーシュが自分の胸にスザクの頭を抱きこんできたのだ。
ふわふわとして大した弾力もないのに満たされた感じのするその温もりに、思わず目を細めた。
「今日は俺がスザクが眠るまで付いててやる」
「-------------」
「抱っこしててあげる。……大丈夫だ。朝起きたらもう居ないなんてことはないから、じっくり寝るといい」
後頭部まですっぽり包むように回された腕に、少し力が込められた。けどそれは全く窮屈じゃなくて、むしろすぐにも瞼を下ろして
しまうような心地よさがある。
殿下、と小さく呼んだ。スザクを抱いているルルーシュの手はいつの間にかその頭を慰めるように撫でてくれていて
簡単に意識が落ちそうになる。
「お前はこの地で、明日から学生をやるんだ」
ちゃんとミレイさんの言う通りに生徒会も出るんだぞ。
そんなことをとても優しい口調で言ってくれる。
今だけは、今夜、ベッドにルルーシュが居てくれてる間だけは子供でいていいのか、と思ったら
更に泣いてしまいそうだった。
自分からルルーシュを引き止めるなんてことしてはいけないと思っていたのに
夢の帳に理性が包まれてしまっては、どうすることもできない。
シンとした静寂に包まれた部屋の中で、ルルーシュの腕の中だけが狭くもスザクにとってはとても安らげる世界であった。
永遠でもいい、ずっとこうしていられたらいいのに、……と、幼児が母親の手に縋るように背中に回した腕で
カッターシャツを掴めば、耳元に感じていたルルーシュの吐息が一瞬止まった。
その時目を閉じていたスザクは同じベッドに眠る彼女がどんな表情をしたかを知らない。