「なあ、アーニャ」
「何、ジノ」
「さっき、スザクの部屋で着替える時に見ちゃったんだけどさ」
応接間に待機する、二人。ラウンズの騎士服に袖を通したジノとアーニャは
昼間ルルーシュと話していた時と同じ体勢で隣あって座っていた。弾力のある椅子は
ジノの大きい背も易々と受け止める。反対に、細身のアーニャの身体はどうしても椅子のほうが大きさ的に勝っているように
思えた。
その彼女は応接間に来てから変わらず携帯をいじっている。
ジノは退屈しのぎにその少女へと口にした。
「天使の羽、って言われる肩甲骨に、傷があったんだ。誰かが爪を立てたみたいな」
「ふうん」
自分も(多分それとは種類が違うものだろうが)総督の部屋で彼女と私服に着替えている時に
同じような誰かの手跡を見たような気がする。枢木スザクへ告げたら赤面していたから、きっとその相手は彼なのだろうと思う。
しかし、ジノが見たというスザクの身体に残された跡というのはそれとは違うもののようで。
「背中の他にも、見たこともないような傷跡が一杯あった……」
「……拷問の痕なんじゃない。彼、このエリア11を元々納めていた首相の息子だっていうし」
生き残って捕虜になった人間っていうのは、どの時代でもそんな目にあってしまうのよ、と言う。
しかしジノは淡白に語る彼女へぶんぶんと首を振った。
「駄目だ、そんなんじゃ」
「…………」
「私はまだ経験が足りないものだから、それを見て何も言えなくなってしまった。
でも、跡以外にスザクが負ったものは他にもあるはずだ」
宰相閣下が彼に与えたものは相当なものだよ。
海のような印象の強い瞳が、痛ましげに細められた。
しかし反してアーニャは、彼の語るシュナイゼルの暴虐ぶりにも、総督の騎士に対しても特に感じることはなく。
淡々と携帯へ目を注いで、時間をやり過ごしていた。だって自分たちは総督が帰還を決めればその明朝には英国へ帰る。
荒野で君を見失った
暫くシアタールームは静寂に包まれた。
スザクはシュナイゼルとの通信が終わった辺りから顔をあげない。そんな項垂れた彼をロイドは後ろから見つめていたが
それにも飽きたというように足を一歩進め、端末機から一段低い場所にいるルルーシュの肩を手前へ引いた。
「あ……」
「此処にずっと居ても、また閣下と話せるわけではありませんよ」
「そうだけど」
「スザクくん」
先ほどまで自我を忘れたように床を蹴りつけていた部下へ言う。
ルルーシュの視線も、ゆっくりと引き寄せられるようにそこへ戻った。
「殿下を連れて応接間に戻るんだ」
「……何ですか、それ」
さっきまで自分たちと同様に、シュナイゼルと通信していたというのにロイドは全くこちらの心境に反した答を言う。
「だってもう、殿下が帰らなければどうにもならないことじゃないか」
「……っ」
あの男のことだから、このまま命令を聞かず放棄でもすれば、また戦争沙汰になるかもしれない。
元参謀であったロイドだからこそ易々想像できることだった。
淡々と続ける。
「それに、ここに留まることはラウンズの二人が認めない」
「……でも」
「僕にも君にも出来ることは限られてるんだ。まさか自分があの人に勝てるとかそんなこと思ってるわけじゃないだろうね。
君は十年前からずっと変わってないままだ、----------子供の、ままだ」
その言葉に、何も言えず。
ただ俯いたまま聞いていた。
それは間違いもない事実だった。スザクは反撃することも言い負かすことも出来なかった。ただ自分の中にほんの一握りでも
残っているだろう権利を振りかざして、シュナイゼルを挑発しようとし逆に挑発されただけだった。
(それに、あの男は……)
スザクがまだルルーシュに打ち明けてない、彼女の騎士になる前にしたシュナイゼルとの約束を言おうとした。
それが知られるのが一番恐い。あの言葉を耳にした時一瞬信じられなかった。今まで忘れていたのだ。あまりに幸せ過ぎたから。
ぎし、と椅子が軋む。その傍にずっと立ったままでいたルルーシュへそろりと翡翠をあげて、自分へ握られていたままの掌を
逆に取り立ち上がった。
「えっ……ちょ、スザ」
慌てたルルーシュの声が後を追う。しかし頭の半分が融解したように朦朧とした今の状態では、
抑止力の一部にもならなかった。
地下の通路を真っ直ぐに進み、丁度来ていた地上へのエレベーターにルルーシュを押し込む。
二人しかいない室内に緊張した面持ちで紫電はあげられたが、スザクはボタンを操作する為に背を向けていた為
その表情や視線には気づかなかった。
ただルルーシュにとっては激変したスザクの態度に戸惑ってしまって、強く握られたままの手首に痛みも感じながら
何も口には出来ずに足元を見てしまう。
鈍い音を立てながらエレベーターは上がっていって、暫く二人して黙っていた。ルルーシュも何をどう言えばいいのか解らない。
が、逆に今度は視線を感じて顔をあげてみた。そうしたらスザクがこちらを見ていた。心臓を掴まれるほどの
色のない瞳をして。じっ、と。
「…………スザク」
声にする。未だ手を離さないまま『はい』と返事が返ってきた。
「貴方を、ジノたちに預ける」
「……」
「あの人に、返す」
「……」
「貴方に、ずっと甘えていたから」
「そんな、……」
「いや。僕は少し、自惚れていた」
「どういうこと」
ルルーシュの追求に、はは、と小さく笑って見せた。
「あの人から離れていたから、”自由”だと勘違いしてた。僕はそれで強くなったと自惚れてしまってたんです。
でもやっぱり……ロイドさんが言う通りだ」
「----------えっ……」
近寄ってくる、紫電の瞳。その視線が当惑した感情を露にしていた、けれど、もうどうすることも出来ない。
エレベーターが徐々に地上へと近づいてきている。この空間は無機質だ。しかしそれよりも生気のない目で
スザクはルルーシュの視線を受け止める。
(この人が)
(どれだけ僕の手をとってくれてるからって)
(僕が変わってなきゃ駄目だ)
無駄にしてしまう。また両親のようにろくな抵抗も出来ず失くしてしまう。
-----------その前に。
「お前は弱くなんかないよスザク」
ずっと俯いてたとばかり思っていたルルーシュが真っ直ぐにスザクを向いて、繋がれたままのものはそのままに、
思ったことを正直に口にした。
「お前がいたから俺はナナリーのことに向き合えたし、兄君の傍から離れられた」
「それは殿下……。ロイドさんにだって」
「ロイドはロイドだよ。今は俺にとってのスザクの話をしてるんだ」
語気を荒げて真正面に力の無くなった翡翠を見つめ返す。
手首を握られたままの力は全く緩められていなかったが、自分に対して接してくるスザクは別人のように力が無かった。
どうにか、どうにかその考えを打ち砕きたくて、苦手なことではあるが言葉にする。
ちゃんと臆面通りに、そのままに彼に伝わってくれたらと思った。
「ユフィのことはどうにかしたい。……いや、これから、どうにかしにいく。でもな、スザク。俺がブリタニアを出ていこうと
決めた時本当にすごく自然に、お前についてきて欲しい、って思ったんだ。お前は迷惑だったかもしれないけど」
「……殿下」
「騎士だって、最初こそはあれだったけど……。それでも、お前以外考えてなかった。お前じゃなきゃ嫌だった。だから」
特派の制服の袖を、逆の繋がれてないほうの手で掴む。距離が近くなった。翡翠に少しずつ色が戻ってきたような気がする。
それがいつもルルーシュに見せるスザクのものとそれほど差異がなくなっていて、ひどく安心した。そしてその胸に
鼻を寄せるように顔を埋める。足先は触れた暖かさに震えていたかもしれなかった。
チン……という到着を知らせるベルの音、そこでエレベーターは止まった。
表示を見たらもう地下から地上の一階に着いたらしかった。
そこですぐに扉は開いて、ふと顔を巡らした先に見慣れてはいるが久しく政庁では会わなかった異母姉、コーネリアの姿を
見て唖然となる。
「姉君」
確か退院は明日の昼では無かっただろうか、とルルーシュは備えていただけに、見っとも無く固まってしまった。
「コーネリアさまのお帰りは明日という予定ではありませんでしたか」
スザクも同じように思っていたのだろう。挨拶もそこそこに質問する。
コーネリアは冴えない表情を見せ、後ろに控えていたギルフォードに一瞥した。彼がスザクとルルーシュへ答える。
「一日退院がはやまったんだ」
「そうですか……」
「おい、それでどうして本国の輸送VTOLが政庁の屋上にとまっているんだ」
「あ」
ギルフォードの追求に声をあげたのは質問に答えていたスザクではない、ルルーシュだった。コーネリアが怪訝な表情をする。
「説明をしろ。ルルーシュ」
「その……」
「あと少し聞かせてもらったが……ユフィをどうこう、と言っていたな。それはどういう意味だ」
「-------------」
唯一血を同じくする兄弟の名前を耳にして、訝しがらないものは居ない。
「はい。……ご説明します」
ルルーシュは目線でスザクに異母姉と二人きりにするよう伝えた。彼はまだ判然としない印象に包まれていたが
無言でこくりと頷くと、ギルフォードと共に応接間へ歩いていった。
コーネリアと人一人分距離を置き、廊下の端へルルーシュは寄った。そして異母姉のいつにない鋭い眼差しに肩を下げて
目線は床へ落としたまま口を開く。
「先ほど、兄君と話してきました」
「何……?」
自分とシュナイゼルの確執を当然知っていたコーネリアは、視線をきつくする。発した声の中には多くの戸惑いが滲みでていた。
彼とさっき耳にしたユーフェミアを結びつけたのか、ルルーシュを見つめてくる視線に焦りが見え始めた。
まさか、と思うのだろう。
「俺が、……いや、姉君とブリタニアを離れてる間に、あいつは兄君の手によって離宮に閉じ込めらてしまったそうです」
「何故だ」
「それは----------……」
勿論、ルルーシュを逃がした為だ。
(それを、どう、……言えばいいのだろう)
姉が自分と同じくらい、いいや、それ以上に愛していることは知っている。
いわばルルーシュはコーネリアの大事な妹を犠牲にして、此処へ総督としてやって来たのだ。
憎むはずだ。
とても、深く。
「……兄君は、俺に帰還命令を出してきました。今屋上にあるVTOLは、兄君と皇帝の命令で俺を迎えにきたラウンズのものです」
「お前に言ってきたのか。ユフィのことを案じるならば帰ってこいと」
「はい。だから俺は帰ります」
真っ直ぐに、珍しいことだが兄弟にしてはほぼ同色の、コーネリアの紫電の瞳へ告げる。
間違うことはない、嘘でもない。
自分の中で帰ることを結論づけて納得した上で選んだことだ。
スザクが自分は弱いといって己の所為にするような、……それほどのことでもない。おこがましい。元々は自分が身勝手さを貫いて
ユーフェミアへ押し付けてしまった苦難だ。
今度は逆にそれを返しに行こうと思う。
(お前は俺に自由をくれたから、今度は俺がお前を解放するよ)
「絶対、見つけてきます。ユフィを」
ルルーシュは拳を握って必死に怒りをやり過ごす異母姉へそう言い、深く頭を下げた。
コーネリアが我慢したもの。ユーフェミアが与えてくれたもの。色んな優しさにルルーシュは支えられている。
そう、だから、もう自由でなくなってしまっていいのだ。
アーニャは、赤い絨毯敷きの廊下へ向けて低く頭を下げているルルーシュの姿を、携帯で撮影した。
口元には少しだけ笑みをのせている。手元に映った黒髪の姿に満足げだった。
そして視線を転じて、……さっきまで地下にいたはずの総督の騎士枢木スザクと、同じラウンズであるジノが
仁王立ちにして睨みあっている姿を目に写す。
退屈しのぎに応接間から廊下へと出ていたのだが、そこにやってきたスザクの顔は形容しがたく。あえて言うならば
声のかけにくい怒気を滲ませていた。
そんな雰囲気をもつ彼にわざわざ接しようと思う人間は、当然この応接間にはジノしか居ない。
自分は関わらないでおこう、と思いつつ、けれど観察はしたかったのでソファに再び戻り、腰掛けた。
数秒、間があく。
ジノはさっきまでスザクを気遣う発言をしていた。
けどアーニャは幼い頃より後宮内に立ち入ることを許可されていたので、枢木スザクが第二皇子より受けていた罰も
ちゃんと目にして知っていた。それに、彼にも説明したがあれは本当に捕虜として仕方ないことなのだ。
小さい国ほど大きな国に吸収され、どうせはその一部となる。矯正を受けてこそ捕虜は大国の人間となれるのだ。
だから、枢木スザクにとっても良いことであったのだ。
なのにジノは優しいから、難しそうな顔をして首を振る。『駄目だ』と。
そうだからこそ今、ルルーシュの身柄を簡単に自分たちへ引き渡したスザクへ怒鳴っているのかもしれないが。
「スザクは本当にそれでいいのかよ」
「だから言ってるじゃないか。殿下も了承されている」
「……てめぇ、ルルーシュ殿下の騎士のくせに」
ぼそりと吐かれたジノのその言葉に、翡翠の瞳が目前を横切るように光った。
瞬間、特派の制服がアーニャの視界にブレたよう映る。『あ』と思った時には
ジノの身体は足元にあった。つまり、振りかざされた片腕で襟首を掴まれ、横軸に投げられたのだ。
どすん、という鈍い音が後を追ってくる。アーニャも一度目を伏せて、じんじんと響く震動に耐えた。
「君には関係ない!」
きっと今までで一度も、ルルーシュを守れなかったことなど無いのだろう。そんな経験自体していなかったのだろう。
だからスザクはジノの『騎士のくせに』という言葉に敏感に反応し、腹のうちから沸きあがった衝動をぶつけたのだ。
けれど見っとも無い。シュナイゼルに対して何も出来ないのと同じくらい見っとも無いと思う。
淡白にそう見つめていたら、ジノの背を越えてスザクの視線がアーニャのほうへと飛んできた。それには
口先だけを釣り上げる微笑で応対する。
「私たちを恨むのはおかしいわ」
真実を言う。
「元々貴方は虜囚の身。それでもルルーシュ殿下が居た間は強気で居られたのよ。でももう残念ね」
殿下の御身も、私たちが持ってっちゃうから。
その言葉を受けて、スザクは硬直する。ジノが『いたた……』と唸りながらテーブルの下から這い出てきた。
淡々と告げた一言一言にスザクがどう思ったかしれないが、-------------彼の今の表情を見てひとつだけ。
(そう)
”ルルーシュを手元から離したくなんてない”
”英国になんて帰せるはずがない”
「顔は正直ね、スザク」
終始彼は口で『ルルーシュを帰す』と言っていて、でも表情では反対のことを語っていたのだ。
そうアーニャは見ていて彼に断言した。