『俺がどれだけお前を好きか、わかったか』
手元に握られたままの紙束を持って、スザクは回想する。
暗闇の私室に一人だけ残された自分は、いま、背中だけを壁に預けて、怒涛の勢いで過ぎ去っていった二週間を
振り返るように、翡翠を伏せていた。
先ほど。まさか自分が失踪していた間主君がこの部屋を使っていたとは思わなくて、
まず踏み込んだ時に脱ぎ散らかされた下着が転がっていたのに、吃驚した。
すぐにそれを自分には見えないような位置に放り投げて、視線も恥かしくなってしまったので何処かへとやる。と、そこに
ふと見慣れないものが転がっていた。……いや、転がっていたというにはふさわしくないのだろう。それは、
一枚一枚揃えられた紙束で、見慣れたルルーシュの筆跡でここ二週間の軌跡が詳細に書き連ねてあった。
そしてある一文の末尾に言葉が詰まる。『----------はやく会いたい』、と書かれてあった。丁度スザクが
ナナリーと騎士団のアジトで相対したその日だった。
それを見たら妙に胸が詰まって、更に主君が二週間のうちに自分のためにしてくれた苦労までも解ることになって、
手にした紙束もろとも心がぐしゃぐしゃになるような思いだった。
”スザク”
突然後ろから声がして、振り向いたらルルーシュが口元を綻ばせて私室に来ていた。
瞬間、例えようもない感情が押し寄せてきて、……何を喋れたかあまり記憶に、ない。
もう頭も身体も一杯一杯に満たされてしまったスザクは、ただその時引き寄せた痩躯を胸にぐ、と張り付かせて
『ありがとう』と、それ位しか言葉で返せなかった。
戦争を終わらせようとして、また新たな戦争が誕生したその日。
腕にした暖かみが自分のものになれたとは信じがたくて、けれど確かに言葉として”一番”を貰えた自分は、
例えようもない、---------------------。
「元」死にたがりや
コーネリアの見舞いから帰還してきたギルフォードが、冴えない顔を更に引き攣らせた表情で
スザクが療養する政庁地下へとやって来た。制帽をめずらしく被っているところを見ると、やはり軍人らしく
外回りのときはそれなりに気を使ているらしい。スザクは主君から療養を命じられていたので私服姿のまま、
突然やってきた上官相手に布団から飛び跳ねるように驚いて、慌てて、せめて寝癖だけはと思い、
「すいません、ちょっと待ってください!」
とギルフォードを部屋のイスへと座らせて自分は洗面所へと駆け込んでいった。後からその状況を知ったセシルが気を利かせたようで
スザクがタオルを頭にかけながら出てきた時は、ギルフォードの手には渋そうな緑茶が納まっていた。……助かった。
「で、どうしたんですか、わざわざこんな所まで」
「それはな」
ごそごそと右手を軍服の中に入れて、何かを探ろうとしている。スザクは寝起きの頭でぼんやりとそれを眺めつつ、
『自分にも茶が欲しいな』と思った。目の端がやけに霞んで、白い。
「准尉、……じゃない、もう少佐か。殊勲式の連絡は総務のほうから受けたか」
「え?……や、受けて、ないです……」
何だろうそれは、と落ち始めた瞼を無理に引き上げて上官の眼鏡を窺った。彼は、いつも以上に眉間の皺を寄せて、
胸元から取り出した金具のようなものと一枚の用紙をスザクの腹へと叩きつけてくる。『ぐふ』と言いながらそれを掌で受け取り直して
起き抜けの頭にもよく入るようしげしげと眺めることにした。
「ルルーシュさまにはもういってると思ったんだがな……」
「殿下には、昨晩以来お会いしていませんが」
「ロイドは何も言ってなかったのか」
「ええ。なんか今朝から出かけてるらしくって地下にも居ません。……って、特派も関係あるんですか?」
「や、君はもう騎士侯の位についているから実質的には関係無いのだが……」
語尾を濁すように流す。『ん?』と訝しげに眉を寄せたスザクは、手元に渡された金具のようなものをしげしげと見つめ直した。
いつも主君の公務に付き添う時にはかならず身に付けている騎士証と、デザインは殆ど変わらないものだ。ただ、以前までは
デザイン的に片羽の装飾しか無かったものが、中心の紫水晶を包むかのように両羽のものに変わっているだけ。
(これって……)
「一応軍の慣わしとしては、昇進するごとに騎士証の形も変わる」
普段ずっと身に付けているらしい自分のものも、ギルフォードは胸元から取り出してスザクの前へと翳してみせた。
中心の石は、皇族の人間の象徴ともいっていい紫の石があしらわれている。ブリタニアに仕える騎士はほとんど同じ色合いのものなのだろう。
が、彼のと自分のとを比べてみれば、装飾が微妙に違う。自分のものが金に宝飾されているものならば、彼の、コーネリア用のそれは
純銀に輝く羽ではない矛を象ったものだった。……それも、きっとギルフォードが昇進するごとに形を変えていったのだろう。
スザクが初めて彼と出会った時に見たものとは、装いが違うように見えたから。
「ルルーシュさまのものも総務から預かっているから、君が渡してくるといい」
「はあ。……殊勲式、ってことは、勿論出席しなくちゃ---------」
「……いけない、ものであるが致し方ない。君の特進だって異例のものだし、コーネリアさまはまだ退院される兆しはない。
まだ我々のほうも雑務が増えていく一方であるし、特派だってガウェインのパーソナルの調整だってあるだろう。ルルーシュさまは
さすがに二週間の疲れか、床に伏せっているようだし」
「え……?」
寝耳に水だった。昨夜、地上にあがるエレベーターまで見送った時はそれなりに元気なように見えたというのに。
「だからそれを君に預けに来たんだ。主従にとって特別なものであるから」
「そ、うなん、ですか……」
「歯切れの悪い奴だな。私だって、いくら副総督の臣下だからって総督の部屋までは入れない」
ルルーシュが具合を悪くしているとは思わなかった。ギルフォードもそう語りながら冴えない表情をより深くしている。
本当に、ナナリーの一件があって政庁の中の安定は積み木のように崩れていってしまっているのだろう。
(立場ない、な)
自分一人だけ舞い上がって、
確実に彼女を護れたことなんて、一度だってない。
地下の基地へは助手のセシルだけ残して、珍しく白衣を脱いだインナーという姿でロイドは熱く火照った指先を握りながら、
とくとくと脈打つ心音を耳で聞いていた。ルルーシュは胸に銀髪がそっと当てられているのには顔を背け、僅かに汗が滲む首筋を
逆に逸らせてベッドから窓のほうを見つめている。睡眠なんて一切無しで基地に篭っていたロイドを内線で呼んだのは
ルルーシュだった。
「殿下」
貧血し衰弱しきった脳にあまり響かない大きさで、呼びかける。口元だけで小さく呼吸をする頭が、それに反応するように
僅かに揺れて、黒髪が数本枕に散った。
「何……?」
「熱さましを持ってきますから、それを飲むために食事をしましょう」
「食欲無いんだけど」
「飲まないともっと悪くなりますよ」
此処もね、と言う様にロイドの指先が手から、腹部へと回った。少しだけ力を入れるように下腹部を押されて『く』と
口から呻きが零れる。初潮が来て山は過ぎたかと思えば、ぶり返すように今度は貧血や微熱となって
体調にキたのだ。正直夜の間は冷や汗がどっと溢れて、指先やら爪先やらが凍りのように冷たくなってきて
内心慌てながら一晩我慢して、早朝ロイドへと連絡したのだ。
「ね、……その、月のものって、こんなに辛いものなの……?」
ずっと生理がきてから疑問であったことを旧知の仲である異母兄の友人に聞いてみる。ロイドは、身体をルルーシュの胸から起き上がらせて
体温が下がるばかりの細い指先を、擦るように掌に納めた。
「そういうのはセシルくんのほうが詳しいと思うけどね、……まあ個人差があるっていうし、殿下は一昨日初めてきたんだから
辛いのは当たり前でしょう。来月からくるものはちょっとは楽だと思いますよ。大丈夫、大体が生まれつきですから」
「俺は重いほう、なのかな……?」
「多分ね。まあ、その、あんまり深刻にならないほうがいいでしょう。本当はおめでたいことなんですし。赤飯でも炊きますか?」
茶化すように励ましも込めて口元を曲げれば、意味が解らずきょとん。といった眼差しで返される。
「お赤飯?って……あの、白米に小豆をまぜたようなやつか」
「あれ。お嫌いでしたっけ?」
「……小豆を米にまぜるといった調理方法が理解しにくい。俺は嫌いだ」
「じゃあ御祝いごとの代わりに何をしましょう」
「別に要らない。俺の年齢ではとっくにきてておかしくないものだし、今更……って思われるのも恥かしいだろう」
若干、目元を染めて口元に毛布を引き上げた彼女を見て、おかしくもあり口元から笑いが込み上げた。それをすかさず紫電が睨む。
「ロイド」
「はいはい。殿下は特殊ですからね。貴方の身体が大人になった、なんて閣下がお知りになったらどう思うやら」
「----------兄君に言ったのか」
ロイドの、その口先から不意に零れた名詞に、起き上がっていい身体ではないのにルルーシュは跳ね起きて、
握られている冷たい掌をぎゅ、と力を込めて握り返した。その異様な彼女の驚きように、珍しくロイドの視線も険しいものとなる。
「……殿下、」
「俺が、こんな身体になったって、兄君に言ったのか……?」
言外に『言わないでくれ』とそう乞うような瞳で、見つめられた。
彼はルルーシュに対して歪な感情を持っている。昔、ファーストキスの相手が他人であるのは気に入らない、と言ったシュナイゼルの
我儘ひとつで、ロイドは全く関係無かったのだがルルーシュの初めての相手として強引にされた。彼……シュナイゼルの身勝手極まりない
肉親への独占欲は言葉に尽くせない嫌らしさが内在している。それは、先日海に沈んだナナリーにも言えることだったが。
(殿下は)
肉親、が、こわいのだ。
心底信じられないから、とか、皇族の中でのシビアな相続争いに対してのものではなく、人間として自分の兄弟が信じられない
人種なのだ。その点は、傍から見守っていてロイドも解っていたので、彼女が自分のことをシュナイゼルに知らされることに怯える
理由もわかる。けれど、……
「いずれは解ってしまうものですよ。あの人は、……英国からこんなに離れた地に貴方が行ってしまっても、
一番に考えるのは貴方のことですからね」
だから『枢木スザク』に対しての執着も強いのだ、と思う。その彼がまさか最愛の異母妹の純潔を奪って、無理に成長させたなんてことは
思いもしないことだと思うけれども。
「でも、」
「---------まあ閣下に言う言わないに関わらず、スザクくんには言っとかないといけないことですからね」
困るでしょう?と近づいてきたロイドに耳元でルルーシュは囁かれた。『へ?』と瞳を円ませて、その意味を頭の中で反芻する。
「こ、まる……?」
「そう。身体がその準備をもうしちゃってあるんだから、今度こそは、……避妊、しなきゃいけないでしょう?」
「----------------------…………っあ、…………!!」
ようやく言わんとしていることの意味が解ったのか、素っ頓狂な声を発し、慌てて開いた口に手をあてた。
瞬く間に頬は茹タコのように高潮する。
そして
(こいつ、……今っ……)
-------”今度こそは”と言わなかったか?
「なっ、なんで、……ロイドが、知ってるんだ……?!」
「へ?」
「俺とスザクが、その…………っ」
そこまで言い切ったところで、限界なのかルルーシュはシーツの上にぼすんっと音立てて沈没した。
対してロイドは冷静で『そりゃあね』と飄々とした風に受け流す。
「ある意味でスザクくんを焚き付けたのは僕だし」
「……お、俺を何だと思ってるんだ……!!」
「貴方の成長を止めた責任の一端を握ってる人間でもありますからね」
「…………」
枕と毛布の狭間で『うう』と鈍く唸りながら、自分のプライベートを、それもエリア11に向かう道すがらスザクにされたことまでも
掌握されていた事実に眩暈を起こして、貧血なのも相俟って視界がぐわんぐわんと歪んでしまうような錯覚を覚えた。
隣でロイドは何かをズボンから探ろうとして、ごそごそと肩を動かしている。ずっとポケットに入れたままであったのか、
一枚の紙切れのようなものを取り出されて、それをぽいっとルルーシュが篭るシーツの膨らみへ投げられた。
「何、これ」
もそり、と起き上がってそれをシーツから取り上げてよく見れば、まだ離宮のほうに出入りしていた頃のルルーシュとナナリーが
映っているものだった。端のほうは擦り切れて、セピアとまではいかなくても写真の色合いは古ぼけた色に移り変わっている。
ロイドがずっと持っていたということなのか。
「お前は、ずっと、俺が成長してないって、気づいてたんだ」
誰にも知られていないと、気づかれていないと思っていたぶん、他所を向きながらもルルーシュが倒れてからずっと傍に居てくれている
ロイドを、まるで見直すように紫電に映していた。
この写真は、まだルルーシュ自身が自分の成長に歯止めをかける前、つまりナナリーと別れる直前の頃の写真だと思われる。
思われる、というのはあまりルルーシュの中でも記憶にないからだった。白いドレスを着て、黒いドレスに身を包む弟と手を繋いで
いたのは憶えている。
確か自分はそのすぐ後に、そのドレスを捨てていた。
「僕は、あんまり、……そういうメンタルな事情というのには疎い人間でしてね」
「知ってるよ」
「でも流石に、ナナリー皇子が消えてからまるで変わらない容姿の貴方を見てるのは耐えられなかった。
だから早く気づいてくれればいいと思って、スザクくんを貴方のほうへ焚き付けたんですよ。彼も彼で自覚してたからね。
”嫌いな女の騎士にはなれないから”って」
「-------------……うん」
「良かったでしょう?まだ僕なんかよりは」
「……お前」
こんな写真をずっと持ち歩いてるくせになんだその言い方、というように眉を顰めた。
「勝手なやり方この上ないな。俺を心配しているのかスザクで遊んでいるのか解んないぞ」
少しだけぶすくれた物言いで返してみる。そんなルルーシュにロイドは上げていた顔を俯かせて、低く咽喉で笑った。
そしてどこか憧憬を含ませたような表情をして、普段見ることのない眼鏡の裏側にある銀瞳に見つめられる。
「何……?」
こんな表情見たことないぞ、とルルーシュの胸をざわつかせた。
「そう言えば、もう彼を”准尉”と呼ばなくなったんですね」
「そうだが、……それが?」
「いや。……名前を呼ぶとちゃんと人間らしく、彼を好きなんだな、って思ったりして」
「好き……-----------って」
言葉を受けた途端一気に上昇した頬の熱に、今度はロイドも笑顔を見せて、濡らしたままで放置していたタオルをその額へあててやった。
「も、もう……!何でそんなことばっかり言うんだよ。俺は病人だぞ」
語尾も震えてしまうほど身体が弱っているというのに半身を起こしていたルルーシュを、やんわりと肩にのせた指先に力を込めて、
またシーツの上へと寝かせる。無理にルルーシュを興奮させたのは当の本人であるロイドなわけだが、まだ釈然としない、という顔で
睨みつけてくる紫電に、思わず苦笑した。
「随分素直になりましたよね。殿下って」
「……そんなことはない。ロイドが、勝手に、こっちに踏み込んでくるからだ」
踏み込んでくるからだ、と口先から零れた言葉に言われたロイドでなくルルーシュのほうが驚いた。『あ』と、また掌で口を押さえて
寝かしつけられるままにシーツの波に埋もれる。上にかぶさるロイドの腕の力はそんなに強いものではないけれど、
いつもと違う視点だからか、天井をバックに見下ろしてくる彼の視線には鋭さも秘めているように思えた。顔半分をタオルに覆われた
状態で、見つめ返す。
「ロイド?」
片手は、ルルーシュの額を覆うタオルに、そして逆の手は細い肩に置いている状態で、照明に反射された無表情の眼鏡で
ロイドは応じた。
「それは、……スザクくんが変えたからですか」
「……え?」
「殿下が、自分からあのランスロットに騎ったり、いつの間にかスザクくんのことを名前で呼ぶようになったりしたのは
彼の力……?」
「お前、……何、言ってるんだ」
少しずつ近づいてくる白い顔に、ベッドに伏せるルルーシュは抵抗も出来なかった。
声は震えていなかったかは自信無いが、逆に拒むことによってロイドを誤解させてしまうことも恐くて
包み込めるのかな、と思いもしたが、ルルーシュはそろりといった緩やかな動作で、再び自分の胸に耳を当てるロイドの背中へ
掌を当てた。
「体温が高い……」
「熱、出てるからな」
「……」
「……」
「えーと、あのな、ロイド」
胸にもあたって恥かしいしやめてくれ、とも思って、背中に回した掌でポンポンと虫を追い払うように叩きながら
ごそごそとシーツに皺を作りつつ身じろいだ。
「俺には、もともと、……その、他人を受け入れるスペースが無かったんだ」
「……はい」
「でも、その、お前の計らいか何なのか知らないけど、スザクと、その……そういう、ことがあって、
まあその……、今みたいな形に落ち着いているのは、スザクだけじゃなく、ロイドが広げてくれたおかげだとも、思う」
「何を」
「俺の、スペース」
ちゃんとあるだろ、と示すように胸をトントンと指で突いてみせた。ロイドはまだ耳を心音に当てたまま、それを黙って聞いていた。
とくとく、とあまり活発ではない響きが、耳に届いてくる。それに集中するように目を閉じてルルーシュの声を聞いていると、
割とすっぽりと、つっかえも無く言葉がロイドの中に落ちてきた。微熱状態にある彼女の湿った肌が、安らかさを与えてくれるからだと
思うのだが。
「すごく、満たされていると思う」
銀髪を視界の端に収めながら天井を一杯に見上げて、ルルーシュは言う。
「英国にいた頃より、ずっとここで苦労していたほうが、楽しいよ。ロイドもそうだろ」
「……」
「兄君の傍にいたほうがよかった?」
その声の奥には、特派を率いる皇族がシュナイゼルのほうがよかったか、という意味が込められている。けれど、それに対して
答えることなくロイドは曖昧に笑ってみせて、起き上がりながらその口端を歪に曲げた表情のまま、少しだけ乱れた黒髪を
外へと撫で付けた。
「じゃあ、生きなくちゃいけないですよね」
「……、え?」
「此処、……もう取り返しがつきませんよ」
ゆっくりと、確認させるように忍ばせていた掌でルルーシュの下腹部を撫でる。びく、と突然のことに驚いた膝が小さく動いて
瞬時にまたルルーシュの頬に血の気が集まった。全く下のほうに会話を転じたいのか真面目に話したいのか、ロイドの態度は
よく解らない。
(生きなくちゃ……)
いけない、というのは、-------------三年前ルルーシュが一瞬とはいえ考えた人生の結末が、それとは全くの反対であったからだった。
スザクも、セシルも、きっとロイド以外の全員が知ることもない事実であろう。
ルルーシュはナナリーを窓枠から突き落とした後、わんわんと泣きながら駆けつけたロイドとシュナイゼルにしがみつき、
いつの間にか意識を失っていた。
そうして再び目を覚ました時にはナナリーの姿は消えていて、その時たまたま傍に付いていてくれたロイドの前で、
今では想像もしかないことを口走ったのだ。半ば衝動的に。
自分が弟にしたことが信じられなくて、そして自分が生まれもってきた未熟な能力にも苛立ちが募って、世界から消えてしまいたかった。
でも、今はもう身体が成熟して、準備も整ったのならばそんなことも考えられない。ルルーシュはきっと皇族として
跡継ぎを遺さなければならないのだろう。逃げられない宿命というやつで。
「そう、だな」
もう自分一人の命ではない、と再度確認して、ルルーシュも腕を持ち上げて毛布の上から下腹を触った。
この中に子供を生む器があるだなんて信じられないが、確かに数日前と違ってルルーシュの中には女になったという自覚がある。
それは、スザクと行為をした時にも感じたものと似ている。
「ねえロイド」
「何でしょう」
「俺が三年前弱くなったときに言ったこと、もう忘れたよな……もしかしてまだ憶えてたりとかしないよな?」
「さあどうでしょうね」
「スザクには言うなよ」
「弾みで言っちゃうかも」
「〜〜憶えてるんじゃないか!」
起き上がる体力も残ってない人間相手によくそこまで飄々と出来るもんだ。
ルルーシュはロイドが明後日のほうを向きながらにやにやしているのが嫌になって、ふいと顔を背けて、寝返りをうつついでに
毛布の中にすっぽりと潜り込んだ。
「殿下〜〜……ちょっと、……まだ薬も飲んでないのに寝ないでくださいよー」
知るか!痛いのなんか我慢して寝込んでやる、と顔はまだ熱の所為で高潮したままなのに、背中からする声を無視してルルーシュは
寝る体勢へと移ろうとした。
が、そこでふと耳を澄ませば、何やら扉がノックされるような軽い音が聞こえる。なんだなんだ、とルルーシュは思って
そろりと静かに毛布の端からロイドのほうを窺ってみれば、その彼の後ろに、今しがたまで二人きりでいたルルーシュとロイドの
状況がうまく汲み取れないといったような顔をした、スザクの姿があった。
「どっ……、スザク!」
「おや、お出ましだね」
「す、すいません、ノックはしたんですけど……一応……」
尻切れに呟く彼の顔は、なにを誤解してかどんどん青くなっているように思う。ルルーシュはすぐ力の入らない半身をどうにかして、
まるで這うように毛布の中から身を起こした。
ロイドは佇まいを正して、シーツの上に放置されたままであった写真をズボンにまた仕舞っている。慌てるルルーシュよりも先に
スザクのいる気配に気づいていたのか、ロイドは人の悪い笑みをして『名案だ』と言わんばかりに、
振り返り際立ち尽くすスザクへこう言い放った。
「殿下に薬を飲ませてやりなさい、スザクくん」
「薬……?」
「痛み止めだよ。とうとうルルーシュ殿下がね、」
「いっ、……言わなくていいっ……!!」
瞬時にロイドの口を止めさせようとした手は、凄まじい速さで枕元にあったクッションを掴みとり、
それをそのままの勢いで銀髪にぶち当てていた。
スザクはぽかん、と口を開けて、的中する寸前に渡された錠剤と特派の主任を見比べる。クッションとはいえ結構な威力であったらしく
ロイドはルルーシュが威嚇する猫のような風体で睨みつける前で、瞳をぱしぱしと瞬きながら、すごすごと退室していった。
「ロイドさん、一体どうして殿下の部屋にいらっしゃったんですか……?」
「そ、それは、そのー……」
扉がカタン、と閉められた後すぐに切り出したスザク相手に、どう自分の体調の変化を説明したものか、とルルーシュは唸った。
まあ、その、彼にも関係あるというかそもそもの要因が彼なのだし、これは(ロイドの言ではないが)一応言っておいたほうがいいのかな
なんてのも思うので、ルルーシュは先ほどから続く羞恥と微熱に目を潤ませた紫電で、枕元に立ったまま見下ろしてくる自分の騎士へ
それはそれは恥かしそうに声を潜めて、言った。
「…………なったの」
「---------……なった、って?」
『ん?』と彼の首が傾げられる。休んでもいいと昨晩言っておいたはずであるのに特派の制服姿であるスザクをまたチラリ、と見上げて
もうこういうのはストレートに言ったほうがいいんだな……、とルルーシュはその彼の制服の裾を指先でくい、と摘んだ。
「その痛み止めをくれ」
「頭痛とか、そういうのですか?これ。でもなにかお腹に入れてから飲んだほうが……」
「もう我慢出来ん。それに、今痛いのは頭じゃないんだ。その、……は、腹……なんだ」
「腹?」
「だ、だから……な」
スッパリハッキリ言おうにも本人を目前にしたらどうしても口ごもってしまう。
もごもごと口だけ動かしたままずっと見上げていたルルーシュは、また何だかフラリと眩暈に襲われて、重力に従うままに
ベッドの上に逆戻りしそうになった。が、すぐに立っていたスザクがその細い肩を腕一本で支えて、全然びくともしない力強さで
そのまま半身ごと彼の胸へ預けられた。
「ふぁっ……!」
いつの間にか、スザクもベッドに座っている体勢で。
(ち、近い)
ふらついたところを受け止めてくれたのは嬉しいが、何故抱きとめた腕に更に力をこめる?と不安になった。
赤面もし、『腹が痛い』と言うんだから彼のほうも察してくれればいいものを、きっとそんな風にルルーシュが思っていることも気づかず
不思議そうな顔をしているに違いない。
もう、ルルーシュのほうからわざわざ顔をあげて見つめるなんてことは、恥かしすぎて出来なかったりするのだが。
(な、なんかもう考えすぎて混乱してきた)
抱きとめたまま沈黙するスザクの胸の中でぐるぐると目を回したまま、不安定な気持ちも押し寄せてきてぎゅ、と制服の襟を掴んだ。
「その、---------殿下」
胸元でそんな風に思索に耽っているとは知らずに、『何故ロイドが床に伏せるルルーシュの部屋にいたか』が彼女の体調以上に
気になって、思わず再度声を掛けた自分の声音が低くなっていることにも気づかずにいた。
が、ルルーシュは特派の制服に顔を埋めながら、その低いトーンにびくっと肩を揺らす。
焦らすばかりで本当のことを言わないことに苛立たせてしまったか。
「そ、その、あの、言いにくくて、言いづらいのもあって、言えなかったんだが……あ、ああの」
ようやく顔をあげた途端、『わ』とその近さに声をあげる間もなく、その開いた唇をスザクのそれに塞がれた。
「ふ、う…………っぁ、ちょ、----------や」
やめろ離せ、と続く隙もなく、火照って湿った咥内に熱い舌が侵入してくる。扉も完全には閉まってないという状況で、スザクも
周りのことを見失っているのか、普段以上に余裕がないといったように肩を掴む力は、強い。
「んっ……は、あ……」
「殿下」
「やめ、痛……」
くい、と耳の裏を這うように沿わされた指が顎を摘んで、より深く舌を絡ませようと角度を変えられる隙に口をついてみせても、
何の抵抗にもならないのか唇と再度合わせられる。
いつの間にか舌まで触れるようなキスを覚えこまされたことに気づいたのは、そうして数分が経過した後、はあはあと浅く息をつぎながら
スザクのとろけたような翡翠を目前にしてのことだった。
「も、もう……離せ」
その表情がとてもいやらしく思えて、合わせられた胸との間に腕を差し込んでぐいぐいと押した。けれど男でもあるし基礎能力として
一般人を上回る身体能力を持っている彼なだけに、力づくでこられている今は、びくともしない。
ベッドの上で見つめあうのも非常に嫌だったので、ふいっ……と小さくかぶりを振るように顔を背けた。
嫌だったのは、もうスザクにはルルーシュが好きだと思っていることを知られているからというのもあるし、彼が唇だけの接触では
満足しないだろうと思ってのことだった。何せ、自分は、あのエリア11に向かう飛行艇の中で、あんな……
(お、思い出してきたら死にそうなほど恥かしい……!)
『自分が月のもので苦しんでる』と告白する以上に、居た堪れないものだった。どうして今まで自分は、この地の総督になってから
彼の前で平然と居られたんだろう?不思議でならない。
スザクは、何とも感じないのだろうか。今も。ただ部屋へ来てロイドのことを聞いてルルーシュに口づけて、それでいいのか。
いやそんなはずないだろう……。
そうなら、もう自分は彼の腕から解放されて、布団に納まっているはずだ。
なのに抱き締められたままというのは、---------スザクがその気で?いるということなのだろうか?
そもそもスザクがどうして自分の部屋に来たのかをまだ聞いていない。
「お前、何か俺に用があったんじゃないか?」
視線を合わすにはまだ気恥ずかしいので、足元を見たまま口を開いてみる。そうしたらすぐに頭上から声が落とされた。
「ギルフォードさんが今朝来て、……殿下が床に伏せてる、って」
「そ、そう」
「それで彼と別れてから此処に上がってみれば、留守だと思っていたロイドさんが貴方の部屋にいて、……くっついてるのが見えたんです」
「---------くっついてる?」
「こんな感じに」
トン……と掴まれていたままの肩を押されたルルーシュの背中はすんなりとベッドに吸収された。
「へ?へ……?」
天井を背景に屈みこんできたスザクを目に入れながら、その頭がぽすん、と自分の胸元に当てられたのをくせっ毛の感触で知る。
スザクはそうして先ほどずっとドアの隙間から覗いていた光景を再現してみて、未だに燻ったままである不安定な気持ちを発散させるように、
ロイドは触れていなかったルルーシュの未発達な胸へ、手を這わせた。
「や!……ちょっ、ちょっと、何処触ってんだよ」
生理中であるからどこかはったような感じのする乳房に、ピタリと吸い付くような掌がふにふにと押さえつけてくるような感覚が走る。
口をついてでるのは呻きともしれない熱い息で、思わずルルーシュの股に力が篭った。胸の中心に耳をあてるスザクには、
少しだけ鼓動の早まった心音が左側から僅かに届き初めている。
「やだっ、今は、今日は駄目だ……!嫌だっ、てば……スザク!」
容赦なく叫びのような訴えを飛ばし、ルルーシュはもう『どうにでもなれ」という気持ちで、
胸を掴む彼の腕を手にとって、力付くで下腹部に押し当てた。
「えっ……」
そうしてルルーシュによって導かれた下腹部の感触に、違和感を感じる。痩せているはずの身体からは、どこか固さも感じるような
はった触感がある。
ふと、訝むように顔をあげたスザクの目には、目じりに水を含ませた紫電で鋭く睨みつけているルルーシュの泣きだしそうな顔があって。
途端スザクはその主君の身体から飛びのいて、口元を掌で隠した。……正確には、まさかの事態に困惑し赤面した表情をだが。
「ごめんなさい」
「……解ったか、ロイドが此処に居た理由も」
「はい……。その、本当に」
すいません……と、スザクは頭を伏せて言った。
「その、えっと、……殿下が、それで、具合を悪くされてるとは思わず……」
「思わず、……何だよ?」
「ちょっと、……己の主観を信じすぎて、我を忘れてしまいました。---------ごめん、なさい」
襲いかけたことと誤解していたことに対して謝罪しているのか。スザクはすごすごとベッドの上から退いて床に腰を下ろした。
ルルーシュは半身をまだ寝かせたまま、まるで主人を見上げる犬のような表情でまた頭をさげたスザクの様子に
「まあ、いいけど」
と言い、起き上がったところで、一本の手を差し出してみせた。
「?」
微熱に火照るルルーシュ以上に頬を赤くしたまま、翡翠を丸めてルルーシュを見上げる。何故かその手が『とれ』と言ってるように
思えて、両手でその白い指に自分のタコだらけで歪となったものを絡めた。
一本の掌に、骨ばった二本の掌。
包み込むようにそれを押し頂いて、スザクはその指先にルルーシュにキスしたときの激しさは垣間見せない繊細さで、口付けた。
いつだったか誓約した時にしたものと、あまり変わりない強さで。
「……殿下」
「ん……?」
再び眩暈のような感覚に襲われたルルーシュは、ぼんやりした目で足元のスザクの呼びかけに答える。
手は繋いだまま、制服の襟元から取り出した金具のようなものを、そっと、白い手の中に置いた。
「これって」
「ギルフォードさんから、頼まれて。……イレギュラーですが、昇進は昇進ですからね」
中心に施された宝石自体に変化はないが、その周りを護るように装飾された羽だけは違っていた。異母姉とは違い純金であるその騎士証を
両手で持ち直したルルーシュは、心から嬉しそうに紫電をはらりと緩ませて、その、自分の騎士の象徴である翠玉に
小さく唇を当てた。腹の奥底に新たに生まれた器官と同じく、その証には重さも通じてある。
よく見ればスザクの制服にある自分とを繋ぐ騎士証は、新たな形のものに付け直されていて、大事そうにされているように思えた。
「……よかった」
これを目の前に跪く男から与えられて、本当に嬉しいと感じた。
スザクもやりたいことを成せたという表情で、いつもは鋭い目元を和らがせている。その表情を一人きりで独占できることは幸せで
ルルーシュは昨夜もそうしたのにまた両手を伸ばして、首元にまた縋り付くように抱きついた。
「殿下?」
「ん、……今は、こうしたい」
ベッドに座ったまま足元に座る彼の体温を一杯に吸い込んで、くすくすと耳元で笑いながらスザクの様子を窺ってみる。
そうしたらいつの間にか彼の耳は赤くなっているように思えて、また笑いが洩れた。本当に正直な人間だなあ、と。
(自分が、)
素直に生きることができてよかった。
それは多分、そう教えてくれた自分に対して欲の強い、彼が教えてくれた『身勝手さ』。
「じゃあ、生きなくちゃいけないですよね」
生きるよ、俺は。