決定的にルルーシュが『こいつと自分は違う』と
ナナリーに関して思ったのは、母親に御伽噺を聞かされていた頃のことだった。
例えば、
硝子の靴を持った王子の前で、身分を明かせなかった灰かぶりの女。
兄弟揃って歩いていった先で見つけた、お菓子の家に潜む老婆。
ただひと目男に会いたいからと、自分の髪をながくながく垂らした囚姫。
赤い靴を履いたが為に、踊り続けることを運命づけられた少女。
全部が全部、自分は母親の口から聞かされて『怖い』と感じた。幸せなようでいて実は恐ろしい、そんな人間の情念が
渦巻いているような気がして。
けれど弟は違った。普通の顔して普通に聞いて、特に1番最後に話してくれた『例えばこんな御伽噺』と題された
孤城の話には、いたく興味を示していた。
「その国にはね、自分を写す鏡も、お料理するためのフライパンも、休む為のベッドもひとつしか無かったのよ。
数多くいる村人たちは、その”ひとつ”しかないものを、”ひとつ”しかなかったからとても大事にしてた。
でもある時、”それを自由ではない”と断じたお姫さまは、その”ひとつしかない国”を”多くの国”に変える戦争をしかけたの。
-------それで村人は名前を与えられ、家も増えたわ。自由も得たわ。これは……このお話はもしかしたら、人の強欲を例えた、
そんな御伽噺なのかもしれないね」
「ふうん……」
「でも、それって殺しあうことじゃ、ないの?自由でも、人と人が憎みあうのは、かなしいことじゃないの?」
お互いに母のドレスの膝に座っていた。ナナリーは穏やかな顔のままうんうんと頷いて、けれどルルーシュには引っ掛りを覚えて
それが出来なかった。
母は困った顔をして自分の言葉を聞き、本を持つのとは逆の手で弟を撫でていた。自分は撫でてくれなかった。
「ルルーシュ、人の中ではね、綺麗ごとばかりでは生きていけないのよ」
そう言い聞かせるように口を開く母の横では、静かに聴いていた弟が嬉々として、また頷いて、二人きりになった時には
怯えるように見下ろすルルーシュの手をとって、ナナリーはこう告げた。それもある意味での誓約なのだろう。
「お姉さまを守るのは私だよ」
…………何故だろう。
その言葉は『嬉しい』と感じて喜ぶべきものなのに、
『うん』と、母の話を聴いていた弟のように、簡単に頷けるものなのに…………
俯くことしか出来なかった。
空っぽの封筒
騎士がいない。総督の騎士が突然消えた。
ルルーシュとスザクはブリタニア本国で誓約を済ませた主従ではあるが、あの時の光景はエリア11の回線にも繋げられ、ちゃんと流されていた。
よって、『枢木スザク失踪』の疑惑は噂として流され、エリア11総督及び皇室の信頼はどんどんと地に落ちていった。
例え、日本であったエリア11に救世主として現れた黒の騎士団であっても、すでにサクラダイトという資源を独占している英国であっても
民衆にとってはどちらも”権力”であることには変わりなかったということだ。
おまけにスザクは日本国最後の首相、枢木ゲンブの唯一の実子。旧日本政府に属していた一団が
『王国が虜囚として浚った首相の忘れ形見を、名誉ブリタニア人であることを名目に食い物にした』
と主張した。ルルーシュが一度会見をする場に現れた時にそれを聞いたのだ。その時、ある一人のイレヴンからは掴んだ泥を
総督は顔にぶつけられた。
政庁の前にバリケードを作ったり、彼を通わせていたアッシュフォード学園にも爆竹を放り込むなど
悪質なイヤガラセを抗議の形にしてくる輩が絶えなかった。副総督の席にいるコーネリアからは
『枢木捜索は隠密にすべきだ』と言われたが『それではけして見つからない』とルルーシュは泥を拭いながら答えた。
「准尉は自分から消えたんじゃありません。此処、エリア11に居る何者かに連れ浚われたんです」
それは変わらない事実。ルルーシュがあの時あの場所から離れたのが原因なのだ。
准尉が消えた事実を包み隠しにしたまま捜索しても、彼を浚った犯人にはけして行き着かない。ルルーシュには確信があった。
「見当はついてます」
「……お前は、アヴァロンの時も言っていたが、本当にゼロがナナリーであると信じているのか?」
「信じます」
「その言葉は何に掛かってる」
会見を開いた会場を抜けて、コーネリアと肩を並べて廊下を進む中、突然鋭い視線で睨まれた。怒っているのではない、異母姉が
真意を計るときにする、クセのような。
「サクラダイト流失事件のことをまだ気に病んでいるのか。それとも、他に何か自分の弟がテロリストであるという証拠が
お前の中にあるとでもいうのか」
「…………」
四年前に、汚染されたナナリーを看病する立場でいながら窓枠から突き落とした記憶が蘇る。
すぐに駆けつけてきたシュナイゼルとロイドは、丁度ルルーシュが泣き出した後にやってきた。事態を曲解したのだろう、
異母兄たちは自分を抱き上げて、あやしてくれた。
もしあの時ルルーシュが弟にした本当のことを、あの二人がちゃんと目にしていたなら”ゼロ”は自分であったろう。
「姉君……」
名を呼ぶのは恐ろしく感じたが、気丈に振舞うためにもそれは必要だった。
こくりと唾を飲み下してまた、異母姉と共に歩き出す。コーネリアから次に出される一言は何も無かった。だから、次に問い掛けを
口に出すのは、むしろ答えを出さなくてはいけないのは自分自身になのかもしれなくて、そう思うことにまだ臆病である
自分の脆弱さに眩暈がした。コーネリアはすべてをルルーシュに預けてくれたのに。
「姉君は、御伽噺を聞いたことはありますか?」
ふと、そんな言葉が出た。まるで答えではないな、と嘆きに眉を顰めながらも、それを続ける。
「あれは不思議なものですよね、主人公はかならず近親の誰かに裏切られ、城や家を追い出される。そして最後には救世主が現れて
救ってくれるんだ。マリアンヌ母上から聞かせられていた話たちはどれもそんなもので……正直それが怖かった。
言ってることは皆同じなんですよ」
「?」
「”生殺与奪”、…………だから俺は檻を作るんです」
弟に弱いから『守ってやる』と言われたとき、上手く笑えなかった。その理由は多分自分がナナリーを愛していないからとかじゃない。
逆にルルーシュがそう言われて嬉しいと感じたのは、極僅かだった。その数に弟は入っていないということ、入らないということ、
それだけが今も拒み続ける理由だ。
「笑えない……俺が弱いままだと、また准尉に怒られてしまいますね」
「ルルーシュ」
異母姉の視線が和らぐのを感じたが、せめても彼がいない間は鋭いものであってくれ、と思った。
准尉はルルーシュの弱さを怒ってくれる。
ああ、それが嬉しい理由なんだ、と。
ラクシャータ含む騎士団の幹部ですら入室を許されない部屋がアジトにはいくつかある。ナナリーは再び気を失ったスザクの身体を
C.C.に一時任せ、その後、自分の私室とされるモニタールームで実姉の会見を見ていた。
『総督、先日の式典以後学園のほうにも、名誉騎士侯枢木スザク准尉は行かれていないという情報がありますが、
これは彼が突然失踪されたというのとなにか関連があるのでしょうか?』
ある記者がフラッシュの中立ち上がり、直接ルルーシュへと訊く。しかし答えを待たずしてまた次の記者が性急にマイクをつきつけた。
『先日総督は外出なされたとお聞きしたのですが、その時枢木准尉を連れていたのは事実なのでしょうか?』
じっと瞑目していた紫電が開かれる。横にいるコーネリアの姿勢も僅かに崩れた。ナナリーは淡々と客観的に映し出される会見の
光景を椅子に座らず立ったまま見つめている。随所随所に焚かれるフラッシュの光が、今もなお閉じられるナナリーの瞼をも照らした。
『外出の期日から、今回執行されたゲットーへの軍参入とを逆算しますと辻褄が合うのですが、これの因果関係とはつまり……?』
中央の一列目という絶好の場所に座って居た長髪の記者が、やはり返答を待ちもせず立ち上がって、
卑しい眼差しでルルーシュを見た。
そこで彼女はすう……と細く息を吸って、手にしていたメモを前のテーブルにおき、ガタンと音立てて椅子から立ち上がった。
『我が騎士枢木スザクにおいては目下捜索中である。余計な邪推と憶測をこのような場で言いたければ、好きにゴシップ記事にすればいい』
苛立ちまかせにそう言い放って、おまけに着席していた椅子の足までも蹴飛ばして、取材陣へと背を向けた。
その姿をコーネリアは慌てて追う。
二人を黙ってカメラが見送ると、ルルーシュの死角である風上から、何処から持ってきたのかわからない濡れた泥が、
拳ほどの大きさに丸められて彼女の方へと飛んできた。
ざわ……っ
「っ……!」
一気に異色のざわめきが起こった瞬間、投げた本人は唖然とする群集の中を抜けて走り去っていってしまった。
ルルーシュは自分の手につけた手袋で緩く頬を擦る。ゆっくりとそこから離して、汚れた布地に眉を顰めた。
民衆はそうやって声を露にするのだ。
枢木スザクはエリア11に囲われる人間たちの心の拠り所。そんな彼を騎士にしておいて、あげくその身柄を行方不明になんてさせる
英国は、……民衆からの信頼は地に落ちて、『裏切られた』と、准尉のことを責める思いが今のような泥となって
ルルーシュへぶつけられるのだ。
ナナリーはもうなくなった視覚に少しだけ、ほんの少しの有難さを感じてモニターの電源を落とした。
(私はもう音だけしかひろえないから)
仮面を顔へとつけて、表へと出る。幹部が集結する司令室には寄らずC.C.の待つ最下層の暗室まで。
するり、と細い筒のようなシルエットがそこに踏み込んだとき、出血へのショックからか今だ目覚めない男の脇にいたC.C.は、
その姿に呆れのような息を吐いた。
「……言ったはずだぞ。このままにしておいては危険だ、と」
「貴方はその男を死なせたくないんですか?」
「……私は、カレンがしたことはフェアではないと思っているだけだ」
こんな奪うような形で、と寝台に伏せるスザクへと彼女は視線を注いだ。
肩口に無残にも突き刺されたナイフの傷は、彼女が無理やりつめこんだガーゼと綿で塞がれている。辺りを立ち込めるエタノールの
匂いは治療を施したからか、とナナリーは納得した。
暗室は出入り口以外を真っ黒に塗られている。唯一この空間で白いのは、ガウェインへ騎乗するために着用したスーツを着る
C.C.だけだった。
ゆっくりとした足取りでスザクの傍へと辿り着いて、横におかれた畳椅子へと腰掛ける。ずっとスザクを看ていてくれたC.C.へは
顔を向けるだけで『下がれ』と命じた。
(フェアではない)
「それはわかっている……でもそれは、それを言うのはお姉さまの所為でもあるんだ……」
静かにC.C.が立ち去っていく足音を耳にしながら、ナナリーは黒い手袋を片手だけとって、一度だけ自分の唇で触れたスザクのそこへと
指を伸ばした。
「ねえスザクさん、お姉さまとは、どうだった……?」
水滴を落とすような突然さで、彼の意識を浮上させるよう、接触していく。ぴく、と僅かに瞼が動いたのを掌で感じ、
更に感触を極めようともう片方の指も伸ばした。
それは手袋をしていて、半身を裸にさせてある彼の胸を這っていく。蛇のように動かせたかと思えば、今度は逆に指を立てて
一直線にゆっくりと引いていった。
「スザクさん……」
「っ、ぇ……?」
薄っすらと翡翠が顔を見せる。視界に映るのは一面の黒。ナナリーには瞳はあっても光はないから、瞼を開けた彼と視線を交錯することはない。
「ナナ、リ……」
「ええ、私ですよ」
「ゼロか?もしくは、生徒会の……」
「違います、今はナナリー・ヴィ・ブリタニアです」
苦痛になのか、貧血になのか、意識を混濁とするスザクでも覆いかぶさる”彼”の重さはわかった。
唇と腹に触れてくる指の細さは、親しい主君のそれと同じ。此処に連れてこられたときに触れた唇の感触も、彼女のものと似ていた。
(ああ)
本当に姉弟なんだ。本当にルルーシュと血が繋がっているんだ。
「十歳の頃にブリタニアへやって来た貴方とは、三年間だけ同じ城で住んでいましたよね」
唐突に言葉が紡がれる。虚ろな眼差しでこれにコクリ、と首肯した。伸しかかってくる”彼”の身体は思った以上に軽く、触れるほどの
柔らかさしか感じられなかった。まるで誘起的に”彼”のもつ世界へと溶け込んでいくような。
「今でも思いだせる……シュナイゼル異母兄さまが貴方の腕を掴んで、アヴァロンから私達を見下ろさせた、日本が亡くなった日。
あの人は家族には優しいようでいて、実はとても自分に素直な人だったから、……その時にはもう貴方のことを日本へ帰すなんてこと、
放棄していたんでしょうね。ねえ、なのに、そんな男の妹なのに、貴方の親を殺した国の娘なのに、
どうしてお姉さまがよかったの?」
つう……と胸の間をたどっていた指先が、喉下あたりでピタリと止まった。同時に、手袋をつけていない左手に髪を掴まれる。
痛々しいほどにそこに力は込められ、比例するように首にも圧力は溜まっていった。”彼”は腰に跨ったままギリギリと双方を
握りこみ、締め付けて、スザクを追い詰めていこうとする。
「ああ、確かに私はお姉さまのことを所有したくて振舞ってきたけれど、……まさかその話を聞いてお姉さまを救ってあげたい、なんて
思ったりしてませんよね? まだキスしかしてませんよね?」
「く、……」
「不思議です、どうしてか……英国にいた時は会話もしなかった貴方のこと、こんなにも」
身体を支える骨が軋んでいくのを、頭のどこか隅の冷静な部分で自覚した。”彼”の音質は耳の1番敏感な皮膚の薄い部分を突いてくる。
それがたまらなく不快で、身を強く捩った。そうしたら意外なことに”彼”の身体はぐらりと傾いて、
「っあ、」
スザクが反射で腕を伸ばそうとする前に、横たわっていた寝台の下へとナナリーは落ちた。
貧血のあたまに響く金属音は、ナナリーが転がったときに当たった床から鳴ったもの。そこには折りたたみの椅子があり、
したたかに”彼”は痩躯をぶつけたようだった。
すまない、と。スザクは口にしようとした。
式典で起きた暴動の後、確認の為に『ナナリーは歩けるのか』とルルーシュへ訊いた。彼と同名の生徒をアッシュフォードで見つけて
スザクは、その人物が主君の弟で、もしくはゼロではないのかという関連性を知るためにそう訪ねた。
『ある、……歩けないと思う』
『1番汚染されたのは、前座に座って居たナナリーだったから、目も……。足は、俺が』
「-------------くそ!」
だんっ!と床を拳で叩く音がした。スザクは半身だけ身を起こして下の様子を窺う。
細い身体のすべてを支える両足は、歪んでいた。翡翠を見開き仔細に知ろうとする。”彼”は、いやナナリーのことを、ずっと
学園での下級生で、車椅子にのって、クラブハウスで過ごしているミレイの親戚だと思っていた。
しかしナナリーはゼロの姿でスザクをここまで連れてきた。ナナリーか?ゼロか?ルルーシュの弟なのか?
そのすべてがずっと自身の中で渦巻いていて、けれどいまの”彼”の姿を目にして、やっとひとつの事実として心に思うことができた。
「ナナリー」
”彼”は彼女の、弟なのだ。
ナナリーはルルーシュの一人きりの弟なのだ。一度死んだ後も。
やっとナナリーという”個人”に、直接会えたような気がした。
「……っ、ないで、」
低い声に、起き上がらせようと伸ばした手は拒まれた。腰ほどにある栗色の髪は床へと垂らされたまま、
どうにかひとりで立ち上がろうと椅子の背を掴む。そこにぐ、と力を入れて、逆の方向に曲がった足を奮い立たせた。
「私を、見るな……」
地を這う低音は、本当にナナリーのものであるのか。まるでもう一人の存在が”彼”に根付いているようにも思えて、
寝台に座ったままじっ、とスザクは見守る。伸ばそうとしても拒まれる手、見守ろうとして眺める視線も、拒絶を受けた。
「君は、」
ルルーシュには”弱い”というのに、
”守ろう”と手を伸ばすのに
「…………強くないんだね」
その言葉が、見下ろされる側となったナナリーには重かったのか、
椅子を掴んだ手は動くこともなく、暫くそのままだった。
「強ければいいのか」
ああどうして、
人に吐かれるものに限り言葉はこんなに重いんだ。