我が君主、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアには大切なものが二つある。
勿論その中に自分という存在がある事は絶対に無い。
己を大事にせず、手荒にもせず、しかし、持てる力の全てを注いで我が身を守ろうとする意志のある者。
そんな人間が居たらいい、と昔零していたのを窓際ごしに聞いていたスザクは目の前で起きている状況と、
一般兵であり日本人でもある自分を包む周りの環境の変化を、冷静に受け止め、どこか当然のように思っていた。
「--------止めはしないけど認めたりもしない。君は随分と周りの大人に対して従順だけど、それって他人からはいい加減な姿勢だとも
思われたりしちゃうんだよね。僕も、そう思うよ枢木くん」
「……」
スザクは数年過ごした兵舎から一歩出た。軍の上司がやって来たからだった。相変わらず白い服に身を包み、将校というよりも
軍師か元帥に近い印象をもつ男は、バックを肩に下げてきょとんと見下ろす翡翠に眉を顰めてみせた。服装があまりにも簡素とした
ものだったからだ。まさか宮殿によばれる人間だとはとても思えない服装で、トレーナーとジーンズ姿に眩暈を覚えてしまう。
「君ね。これから行く所は学園でも軍の施設でもないんだよ?もっとなんか、スーツみたいなものなんてなかったのかい」
「突然のお話だったので用意も何も。……ロイドさん、本当に僕なんですか、-----殿下の17才の誕生日によばれる、人間って」
「そうだよ、陛下から『枢木准尉を連れてきてくれ』ってあの気持ち悪い仕草と声で直々に命令されちゃったの」
「……可哀想に。そこだけは、同情します」
「僕達『陛下嫌い同盟』だものね」
「そうですね。まあ僕の場合皇族のみなさんは全員そうですけど」
にっこりと笑い返す。それでも揺るがない背筋はしゃんとしている。
「皇族嫌いなのに皇族の騎士となるのかい、君は」
ロイドはスザクに背を向けて、後ろに控えていたトレーラーの扉に足をかけて、呟いた。
後に続くように青年も進み、しかし上司の落とした言葉に一瞬立ち止まった。とても不思議そうに翡翠の色を変えて顔を上げる。
さらり、と小さな風が彼の茶髪を掬った。
「僕の中で彼女だけは違いますよ、……特別とかそういうのではないけど、------何となく、護らなきゃいけないって本能が
うるさく言うんです」
幼馴染だからか、それとも彼女の持つ最大の秘密を自分しか共有していないからか、スザクは今日行われる就任式を
義務のようなものと受け止めていた。数年軍で一等兵として培ってきた技術と力は、彼女の騎士となる為にあったと言っていいのかもしれない。
「だからね、ロイドさん」
「----…?」
振り向いた銀髪を目に留める事もなくスザクは軽やかに言い放った。
「愛情なんてないですよ、私情だって挟みません。皇女殿下に向けるべきものはこの剣だけでいいのだから」
青年の背中には大振りの剣が納められているだろうケースが背負われていた。
それを眩しそうに目を細めて、若干口元を引き攣らせながらロイドは頷いてみせた。
日の差さない回廊を上司と潜りながら、スザクは先日の夜の出来事を思い返していた。
スッ、と差し出された掌を取って部屋に招き入れられたスザクは、漆黒の髪が白い面差しを映えさせるのを動きの中に見つけながら
引き寄せられるままに少女の体を寝台へ組み伏せた。足は交わり、細い腕はスザクの首に絡んでくる。吐息が鎖骨を擽って
皇女よりも数ヶ月はやく17を過ぎた青年は、軍服のタイを緩めながら紫電を見下ろした。少女は……ルルーシュはスザクの
顔をじっと見つめて、腰よりも長い黒髪ごと身体と身体を包み込むようにして縋り付いた。別に性的な欲求があったわけではない、
ただ単にからかっているのだろう、自分を。とスザクは思っていた。翡翠の色は何処までも静かに、無言で触れ合う少女と自分を
他人のように見つめていた。
上体だけ身を起こした彼女が、肩口に顔を埋めたままの状態で囁く。
『……俺は、大事にしなくてもいいものが欲しい……』
これほど距離が縮まってもなお、体温を伝えない少女の肌を無機的に漢字ながら、抑揚もなくスザクは返した。
『大事にしなくてはならない物など、お在りなのですか殿下』
『……名前で呼べ、准尉』
『こんな場所でこんな事をしていても、立場は弁えないといけませんからね。貴方は僕にとっては皇族の人間でしかない』
『お前がまだ一等兵だからか、……俺達(皇族)が嫌いなくせにお前は、自分を英国軍へと放り込んで……白い獅子に跨って准尉にまで
成り下がった』
『地位と名誉の為ならば、命がけの事だって出来ますよ。……空いてる時間はすべて貴方に捧げているんだ。何処ぞの女のような小言は
止して頂きたい』
『-----------お前は俺を愛さないのに?』
く、と咽喉が鳴った。彼女の絡んだ腕が解け、体勢を逆転させられたからだ。天蓋に巻かれた布が帳のように自分達を隔離している。
世界から彼女の部屋から彼女自身から、……逃げてしまいたいと思う気持ちは現在も変わらない。
『俺は、騎士を取ろうと思う』
『……そうですか』
『覚えてはいないだろうが、明日は俺の誕生日を祝賀した後に就任式が行われる。総督はシュナイゼル兄君、副総督にはコーネリア、
俺はその二人の参謀役として軍に就く事となった。手にした剣の他に盾が要る、……俺はお前を騎士に選びたい』
『--------……!』
スザクは呆然と紫電を見上げた。夜目にもそれははっきりと映り、自分の狼狽えた様子に満足そうに頷いた皇女は、
さらりと軽く、男の首から胸をひと撫でしてみせた。それはまるで心臓を手にしようとしているかのような動きにもみえた。
『お前が俺のものになればいいのにな……』
軽い接触はすぐに離れて、スザクはほっと息をついた。依然少女は跨ったままだが。
『心にも無い事を言わないで下さい、殿下』
『ふん、……本心ではないが決めていた事ではある。昔から、騎士を取る事になったらその時はお前を選ぶと、俺はずっと決めていたから』
一呼吸置いて、手袋に包まれた掌がスザクの指に合わせられた。
『あとは、------お前が俺を選ぶ番だ、准尉』
紫電の色は本気だった。自分こそ名前を呼ばないくせに変な我儘を言う。そんな奴を護衛しようなどと、誰が他に思うだろう。
(選ぶ時間も権利さえも、僕には与えて下さらないのに)
はあ、と大きく溜め息をついてみせた。伯爵でるあからか当然正装に身を包んだ上司が、先を進みながら首だけで振り返る。
「初めて身に着けた正装はどうだい、准尉」
「……窮屈です。まだ歩兵隊の軍服か、特派の制服か、ランスロットのスーツの方がいいです。一番はさっき引っぺがされて棄てられた
トレーナーですけど」
「漆黒の皇女さまに、白い騎士ね……」
プラチナよりも少し鈍い色をした瞳が、騎士服を所在なげに着こなしたスザクを見つめる。
「どうして黒にしてあげなかったんだい。-----もしかしてランスロットに合わせてくれたとか?」
「いえ、ただ単にあの人と同じ色になっちゃうのが不本意だっただけです」
すとん、と肩を竦めながらおどけたように返事をする。そんなスザクの不遜な態度に怒りが頂点を達したのか、付き添いで従っていた
副総督コーネリアの騎士、親衛隊隊長のギルフォードが青年の後頭部に拳をぶつけた。ゴチンといういい音が廊下に響く。大理石の床の
上でスザクは二歩三歩とよろよろと後退した。……地味に衝撃がきたのだ。
「い、痛……!」
目の端に生理的な涙を浮かばせながら、長身の男を見上げた。当然ギルフォードの表情は硬い、因みに青年を前にする双眸も鋭い。
「少しは物のいい様を考えた方が良いと思いますが、枢木准尉」
「……その階級もまだ慣れないんですけど。僕はまだ一等兵でいいくらいで、」
「三階級は特進するからね〜君がどんだけ皇女さま……違うな、ルルーシュ殿下の事をお嫌いでも命令だけには逆らえないよ。
君は自分の居場所として此処を選び、能力を身に着ける場として軍を居場所にしたんだからね。騎士になる事は代償と思ったほうがいい」
「だい、しょう……」
「主に求められるという事は、騎士にとっての幸いである事に他ならない」
ロイドの言葉に続くようにギルフォードがスザクに向けて言う。
「お前はあの英知に長けた、ルルーシュ皇女殿下の傍に就くよう任命されたのだ。日本人としての矜持もあるのは当然だが、
これからは何よりも優先して考えなくてはいけないのは主である皇女の命だ。貴様の意見や意志など、それと比べられるものでは無い」
「……はい、けれど彼女は、」
スザクは上司と強面の隊長の前で、挑むように目線を上げて言葉を紡いだ。
「僕のそのつまらない矜持ごと、理解して引き入れようとしたんだと思います。僕のような者が感情ひとつで崇拝し、誰かを護るだなんて
到底思えない……それを充分理解しご配慮して下さっていると僕は判断して、彼女の下に就こうと考えています。せめても、剣を
向ける相手と捧げる相手は自分で決めたいから」
二人の男は固まった。いつの間にか雲は流れて、隠れていた太陽が覗き回廊へと日差しを傾けだした。
あとほんの少しで就任式が始まる。天まで続くのではないだろうかという程に高い天井の下に居るだろう、
本来皇帝が腰掛ける玉座に第二皇子シュナイゼル、左側には第二皇女コーネリア、そして右側にはこれから主として仕えるだろう、
数年間を友人として過ごし、最近までは男女の一歩手前の関係であった第十一皇女ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。
ロイドとギルフォードの手によって押し開かれた重厚な扉の先には、スザクが考えていた通りの光景が広がっていた。
違っていたのは、普段身に着けている執務服とは違った衣装に身を包んだ少女の姿だった。
腰まである黒髪をいつもは紐で括っているのに、今日は見事に背中へ流していた。耳側の両サイドには装飾としてデルフィニウムの花の
形にあしらわれた髪飾りが漆黒を華やかに彩っていた。
ふわりと面差しが明るくなる。大勢の観衆に見守られながら、ルルーシュは軍人の証として差し出された騎士証を胸元につけて、
片手にはそれと対になるものを手にしながら、向かってくるスザクへと差し出した。
その動きと共に、スザクは足元に片膝をつけて跪く。とても自然な動きのように思えた。
いつの間にかシュナイゼルとコーネリアの姿は消えて、皇帝の玉座の前には毅然と立つルルーシュと、深く頭を伏せて双眸を静かに閉じた
スザクだけとなっていた。
彼女から向かって左には、宮殿に赴く前までスザクが所持していた長刀が用意されている。バランスを保つために支えとなるものを鞘に
当てた状態で、剣そのものの本質を現すようにそれは天へ向いていた。ルルーシュはスザクの様子に軽く頷いて、左側ではなく
右側へ身体を向けて、長刀とは別に用意された一本のレイピアを手に掲げ持った。キラリとシャンデリアに照らされて、
二人の間の空気を刺しこむ。はっ、とスザクが気づいた瞬間には、音もなくその剣先が自分のこめかみを掠っていた後だった。
「……っ、」
従来の儀式では、主君である皇族は騎士の両肩に一刺しずつ剣先をあてる。その動きをとるのだと思っていたスザクは、
許されない事と思いながらも顔を上げてルルーシュを見た。フンと彼女は狐のように瞳を細めて笑っている。
薄くルージュの色のかかった唇が開いた。
「汝、---------枢木スザク」
玲瓏とした声色は寸分の震えもなく、淡々と口上を述べていく。が、スザクは翡翠を驚きに染めてただ見上げたままでいた。
(名前)
『准尉』と、幼い頃から呼びやすいとそれだれの理由で呼ばれていた階級。実際その任にまで上りつめた自分は、もうずっと
そのままで呼ばれるとばかり思っていた。
だが、ルルーシュは忌避し、言わないよう心がけていた名前でもって誓約を実行していく。彼女自身の決意の表れなのか否か。
「我が国ブリタニアの徒となり、我が身の盾となり、騎士の名のもとに我が軍に帰属する事を誓うか」
柄から剣先まで芸術的な装飾がされたレイピアを、くるりと回して逆手に持ちかえた両手を掲げたままで、ルルーシュは見つめてくる
翡翠から決して紫電を反らさなかった。
それだけで充分、スザクは解ってしまった。彼女が自分へ我儘を通すのと同じようにスザクの矜持を受け入れること。
ルルーシュはスザクを人として思わない、大事にもしない、しかし決して手放そうとせず独占する-----彼女はあやふやで強欲な
スザクの存在を全部手に入れようとここまで踏み切ったのだ。その気持ちは、お決まりの誓約の言葉よりも重く、胸に染み込む。
見上げたままでいた顔をゆっくりと下げて、スザクは澄んだ声で返答した。
「-----------Yes,your highness」
冴え渡る光を走らせながら螺旋を描いて、ルルーシュはレイピアを横に持ち直して跪くスザクの前へ出した。
両手でそれを恭しく受け取り、腰にさげた鞘にすっぽりと納めた。そのまま続いて差し出された騎士証を持つルルーシュの指先を取り、
闇のような色合いの手袋に、触れるような口付けを落とした。数分永く。
スザクのその行動は予想の範囲内であったのか軽く受け流し、紫水晶をあしらった騎士証を手にとったのを確認したルルーシュは
一歩後退し、皇帝の座す玉座へ静かに腰掛けた。両手を手摺に添わすように置いて、立ち上がるスザクへ向かいあう。
次に動き出したのはスザクであった。
直立に置かれたままであった長刀を手に取り、威厳溢れる風体で静かに見守る紫電の前まで進んだスザクは鞘から剣を抜いて、
柄を両手で握り胸に掲げてみせた。チキ、と騎士証が合わさるように鳴ったのを互いに聞く。
そして、ほんの小さくだが、僅かな時間、スザクは微笑んでみせた。
ルルーシュの前でふわりと、ひとつ。
「私、枢木スザクは主国の為に主君の為に、この剣を振るいこの剣を捧げる---------貴方に」
見た目だけの幸いがあればいい、この宮殿に僅かに差し込む日光のように。
「仕えることを誓います、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア殿下」
黙する観衆や兄弟たちに見守られながら、スザクはルルーシュへ誓いを立てた。
お互いの胸にあるのは関係を繋ぐ証である騎士証。黄金の羽の細工の中央には、それぞれの瞳の色を模した石が嵌め込まれている。
それが鈍い刀の色にも、燦燦と差し込む日光にも照らされて光るのを見届けたルルーシュは、満足そうにスザクへ微笑み返した。
もう、選んでしまったのなら引き返せない。
自分の身はすべて剣と共に彼女へ捧げ、彼女の人生の礎となって生涯を閉じる。母国に居る連中から反逆者と言われたって構わない。
スザクはルルーシュを憎んでいた。
ルルーシュはスザクを思っていた。
同じくらいの強さで、種類は違うけれど執着しているというのは真実だった。大事なもの二つ、決められるものならスザクはきっと
『命とプライド』と答えるだろう。そしてそれを彼女は知っている。逆に自分も、彼女の誰にも知られていない秘密、
何を振りきってでも護り通すものが二つ何なのかを知っていた。---------その枠組みに入ることは決して無いだろうと解っていたから、
スザクはルルーシュの願いを聞いて、差し出される手を迷い無く取った。もう最初から決まっていたのかもしれない。
どんなに足掻いたって、この漆黒の皇女には叶わない。
気持ちに逆らえないのとは同じだから、もう運命を受け入れてしまおう。
(きっと物語の終末は、泣けるほど鮮やかに違いない)