ルルーシュは、誰にぶつけようもない、やり切れないほどの怒りを抱えていた。




一週間前のことだ。我が兄にしてブリタニア一族の跡取り候補の筆頭であるシュナイゼルが
舞台直前に喉を痛め、終幕と同時に病院へと搬送されたルルーシュを見舞いに来た。
自分が目覚めるまで付き添ってくれていたスザクはその兄の来訪とともに入れ代わるように
バイトへと出ていった。
暑苦しいまでに自分の容体を心配する兄。スザクは彼が苦手だった。だからその時ルルーシュも
スザクを引き留めることなんてしなかった。代わりに彼が置いていってくれた彼の部屋の鍵を布団の中で
握りこんで『また明日も会えるだろう』と嬉しさに胸を満たし悠長にそんな希望を持っていた。--------もっと、


彼の戸惑うように揺れる翡翠を見ていたら、


行かないで、と止められただろうか。





ここのところ、そんな風に自分自身に苛立ちを感じ、スザクの居ない日々を過ごしている。












ジェレミアがルルーシュのした仕事への報酬と、公演直前に起きた事件について話がしたい、と
電話があったのは、スザクが居ないことへの異変を感じてから三日後のことだった。
気難しい顔は相変わらずのまま、結局芸能界入りは断固拒否したおかげで取材を一手に受け持つこととなった
モニカは事務所に置いてきて、代わりに隣にはその彼女の弟を連れ、ルルーシュのアパートまでやって来た。
「こんにちは」
「加減はどうだ」
「大分喋れます。ただ、まだ発声練習とかは禁止されていて、ちょっと落ち着かないかな」
「そうか。……まあ、千秋楽まで公演を続けられなかったことは残念だが、あの舞台は
個人的にも充分満足のいく出来だった。無理にでもお前の意思を尊重して幕をあげた
お前専属の舞台監督に礼を言わないとな」
「……」
部屋に居るんだろ、というように、ジェレミアが扉口で固まったルルーシュを見てくる。
まさか、付き合いだして三年半……数回しかスザクが来たことはない。
そして今は軽く失踪中だ。正直こんな風に人と話す気分にもなれなくて、
(何というか)
心に余裕がない状態で言われた一言だっただけに--------ルルーシュはジェレミアとジノの前で
感情が抑えられずに、無言で扉を閉めようとした。
「えっ」
それに驚くように隙間に足を入れてきたのはジノの行動で、
まるで親が子をたしなめるように頭を叩いてきたのは、ジェレミアだった。
彼も予測していたことだったら恐れ入るが、どうやらルルーシュに手を出したのは突然の
行動だったらしい。
まるで今にも泣き出しそうな顔で叩かれた額を抑え見上げたルルーシュに、
見つめ返すジェレミアの顔も複雑そうだった。
(こいつは何か知っている)
(スザクが)


--------------あの舞台以来、消えてしまった理由を。


「……落ち着いて聞け」
「……」
「何も因果関係があるとは言えないが、先日、ランドピットの広報課にいる社員が一人辞めた」
「それって」
まさか駅前でスザクと抱き合ってた女じゃないよな、と瞬時に頭の中にあの光景が
フラッシュバックした。
「警察も、楽屋に農薬入りのペットボトルを置いた犯人を事情聴取などで調べてくうちに、
その社員が舞台当日どこに居て、どのように過ごしていたかに調査の観点を置くようになった」
「つまり、どういうことですか?」
「何か物騒ですね……」
ルルーシュの受け答えの後に続けてジノの呟きが落ちる。
しかし、とうのジェレミアが発した答えは何もなく、無言で首を振るだけだった。
(ここでは話せないことだっていうのか!)
だがそのリアクションだけで全てが解った。これはランドピットの会社の名誉も関わってくる
事件だということに。そして、スザクが駅前で抱き合っていた女がルルーシュの喉を潰そうとした犯人だということは
ほぼ確実である、ということにも。
(なら)
早く、戻ってきてくれたっていいはずだ!
お前の帰る場所は此処なのだから……!
「失礼します」
今度こそ、ジェレミアの返事も待たず扉を閉めた。
重く息をついて、ヒリヒリと焼けつくようにまだ痛む喉で必死に酸素を吸って
まるで胸を満たしもしない呼吸を繰り返す。だがどうしたってそれらは全部溜息にしかならない。
「くそ、」
焦燥している。
「--------……くそっ」
心配している。



「……っ」

心が、どうしようもなく、泣いている。



























そっとやさしさのなかで死んでゆく


















朝。
腹の下に汚物をそのまま放っておいたような不快感と共にベッドから起き上がり
おもむろにテーブルにあるリモコンを取り出してテレビをつけた。
そこでは、たまたまの偶然だが……『しずく』で別れたきりの共演者モニカがインタビューをされていて、
やはり美女役のルルーシュにかわって、報道陣から舞台の感想やら今後の活動について
ハキハキと答えていた。
「----------次回のご予定については?」
「しばらく勉強しようと思ってます。あー、まあつまり、オフってやつですね」
「え?活動を休止されると?」
「あ!別に妊娠とかそういうのじゃないですよー。ただちょっと時間をおいて次の舞台には臨みたい気持ちが強くあって
そのまま休み続けるとかそういうのではないです」
具体的なことについては何も触れさせぬまま、朗らかな口調でインタビュアーに顔を向ける。
「ずっと憧れだった人からいい刺激をもらったんですもの。ちゃんと今後に生かしていかなきゃ。
私自身も成長しないでしょ?」
報道陣が一斉にフラッシュをたいて、モニカのひときわ眩しい笑顔を撮った。まだ何かインタビュアーのほうは
聞きたいような様子だったが、突然画面外から出てきたジェレミアに後は規制されて、すごすごと退散するしかない。
ルルーシュはプチン、とテレビを切って、手早く身づくろいをし、部屋を出た。
『しずく』の報酬は扇の舞台に出るよりも五倍ほど大きかった。そんな風に比較したら貧乏劇団の主宰夫婦は
泣きそうだが、これだけ金があれば一カ月は予備校だけに身を費やせられる。
……ランドピットの広告だが、あの報酬については受け取りを拒否することにした。
別に何か思うことがあっての行動じゃない。
ただ、これ以上貯蓄を潤しても、何かに使うアテもなかったから、どうでもいいやと思ったのが
正直なところだった。


『しずく』の脚本家が、ルルーシュが舞台の中で行ったアドリブについて、
客席の最前列でそれを見た時とても驚き、そして喜んだ、ということを昨日電話で知った。
彼は息も荒く、次も是非書かせてほしい、と言ってくれたが、丁重にその申し出は断り
何だか申し訳ない気持の溢れるがままに『勝手なことをしました』と受話器を耳にあてたまま
ぺこりと頭を下げた。
「……。どうして?」
「俺、ちょっと錯乱してて、……セリフを一字一句言えなかったです」
「ちゃんと台本通りに言うことはないよー。それに僕が言いたいのは、君が公子に抱かれたまま呟いた
最後のセリフだよ。あれはね、泉鏡花の原作にはあったセリフなんだけど、『しずく』では削ったんだ。
公子の一方的な感じがでなくなっちゃうと思ったから……。でも、あれで正解だったね。ねえ、」
電話越しに、心まで見透かされているような言葉が続けられる。
それにまた『すいません』と謝って、ルルーシュのほうから通話を切った。



-----------ねえ、
どうして……『嬉しい』と言ったの。




公子に抱かれながら目を閉じた美女の最後に発す言葉。
原作にはあったというあのセリフを、事前になんか知ることはなくて、ただ夢中で
声を出していた。

それを『どうして言ったの』なんて……。
単なる好奇心で。


ルルーシュはモニカが映っていたモニタの画面をぼうっと見つめていたことに気付き、
慌てて鞄だけ下げて、マンションの階段を転がるように降りていった。
もう耳に伝わる雑音すら呪いたくなるほど煩わしい。
もう放っといてくれ。何も聞かないで放っといてくれ。
舞台の上だけでは自由だと思って振舞えていた自分のことを
余計な邪推と少しの好奇心だけで掻きまわそうとするのは、止してほしかった。



『舞台が好き?』
もしあのインテビュアーにモニカにしたことと同じような質問をされたらどう答えていただろう。
---------駅前にまだ飾ってある別人のような自分の顔を見もせず、雑踏の中に足を踏み入れながら
ただ闇雲に、視線だけでも、人波の中に月を探すように、彼を探していた。

























ワゴンひとつで行ける距離にあることは知っていた。笹倉美代の家。スザクが介護ヘルパーとして平日は毎日通っている
旧知の間柄の。
鞄に仕舞ったままの携帯には、またリヴァルかカレンから予備校をサボったことを責めるメールが来てそうだが
ろくに美代の健康状態を知らない前では、例え目の前に出すことさえ過敏になったほうがいい、と思って
鞄の中でブンブンと震えるそれを感じながらも無視し、時代が感じられる家の門を、そろりと、忍び足で
くぐった。
『僕が行く時には大体中庭のほうで子どもたちが遊んでる』
スザクが世間話のついでというように(そうするほうが落ち着くとルルーシュが言ったからというのもある)
話して聞かせてくれた通りの光景が目の前にあるのを見て、ほっと胸を撫で下ろす。
「お兄ちゃんがそっち持っててくんないからぁ」
「うっせぇな。俺だってげんかいはあるんだよ」
「また難しい言葉使うー」
「……」
妹はまだ低学年だろうか。確か名前は三文字くらいの平仮名だったような気がする……。そんなうろ覚えの知識で
そっと足を踏み出しながら、中庭で何枚も平べったい石や板を重ねて山のような何かを作っている
兄妹に近づいていった。
「?」
兄のほうが背中を向けていたのにルルーシュに気付くのが早いのは何でだ。
「あれ、知らない人……」
「えぇ。ばーばに知らせないと」
「おい!あんまり大声出すな」
兄のほうが庇うように石と板の山を飛び越えて妹の体を背に庇う。
余程ルルーシュが変質者のように見えて仕方ないのか、怯えを通り越してこちらを見てくる目が
鬼のような形相になっていた。それに、クスリと笑う。
すっと差し伸ばした指で本邸の居間のほうを差し、とりあえず変態ではないことを証明しようと
スザクの名前を出した。
「今日はいつもの兄ちゃんの代わりに、俺がばぁちゃんの手伝いに来たんだ」
「スザクお兄ちゃんの……?」
「そう」
「えー。お兄ちゃんの友達に見えないよー」
信用しようとしていた兄に反し水を差すようなことを妹が言う。
カチン、ときた瞬間にその妹の名前……ひらがな三文字を突然思い出した。
ルルーシュは深く被っていた帽子をとって、石と板を積み重ねたものを間にするように
二人の前に膝をつく。
そうしたら、妹のほうは見憶えがあったのか、視線を合わせたその紫電に唐突に悲鳴をあげ
靴も脱がずに居間のほうへ飛び込んでいった。


「ばーばぁ!来たーっ。るるーが来たあー!」





「……」
「えっ」
呆然と少女が駆けていってしまった先を見送って、ふと、小さな声に足元を見たら
取り残された兄のほうがまるで崇拝するような目で自分を見ていたことに気付いた。
にこっ、と、ファンにも見せたことのないような笑顔で、少年の拍子抜けした顔を見る。
「思い出したぞ。お前は翔太だ」
スザクが家に通っていた頃は一体自分についてどんな情報を聞いていたのか
疑うような反応を兄妹たちはするが、
笑顔を見せた瞬間固まってしまった兄と違い、その反応が顕著だった妹のほうは
駆けだしていった居間のほうから戻ってくるのも早かった。そして、(スザクにもしてるのか)
腹のほうに突撃するかのような勢いで飛び込んでくる。
「ばーばがね、来てほしいって」
「……寝てたんじゃ」
「いま起きたよ。ばーばがるるーに会いたいんだって。るるーは顔がすごく綺麗なんだね。
お兄ちゃんに見せてもらった写真よりもべっぴんさん!」
-----------あの朴念仁が写真なんて持っていたのか。
美代が自分のことを知っていたということよりもまずそっちのほうに驚き、
そして動揺しながら、恐る恐る玄関のほうへ少女に手を引かれながら歩いていった。




居間について、座椅子に背を凭れさせ、画集なのか辞典なのかとりあえず大きくて分厚いものを
開いている美代を見て、ようやく、彼女と自分が初対面でないことに気付いた。
(知ってる……)
はじめてスザクと会った時だ。
彼は美代を車椅子に乗せて自分のもとまで連れてきて、-------いや、その時立場としては逆だった。
美代のほうがスザクに合わせたくてルルーシュのもとまで来たい、と楽屋まで自分を運ばせたのだ。
その時の彼女の顔は随分と朗らかとしていて、まるで孫同様に可愛がっているスザクを
強引にでもルルーシュと引き合わせようと、その小さな体では想像できないような大きな声で喋っていた。
その数日後、スザクが劇団にやって来たのだ。
スザクは初め、ルルーシュのいちファンである美代と同じく、普通に観劇をするような
一般人だった。
(……そうだ)
畳に膝をつきながら、横にちょこんと一緒に座るつぐみも見て、息をつく。
(随分会ってなかったんだ)
--------スザクと付き合うようなことになっても。笹倉美代があの時の老人だったなんて。
「今日はわざわざお越し頂いてありがとうございました」
「いえ……俺も訊きたいことがあって、来てしまいましたから」
美代の具合がどの程度かは知らない。だが、深く目を伏せている様子からすると
もう視力のほうは大分ないような気がしていた。
「少し話をさせて頂いても大丈夫ですか」
「ええ」
「……、スザクが消えてしまったのは、何故だか御存じですか?」
つぐみが『?』と祖母を見上げた。
奥から慌てて靴を脱いでやって来た翔太が現れる。美代は、その気配だけ空気で感じて
ルルーシュがいるほうに顔を向け、皺くちゃになった小さな口を、ゆっくりと開いた。
「藤宮詠子ちゃん」
「……えいこ」
「多分、あの子は中学やずっと昔のことを話さなかったと思います。でも、どうかその名前を
覚えておいてあげてくださいな。スザクくんのことがずっと好きだった女の子です。
……でも」
「……」
テーブルから身を乗り出す。ずっと美代が見ていた分厚い冊子をその膝から取りあげた。
彼女はスザクが介護ヘルパーとして働きだした時から彼のことを知っている。
つまり、働きだした時、というのは……つまり。
「これ」
ルルーシュが手に取った本の表紙を見る。第七中学校の文集、と銘打たれたそれはえんじ色をしていて
両手にずっしりと重く存在感を示していた。
「中学の、ものですよね」
「ええ。詠子ちゃんから預かってました」
「その藤宮詠子とスザクは同級生なんですか」
「幼馴染です」
「……。じゃあ、いまは、あいつは……この人と居るんですか」
「そうじゃないわ」
老いたとは思えないしっかりとした声で、美代の口が、その言葉を紡ぐ。
はっと顔をあげたルルーシュはつぐみと翔太が見ている目の前で自分がその頬から
涙を零していることに気付いた。
「……っ、俺」
「ばーば、お兄ちゃん、どこに行っちゃたの?」
「もうばーばのお世話しに来ないの?」
ルルーシュの涙につられて、二人の子どもが美代のもとに縋りつくように寄り添っていく。
その光景を見て、どっと胸から何かが溢れたのか、……もう前がうまく見えなくて
ルルーシュは両手の拳を顔にあて、ふるふると肩を震わせ、声を押し殺して泣いた。
「……」
「お兄ちゃんは帰ってくるよぉ。ただ、もうちょっと時間がかかるかもね」
「……、一体、それって、いつになりますか」
思いあまって聞いてしまった質問に、美代は孫の頭を撫でながらルルーシュのほうを見つめて
言った。


「貴方は、御存じないの?」
「……え」


言外に、この時美代が言おうとしたことは、ルルーシュを責めてるともとれるようなことだった。
けれどそれは真実だった。スザクを一番よく知ってなきゃいけない自分が
美代に会っていなければこの文集の存在すら知らずにいたのだから。

スザクを知ろうとするのなら、傷つけるのを恐れて待っているばかりではいられない。
自分から動かなければ。自分から集めていかなくては。
いけない……から。


「綺麗な人は泣く姿も綺麗に見えるのね」

不意にぽつりと美代が声を落とした。
それにまだ水滴がとれない顔を伏せたまま、ぶんぶんと首を振って
手にした文集を抱きしめる。


(スザクが、いつ帰ってくるのか≠ネんて)





愚問だ。
どんなものでも手掛かりにして、俺から探しに出ればいい。


















バスを三本ほど乗り継いで、丁度一週間前一晩を過ごしたスザクのアパートに
ルルーシュは一人で戻ってきた。


美代の家でみた文集にはスザクのクラスの集合写真がモノクロで貼られてあって、
所々破けて見えないところはあったが、付箋がはってあったりマーカーが塗られてるところがあったり
したから、それなりに持ち主に大事にされていたのだろうと思った。
その持ち主である藤宮詠子は、集合写真では、最前列に座っている。
反してスザクは身長の関係で後ろのほうに居た。戸惑いがちにカメラマンのほうに微笑んで
顔はまだ幼いけれど、今と重なる部分が多くある。そう思ったら心が少しだけ和んだ。


足音を立ててあがるとカンカンと音がする階段を登っていって、鞄の中を漁って鍵を取り出す。
まずは情報収集だ。スザクには悪いけど、彼とその彼を慕うという彼女のことを知らなくては
探しようもない。
がちゃり、とノブを回して、部屋の中へと入る。
が、誰もいないと思って無防備に入ってきたルルーシュの耳に
玄関のすぐ横にある浴室から水音がしてきて、一瞬、自分を疑った。

床を見る。まるで脱ぎ棄てられたかのように二足のスポーツシューズが落ちている。
水滴、何かの液体が点々と浴室まで続いていて、……ルルーシュは無言で
逸る心のまま----------半分閉じていた浴室のドアを開けた。






「……」



スザクが居た。
左腕の二の腕に近い辺りを右手で抑えて、自分の頭を流しっぱなしにした蛇口に押し当てて、濡らしている。
むしろ頭を冷やしているともとれるその姿に、ルルーシュは、どうしていいかわからなかった。











美代は、ルルーシュのみっともなく泣いた姿を見て『綺麗な人は泣き顔も綺麗』と言ったが
何故だかその時自分はそれを聞いて、スザクのことを思い浮かべていた。
きっとそれは、彼が心とは裏腹に感情を表へと出してしまう、やさしい人だと思ったから。



文集で見た集合写真。藤宮詠子も写るその写真で彼は薄くではあったが微笑んでいた。
(……隠さなくてもいいのに)
俺がお前と同じ時代に生きていたら泣かせてやれるのに。


悔しいが、それはもう、できない。


(だから……)