「中々始まらないな……」



開演を待ち望む客の静けさが、開演時刻を過ぎても一向に鳴らないベルに対して
ざわざわと不安の兆しを見せ始めた。
扇たちも不思議に腕時計を見る。時計の針が指し示すその時間と、会場の下手側隅に表示されている
パネル時計の時間とを見合わせてみたが、どちらも同じ時間を表していた。

本当に開演時刻そのものが押しているようだった。


「時間通りに舞台が始まらないなんて前代未聞だぞ」
「……そうですね」
「ねえあなた、様子を見に行ってみたら?」
「そうしようかな」
「扇さん。確かこの会場の舞台課には、斎藤くんが居たと思います」

扇劇団を去年退団して、専門学校を修了したと共に舞台美術の道に進んだ後輩を
スザクは覚えていた。
----------彼が会場側のスタッフとして舞台袖にいる確率は高い。
続く扇の言葉を待つこつもなく素早くスザクは席から中腰に立ちあがり、身を低くして扇と千草に『行ってきます』
と伝え、客席から一番近いドアへ歩いていった。
その後を、千草に背を押された扇もついていく。

会場のざわめきは一層増していった。
そして、今日はいち観客として鑑賞しようと思ってきた舞台経験者の三人の頭の中には、
この状況で考えられる最悪の事態が、『そんなわけないだろ』と思いつつも
思いついてしまって仕方がなかった。





「あれっ。枢木さん」
「ごめん。関係者じゃないのに」

客席から一度外の廊下へと出たスザクは、関係者用通路と書かれた鉄の扉を見つけて
そこから舞台袖へと直接入った。
後に続いてやって来た扇からペンライトを借りて、強く明りが出てしまわないようにライトの口を手のひらで
覆うように足元を照らしていきながら、人だかりができている楽屋口のほうを目指す。
客席から関係者用の舞台へ続く通路、そしてそのステージから楽屋のほうへ出られる出入り口まで
足音も立てずに素早く移動していったスザクと扇は、人だかりができている黒いツナギの群れの中に
見慣れた姿を発見して、軽く手をあげた。

斎藤くん、という、この会場の舞台課では若い新入りである彼が
嬉しそうにスザクたちに声をあげる。

会うのはおよそ、三か月ぶりくらいだった。

「お久しぶりです。やっぱり扇さんたちも見に来られてたんですか」
「そりゃそうだよ。--------で、どうしたんだ?何かあったのか」
「何かあったっていうか、その、……役者が揃わなくって」
「え?」

ルルーシュたちがまだ舞台袖に出てきてないのか。
人だかりが出来ているスタッフたちの目は全員楽屋のほうを向いている。
誰か女性のスタッフがその楽屋のドアまで近づいて声を掛けたらしいのだ。それに対して
『あと10分待ってほしい』とモニカの声が返ってきたらしい。

「……」
「まさか、急病?」
「いや。ルルーシュの体調管理は絶対だ」

スタッフたちの不安からくる疑いの声に、すぐにそう撤回したのはスザクだ。
楽屋のドアから声をかけたスタッフが戻るのと交代で、扇がその扉へと近づいていこうとステージから廊下へと出ていく。
その後をスザクもついて行こうと歩いていったら、天岩戸状態だった扉がようやく開いた。

頭頂部高くに結わえられた金髪が、サラリと、開いた隙間から零れでる。
不安そうに見上げた瞳が一番に向けられたのは、客席からやって来たスザクたちにだった。

「……あ」
「モニカちゃん、どうしたの」
「その、」
「?」

相手役のモニカは出てきてもルルーシュの姿はないのに眉を寄せたスザクが、
扉の奥を見ようと一歩出る。それにびくっと肩が跳ねるほど反応を返したモニカが
慌てて扉を閉めようとドアノブを掴んだ。

「あの、ルルーシュはわるくないんです!誰かのいたずらで……っ」
「え?」
「すみませんが一日伸ばしてもらえませんか?こんな状態で休憩なしの40分の舞台に出られるわけないんです。
オーナーには私から」
「……モニカ」

言い募る彼女の声を遮るように声を飛ばしてきたのは、楽屋の中にいるルルーシュだった。
よろよろと、朝別れた時とはまるで違う精気のなくなった姿で奥からスザクの前に出てくる。
桃色の小袖に、地毛の黒髪に髪飾りを編み込まれた出で立ちは、まさしくルルーシュの演じる『美女』
そのものであったが、顔色はとても悪かった。
舞台用の目鼻立ちをくっきりとさせた、厚塗りのメイクでも隠せないほどの--------。

(一体……)

何があったんだ。






「ペットボトルに薬品が入れられてたんです!」
「薬品?」
「嗅いだだけではわからない悪質なものです。飲んだ瞬間、ルルーシュ血吐いて……っ。体は動けても
客席にまで声は飛ばせないですこんな状態じゃ。ミュージカルと違ってマイクをつけるわけにもいかないし……。
一体誰がこんなこと」


「犯人は後で探そう」


モニカの悲痛な訴えを聞いていた舞台課のスタッフたちや扇の顔がどんどん青ざめていったのに対して
黙って聞いていたスザクの声は意外なほどしっかりしていた。


スザクはようやっと扉から出てきたルルーシュのほうへ手を伸ばした。
その気配を感じてか、ルルーシュの睫毛が少し揺れた。
鉄の重りでもつけているかのように、……見ている者には信じられないほど億劫なゆっとりとした動作だったが、
白く血管のすけた手で彼のシャツの裾を掴む。そして肩口にもたれかかるように額をおしつけた。

「ルルーシュ」
「舞台、……立ちたい」

耳元に聞こえたのは、老婆のようにしゃがれた声。
きっとステージにあがっても客席の端にまでは声は届かないだろう。
だがその呟きにもとれないほどの小さな訴えを聞いた瞬間、スザクは目には笑みが浮かんだ。

--------自分たちは何よりも経験していた。役者の都合ひとつだけで舞台というのは簡単に壊れて
しまうこと。
けれど、自分たちはそんな逆境の中でこそ結びあい、信頼しあうことができた。



ルルーシュこっちおいで、とスザクは薄い背中を包むように抱いて
ステージ裏にある給水場まで連れていく。




スザクがこれから何をしようとするのか察したルルーシュは、項垂れていた自分の背筋をしゃんとさせて
両足を肩幅にまで広げて、目を固くぎゅっと閉じて立った。
「---------」
背中を抱いていた腕は離れて、次いで襲ってきたのは、下腹部への衝撃。スザクの拳がルルーシュの鳩尾にめり込む。

「っ、ん、ぅ……!!」
「ごめん」

短く言い放つ声に反して、胃の奥に溜まった飲料を吐き出させた所作は優しく、
前のめりに倒れ込んだ痩躯を抱きとめた腕はそのまましっかりと腰にまで回された。

「は、ぁ……ぅく……っ」


殴られた衝撃と、喉から這い上がる薬物の痺れに、しばらく背中を震わせる。
その震えが治まり、耳元に聞こえる小さな嗚咽が途絶えるまで、スザクは腕にしたルルーシュの背中を
擦っていた。
「おい、大丈夫そうか」
楽屋裏通路から給水場のほうまで駆けてきた扇が、案の定ルルーシュの体を抱えて背を擦っているスザクの姿に
不安げに眉を寄せた。だが、その彼から掛けられた言葉に、そして必死に服の袖を掴むルルーシュの手に
まだ希望はあるんじゃないかとそのルルーシュの手のひらを握り返す。
ルルーシュが、痛みと気持ち悪さに筋が立つほど握り締めていた手にそのぬくもりを感じた時、はっと、倒れかかっていた
薄い肩がスザクの胸から起き上がった。

翡翠と紫電が交錯する。
もしこの時、スザクから『やめてもいいよ』でも言われれば、うんと頷いていたかもしれなかった。
しかし、そんなこと考えつかなかった。翡翠を見つめてしまっては。
スザクのルルーシュを見つめる瞳は、焦がれ始めた最初の時と全く同じ、舞台人≠フそれだったから。












「開演時間を15分も遅らせている!帰ろうとしてる客も出てきてるぞ、一体どういうことだ……っ!」
ジェレミアが、妻も共に座る二階席から、髪を振り乱す勢いで走ってきた。
その様子を見て一番彼の傍にいたスタッフがことのあらましを簡単に説明する。
ルルーシュが何かの薬品を飲んで喋れそうにない、と聞いたところで、ジェレミアは目をかっと見開いて
ルルーシュがスタンバイする上手側の舞台袖へ、まだ緞帳もあがりきっていないステージを横断して
行こうとした。
その背中を、他のスタッフと共に下手側にいたスザクが肩を掴んで止める。
正しく鬼のような荒れ具合といっていいその形相に……、しかしスザクは無表情で
ステージひとつ挟んだ上手側でスタンバイし、静かな姿勢で、客席からステージの中へとやって来た
ジェレミアを見つけたルルーシュを指し示した。
「彼がペットボトルから摂取した薬品は吐き出させたものを扇さんに持っていってもらいました。
調べてもらうその結果次第ですが……、ルルーシュなら普段と違うコンディションでも
一幕一場の舞台なら無事乗り越えられます」
「何を言ってる。喉が潰されたんだぞ。何者かも解らない輩に!」
「犯人を究明することと今舞台を乗り越えることとは全く関係がありません!」
言外に、今慌ただせるべき問題は別にあるのだ、とスザクは彼の怒声に並ぶ大きな声で言った。
未だに上手側へ走り出そうとしてるジェレミアの肩を掴んだ手に再び強く力を込めて、
奥から、斎藤が持ってきたインカムを受け取って、片手の所作だけで耳にかける。
「舞台の指揮は僕がとります」
「何だと」
「扇さんから聞いていませんでしたか。彼が初めて主演を務めた舞台から僕は舞台監督としてずっと裏方を
動かしていた。貴方が役者の経験以外に裏方を動かす力も持っていたなら、袖の中で黙って見ていました。けど違いますね。
貴方が自分の体面だけを気にされるようなら、大人しく見ていることなんかできません」
「貴様、そこまで……。何様のつもりだ」
「ルルーシュを無理に舞台に立たせた責任は、僕がとります」
標準灯の照明が一気に消された。
耳にかけたインカムに付属のマイクを口元まで下ろして、舞台開演の五分前に鳴らす1ベルの合図を下手側の操作卓に座る
スタッフへと出す。そしてその後に、黙ってジェレミアとスザクのことの一切を見ていた-------下手側で剣を持ち
スタンバイしていたモニカへ軽く手をあげる。彼女はスザクの意図を察して、頷くだけで合図し、
踵をかえしステージとは反対側へスタッフの引導とともに消えていった。彼女が最初に登場するタイミングは
斎藤から見せてもらった台本で知っていた。モニカは袖から出ていくのではなく、海中の崖をモチーフに作られた
舞台下の奈落から浮き上がって出ていく。
「……っ」
他のスタッフによって奥へと追いやられたジェレミアは、そんなスザクの舞台経験のある行動を黙って見ているしかなかった。
スザクはもうそんなジェレミアのことを一切気にせず、椅子にかけられたままの誰のものかわからないスタッフ用のパーカーを
断りもなく着こみながら、不意に、上手にいるルルーシュへ視線を飛ばす。
目と目があって、やんわりと細められた紫電の表情に、また一瞬心が奪われた。
(うん……)
でも、見惚れているばかりではいられない。
けれどその表情を見て、彼がとてもリラックスしてることは解った。

1ベルの後に続いて2ベルが鳴る。それを合図に、予定開演開始時間からゆうに40分遅れて------ようやく舞台の幕が
あがった。
















陸の上で出会った公子と美女。
二人の恋は公子側の一方通行な思慕から始まった。----------彼は美女の体を人身御供として海に奉納することを
彼女の親らに強いて、代わりにありとあらゆる海の財宝を授けた。
親たちは泣く泣く美女を自分たちの村から追い出した。
けれど、本当は美女の命など、公子から差し出された財宝を前にしては……どうでもよかったのだ。


(舞台は美女の登場から始まる)

青色のライトに、白く浮かび上がるドライアイスとともに『美女』が不安げな面持ちで
海底の中を歩いて行きながら巡り見る。目の前ではゆらゆらと揺らめく半透明な珊瑚の群れが、
そしてひとつだけライトが落とされた場所には銀色の枝があった。

無言で『美女』がその枝をとる。


「……それは比べれば大樹だ」


静かにドライアイスで現した霧の中から登場したのは、自身の身長ほどもある剣を掲げた
この海底を支配する『公子』だった。


大樹、と公子に指さされたその意味が解らず、美女は無言で当惑する。
親が公子の使いから貰ったものは、これよりも綺麗だったが、しかしずっと細い糸のようなものだった----------。

「あれは枝だ」
「……枝?」
「いや、違うな。あなたの両親にくれてやったものは、枝というよりも、葉に近いかもしれない」
「そんな……」
「あなたの身が私の手の元に下るというのなら、どんなものでも差し出してやろう。けれど
きっとそれらはこの海底に生息するものと比べれば子どもに与える玩具に等しいものかもしれない。
そう、だからあなた。どうか悲しまないでください。あなたはあなたを捧げたあの親よりも、ずっと豪奢なものをここで
享受できる」

そう言い切るやいなや、青白い照明は一気に明るいものに切り替わり、
ピンクや橙色に飾り立てた海底の珊瑚礁たちが、朗らかな歌声とともに現れた。

「さあ、宴会だ!今宵は歌って笑い過ごそう」

下使いが用意した椅子に公子は腰掛けて立ちつくす美女を手招く。
珊瑚の一人が彼女の手をひいていって、美女は戸惑いながらもそこに座るが
隣にいる公子の腰に下げられたままの剣には、まだ怯えていた。




「……貴方にはお力があるのですね」
「ああ。私は強い。どんなものでも切り捨てる。この広い海を守っていくだけの力を常に顕示していなければならない」
「そのお力はどこからやって来るものなのですか?力のない平民の私には、想像が出来ず、
おそろしい」
「恐れることはない。この力は剣となり、あなたを守る。あなたを捨てた村人たちとは違う。わたしは
貴方をこの力で永劫に守る!」
「……」



「あなたはこんなわたしの、何が恐ろしいというのか……?」


踊り回っていた珊瑚の群れたちが、音楽と照明の代わりめとともに一気に舞台からはけていった。







(ルルーシュの声は、普段と同じように聞こえる)
……まだ大丈夫だ。
舞台に執着する精神力を考えれば。


「……」
「枢木さん。ちょっと残念だったんじゃないですか」
「え?」
「舞台。本当はいい席もらえてたんでしょう?それがこんな舞台袖からの鑑賞になっちゃって」
下手側から見守るように舞台の進行を追って行きながら、逐一、セリフを発するルルーシュの様子を窺っていたところに
そっと声がかけられる。
振り返ると斎藤がドライアイスの機械を調節しながら、苦笑していた。
それに無言で同じ表情を返して、また前を向く。ルルーシュは楽しそうだ。モニカも楽しそうだ。ならそれでいいじゃないか。

(何も悪いことなんて、ないじゃないか)














「公子さま。私、……一度だけ陸に戻って、親や共にこの海の素晴らしい宝物たちを見せたいと思います」
「なぜ」
「ただ見せたいのです。親は私が死んだと思っています。どうか一度だけでいいのです、陸に戻ることを許してください--------」
「ならん!なりません!あんな場所に戻ってもあなたは後悔するだけ。あなたを売った親を喜ばすだけ!
そんな無益なことを誰が許しましょうか」
「お願い致します、公子さま!」
「なりません。いや、本気でそう考えるのなら、あなたを殺す!」

美女が恐れていた剣が、とうとうその目の前に白い刃を閃かせる。
火花に近い輝きが舞台の安定感をなくさせる。椅子に腰かけていた二人は立ちあがり、向かい合わせになり、
美女は突然の攻撃にそれを回避することができない。

「!!」

着物の衣装が、照明がしぼられた薄い暗闇の世界で、ひらひらと舞った。
それは公子が無理に近づこうとしたから--------美女が恐れる心のまま着物を脱いでそれを放り捨ててしまった。
怯える美女の見開かれた瞳が痛々しい。
だがそれと反して、舞台の序盤からは考えられない乱れに乱れた公子の姿が、声が、観ている者の心を震わせる。


「なぜ解らない……っ!」


(そうだなぜ解らない)
スザクは公子の悲痛な叫びに静かに同意する。
スタッフも斎藤も後ろで黙ってことを眺めているジェレミアも気付くことはなかったけれど、
舞台中央で折り重なった二人の役者の影に、インカムのマイクを持つ手は震えていた。


「なぜ解らない、あなた!」
駆け寄った公子の手に掴まった美女は着物の袖を下敷きに、地面へと組み敷かれる。
仰向けにされ、その胸一点に公子の剣の先端が向けられる。悲痛な顔をした美女の、いやルルーシュの細い悲鳴が
客席のほうへと響き渡った。




剣先が顎にささろうとする。
ルルーシュの苦しい顔を見て、剣を持つモニカの手が、ほんの一間であったが我に返り震えた。
「あ……」
だが客席は気付いていない。舞台袖もスザクしか気付いていない。むしろ、誰も気づいてなんていない。

(もう、限界が)

喘ぐように上下しはじめた胸。
息もやっとの状態で吐き出すルルーシュの、額、首、そして腕、全身に、真珠のような大粒の汗がみとめられる。
ペットボトルの水から摂取した薬品は中毒性のあるものだったのか、モニカを見上げてくる紫電の色が怖いほど虚ろで。
「もう、もうやめよう?」
スザクの心とモニカの心が重なった。
崖っぷちに立たされた細い呟きが零れる。しかし柳眉はそっと顰められて、そんな彼女の訴えに
ふるふると首を振った。











「……」
「枢木さん、この間は」
「幕は下ろさせない」
後ろからの斎藤の声に、自分の不安も跳ねのけるように言い返した。
ルルーシュを見つめる視線を反らさない。
例えそんなスザクをこの劇場にいる人間がどれだけ非難してもだ。


(もう、喉が)
限界なんだろう。
公子の一撃で床に倒れるシーンなんて台本になかった。
(なら、立っていることももう出来ないんだ)



正に身を削るようにして舞台に立つルルーシュ。だが彼は言っていた。どんな時も、どんな状態で向かう舞台でも、
自分に役が与えられている限り精一杯やると。




『最高の演技を見せてやる。……演劇史に残るくらいの』


(そうだ)

(そうだよ。そんな君だから、僕は)



大好きなんだ。

過去を隠すくらい。


舞台の暗闇の中だからこそ、月のように輝く君。













「あなたは……っ」
モニカの、公子の掴んでいた手が解かれた。起き上がろうとする美女の背中を台本にはないフリで抱き上げて、
再び舞台の上に立ちあがらせる。舞台袖でスザクがそれをきっかけに照明を限界まで暗くさせた。
--------ルルーシュの口からまた一筋血が流れたから。


「!」


セリフを言い淀むモニカに青ざめた紫電がきつく睨んで先を促す。

客席に座る数人が美女の異様な気配に怪訝に思い始めた。だが気にせず、口を開く。枯れた息でだったが
精一杯奥にまで届く声で、公子が手にした剣を自分の喉まで導きながら。

「卑怯者。私を殺すというのなら黙って見ていないで、その手で、その手で息の根を止めて下さいまし」
「---------なんという女だ」

今にも倒れそうな姿とは反した力強いルルーシュの言葉にモニカもやっと正気に返れた。
繋いだままの手をそのまま胸へ寄せ、片手で抱いた手をルルーシュの背から腰に回し、ぐっと前のめりに倒れ込む。
公子は誰よりも近くなった距離で、美女の胸にあてていた剣を懐へ戻した。しかし、絡めた手は解かないまま
挑発めいた紫電にうっとりと瞳を細める。ルルーシュも同じ。
「ああ……」
膝を床につけて、公子の足元に美女は顔をぴたりと寄せた。
モニカは、いや公子は美女を見降ろしながら一度懐に戻した剣をまた引き抜き、自分たちの目の前……客席側へ
突きつけるように持ち上げた。
あれを見ろ、と、いうような公子の動き。息をのむように舞台を見ていた観客たちが、そこではっと我に返った。


(ルルーシュ。辛いはずなのに)


舞台の真上からはハラハラと花弁が落ちてくる。照明がゆっくりと明るくなっていって
二人の姿がはっきりと浮かび上がってくる。
「あれは……」
公子が剣を向けているのは、二人が出会った場所。激しい荒波が叩きつける崖の淵にて
白い花々が咲いている。美女は公子の足元に身を寄せながら、その目に映った光景に、
うっとりと笑顔を見せ、そして再び目を閉じた。
「あれが何に見える、あなた」
「花に見えます……」
「わたしの想いは、白く清く-------」
「あなたのお心は、きっとこの海のどんな生き物よりも気高い」
美女への恋情を歌いあげるように口にしたその言葉に、そっと続くように吐き出された感嘆とした声は
ルルーシュの口から確かに発せられたものであり、先ほどの姿からは想像もつかない芯の強さがあった。


公子は、美女の手の甲に口づける。
結ばれた手と手。
一度拒まれてしまった存在と主張。けれど『相手が欲しい』という欲望。隠せない熱望。
それをすべてひっくるめて公子のその海神としての存在を認めようとした、
美女の朗らかな笑顔。

瞬間、糸の切れた人形のようにルルーシュの体が舞台に倒れ伏した。
ゆっくりと、天上から落ちる花びらがぽとりと頬に落ちる。
「……あなたを、殺そう」
「それが、極楽なのですね」
「女の行くところに極楽はない。男の行くところに極楽もない。けれど……ここは、あなたと私の極楽。
二人だけの、極楽の世界」


「ああ、嬉しい」





二人の頭上から落ちる花びらは中々降り止むことはない。
しかし、美女のセリフを最後に、ゆっくりと舞台の幕が下りる。完全にそれが下り切るのを待たず
舞台袖からスザクが走っていった。



会場のアナウンスが『しずく』の終焉を告げる。

そして、駆けつけたスザクによりステージの上から抱き起されたルルーシュは、
演じきったことに満足したかのように、その瞳を閉じた。