開演前のほんの一時の静寂の話。例え舞台監督であっても寄り付かない、役者がスタンバイする舞台袖。
ルルーシュはそこでスポットライトの明かりを見上げるのが好きだった。
はじめてスザクとまともな会話をする切っ掛けになった場所でもあるから、
余計にこの場所は印象的で、一人きりの闇から見上げるその明りは、ルルーシュの頭の中で鮮烈に残っていた。
勿論心の中でも。
暗い中でしか息をすることができない……
目を閉じてでしか願い事が口にできない……
深い闇に沈む夜だからこそ、傍らにある体温を引き寄せることができて、
触れたその手からは、彼のほうも、自分の体温に焦がれてることを知っていた。
触れることがルルーシュの不安を水に落ちた墨汁みたいに薄くさせていく。
けれど、たまにその墨汁がヘドロのように溶けないものになって
----------触れるだけでは簡単に消えない染みにもなっていく。
徐々に、それは、胸の中に蓄積していって。
例え舞台袖と同じ暗闇であるというのに、あの頃のようにもう、
ルルーシュは目を閉じて彼の名を呼ぶこともできなくなっていた。
気付けば最後に唇に触れてくれたのはいつだっけ?
スザクのことがどうしようもなく解らなくなっていって、
役者として地上の世界に見放された「美女」に成りきる以前に、ルルーシュは、心も体も空っぽだった。
しずく 8
「ん」
手を突き出す。その先にいる通称野菜頭(※ルルーシュしか呼んでない/けれどみんな誰のことを言っているのかわかる)
ことジェレミアが、渋い顔をして自分の手のひらを向けてくるルルーシュを『何のつもりだ』と言うように見つめていた。
「携帯」
「……。ああ」
「返してください」
明日はもう公演日だという舞台の稽古最終日に行ったリハーサルのあとで
稽古風景を妻と一緒に覗きにきたジェレミアは、まず、ステージに衣装を着こんでモニカと談笑しているルルーシュを
見つけて、普段そう崩したりしない無表情な瞳を大きく見開き、あからさまに驚いたような顔を見せた。
だが安心したなんて言われたくないルルーシュは、普段とそう変わりない不遜な態度で
美女の衣装に着こんだまま彼のもとへ駆けていく。
そして、手をすっと前へと差し出して、数日前控室で奪い取られてしまった
メタルホワイトのそれ≠返すよう要求した。
「全く。我の強い奴だ」
真っ直ぐなルルーシュの瞳に、悪あがきかのように低くそう吐き出した彼の手には
ずっと待ち望んでいたそれ≠ェすでに握られていて。
目の端を通り過ぎただけでそれを確認した瞬間、反射的にルルーシュは彼の手から
それを取りあげてしまった。
ジェレミアの隣にいる……随分と若い風貌の彼の妻が、ルルーシュの所作に
数秒前の旦那と同じ顔をする。
だが、目的を達成したルルーシュは、後はもう用事もないというように劇団のオーナーである
ジェレミアから背を向けて、舞台の袖へと飛びこむように駆けていってしまった。
あとは暫く無音の状態になる。
一部始終を見ていた「公子」の格好のままのモニカと、彼女の弟で今日はリハーサルを見学するために稽古を見学しに
来ていたジノは、ジェレミアに聞こえないようにぷっと吹き出した。
「おい、すごいな。アレ」
「そうね。でもそろそろ自由にしてあげなくちゃ」
舞台の上手から、モニカは反対側の下手より楽屋口へと走っていってしまった相手役に
少し溜息をついてみる。だが反対にジノは客席からその姉を気遣うような視線を投げてみた。が、
モニカの視線は弟へと向けられることはなく、何か言いたそうに----------暫くずっと下手のほうへ注がれていた。
*
「上司に言ったらね、明日の公演のチケット貰えたの。会社に勤めててもこういう客席指定の招待券っていうものは
そうそう貰えないんだけど、ラッキーだったわ」
昼間、駅前で藤宮と会ってから、スザクは午前中からお昼過ぎまで笹倉の家でヘルパーをしていた。
丁度翔太とつぐみが帰ってくるまで美代の世話をしていたのだ。そしてその仕事が終わった後、藤宮から
電話がかかってきた。ルルーシュの舞台のことで話がある、と。
正直一時間でも睡眠をとって夜の仕事に備えたいと思っていただけに、彼女の突然の誘いには
乗り気にはなれなかったのだが……彼の名前を出されてしまっては仕方ない。
スザクは笹倉の家から車でランドピット社へ直行した。今はそこの一階にある誰でも利用できるカフェで
眠気ざましのコーヒーを啜りながら彼女の話を聞いている。
「で、その招待券なんだけど……枢木くん、眠そうね」
「あ、ごめん……ちょっと昨夜から立て続けに人に会ってて、正直寝てないんだ。まあ、三日くらい寝ずに
働いてたこともあったから、これくらい大丈夫なんだけど」
「じゃあ悪いことしたわね。そんなに忙しかったなんて」
「いいよ。ルルーシュのことなんでしょ?で、そのチケットが?」
「うん。客席指定だから……随分といい席を貰ったの。下手よりのステージ前から五番目くらいのところ。
もし彼氏くんから貰ってるのよりいい席だったら交換してあげたいと思って」
「……え」
それは吃驚だった。
確かに、自分がルルーシュから貰ったチケットの席はお世辞にもいいものとはいえない。
それは勿論、藤宮のように会社関係者だというのでもなく、ただルルーシュの知り合いだということで
役者本人から提供してもらってるものだからなのだが。
「ね、なるべくいい席で見たいでしょ」
「それはそうだけど……いいの?ほんとに。藤宮だって他に譲る相手とか」
「いないわ。舞台を好きな友達もいないし。本当だったら結婚しててもいい歳なのに」
「ああ……」
女性にこういうことを聞くのは少し無遠慮だったかな、と、彼女の苦笑いした顔を見て焦った。
けれど気を取り直すようにすぐ彼女はバックからチケットを取り出す。そしてそれを、
テーブルの端についていたスザクの手を自分の伸ばした手でくるりと返して、広げた手のひらにぽん、と重ねた。
「悪いよ、そんな」
「別にいいのよ。自分でお金出して買ったものでもないんだから。好きな人が、いい席で見るのが
演じてる人にとってもいいことよ」
先ほどの笑顔とはうってかわって、スザクの手に触れながら穏やかにチケットを差しだす彼女の
表情は柔らかい。
緊張と眠気と、意外にも薄い味のするコーヒーに辟易し始めていたスザクにとっては
ずっと感じていた彼女への苦手意識が、そうされることで、少しだけ薄れてくれた。
じゃあ……と言って、ぽん、と置かれたチケットを両手で受け取ったスザクは
自分でもそんなに意識せず、正直に嬉しさが溢れた笑みを彼女へ向けた。
楽しみにしていた舞台でしかも自分の好きな脚本で主演がルルーシュであるなら、なるべく
いい席で見たいと思うのが当然の望みだろう。
「……」
「……」
「あ、でも、お願いがあるの。枢木くん」
「?」
貰ったチケットを鞄の中にしまおうとしていたところで、
急に引き上げるように声をかけられる。
代わりに自分が貰っていたものを差しだそうとしていたスザクの手は、そこで
ぴたりと固まった。
「その……、私と」
鞄に突っ込んだまま固まっていたスザクの腕が、突然鳴りだした携帯にびくっと跳ねた。
藤宮が開いていた口を慌てて塞ぐ。悪いと思いながらも反射的に鞄の中からそれを抜き出して
サブウインドウに表示されている発信主に目を落とした。
「ごめん。ここ、先に出るよ」
「誰……」
「彼。朝別れたきりなんだ」
短く言い返したスザクは席から立ち上がり、ポケットから千円札だけテーブルの上へ置いて
まだ腰を落ち着けたままの彼女に背を向けようとした。
だが、引き止めるような藤宮の見上げた視線に、僅かに間が空く。しかし、手の中にある途切れない着信音に
気持ちも会いたい欲も迫ってきて、……彼女へ感じた申し訳なさをごまかすように一礼だけし、
そのカフェを後にした。
「ルルーシュ?」
「少しは寝たか?……これから予備校行くとこなんだけど」
受話器ごしに聞く彼の声は語尾だけが少し弾んでるように思えた。そうか、電話を掛けてこれた、ということは
あのオーナーからぶじ返してもらった、ということなのか。
「寝て、はないけど……。でもよかったね、携帯返してもらえたんだね。おかげで目が覚めたよ」
「そ、そうか?約束もなしに電話かけて悪いかと思ったけど、……それならよかった。一応大丈夫なんだな」
昨夜仕事明けのまま捜索しにきた自分を心配してくれてたのか、耳元に届く声が
その気遣いのセリフよりくすぐったく聞こえる。
歩きながら会話することに慣れてないスザクだったが、なるべくこの会話を続けていたいと思った。
--------なんとなく。昨夜学校の玄関で交わしたぬくもりが、まだ手のひらに残っていたから。
「ルルーシュ」
「ん?」
「舞台、おつかれさま」
「おつかれさまってなんだよ。まだ終わってないぞ」
自分の唐突なセリフに、焦った声がその様子ごと伝わってくる。
くすくすと自然に笑いが零れながら、ごめんね、と何に対して謝ってるのかよくわからないセリフが
口から出た。
「本当に、いつも大変だなって思ってるんだよ。……しかもさ、今回のは、扇さんのとこのじゃないじゃない?
難しかったでしょ」
何が、とは言わない。
「……まあ、そうだ、けど」
弱音を口にするのが下手なルルーシュからでも、そんな答えが返ってくる。
やっぱり大変だったのだろう。
でもそれも、明日で終わりだ。
「その、千秋楽が終わって……舞台の片づけも済んでからで、いいんだけど」
「?」
「旅行に、行かない?」
扇の劇団での活動がない間、がむしゃらに働いて溜めたお金で、
例えたった一日でも、二人っきりで過ごせる場所に行きたいと思った。
出来るなら、勿論、あんまり人気がない場所に。
「い、嫌ならいいんだけど。試験で忙しいだろうし……」
「まさか!!嫌なわけないだろっ」
「あ……ほんと?」
不思議と声に甘ったるさが出てきてしまっている。
そんなつもりはないというのに、しかも自分のほうが年上であるのに、何故か、
緊張しすぎて子どものような口調になっていた。
「お、俺がお前の誘いを嫌だなんて思うわけないだろ……」
「よかった」
えへへ、と溢れるような嬉しさのままに笑ってみせれば、
受話器ごしにいるルルーシュが少し居心地悪げに、コホンと咳をついた。
「予定空けとくからな。ちゃんと日程とか教えろよ」
「勿論、任せて。ルルーシュが飽きないようにちゃんとプラン練るよ」
「あっ、飽きるなんてことないけど……」
何か、携帯では聞きとれないような音でもにゃもにゃとした声が聞こえた。
が、そこで、はっと思いだしたように、ガラリと雰囲気が変わる。
いきなり変わったその様子にスザクも「どうしたの?」と穏やかだった口調を変えた。
「何かあった?」
そう言えば、スザクを最初気遣ってくれたけれど……これから予備校へ行くと言うルルーシュは
自分こそ睡眠をとっているのだろうか。
不安になってそのことを訊いてみようとしたら、それより早く、珍しく緊張が滲んだような口調で
受話器からルルーシュの声が聞こえた。
「何かあった、わけじゃないんだけど」
「うん」
「今日……予備校が終わったら、そっち行っていいか」
「え?」
予備校が終わる時間といったら、まだスザクは料理屋で働いている。
バイト先に来るという意味か。または自分が迎えに来いという話なのか。その時点で
どちらなのかまだ解らなかった。
けれど、次いで、ルルーシュから発せられた声に息が止まりそうになる。
「……スザクのうちに」
行きたい、と、そんな頼りない呟きを耳がひろった瞬間、
まるで今自分を包む世界が、自分を取り残してすべてスローモーションになったような錯覚がした。
「え……」
「い、嫌なら、いやっ……駄目ならいいんだけど。俺の勝手な希望なんだし、
ただ、舞台が始まる前にこの間したみたいにのんびりできたらいいなって思っただけで……そ、その」
完全にこちらの言葉を誤解して、焦りきったルルーシュの様子が受話器ごしでも解る。
この間したみたい、ということは--------そうか、ルルーシュの引っ越した部屋で同じソファで寝た、みたいな
そういうことをルルーシュは望んで。
(でも……)
自分の部屋
--------隠している全部が、眠るあの部屋。
そこに、
「スザク、あの」
来たいのか。
「……」
僕は、見せて、いいのか?
(でも、教えたい)
誰よりも大切なルルーシュに、隠してきた全部を教えたい。
(この気持ちは本当だ……)
昔から嘘をついてきた自分に区切りをつけるべきだ。
「いいよ」
「えっ……」
「仕事上がるの12時くらいだから、それでもよかったらなんだけど」
明日はもう昼の二時辺りからルルーシュはメイクに入っていなければならない。
それなら少なくとも翌朝の通勤ラッシュの時間帯くらいには、スザクのもとを出なければならないことになる。
それでもルルーシュがいいなら。
「予備校が終わるのって11時くらいだよね?……迎えには行けそうにないんだけど、一人でこっちまで来れる?」
「ああ」
「じゃあルルーシュが来たらこっちも上がる準備するよ。くれぐれも油断して夜道を歩かないようにね。携帯しっかり
持ってるんだよ」
「わかった。……じゃあ」
また夜に、と、スザクに対して何かを堪えたような、細い声がしたあと、着信が切れる。
前を向いて、暫く行きかう雑踏を無言で見詰めてみる。
電話の途切れた携帯を無造作にポケットへ突っ込んで、そこからスザクは天を見上げた。
月は白く、ビルの影にひっそりと浮かんでるのが見えた。
*
お互いに好きだということが解って、暫くの間友情期間を経た後正式に付き合うようになった最初の頃。
扇や千草よりも近くにいるからか……自分を見つめてくるルルーシュの瞳に少し怯えの色があることに気付いた。
それは何故かというと、当然自分のことであるから、すぐにでも大体の検討がついた。スザクが自分の話をしなかったからだ。
いや、正確に言えば、したがらなかった≠ニいうほうが正しい。ロロやナナリー、シュナイゼルという
彼の家族の名前を知っていてしかも親交まであるというのに、まだスザクのほうは、親の名前さえ明かさなかったのだ。
しかも手さえ繋ごうとしなかった。最初、告白する前にルルーシュから頬へのキスもどきは受けていたけど
鬱屈のない彼と比べて色んなものを隠そうとしている自分にとっては、そんな恋人らしい接触に踏み切る勇気は
毛頭なかったのだ。
だから、怯えの色に気付き、どんどん……どんどん、距離を開けていこうと思った。
でないと過去に起きたあのことのように、無意識に傷つけかねない。折角、スザクのことが好きだと言って
誰に頼まれたわけでもなく自分から飛び込んできてくれた存在だというのに。舞台の上ではあれほど
月のように綺麗に輝いている人だというのに。
でも、いつしか、その怯えの色も気にならなくなってきて、スザクは
今年二十歳を迎えたルルーシュに初めてキスをした。
それは彼が自分のテリトリーであるバイト先に変装もどきをしてやって来たことから、
自分の押し隠してきた気持ちに気付き、それが爆発してしまったのが、すべての始まりだった。
あれから、触れるだけの浅いものも、舌を絡める深いものも、隙があれば沢山している気がする。
ルルーシュを部屋に入れる、なんて、
それこそその気がある≠謔、な態度に思われて仕方のないことじゃないか。
(でもそれでいいと思ったから、ルルーシュを誘ったんだろう?)
頭の中の昔に置いてきた中学の頃の自分が、スザクの心にゆらぎをもたらす。
自分が年上だと隠していたことを知られたくない。
けど、触れたいなんて。
それこそ裏切りじゃないか……。
*
近くの作業所の面子が食事を終えて帰っていった頃。
丁度ピークの時間帯を過ぎた11時前に、目深に野球帽を被った姿でルルーシュが店にやって来た。
風貌は隠しているがその青年がルルーシュであることは解っている料理屋の店主たちは
ルルーシュが『昨夜お弁当ありがとうございました』と礼をしたのに、『気にしなくていいのよ』と
軽く手をふって返した。
普通の働き先だったら許されることではないが、今日は早めにあがります、と事前に言ってあったスザクは
早めに洗いものを済ませて、エプロンをまだ着たままの姿で台所から外へ出ていった。
スザクは店主や女将の前で居心地悪そうにするルルーシュの手をひいて、店先へ出る。
いつもより一時間ほど早い就業時間にルルーシュが申し訳なさそうに見上げたのと
スザクが口を開いたのは同時だった。
「あ、あの」
「ここから歩いてすぐなんだ。僕のうち」
睡眠ゼロの状態だからか、若干フラフラとした歩き方だったがルルーシュの手はしっかりと繋いでいる。
ルルーシュがもぞもぞと動かして絡めるものに手の繋ぎを変えても、スザクの見下ろす視線は変わらなかった。
むしろ、余計に、煽られているような気がする。勿論スザクがルルーシュに。
(なかったことに、なんてのは、もう遅いかもしれない……)
スザクはルルーシュの手に繋いだ力をぎゅっと込めて、暗い夜道を歩きだした。
「その」
「え?」
「帰る暇がなかったから、し、下着……とか持ってきてないんだ。俺」
「このへん、コンビニもないけどね」
「どうしよう……」
「いらないんじゃない」
「へ?」
「……一緒に寝るんだったら、要らないんじゃない」
-----------何も普通に泊まりにくるわけじゃないんだし、と言外に意味をこめて
隣を振りかえってみる。
パッと視線があった野球帽の下に隠れた顔が、またたく間に赤くなっていった。
繋いだ手が緊張からか、いつの間にかずいぶん冷たくなっているような気がする。
それを安心させるために、柔らかくまた指を絡めなおした。
*
(要らないんじゃないって……)
どういう意味なんだろうか。
手を繋ぎながら、バイト先からすぐだというスザクの部屋まで向かう途中で、延々とルルーシュは頭の中で考えた。
だが考えるそのルルーシュがむしろそれを望んでいるからなのか、ただ単に自分がスケベなのかは解らない。
でも想像するだにスザクのその発言の意味は、……それ、しか、現していないような気がする。
どうしよう。
下手だとか思われたりしたら。
少なくとも男の経験はないスザクの横顔を盗み見しながら、
こんなことなら少しはその手の雑誌とか本とかを見ておけぱよかったと後悔した。
そうこう考えてるうちに、いつの間にかスザクの部屋に着いていた。
二階建ての鉄筋作りのアパートみたいで、スザクの隣は母と子の二人暮らしなのか、小学生用の自転車が
扉の横に立てかけられている。
ガチャガチャと鍵を外して『どうぞ』と中へと入れられれば
もうルルーシュは借りてきた猫のように大人しくなるしかなかった。
「狭くてごめんね」
「いや……その」
五畳ほどのスペースにベッドと箪笥と冷蔵庫が置いてあって、
トイレと風呂は別室、台所は玄関のすぐ隣にあって、洗濯機はベランダに置かれていた。
1DKのそこそこの物件だろうが、一人で暮らすには丁度いいのかもしれない。けれど広さでいうなら
ルルーシュのアパートのほうが1LDKなぶん広かった。
「ご飯、はどうした?」
「あ、俺腹へってない。もともと本番前ってそんなにもの食べないし」
「そうなの?……僕は食べちゃったしな」
自分の荷物をベッドの下へとおいやって、箪笥の前の人が一人でくつろげるスペースに
スザクはルルーシュに話しかけながら座布団を置いた。ここに座れと言うことらしい。そそくさと
立ちっぱなしだった玄関先からそこまで駆けていって、膝を揃えて行儀よく座った。
「ここ、住んで何年くらいになるんだ?」
「扇さんの劇団を手伝うようになってからだから……四年くらいかな」
「それなのにあんまり物がないんだな」
「服は扇さんのサイズが合わなくなったものを貰ったりしてるけど」
げげ。扇ブランドかよ、とそれを耳にした瞬間驚いたけれど
満更不思議と思ってないらしいスザクの視線は真っ直ぐにルルーシュに向けられていた。
まさか自分がここへ来たいと言ったのは、ただ検分するためだけではないとそっちも解っているだろうに。
(中々……)
触れたいとも、言いづらい。
(こういう時積極的だったら昨日みたいに泣くこともなかったのに)
そう考えると昨日の恥ずかしさも込み上げてきて、
余計、座布団の上で居た堪れなくなった。しかし意外なことに、所在なく座るルルーシュへ
踏み出してきたのはスザクのほうだった。
「キス」
「……ぇ」
「していい?」
ルルーシュに座布団へ座るよう勧めてから、スザクはずっと立ったままだった。
ベッドにでも座るんじゃないかと思っていただけに、畳の上に直に膝をついて、身を屈ませてきた時は
拒むこともできずに反射的に目を瞑るしかなかった。
唇が触れた瞬間、ずっと被ったままだった野球帽がぽいっと台所のほうへ放られる。
吃驚して、何か言おうと口を開ければ、柔らかく下唇を歯で噛まれた。角度を変えた接触が深くなっていく。
「ぅ……ん、ん」
合わさった唇からスザクの呼気を感じて、背筋がぞくぞくと粟立った。
ゆっくりと畳みの上へ押し倒されていくのにルルーシュの腕もスザクの背中を撫でて、首の後ろに
両手で手を回して、縋るようにしがみ付いた。
「ふぁ、ぅ、あ……っ」
は……と、息をつぐあいまに、ごく近い距離で柔らかく細めた翡翠と視線が交錯して
何か堪え切れないものを必死に発散するように、またすぐに口づけを再開した。さっきよりも沢山水音が立つ。
喉の奥がぐ、と鳴るほど、スザクの舌が蹂躙する。
意識が霞んでいく。
ぴちゃぴちゃと舌と舌が絡むほどに
スザクに求められているんだと知れて、安心する。
翡翠の目の色も自分に触れることで夢中だ、と証明している。
(なら……)
首に縋りついていた手を緩めて、スザクのシャツの裾を掴む。
頬を上気させた顔がルルーシュの唇から離れて、『?』と畳に腕をついて起き上がった。
そこで掴んでいた襟元を引き寄せて、剥き出しになったスザクの首の真ん中あたりに、キスを落とす。
深く熱いキスのおかげで頭が少しぼやけていたからこそ出来たことかもしれないが、
ルルーシュは一度もやったことのないことを、そこで実践してみた。
---------痕を、つける。
きつく唇で柔らかい部分に吸いついて、そこだけ血がたまるよううっ血させる。
普通に服を着ていればそうそう見えない辺りのきわどい部分に。
「よし……」
「どうしたの?」
「俺が、仕事で暫く会えなくても、お前に変な虫が寄り付かないように」
うまくキスマークが出来た、と満足して、首元にまた腕を通して縋りつく。
スザクは胸に抱きしめたルルーシュに一瞬きょとん、と動きをとめたが、すぐに何を言ってるのかを理解して
左手で撫でていた黒髪に自分も、と口づけた。
「そんなこと起こんないよ」
「いや、ある……絶対ある。俺より」
「何でさ」
信用ないね、とくすくす笑われたルルーシュのほうは、けれどスザクが受け止めたように冗談のつもりで
言ったわけじゃなかった。
縋りついた腕はそのままで、ぎゅっと力をこめて、くせっ毛に頬を擦りつける。
切ないような動作に思えるルルーシュのそれに、抱きしめていたスザクの腕が強張った。
「ルルーシュ?」
「だって……俺は、……役者だから、触ってほしくてもスザクは遠慮するし」
「……」
「遠慮されると、その度……俺ばっかりお前に欲情してんじゃないかって、寂しくなって」
だから誕生日にキスされたの嬉しかったのに、と、
首筋に埋めた顔に湿っぽい何かが伝い始める。
涙のしずくが、ぽたぽたとスザクの膝に落ちて。ルルーシュを抱きしめたまま、その感触に
硬直する。
「俺、お前のこと好きでいられるか、自信がなくなってた」
膝に抱きあげられたまま心の裏側を吐露したルルーシュに、それを聞いて何を思ったのかは
解らなかった。
ただその後、再び組み敷かれながらルルーシュが覚えている限りの全部のことだが
お互いに裸になって、畳の上で、飽きるまで体中に痕をつけあったのは覚えている。
ルルーシュが望むキスも一杯して、気付いたら朝になっていた。
そしてそのまま寄り添って数時間だけ眠った。スザクのほうが何故か子どもみたいに
ルルーシュの胸に顔を寄せ、腰に腕を回して、熟睡した。
目が覚めて、体を交わしたわけじゃないのにどこか胸が充実してる感覚に
-----------ふと視線を胸元へ落とせば、心臓の横あたりに他のものより一等濃い鬱血痕を見つけた。
素っ裸な姿にいつもより幼く見える寝顔ですうすうと眠るくせっ毛に、くす、と思わず笑みが零れる。
きっとこれが今のスザクの精一杯。
けれどそれだけで充分だった。