しずく 6

























「枢木くん」




送ってくれてありがとう、と助手席から微笑む藤宮の後ろの窓からは、駅に向かってざわざわと行き交う人たちが
忙しそうに歩いているのが見えた。---------何だそうか。ぼんやりと運転してしまっていたがどうやら目的地に着いたらしい。
「ありがとう。突然の頼みだったのに嫌がらずに送ってくれて」
「そんなこと気にしなくていいよ。土曜は昼間は空いてて暇だしね。今日はたまたま美代ちゃん家に行ったけど」
「そんなに忙しいの?祝日以外は毎日?」
「んー……まあそういうわけでもないんだけど、なるべく今はね、美代ちゃんにも言ったけど
本腰いれて手伝ってる劇団のほうが活動休止状態だから。その間の暇をつかって稼いでおきたいんだ」
運転を終えたハンドルに肘をのせて前屈みになったスザクはうん、と伸びをする。
その様子に彼女は穏やかに目を細めながら-------しかしどこか寂しそうな空気を漂わせて
どこか茶化した響きをこめるように言った。
「恋人持ちが稼ぎたい≠ネんて言うと、まるで何処かに行くための資金か、何かを贈るための貯金稼ぎに
聞こえるけど?」
「あれ。解った?」
「うん。だって可愛いものね」
貴方がこの間駅で連れてた、黒い髪が特徴な男の子。
……ルルーシュはあれでもう成人しているのだが……、しかし、藤宮がそんな風に自分の言葉を受け入れてくれてるとは思わず、
スザクはそこに突っ込むよりも先に、未だ車から降りようとしない彼女を改めて見つめ返した。
こほん、と、咳をひとつした彼女のウェーブの髪が揺れる。一度だけスザクを見返した鳶色の瞳は再びそ向けられて、
何故か彼女のほうが居心地悪いといった感じに突然車のドアノブを引いた。
慌てて運転席から外に出て助手席のドアの外へと回りこむ。
無言なまま動き出した理由が知りたいと思ってなるべく早い動作で走っていったのだが
藤宮は助手席から降りたらそこから微動だにせず、黙りこんで、俯いてしまっていた。
「どうしたの……?」
「……」
深く、伏せてしまった顔を下から覗くように様子を窺えば、びくっと、一瞬、藤宮の肩が跳ねた気がした。
それに気を取られて半ばぼうっとした気持ちで見ていたら、いつの間にか自分の胸の前にはウェーブの長い黒髪があって
自分が彼女を抱きしめるような形になっていた。
「え」
人が大勢行きかう場所で、すれ違うスーツ姿の男性や、子ども連れの主婦たちにその姿をじっと見られている。
いやいや、待て。まるで自分が彼女を抱き寄せたみたいになってるじゃないか。
そう思って慌ててスザクが引き離そうとするのに、藤宮はスザクの腰に回した手を離そうとしなかった。
「ごめんなさい。どうかしてるのね、きっと。久しぶりに会う同級生に気持ちがハイになって、それで……こんなこと」
「藤宮?」
「……」
きゅ、とすぼめた唇で、藤宮詠子はそれからずっと、ただ黙ってスザクを見上げていた。
まさかその後ろで駅の改札口から本命に見られているとは思いもせず、スザクの胸に顔を押し当てた彼女の
乱れてしまった横髪を払ってやった。一見するとそれだけで恋人のようにも見える。通行人も、後ろでそれを目撃したルルーシュも、
そう思っていた。


彼女がどんなことを考えて自分にとって苦しい思い出しか残ってない土地に戻ってきたのかはわからない。
またどうして、その思い出の根幹ともいえるスザクにわざわざ知人のつてを頼って会いに来たのか。

(……)

当事者でもあり加害者でもあったくせに、スザクは自分の意識を半分どこかへやっていて、
藤宮の思惑には気付こうとしていて、でも気付けないでいた。
むしろ、思惑というより……野望といったほうが近かったのだろうか。


人に対して未だに壁が取り払えないスザクは、人の心に対してとても鈍感だった。
この日、藤宮を抱き止めたことを後で酷く後悔することになるなんて思わないほどに。

いつだってスザクは、物事が全部終わった後に気付くのだ。




(自分なんてやっぱり、そんな大した奴じゃないんだよなあ……っていう、無力さに)























舞台に立つルルーシュは綺麗だ。
山の風景を高台から見渡すような、海のさざ波を浜辺から眺めるような、……綺麗と感じるものはいつだって遠い場所に
存在する。これはものの理だ。
確かにルルーシュという存在はその言葉の通りで、芯に強い眼差しを遠くへ向けて
それを受け止めるスザクからはとても離れた距離からどんな役でもこなす、綺麗な超人≠セった。


スザクはルルーシュの舞台を見るのが好きだった。遠いところにあるものこそ美しく見える。美しいと思うものこそ自分の手には届かない。
ルルーシュを守りたいから今は離れる。離れるために距離を置く。……客席と舞台みたいに。例え近づけたとしたって
舞台袖より中へは進めない。ルルーシュが役者である以上ルルーシュを自分だけのものには出来ないのだから。


だからスザクは、自分の判断を間違ってたなんて思っていなかった。
現に嫌がらせの写真や手紙は送りつけられることがなくなった。バイトも順調にいっている。順調でないのは
多分、心のほうだった。

だがもう少しで完成したモニカとの舞台で、久しぶりに演技をするルルーシュが見れる。
どんな我慢も苦しみもストレスも、いつだって舞台を見ることで癒されていた。









『この袖からスポットライトを見ていると……安心する』

いつだったか初めてルルーシュが裏方として舞台袖にいたスザクに話しかけた日のことが、ふと思い起こされた。



自分の足元さえ見えない暗闇の中でも、
そのスポットライトが照らす舞台に立っていさえすれば、自分は一人じゃない。少なくても
役を演じている間だけは、客席にいる人間にとってルルーシュ・ランペルージで居られた。
……そのことを、言っていた。スザクは後ろからその言葉を聞いて、私語厳禁の舞台袖であったというのもあるが、
すぐにその言葉へ返事をすることはできなかった。何故なんだろうか。


(ルルーシュを、綺麗だと思うから、守りたい)

(けど、舞台にあがっている間は、彼は孤独だ)

たった、一人だ。

スポットライトの明かりすらなければ、影も存在しないから。


(……でもこの間思い知った。ルルーシュは暗い中でしか生きていけないんだ。だから)



















嫌がらせもなくなったようだし、電話で前もって連絡することはしないから弁当を差し入れに持って行くらいは
許されるんじゃないかとふと思い立って、スザクは小料理屋のバイト中に店の主人に頼み、
余りものの材料を取っておいてもらうよう頼んだ。おかずが数品作れる程度の野菜があれば
コンビニ弁当を嫌うルルーシュでも食べられると思って。

が。


……そんなことを突然思い立つから悪いのか、むしろ何かの波長ででも引き寄せてしまったのか、
普通なら連れ立って歩くような仲ではない男の二人組が、物騒な顔をして、スザクの働く小料理屋に
閉店間際の深夜一時頃やって来た。
「よう」
「急に悪い」
扇とジェレミアが出入り口の引き戸から入ってくる。
スザクはオレンジ色のエプロン姿に頭は三角巾という格好で、両手に皿を手にしたまま静止した。
「どどっ……ちょ、な、何ですかいきなり」
改名(?)前の千草の旦那と、改名後の現在の旦那が揃ってスーツ姿でバイト先に押しかけてきたのだ。
思わず厨房にいる店主を見て、冷や汗をタラタラ流した。だが事情を知らない店主は『どうぞおあがり下さい』と
カウンターではなく奥のテーブル席を指し示して、お茶の用意を始めた。
「スザクくんもそろそろいい時間だから、お上がんなさい」
店主が奥へ行く二人を見送りながら水道の蛇口を回して、スザクが持ってきた皿を両手で取り上げる。
突然の二人の訪問に困惑し、また、店主のあたたかい(だがいらぬ気遣い)その対応に余計戸惑ったが、
好意は好意として受け取って、店主から渡された湯のみと自分用のコップを乗せた御盆を持って
テーブル席へと急いだ。
「何ですか、いきなり」
その面子でなぜやって来た。
もともと感情の幅にそれほど起伏があるほうではないが、そう口にして扇の隣の椅子に座った自分の顔は
最近の中では一番マヌケな面をしてたと思う。
そんなことは露ほどにも気にしてない、むしろ元々関知すらしなさそうなジェレミアは
扇とスザクを前にしても顔はいつものむっつりとしたままであったが。
「まあ落ち着けよスザク。いつもは大体どのくらいに上がってるんだ?」
「今くらいの時間ですけど……。でもいきなりなんて反則ですよ。知人に働いてる姿を見られることが
バイトにとっては一番恥ずかしいのに」
「あー、それはあるなぁ。言葉にするのはちょっと難しいけど。俺もあるぞ。学生時代。そう言えばバイトも
こいつと同じとこだったんだよな。なあオレンジ」
スザクが持ってきた御盆から扇は湯のみをとって向かい側に座るジェレミアの前へ置いた。
ギロッとした獰猛な目線が射ぬくように扇へ向けられる。
「その呼び名は使うな!一体こうなったのは誰のせいだと思っている……っ。ヴィレッタといいルルーシュといい、
お前生産の人材は本当あてにならないし、飄々とした顔つきで牙をむける」
「お前生産って……」
学生時代に二人に何があったかはいいとして、千草を呼び出した時も思ったことだが、どうしてこんな些細なことにも
ジェレミアはいちいちキレるんだろう。少し理解しがたい。
……まあ、今のスザクにとってはどうでもいい問題だったが。
「で、どうしたんですか。お二人で連れ立ってわざわざ僕のバイト先なんかに」
佇まいを直して、膝にぺらりとたれ下がる形になったエプロンの裾を少し手でつまんだ。
視線をうまく二人に合わせられないままに口を開く。ここまでやって来た理由を知りたい。
だが内心では大体検討がついていた。きっとルルーシュのことだ。
スザクとルルーシュを出会わせたといってもいい扇と、その扇が育てあげたルルーシュを見て
自分の舞台を作りたいと今回の『しずく』を企画したジェレミア。
この二人が揃ってスザクのところへやって来るのだから、ここへ来た理由がルルーシュでないことのほうが
おかしい。
「……」
エプロンから視線を正面にいるジェレミアに戻してじっと座った体勢のまま彼の言葉を待った。
さっきまでは軽快な言いまわしでスザクを翻弄していた扇はぴたりと口を閉ざして、彼もジェレミアが切りだすのを待つ。
だが窺い見た扇のその時の顔は、聞かなくても大体事情は知ってるといったような顔だった。
「実は」
「はい」



「先日、稽古中に練習を放棄して、ルルーシュが舞台から去っていった」



(え……)

「な、何で」
その言葉を受けて一瞬何を言われたのかがわからなくなった。横から湯のみを手にしていた扇がそれを
ことん、とテーブルへ置いてスザクの目を見て言う。
「こいつな、ルルーシュから携帯取りあげたんだ」
「誰かからの連絡を期待してフラフラと携帯を持て余す姿を見たら、指導者だったら誰だってそうする」
「だぁからってなー、説明がなかったんだろ?説明が。理由もなしにそんなこと年上からされたら
どんな物解りのいい子どもでもヘソを曲げるさ」
現役小学校の教師の言うことなだけに説得力はあると思った。だが、まだ衝撃を受けてからスザクは立ち直れてない。
あんなプロ意識の高い……良い意味でいうならストイックなまでに演劇に対して真面目だったルルーシュが、
(練習を放棄……?)
「他に、何か理由はないんですか」
「相手役のモニカがセリフ合わせの時にどもったくらい、か」
「え。何だそれ」
「予想以上の気迫に押されたらしい」
『うわあ、モニカちゃん可愛い』と横から声があがったが、渋い表情をしてじっと目線は落としたままの
ジェレミアを見るスザクの心境は、何だか得体の知れないどす黒い雲みたいなものにどんどんと覆われていった。
「元々、ルルーシュは集団で何かものを作るってことに慣れてたやつだったからな。音響や照明、大道具を作る奴たちと
がやがや騒ぎながら演劇をやるのが好きなタイプだったんだ。それが今回はよその劇団ってことでそれだけで緊張感が走る。
加えて、二人しか出演しない舞台だからそれなりのモチベーションを保ってないと練習もできない。そして
頭の中で消化できないうやむやがたまりに溜まって、今回お前が携帯を取り上げるなりなんなりしたから
舞台をやる意味さえなくした」
ハッと我にかえる。扇を見たら『これでいいんだ』と言うように、エプロンの裾を握っていた手にごつんと拳を
合わせられた。
「考え直したほうがよかったかもしれないな。携帯を取り上げることはおろか、ジェレミア、お前
ルルーシュにも『スザクとは会うな』って言ったんじゃないか」
「……」
「まあこればかりは言ってはないだろうがな。……『会わないって言いだしたのはスザクのほうからだ』とか、な」
どくん。
身に覚えのある言葉だったのか、向かい側のジェレミアの肩が跳ねた。
スザクはそれを見て扇の声に重ねて問う。
「まさか、そう言ったんですか……?」
「……そうだ」
「僕が、舞台が終わるまでルルーシュと会わないということを了承したって?」
違う。
了承したのではない。

ジェレミアの考えて出した提案に同意したのだ。自分から言い出したことではない。
スザクから言い出したということならば、まるで、自分の存在は彼が役者をやっていく上で邪魔なものであると
言っているようなものではないか。


「誤解があるんじゃないですか。あの日喫茶店で僕がジェレミアさんと約束したことと、貴方がルルーシュに伝えたこと」
「そのようだな」
「それなら……怒るに決まってます。元々芸能界のことなんて言われてないのに彼は自分が一度受けた依頼だからと
逃げないで頑張って、結局ポスターモデルもモニカとの舞台も出ようとしてるんですよ。そんな姿勢の彼に対して失礼ではないんですか」
珍しく、怒気がこもった。
扇は冷静な態度でそれを受け止めて、ズボンから煙草を取り出す。
「まあ俺も、ジェレミアのほうに専念するよう『稽古には出るな』と言っちまったしな」
いやべつにそれは問題じゃない。
スザクが問題としてるのは、二転三転するジェレミアの態度だ。
「どうするつもりですか」
「……教えてもらいたいな。どういう態度に出れば、ヘソを曲げた王子さまを舞台に戻すことができるんだ」
「……」
膝の上に握った拳に、更に力が籠った。それをテーブルの下で横から抑えつけられる。ジェレミアの吐き出す言葉の
不快感に耐えられなさそうになるのに、隣で飄々と振舞う扇は耐えろという。だが彼がそういうなら耐えるほかないのだろう。
むしろこの男は元々こういう話し方が特徴的な男なのだろうと思った。自分よりも長い付き合いがあるから
扇はそれを知っていてうまく受け流せる。だが、そうだからってルルーシュが受けた苛立ちや虚無感を思うと
スザクはこの男に何か言ってやりたくなる。なんでもいい。何か少しでもルルーシュが報われるようなことを、少しだけでも。
だが、抑えつけられた扇の拳が離れることはなかった。煙草からゆらゆらとあがる煙だけが三人の間で動く。
それを目にしたまま、堪らない虚無感に襲われて、ぐっと歯を食いしばるしかなかった。仮にもやはりジェレミアは
ルルーシュの雇い主だった。

その彼が下した命令に批判の言葉なんてぶつけられない。
例え自分の意志とはそぐわぬ形で結ばれた約束だとしても。



















頭にきた。
こっちはこっちでルルーシュには会わないと心に決めていつもの生活をしてきたというのに。



ジェレミアはスザクにそのことを打ち明けても、全く晴れやかな顔を見せないで、どこかむっつりとした顔をしたまま
挨拶もせずに小料理屋を出て行った。
「あれでいて、怒鳴られたことがないんだよ。ジェレミア」
「役者にですか」
あんなに勝手な人なのに……。
口にはしなかったが表情には現れていたのか、扇がスザクの顔を見て笑った。
「でも今日はいい刺激になったんじゃないか。何せ、あいつのあの口から『どうすればルルーシュは
戻ってくるんだ』なんて聞けたんだから」
「それは……反省したというよりも、単に開演間近だから追い込まれてるってことじゃないんですか」
「あー、まーそうかもなあ」
自分だって別な意味で追い込まれているのに、扇はジェレミアの今の状況を思い悩んで苦笑する。
スザクもそんな扇を見るからこそ、ささくれだった気持ちが少しは和らぐのか、どうなのか……
何て口にしていいか解らず、三人でいる間ずっと膝に抑えつけられていた手をもう片方の手で擦った。


ジェレミアがルルーシュへの態度を改め直した。
だがそうだからといって、悠長にはしてられない。
彼の言葉がその通りなら、『ルルーシュと会わなくてもいい』と提案したのはスザクだ、
ということにルルーシュの中ではなっている。
ならすぐにでも誤解をといて……スザクが自分の口でルルーシュに舞台へ戻るよう説得する必要があった。

いや、説得≠カゃない。













ルルーシュが独りで泣いていそうで、怖い。
そう思うならさっさと行動するに限る。自分は彼のファンでもあり、一番近くに居ることが許される
他人なのだから。


























明日も残業は確定だ、という扇を玄関先で見送ってスザクはまだエプロンを身に付けたまま
店主とその奥さんに厨房の施錠は自分に任して先にあがってもらうように言った。


どうして閉店前に扇やジェレミアのような奴が来たのか、彼らは裏にこもって店の片づけをしながら
少し不安だったようで、しかも連日嫌がらせのようなものが続いていたのもあったから
いたくスザクを心配してくれていた。
だが、とりあえずジェレミアと扇はその嫌がらせとは全く関係ないと説明して、
店の中に一人にしてもらう。
先に店主に頼んでいたこともあったから、店の余った食材などはきちんと並べられて
水回りの傍に置かれてあった。……これなら簡単なものではあるけれどルルーシュに弁当が作れる。
そう。弁当を作る為に残りたかったのだ。


たまにルルーシュの部屋にあがって料理などはしていたが実はそれほど得意なほうではない。無論、
バイトでなども殆ど料理をするのは店主か奥さんで、スザクはオーダーを受けたり洗いものをしたり
などの雑用しかしていないからなのだが。
「よいしょ」
食べやすいように俵型におむすびを作って、簡単に白ごまをまぶしてみる。
それを店主自慢の煮ものと出し巻き玉子の横に三つほど並べて、長財布くらいの大きさしかない
そのお弁当に空いてしまった隙間には、人参といんげんの炒め物を銀紙に包んで詰めておいた。
お弁当が出来あがったところですぐにガスの元栓を閉めて店内のテーブルを拭きに回る。
そしてエプロンを一番端の椅子の背にかけて、最後の点検とばかりに厨房の奥のブレーカーの所へと回り、
ちゃんと電気のほうもどこか漏れてしまってるところがないかもチェックし、店を出た。


ジェレミアと扇の話を聞くと、どうやら彼らはルルーシュのアパートまでは見に行っていないらしい。
まあ、あんなことをしておいて住処にまで顔を見せようものなら噛みつかんばかりにルルーシュは憤怒しそうだが、
そうでなくても、スザクはちゃんとルルーシュが栄養をとっているのか、睡眠をとっているのか、
健康面が心配だった。勿論、芯はしっかりとしているが時に弱い精神面も大丈夫なのかと
心配したりしてるのだが。

「……」

店を出る時、引き戸の玄関のほうに、またイタズラ書きされたあとや変な手紙などはないか確認しながらも
気持ちは焦っていた。弁当なんて持っていって本当に喜ばれるのか不安に思う心もあったが
何よりスザクの足は忙しく動いていて、そんな風に体に出てしまうほど不安で不安でしょうがなかった。


ルルーシュは強い。
舞台の暗闇も、夜の静けさも、彼にとっては全部味方だろうと思う。



(でも、独りでいることが好きだなんて聞いたことはない)































バイト明け、深夜の四時過ぎ。誰だってこんな時間に起きている奴は居ないだろう。
でもスザクにはこんな夜中でもまだ起きていて、街中や家にも居場所がなくふらふらと歩いている人間がいることの
確証があった。
アパートにバイトあがりに急ごしらえで作った弁当を持って行ってみたが、案の定、やはり留守だった。
……スザクの部屋の住所なんてルルーシュは知らないし、
こんな夜中に居座っても許してくれる一人暮らしの友人が居るということも、スザクは知らない。
(ジェレミアさんは今日ルルーシュは稽古を休んだと言った。予備校はちゃんと出てるとして、
部屋にも戻ってきてない。……となると)
ふらふらと覚束ない足取りでうろつけるところがこの街中にあるとすれば、商店街の通りに面した
スナックとかパブとかカラオケルームがある駅前くらいだ。
でも何もルルーシュが好き好んで居そうなところじゃない。それなら深夜の公園とか、24時間営業のレストランとかのほうが
まだ考えられる。でも誰か人と接せられるようなテンションではないと思うから……。

「------------あそこかな」


横に崩れてしまわないように慎重に持った弁当を握る手に、力がこもった。
走ってきたから気付かなかったが、ぽつりぽつりと雨が降ってきている。
東の空だけが異様に鮮やかで、夏の時間帯だからそろそろ新しい日が昇ってきてしまいそうな時間だった。























幼少期。スザクは学校が嫌いだった。
特に藤宮や今はいない幼馴染とクラスが同じだった中学校が苦手で。にこにこと歩調を合わせるように
笑いながら、でも、同級生の興味のあることとか悩んでることなどに今いち同感できなくて、
ずっと笑顔でいることが苦痛だった。でもその仮面を外しちゃいけない。自分がまだ学生をやっていかなくては
ならないのならば当然。だから我慢した。我慢してにこにことしてへらへら笑いながら手を叩きあうのが、
この時一番学生として自然だったからだ。


だがそんなスザクにも学生時代、ほっと安心出来る場所があった。
放課後……誰も居なくなった正面玄関だった。


上履きを自分の靴箱にしまって外履きをすのこ板が置かれた足場へと落とす。
重い鞄に首を絞められる感覚を味わいながら-------それでも、沈みかかる夕陽とか、誰も居ないからこそ
空気が澄んで感じる入り口の窓とか、好きだった。丁度足場となるヘリの部分に腰掛けるのが好きで
部活がない時など施錠されるまでぼうっとしていた気がする。





ルルーシュとも稽古明け、スザクのバイトの時間がくるまで、そこに座って何でもない話をしていた。


だから居ると思った。
予備校が終わって稽古には出ずにぶらぶらと街中を歩いて、きっと扇が出かけた後の頃にそっと忍びこんだのだろう。
スザクには確信があって、迷うことなく玄関の戸を開けた。扇のように学校に寝泊まりしてる教師が居るから
スザクの開けた扉だけ鍵が閉められてなかった。

「ルルーシュ」


呼びかけても返事がすぐに返ってくるとも思わなかった。だから暗闇の中靴も脱がずにズカズカと上がり込んで
想い人の気配だけ感じる部分に腕を伸ばす--------掴んだ。震えていた。指の先まで随分と冷えてしまっている。
一体何時間外をうろうろしていたのだろうか。一体今日何時間独りの時間を過ごしたのだろうか。
「やっ」
「帰ろう。帰るんだ。送っていくから」
「……っ」
小さく、嘘つき……と聞こえた気がした。
まさかジェレミアが言ったことをそのまま受け止めているのか?暗闇で掴んだルルーシュの震えは止まらず
足元に向けた紫電もじっとしたままスザクにも合わせられない。唇が夜の寒さにかじかむように歯をかちかち鳴らしていて
今すぐにでも温かい場所へと強引に引きずっていってやりたかった。
「ルルーシュ。何を思ってるんだ」
「……、」
声と声の合間に聞こえる息づかいででしか、心情が計れない。本当はこの距離が許せるなら
今すぐにでも抱きしめたいというのに。
(普段は僕のほうが距離を置いて接してるけど、今日だけは)


年上ぶって、少し強引にででしまってもいいだろうか、神様。



ぐいっと手前に引いた手でルルーシュを明るい場所まで連れていく。わっと細い体がバランスを崩して
スザクのところへ倒れ込んできて、弁当を持っていた手で胸の前で支えた。
「嘘つきって、何」
「……あの野菜頭が、スザクは俺と連絡取らなくていい、って」
だから、スザクも一回も連絡してこなかったんだろ、と胸の下から見上げてきた紫電に言われてるような気がした。
気温が低いせいで白い顔に頬だけが赤くなってみえる。
責めるような、でも本当のことを言ってほしくないような不安定な心情というのは、正しく今のこの目が
現してる表情そのものだと思った。
「そんな……、僕がルルーシュと離れててもいいなんて言うはずないだろう」
自分から、なんて。
別れろと扇に言われた時だって心臓が止まったのだから。

弁当とルルーシュの腕を支えた手はそのままに、まるで笹倉の翔太やつぐみに接するような
抑えた声でスザクは足元に膝をついてルルーシュを見上げる体勢をとった。
近くなって、また遠くなった距離に、街中を探してた時は『何処にいるんだ』と不安で堪らなくなったルルーシュを
暫く黙って見つめる。
そしてようやくつかまえることができたんだと実感できて、スザクは元の高さに足を戻し
胸の中にぼすんっと黒髪を閉じ込めた。
「連絡できなくてごめん。でも……ずっとこうしたかった。ほんとだよ」
「-----------、……」
「許して」
指先で髪の毛を撫でて、冷えて赤くなってしまった頬をするすると両手で擦り、
顔だけ自分のほうへ上げた。そこで無言のままひたと翡翠に向けられた紫電に
一瞬瞳を見張る。だけど別に試されてるような感じはしなかった。ただルルーシュが寒さに震えて
心の中ではそれとは反した温度で自分に怒りを覚えていたこと。これだけは解った。


だから、……駅前のチョトスの時よりも強い気持ちで、
こんな無垢な少年に何でもしてやりたいと思う。

願う。



「ごめんね」
「っ、ぅ……ふっ……ぅ、……っ」
スザクの目を見ながらぼろぼろと泣きだしたルルーシュの額に自分のものを合わせ
暫くずっと完全に朝日が昇るまでその学校の玄関で抱きしめていた。





独りが苦手ではない、ということは知っていたけれど、
ルルーシュが生きる世界は闇や暗さとは切って離せない世界で、スザクがその明りとなることはきっとない。
でも二人一緒ならばどんな暗い場所もほっと安心できる場所に変えられる。
この玄関で何でもない話をしてコーヒーを啜ったあの稽古後の時のように。
宛てもなく探し回った先でちゃんと会うことができた、今日のように。


月が青白く焼けていく空に滲んでいって、柔らかい朝日が昇ってきて、ドアの近くにいるスザクの背を
温かくしていく。
肩口に染み込む腕の中の温もりが吐き出した涙と嗚咽は、スザクの腹の中に沈んでいって
暫く消えることはなかったけれど。