ジェレミア・ゴッドバルドは、夜中に突然喫茶店に呼び出したスザクと千草を前にして、
スザクが見せた写真を深刻そうに見つめながら、それでも、
今度ルルーシュとモニカで行う舞台には自分の劇団の再起をかけている--------と劇団の主宰者の顔をして
語った。


別に今年になってから集客数が愕然と落ちたとか、団員の数が減ったとか、そういう不幸に見舞われた状態では
ないという。

なら、どうして、劇団の再起≠ネどという大仰な言葉が彼の口から出てくるのだろうか。


「……」


先ほど自分と千草の交わした意味深な視線でジェレミアを怒らせてしまったがために、
見事にテーブルにあったお冷の水が服にかかって、少しだけ湿り気をおびた膝に手を置いて、彼の言葉を待つ。


(ルルーシュのこれからのこともあるし--------)


今年春にあるルルーシュにとっては二度目の大学受験。それに失敗したら進学も舞台もやめる、と彼は
言っていた。
ひとつひとつの舞台が、扇のものであってもジェレミア主宰のものでも、これから先のあとがないルルーシュにとっては
大切なものであることに変わりはないのだろう。
だから、守ってやりたいと思う。出来るだけサポートをして、辛い時には愚痴をきいて、慰めて欲しい時には
駆けつけてやりたい。
(……けど)


写真の嫌がらせが、スザクの脳裏を過る。もしもあの矛先が自分にだけ向くものではなく
自分の周りの人たちをも巻き込むものであったら……?ルルーシュの安全を守りきれるのか。
千草や扇は。それに今の状態でも迷惑をかけてしまっている人たちがいる。



「私にも考えがある」



君と彼が親しい仲であるとしたら尚更だ、と語るジェレミアの判断は正しかった。
スザクに宛てて中傷を送りつけている人間はようはルルーシュ単体ではなくスザクに関わる人物≠ノ向けて
そのマイナスな感情をぶつけているらしい。
それならば簡単なこと。ルルーシュを守るならスザクがルルーシュの傍から居なくなればいいのだ。


スザクはジェレミアから提示された劇団のオーナーとしての妥当な判断に、一瞬思考が固まりはしたが
そして胸が押し潰される思いであったけれども、……それしかすぐに出来る措置が思いつかないのも事実であったから、
ゆっくりと縦にひとつ頷いて了承した。

千草が痛んだような視線で見つめてくる。
仕方ない、としか言いようがない。


自分に向けられているというこの手紙と写真の送り主がスザクを許して飽きるまで、
ルルーシュとは接点を持たない。スザクはそれを了承せざるをえない状況に居たのだから。

























しずく 5
























「待ってください……それって、あいつが自分から言ったことなんですか?」


初めてルルーシュが事務所にやって来た時同様、ジェレミアはさっくりと用件だけ告げると自分の荷物を持って
扉から外へ出ようとした。その後を追いかけていくルルーシュに、モニカが止めようと間に入る。だがその前に
扉の前で振り返ったジェレミアはルルーシュの困惑した表情を見て、一瞬だけ、何かが突き刺さったような顔をして、
それでも一度決めたことは変わらないし曲げられない、という意思のある目で見つめ返し、言った。
「決定事項だ」
「そんな……プライベートには関与しないという契約条件だったはずだ」
「貴様だって契約不履行をすでに犯していただろう。ポスターの撮影だけは了承したが
テレビ局の取材には一件も受けなかったじゃないか」
「!」
それを言われると何も言えない。確かにルルーシュはランドピット社の社内宣伝用の撮影には応じたが
モニカとの舞台に関連するテレビ局の取材や宣伝用番組への出演は、絶対に応じなかった。テレビに顔を向けたのも
最初のたった一回……モニカとの舞台化発表の記者会見の時だけである。


(だからって……)


スザクを、俺から取り上げるなんて。


「枢木スザクは舞台が終わるまでという期限つきで了承してくれた。勿論、モニカにも家族や友人には極力会わないよう
制限をつけてある。お前だけじゃないんだ。こんな我慢をしなくちゃならないのは」
「……今度公演する舞台が、扇さんのところのとは違う、規模の広い舞台だから、ですか?」
「それもある。だが何より……これは役者を守るために必要な処置なんだ」
「?」
何をいきなり。ルルーシュは自分なりにしっかりと役者としてポテンシャルを高め、ファンからの自衛にも
最善の注意を払ってやって来た。他人からの干渉なんて受けたことなかった。それをどうしてジェレミアが主宰に
なったからといって、自分の支えであるスザクは引き離されなくてはならないのだろう。
「呑み込めません……そんな条件」
「枢木スザクが了承したことなのに、か?」
「……」
「何度も言うが、私が提示した処置に奴が同意したんだ。こちらから強要したわけじゃない」
ジェレミアは引き留めるルルーシュの紫電からスッと視線をずらし、そのまま事務所の奥へ進んでいった。
所長室を仕切るパーテーションからは中に入れないルルーシュは、黙って目の前から去っていくジェレミアの無言の拒絶に
引き留める言葉が思いつかず、唇を噛んで黙って見送ることしかできない。


耳の裏にこびりついたジェレミアの一言が、頭の中にずっと繰り返され、離れない。


『枢木スザクが了承したことだ』

















































スザクの一日の目覚めは、隣の部屋に暮らす親と子どもの会話から始まる。
大体起床時刻としては六時。だが介護ヘルパー先の、笹倉家の娘婿が仕事の関係で姑にあたる美代の家に居る場合は
あと二時間は眠ってもいられた。……まあいつも隣の部屋の息子が玄関先で学校に行くのをよく愚図るので
眠りの浅いスザクはどっちにしても起きてしまうのだが。しかし、まあ、隣の部屋の息子は中学にあがったばかりなので
交友関係においてストレスに感じる部分があってもしょうがないと思うのだが……、隣人としてすぐにでもその問題が
改善されて、学校に行くのが楽しみになることを祈るばかりである。
「ん……」
よいしょ、と起き上がる。
実家を出てから介護ヘルパーと深夜から朝までの小料理屋の手伝いだけで生活を初めて七年。
この(何故か母子家庭が多い)二階建てのアパートに暮らし始めてもうそれだけになる。
一人で生活することには憧れていたからせっかく体に無理をしてまで働いた給料が殆ど家賃に消えてしまっても
全く苦には思わないスザクではあったが、未だ、付き合い始めてもう三年になるのに、ルルーシュを連れてきたことは
一度もなかったりする。
勿論それは自分が年上であることに気付かれないためでもあるし、中学までしか通っていないという事実を
隠すためでもある。……ルルーシュのことを悪く言えないほど、スザクの部屋の物入れも、個人情報は勿論
昔の遺物で混沌としている。
----------憂鬱そうにベッドの上からそれらを見たスザクは、やたら日差しの入りがいい窓のカーテンを開けて
目を擦りながらカーペットの上へと足を下ろした。1LDKしか広さのないこの部屋の間取りは、トイレと風呂を
覗けば、後は物入れとベッドで半分占領されているリビングしかない。そこに洗濯も干している。
全自動洗濯機なんてこの世の文明の中において至高の贅沢品であると思っていた。

(今日は、美代ちゃん……何て言ってたかなあ)

本人はそれほど意識してないが、娘や娘婿よりよっぽど本人から大切に思われているスザクは、
ルルーシュを一度も部屋に入れたことはないが、代わりに、千草や扇などの劇団で親しい面子も
部屋にあげたことはなかった。
何やら影では笹倉美代がそんなスザクに女性の一人でも紹介しようと手はずが進んでいるようだが
そんな彼にとって、いや彼の今の生活にとって今一番必要なものは、女性や友人などの華やかしいものではなく
ほんの少しの勇気かもしれなかった。
部屋はある意味個人にとっての外界との境界線。いわばテリトリーである。
スザクのその誰も部屋に入れたことはないという境界線……それを踏み越えてくれる誰かを
ずっと無意識に欲してるのかもしれなかった。
現にスザクは実家を離れてからもう七年。人からよく聞くが、全く夢を見ないというようなノンレム睡眠を、味わったことがない。
もともと眠りが浅かったのもあるけど、七年前に中学を卒業間近で退学してから、ずっとスザクは目覚まし時計無しで
生きてきた。実家で暮らしてた頃も母親に起こされることなんて滅多になかったし……。今はもう息子のことは忘れ、
親戚の従妹に愛情を向けているらしいその母親も、スザクにとっては名ばかりでしかなかった父親も、
まさかスザクが一度も熟睡≠味わったことがないなんて知らないだろう。




「そうだ。今日って……」
千草とジェレミアと喫茶店でルルーシュのことについて話してから一日が経つ。
基本、平日の昼間しか行かない介護ヘルパーの仕事だが、今日は土曜で、けれど笹倉美代から『暇だったら来て欲しい』と
娘婿づたいに電話があったことを、スザクは洗面台に立った自分の寝ぐせのついた頭を見て、ハッと電気信号が
走ったように突然思い出した。別に忘れたくて忘れていたわけではないのだが……。先日あった出来ごとが鮮烈すぎて
すっかりボケてしまっていたようだ。
急いで仕度をする。笹倉の娘婿のつてで安く手に入れた車検済みの中古車を飛ばせば一時間くらいで行ける距離にあるのだが、
通勤ラッシュに掴まってしまうと倍かかってしまう。だから早めに出るか遅めに出るかして、その通勤ラッシュの渋滞から
逃れる必要があったのだ。それを失念してのほほんと仕度してしまっていた。眠れていないのも勿論だが
最近は解決できない心配ごとがどんどん積み重なっているものだから気持ちも中々休まらず、物事に集中もできない。
こんな自分、……部屋にルルーシュですらあげられない臆病さと同じだけ嫌だと思っていたが、こればかりはもう
生まれついての性格で、しょうがないと思った。というか、性格なんてどうやって変えればいいと言うんだ。
「僕は成長してない……」
昔。
ある女の子に、拒絶を受けたあの日から。

洗顔しようと、軽く伸びっぱなしにしたままで長くなってしまった前髪を適当にあげた状態で、
少しクリアになった視界で自分の顔を鏡ごしに見る。
相変わらずぼやけた表情をしているなあ、と思うけれど、同時に、どんな感情も元から内包してないような顔つきにも思えた。




















『お義母さんの頼みなんだけどね、どうやら自分の知り合いの子で君に会わせたい子が居るらしいんだ。
君の予定さえ合えば仕事の時と同じ時間くらいにうちに来てもらいたいんだけど……都合はつくかな?』

笹倉美代の娘の婿であり、つぐみと翔太という兄妹の父でもある彼の声は、スザクより三つしか離れてないとは
思えないほど落ち着いていて、また、どこか性格が扇に似ている人物であった。

彼が丁寧にも玄関先に立って待っている。スザクがいつも使う駐車場には、既にコンクリートでチョークを使って
遊んでいるつぐみと翔太が待っていてくれたのだが、それでも彼は自分がとりつけた約束だという責任感があったのだろう、
車から降りてつぐみを肩車して、翔太と手を繋いでやって来るスザクを見て、穏和そうな瞳を更に柔らかそうに細めた。
「今日は子守りは私の担当でね。やっぱり娘たちは普段見ない父親より、義母さんの世話に毎日来てくれる君のほうが
愛着があるようだ」
「いやいや……そんなことはないし、思ったことはないですよ。子どもの世話はそりゃ好きですけど、やっぱり
他人より血の繋がったお父さんのほうが心は許してるんじゃないかな。だってほら」
もじもじと、チョークの粉にまみれた手でスザクのパーカーの裾を掴む翔太は、体を半分隠しながらも顔だけ覗かせて
父親を見ている。外資系に勤めるわけだから休日が不規則なのはしょうがないが、けど、子どもはやはり親の傍に居て
親にこそ構ってもらいたい生き物なのだ。スザクはそう思う。
……ね、見てるでしょ、と声には出さず目だけで微笑んだスザクは、肩に担いだつぐみを下ろして、彼女の父親に返した。
翔太はいつの間にか父のズボンの横にくっ付いている。スザクはそれを見て、軽く手だけ降って二人の兄妹に別れを告げた。
父親にも出迎えの礼をひとつして、笹倉の門の下を低くくぐっていく。中庭を抜けて直接縁側のほうまで進めば
すぐに美代の休んでいるベッドへと入れる。
「美代ちゃん」
「あら、よく来てくれたわね……」
昔は公民館でよく仲間うちで集まって麻雀を打っていた姿は、去年の秋以降見ることができなくなった。
ある日突然なんの前触れもなく、寝たきりの状態になってしまったのだ。
だからほぼ全面看護状態で、美代の娘が介護をするようになり、スザクはその娘のサポートもすることになった。
べつにそれはいいのだが、しかし、あれだけ奔放にふるまっていた彼女がベッドから腕すら起こせない状態を見ると、
いつも胸が痛む。
しかしそんなこと、口に出すことも謗られたのだけど。
「お前さんを呼んでもらってよかったわ。劇団の仕事は大丈夫だったかね」
「今は主演がよそのところで働きに出ちゃってますからね。それに団長も本職が忙しいし。だから休業中なんです」
「あら」
主演がよそのところ、というのは美代も知っている情報だった。彼女こそが初めてテレビに映ったルルーシュを見たのだから。
美代は縁側で靴を脱いでてくてくと歩いて近づいてくるスザクに顔を向けて、申し訳なさそうな顔は変えずに
瞳をすっと細めて、慌てて家を出てきたものだから少し寝ぐせのついてしまったスザクの頭に苦笑いした。
だが彼の忙しさを気にして用件をすぐに話す。
「実は、お前さんに会ってほしい子が居て……その子も、私を通じて『是非会いたい』と言っていて、今日呼んだんだ」
「はい」
「中学の、同級生らしいんだけど」
「……」
「会ってくれるかね」
(同級生?)
スザクが卒業を間近にそこを退学してからもう七年。順調に高校、大学と進んでいれば、もう働いていておかしくない年齢である。
しかも同級生なんて……。家の事情でそんなに出席もしていなかったものだから、もともと友人と呼べる人は
片手で足りる数しか居なかった。その中の、一人なのだろうか?
知らず胸の中に緊張が走る。
「そう身構える必要はないわ。あの子も昔のことを掘り返したいんじゃなく、やり直したい、ということを言ってるし、
特に懇意にしている女性がいないなら、お前にとってもいい話だと思ってね……会うのは嫌かい」
「嫌っ、て……わけじゃ」
無いけれど。
そう言うスザクに美代は冴えない顔をしたが、顔の向きを反対にして、自分の眠る場所からそっと声を張り上げ、奥の間にいるらしい
そのスザクの同級生を呼んだ。……えいこさん、とは。
(まさか)
畳みつづきの部屋を仕切った襖が一枚開く。そこに正座していた小柄な体がすっと背筋を伸ばして、
ベッドを挟んだ向こう側にいるスザクを見た。瞳が鳶色で、髪の毛はゆるくウェーブしている。肌が異常なほどに白かった。


フジミヤエイコ。

A子、と同級生に呼ばれからかわれていたのが思い起こされた。そうだ、彼女は知って居る。覚えていた。
スザクと三年間同じクラスで帰り道も同じだった。けどあることが起きてからぱったりそれ以来話すことがなくなって。

そう。
スザクが守ろうとして守れなかった、幼馴染の彼女だ。


「久しぶり、だね。枢木くん」
「……」
「この間駅で見かけてびっくりしちゃった。随分背が伸びたのね。雰囲気も変わったように見えて、私最初貴方だって
気付かなかった。でも相変わらず……」

人の目を見ることが少し苦手なのね、と、
話す彼女の目をまたうまく見れずにスザクは、硬直するしかなかった。


































寄ってくるなオーラを全身から出しているように見えるのか、予備校でルルーシュに声を掛ける者は
誰もいなかった。
普段ならば他の生徒が自習している時間にルルーシュは台本を机に広げていた。だがその台本すら机に広げていない。
何の音楽なのか知れないイヤホンを耳にかけ、頬づえをついて、ただぼうっとしている。
目つきだけは人を寄せ付けない鋭いものにして。







「相当怒ってますよ、あれ……」
あれから二日経った三日目の昼。見るに見かねたモニカは事務所へ寄って、午後から他局との打ち合わせが入ってるという
ジェレミアを引き留め、抗言した。
「扇っていう人から見せてもらった調査書によると、ルルーシュって親御さんとも死に別れてて、本家でまだ会社を運営している
お父様とは御兄弟同様犬猿の仲みたいじゃないですか。唯一交流のある妹さんと弟さんはそこの家で暮らしてるみたいだし。
そんなルルーシュにとっては、この枢木スザクって人と会うことは、すごく大事なことだったんじゃないんですか」
……いくら中傷文や写真を送りつけられたからって。それがどんなものなのか自分はまだ見てないから何も言えないのだけど。

モニカは自分を育ててもくれたし、無理解な親と自分との間に立って、時には壁のような自分を守ってもくれたジェレミアに、
……それでも同じ役者として見たらそちらのほうが酷だと思って、厳しい顔つきをしたまま
ルルーシュをある意味島流し状態にしたジェレミアを見た。
だが深刻なのは、ジェレミアが決定を下した措置によってルルーシュが心の拠り所を失って心身ともに荒れることではなく、
モニカとの公演自体がご破算になってしまうこと。
劇団の運営者なら誰もが危惧する中傷問題に、頭を悩ませ、そして時には厳しい判断をするのは当然のことだった。


だからもう、モニカが何を言ってきたところで二日前に下した判断を無効にしない、と、ジェレミアは行く手を阻む
金髪の痩躯を腕だけで横にどかして、他局との打ち合わせに急ぐ。勿論無言で、だ。あっと振り向く間もなくモニカの前から
ジェレミアは立ち去り、挨拶の一言すらかけられることはなかった。











ジェレミアがこれほどまで自分の劇団以外の者に手間をかけるのは、今回自分の劇団に客演として参加する
ルルーシュ・ランペルージが初めてだった。
ある意味彼には特別な執着があると言える。だが、彼が枢木スザクと交わしている恋情のようなものではないということだけは
はっきりと述べておこう。自分の中では、役者にかける愛情などというものは恋には結びつかない、熱、のようなものだと
思っている。ルルーシュに対するそれは強くて、じくじく、じくじくと疼くように思いは熱くなっていく。だが、
個人的に何かしようとは思わない。ただ普通に、大人として管理者として、どんな世話をすればより良い役者へ伸びるかな、といった
思考が働くだけだった。
もしかしたらこれは親の愛情に近い情熱なのかもしれなかった。初めて彼が演じていた役が幽霊だったということもあるが、
ルルーシュが演じるものはみんな、希薄で、透明感があって、どこか温かく、優しい何かを感じる。
そんなものにモニカも枢木スザクも扇も惹かれるんだろう。

……だが、あいつは二十歳にしては少し精神年齢が幼すぎる。孤児院でずっと妹と弟と暮らしてきたおかげで
大人に対する態度や目上への心がけは充分にしっかりしてるものだと思っていたが、
(先ほどモニカも知らせてきたが)あの、周りへの著しい態度の変化は、……何だ。
少しお灸をすえる必要があるのかもしれない。まあ、すえるとしたってそんな厳しいものではないが。少しくらいは
我慢というものを覚えてもらおう。うちのモニカだって出来ることなんだから、あいつにだって出来るはずだ。


そう考えるジェレミアの思考はもっともであることなのだが、だがこの時、ジェレミアは
ルルーシュにとってスザクはどれほどのものであるのかということを少し軽んじていた。

そのことに後悔するのは、これより数日後のこと。































「笹倉さんとは引っ越した後私のおばあちゃんを通じて知り合ったの。枢木くんを駅で見かけたのが最初だったんだけど、
おばあちゃんに話したら『笹倉さんとこのお手伝いさんじゃないかしら』ってすぐに紹介してくれてね」

翔太とつぐみとその父親に軽く挨拶をしてから、何故かスザクは先ほど再会をしたばかりの彼女と
道を歩いている。どういう経緯でそうなったのか覚えてないのだが、スザクが自分の車で、駅まで送るということになったのだ。
「いつから戻ってきたの……?」
藤宮は確か中学を卒業とともに父親が転勤ということでそれに付いていったはずだ。当然、それ以後会ってない。
その彼女がどうして自分を駅で見かけたというだけで、こんなところまで……。
「いけない?」
「いや……」
ただ美代が誤解する。数年来会う恋人だと言わんばかりの目でスザクに微笑みかけていたから。
残念だが自分は美代や美代の家族の期待に答えられるほど、受け皿のほうは広くない。
自宅に恋人ですら招くことができない臆病ものなのだ。過去、中学を卒業もしないで藤宮からも、彼女の彼氏であった友人からも
逃げた自分のことを、扇や千草、ルルーシュにも知られたくない……卑怯者なのだ。
「枢木くん、変わった」
「何度も言うね、それ」
「だって変わったもの。……七年経ってたら無理ないか。あの頃と比べたら見違えるようだなんて、
どれだけ貴方のこと知ってたのかっていう話よね。いやだわ、舞い上がってるのかしら」
スザクの車はワゴンタイプだ。後部座席を倒して荷台の幅を広くして劇団の荷物を運び出すのに使ってもらうよう
この車を選択した。その助手席のドアを明け、ひざ下まで丈のあるスカートを整えながら座る彼女の補助をする。
特に意識したわけではなかったが、自分側に倒れてこないように差し出した手に彼女のものを重ねられて
一瞬、何か……昔の思い出なのかトラウマなのか、よく解らないものがフラッシュバックしそうだった。だがそれを慌てて
引っ込めて、取り繕う。
「?……」
「ごめん。駅に急ぐね」
自分に久しぶりに会ったことで舞い上がってるというらしい、藤宮詠子。だがスザクは再会してからも現在も、
胸にきざすのは喜びではなく戸惑いだった。懐かしむような瞳で見られてもそれこそ目だってあわせられない。
だが、運転席に移動してサイドブレーキを切ろうと伸ばした手に、また藤宮のものが重ねられた。ざわりと、
産毛が逆立つのを感じる。
思わず、心の戸惑いが如実に現れた目で見てしまったのか、彼女の手はすぐに引かれた。だが目だけは反らさないで
スザクを見たまま、鳶色のその視線が細められる。気付けば外はもう夕暮れだった。
「いや?」
「……え」
「駅で見た時、知らない男の子連れてるの見て、少しショックだった。私はあの日から時間が止まるくらい
あの時起こったことを引きずっていたけれど、枢木くんは違ってたのね、って解ったから……」
スザクの、友人の彼女であった幼馴染。友人と彼女がくっ付くよう手配したのはスザクだった。
だから中学の時卒業間近になって彼女が友人と別れたことを聞いた時は、自分のことでもないのに驚いて、
何か自分の大切な部分がぐしゃぐしゃになるのを感じた。……その後、更に信じられないことがあったことを
知ったのだ。友人と藤宮が別れた時。友人が藤宮に暴力を振るったことがきっかけだったと。
(なんで……)
深い海の底に沈めていれば心は穏やかなままでいられることなのに、
わざわざ沈めたそいつが浮かび上がってくるんだ。
忘れたくても、忘れられない……。
傷つけたいと思ったわけでもない彼女のことを、傷つけてしまった、という苦い思い出。
(忘れたい、のに)
「あの子」
「え?」
「あの男の子」
まだアクセルを踏まないまま、記憶の最奥にいこうとしていた思考を藤宮の声により引き戻され、
顔をあげた。彼女の顔は夕暮れのせいで暗くてよく見えない。口だけがぽっかり空いた穴のように見える。
その彼女の声が、スザクの鼓膜を震わせて、胸の奥まで波立たせる。
「誰?……私の知らない子」
「……僕の、彼氏だけど」
「付き合ってるの」
「うん、まあ」
「……ふうん」


彼女が中学の時、スザクの幼馴染と別れた原因は最後まで知ることはできなかったけれど、
そう言えば……幼馴染に問い詰めた時、吐き捨てられたセリフがあったのを思い出した。そう、今の藤宮みたいな顔で
言われた言葉だった。



お前が


「付き合ってるんだ……」


気に入らないからだよ。だから


「あんな、年下の子を?」


お前のことが実は好きだったあいつを、教室の真ん中で……


「年齢も隠して?」
「うん」
「色々、教えてないことがあるの……?」
「うん。知られると、幻滅されると思うから」
「どうして」
「それは……」

ぶん殴ってやったんだよ


彼に、表面的に付き合うことでしか自分を保てない底の浅い自分を、知らずにいておいて欲しいから。





























通常ひとつの舞台にかかる制作期間は、地方の文化会館などを回る程度の規模のものなら大体二カ月半くらいである。
だが今回ジェレミアが企画したモニカとルルーシュの舞台では、突然の企画でもあったためか
一カ月も満たない期間で本番に臨まねばならなかった。
しかも二人舞台なのをいいことに、協賛として入っているランドピット社はこちらの都合はお構いなしに
ポスター、コマーシャルの撮影をいれてきた。流石に舞台経験の長いベテランの二人でも、こうまで多忙なスケジュールを
本番前に組まれてしまったら、稽古どころではない。むしろ、稽古のために費やす打ち合わせの時間もとれないくらい
稽古の時間がお互いにとれないでいた。

しかし、ジェレミアがルルーシュに予備校と自宅以外への外出を禁止したことが功を奏したのか、
寄せばいいのに携帯まで取りあげた日から、丁度ランドピット社の撮影が入らなくなるようになった。
これは幸いとばかりにジェレミアはモニカにルルーシュと過ごすよう言い、同時に、彼の中にここ数日で蓄積した
憂さも晴らしてやるように、といくらかの金銭も渡した。
だがモニカがどこかに誘おうとしてもルルーシュはイヤホンで耳を閉ざし、口も開こうとせず、
台本さえちらつかせておけば会話くらいはしてくれるのだが……やはりどんな好意をみせても裏にジェレミアの
魂胆が透けて見えるのか、決してルルーシュは順応な態度を見せなかった。

だが、今日。
正式タイトル『しずく』という二人舞台の脚本を担当したライターが事務所に挨拶に来たのを切っ掛けに
突然のことではあるが、最初から最後まで、二人で本番の舞台の上で通してやってみようじゃないか、ということになった。

この『しずく』……どうやらスザクも好きな泉鏡花の海神別荘の完全オマージュであるらしい二人劇。
海神とうたわれる強固な意志と誰もが叶わない力を持つ王をモニカ。浦島太郎に出てきそうな深海の姫を演じるのはルルーシュ。
男と女が逆転するこの配役も、どうやらこの脚本家の要望で叶ったものらしい。


「じゃ、お願いしましょうか」


セリフはほぼ完璧に入っている二人が、脚本家とジェレミアのみが客席に座る舞台の前に相対する。
本番では着物に女形に近い格好をするルルーシュは、内掛けだけ肩に羽織った状態で立っていた。
対するモニカも本番同様、本物の鋼で作られた一尺六寸ほどある長刀を持って、金髪をゆるく横に縛って纏めている。
まさにその二人の見つめ合う姿が想像通りで嬉しくて堪らないのか、脚本家は客席から立ちあがって見た。
そのとなりでジェレミアはゆるく頬づえをついて見守る。セリフだけとりあえず交わす舞台が始まった。

『恐ろしい……貴方は何千、何万という部隊を率いて、そして同じ数だけのものや命を殺めて、ここまで来られたというのですね』
『それの何がいけない!この刀があったからこそ私は君に会えた、愛を伝えた!滅ぶ命など恐れてはどんなものも
手に入れられることはない。この海でこそ生きていけない君だからこそ、それが痛いほど解るはずだ』

近づいてくる海神に、姫は後ずさり着物の袖で顔を隠す。
ふわりと袖がくらげのように空気感をもって舞ったかと思えば、瞬きのはやさでルルーシュの姿は
モニカより頭ひとつ低いくらいに伏せられて、その細い体を大きな内掛けの下でうち震わせていた。

『それでも、わたくしは貴方さまが恐ろしいのです。この海よりも深く……、この海よりも先に生きてきた貴方さまのお力が、
わたくしの想像では計れない。ゆえにおそろしい』
『姫……』
『どうかわたくしを見たことは忘れて、その禍々しい剣だけは捨てて、陸に帰って下さいまし。
その剣さえ手放せば貴方さまは罪も罪に問われない自由の身。わたくしは貴方さまのことを忘れることだけに
余生を過ごします。どうか、だから』

ルルーシュは項垂れた。三つ指を膝の先について、深く頭を下げる。
その姿にモニカの次の動作が一瞬ためらわれた。練習では一度も打ち合わせをしなかったシーンに当惑し、
そしてルルーシュの練習とは違う雰囲気にためらったのだろう。客席にいる鑑賞者の二人は気付いていた。
役者としてならルルーシュのほうが上だ。
舞台袖までは確かに男であったのに、着物を羽織り、セリフを口にしてしまった瞬間から変貌した。

「……」


モニカの剣を持つ手が震える。
本番ではさらに重い鎧をつける彼女は、ジムに通うほど筋力トレーニングに励んでいた。
だが今その体に走る緊張はそれの疲労からくるものだけじゃない。
ルルーシュの蹲った背から放たれる士気のような気迫に、踏み込めない壁のようなものを感じたのだ。


「-----------何をしている」
「っあ……」
「俺をこの後刺すんだろう。その剣で。台本通りにいったら」

ルルーシュが立ちあがった。
硬直するモニカへゆっくりと近づいていく。ひらひらと歌うように揺れる着物の裾がパッと大きく閃いて
パサリと舞台の上に落ちた。内掛けの剥がれたルルーシュの体はトレーナーとスパッツだけしか身につけていない。

「呆れた……あんた俺より先輩なんだろ。何で自分より素人な俺に気圧されてるんだ」
「……っ」
「そう、か。この程度か。ならもういい」

踵を返し舞台袖へはけて行こうとする。その背中に待ったをかけるがごとくジェレミアが客席から名を呼び
立ち止らせた。だがそれに、


「うるせぇ!!」


足元に落ちたままの内掛けを足で乱暴に蹴りあげて、脚本家が見ている目の前でとんでもないことを口にした。
しかしこれは、ここ数日で溜まりに溜まった、そして放出しきれなかった鬱憤でもあった。

「俺はあんたたちの劇団に客演として来てやってるんだ!あれも駄目これも駄目って缶詰状態にしといて
いざ稽古って時にこんな体たらく……どんだけ我慢してやってても、こんな感じなんじゃ、どこで納得すればいいんだよ!」
ルルーシュのその言葉にモニカがすっと身を竦めた。手にしていた剣はステージへち落ちる。
客席では脚本家が突然のことに蒼白して、その隣にいるジェレミアを見た。そこで彼は、
「説明はちゃんとしたはずだ!何度も言うがこれはお前の劇団の長とも話し合ったことで、
何より-------」
数日前に聞いた通りの同じセリフをまた口にしようとした時、それが言い切られる前に
ルルーシュのほうが先に口を開いた。
「俺に指図するな!!仕事は仕事、プライベートはプライベートだ。俺をこんな風に雁字搦めにしておいて
いい仕事させようなんて思うなよ。いい仕事させたいと思うならそれ相応の納得のいく条件と相手役を持ってこい!
こんな仕事じゃ……それこそ時間の無駄だっ」
吐き捨てるように言って、モニカの顔も客席にいるジェレミアの顔も見ずに、走り去っていった。






ジェレミアに携帯まで取り上げられた時、あまりに腹が立って千草へと電話したら
『こんなこと社会に出たら何度でも経験する』と逆にたしなめられてしまった。
だからスザクに会いたいという想いは、ただの甘えなのだと思って、ルルーシュは我慢しようと思った。

だが、今日は枷が外れた。言わなくてもいいことを言ってしまった気がする。いくら気が立っていたからって。





もしかしたらそれは、電車でジェレミアの事務所まで移動する時、見たくもないものを見てしまったからかもしれない。


駅の改札を通る時、改札前に駐車してある車のうち見慣れたものを見つけた。すぐにそれに振り返って立ち止って
しまったのが運のツキ。本当に、見なきゃよかった。




スザクがセミロングにウェーブが特徴な女と抱き合っていた。





(公演まであと一週間……俺の帰る場所は何処なんだろう)