15の夏。 幼馴染の女の子が泣きながら家に帰ってきて『どうしたんだ』と訊いたら『何でもない』と答え、 ひいひい泣き出した。
納得のいかなかったスザクは独自で調査を開始し、無事突き止めた先に居た犯人は 驚くことにその時スザクの友人だった同級生で。
「何でこの子に手出したんだ」
そいつを捕まえて、お前にぶたれたもんだから学校に行けなくなったんだぞ、と廊下のど真ん中で詰め寄れば 犯人である友人はふんっと鼻で笑うように『お前が来なくなればよかったんだ』とスザクに唾を吐きかけた。
カーーッと頭に血が昇って、気づいたら拳が前に出て今更引っ込むことも出来ず、相手の友人にぶつけてしまう。
それを皮切りとして周りにいた男子生徒がスザクと友人の間に集まっていき、いつしか乱闘と成り果てていた。 当然、後日人目を気にするように自宅へとやって来た担任からは、『停学だ』と短く言われ 隣に住んでいた十年来の幼馴染も『どうしてあんなことしたの』とスザクに怒るだけ怒って、引っ越していってしまった。

どうにも自分の居場所というものが見つけられなくなった時、スザクは足元がどんどんと暗くなっていくのを心で感じたままに 担任が最後の手段として用意してきた反省文十枚という救済措置を、華麗に破り捨て、中学を退学した。


『あんまり気落ちしちゃいかんからねぇ』


それから数日後。親から『何かつなぎでやっときなさい』と尻を蹴られ、選んだ就職先は介護福祉士の見習い兼手伝い。 見様見真似でお年寄りに朝の挨拶をし、お日様気持ちいいですね、にんじんはすり潰しちゃいますね、とか言いながら 床ずれを起こしてしまわないようにベッドの上で体を動かすなり何なりの介助をしていたら、 いきなり腕の中にいたおばあちゃんに微笑まれた。
何故にやにやとしているんだ、と目を開いたら『あんたー、死相が出とるよお』と 伸ばしてきた皺くちゃの両腕で頬を揉みくちゃにされて。その、何だかかさついてて痛いがけれど何処かあたたかく感じる触感に 思わず涙を流してしまった。
いつの間にかふくよかな胸に抱きこまれている。
耳元に優しく囁きかけてくれる。
どうやらこのおばあちゃんは、スザクが厄介になっている福祉のお姉さんから何か聞いたらしかった。

僕が人を殴ったことか。
僕が友人に裏切られたことか。
それか、結局幼馴染を助けられなかったことか。

どれに対して気を落とすなと言われてるのかは解らなかったが、けれど自分の中では確かな足場としておばあちゃんの抱擁は 意味を成していき、 スザクはまるでさなぎが成虫になり飛翔するように、世間へと、社会へと出ていくようになった。





「す、ざ、くー」

少し間延びした高らかな声に振り返ってみたら、後ろから軽快な足取りで走ってくるルルーシュを見た。彼とは今日より一週間前に ”いち個人”として付き合うようになった仲で。……加えて、あまり公には関係を明かせない人物、時の人であった。
(公演終わるまであんまり一緒に居ないほうがいいと思うんだけど)
スザクは、きょろきょろと辺りを警戒しながら、------------稽古場にも昇降口にも誰も居ないことを確認して、 隣に立ったルルーシュの頭へ手を置いた。
「どうしたの?」
「打ち合わせも終わったから、次のバイトの時間までスザクと居ようと思って」
自販機で飲み物を買ってきたんだ、と言ってあつあつの缶コーヒーを渡される。『気がきくなあ』と胸を痺らせながら受け取って 昇降口へ続く生徒用のゲタ箱の段違いになっている床へ、二人並んで座ることにした。

ルルーシュもスザクも所属する劇団は、企業がスポンサーではないので、自分たち専用という稽古場は存在しない。であるものだから 時に公民館、たまに文化会館、もしくは夜の体育館……と場所を探す毎日なのだ。今日はたまたま扇の息子が通っているという 小学校が親切にも貸してくれた。稽古開始のギリギリ二時間前に決まったことらしいが。 二人ともにプルトップを開いてまずは一口啜った。
ルルーシュは糖分が欲しかったらしくココアを持っている。 スザクはコーヒーのお返しに、ずっと自分が腹に入れていたホッカイロを寒そうな彼の膝元へ渡してやった。
嬉しそうにルルーシュが 笑いかけてくる。満足したスザクも翡翠を細めて、また口をつけた。

「さむいね」
「うん……、でも、俺稽古が終わった後の時間って好きかも」
「どうして」
「スザクがちょっと暇になるから」
役者は自分が出番ないとこのシーンは気が抜けるけど、舞台のほうはそうもいかないだろ、と白い息をはく。 スザクは飲み込んでいた動きを止めて、改めてルルーシュを見返した。よく見れば缶を持つ右手の甲にマジックでセリフを書いている。 ……どうやら脚本家が今日になっていきなりセリフを変えたらしい。
「君だって大変でしょう」
「んー、……どうでしょうねえ」
動きと一緒にセリフも入ったら後は楽だぞ、と返ってくる。
スザクは下駄箱の薄い闇をぼんやりと見つめながら、ゆるく首を振った。

「誰よりも努力してること、知ってるよ」

「……え」

「完結するのが嫌だから、一度決まったフリだって何度も鏡見て試行錯誤してるし、今日だって控え室でずっと蹲りながら ぶつぶつ呟いてたって……千草さん笑ってたよ」
『見られてたか』とばつが悪そうにルルーシュがそっぽを向いた。それに『面白がってごめんね』と苦笑する。でも。
「ルルーシュは、楽してないよ。かっこいい」
「……」
「勉強も稽古も両立するなんて普通じゃ出来ないよ」
「……、そうか?」
「そう思う。僕は」
「ん……」
スザクは携帯を取り出して時計を見た。そろそろ夜のバイトに出なくてはいけない。楽しい休息の時間はお終いだ。
「行くのか?」
バックをごそごそと漁るスザクの隣で、不安そうな声があがる。缶コーヒーも少し冷めてきてしまって外の気温もひんやりと冷たいまま 見つめるルルーシュの頬も真っ赤であった。紫電が取り残された子犬のように揺れる。ああー。
「うー……ん」
ピタリと準備する動きを止め、逡巡するようにスザクは考え込んだ。彼ともっと居たいのは本心なのだが、これからある工事現場の バイトは当然ながら時間厳守で、家賃もピンチになるから絶対に行かなくてはいけない。でもルルーシュをこのまま置いても いけない、---------何となく。どうすればいい。 頭の中にライフカードのフレーズ『どうする!?』が流れそうになりかけてた。
しかし、そう考え込むスザクと反してルルーシュは 案外あっさりと引き下がって。
「そうか、いってらっしゃい」 と手を振った。
『へ』と声が出そうになる。
「あの……」
「構ってもらって嬉しかった」
「……」
「じゃあ、また明日」
ルルーシュはすっくと立ち上がって、スザクの前へ出て来た。玄関から差し込む月の灯りを背に右手を差し出してくる。
その手の上には 先ほどスザクが渡したカイロが乗っていた。別にいいのに、と首を振る。しかしルルーシュは淡く微笑むのみで ずずいと右手を押し出してきた。
「寒いのはお前も同じ」
「……そんな」
「風邪ひいて明日会えなくなるほうが嫌だし」
言葉が詰まる。 黙ってそれを受け取るしかないというのか。というか、どうして無理をさせてしまっているほうの自分が あっさりと、ルルーシュを置いていかずにいるのだろうか。 それは明白だ、多分きっとスザクのほうがルルーシュと居たいのだろう。 ものすごく。なのに、……。

いつしかの、おばあちゃんに抱きしめられたあの感覚が胸に起き上がってきた。

『辛抱しいよぉ』 というあの言葉。とても自分には勿体無い言葉。彼女は人から聞いただけで何もスザクのことについては 知らないはずであるのに。
なんて言葉をくれたのだろう。どう生きていけば報えることができるのだろうか。 思えば幼馴染の泣き顔を見た時、こんな顔をさせた友人をひどく許せないと思った。 なのに正義を果たした筈の自分が今度は彼女を泣かせてしまって。
幼馴染からぶつけられた泣き声全部が、 全世界にいる人間がみんなスザクをはじっこへ追い出していく冷たい槍のように思えてスザクは、 居場所がなくなる喪失感を覚えた。 どこにも足場がなくなったのだ。 しかしスザクはその過去に感謝する。きっとさなぎのように部屋へ閉じこもり、自分自身を磨こうと奮起しなければ 今のような舞台人にはなれていなかった。 ルルーシュとも会えていなかった。

「スザク?」

右手のカイロを受け取らないスザクにルルーシュは首を傾げ、俯いたくせっ毛に一歩近づいた。ココアに温まった掌を、スザクの冷えた 頬に添える。 びく、とスザクが震えた。顔を挟まれたまま翡翠を上げてルルーシュを見て------------”居場所”を感じられた。 誰かに、じゃなく、ルルーシュ個人に『ここに居ていいのだ』というスペースを貰っていることに、 引きとめてもらって縋ってもらえて受け止めて触れてくれて。 ルルーシュに対して、……スザクは気づくことが出来た。

(こんなにも寒い夜だから余計に)

ルルーシュは変わらず顔に触れて、頬を挟んで、ふにふにとマッサージするように揉んでみる。 柔らかい頬がくしゃくしゃと面白く歪んで、それにルルーシュは笑いそうになっていた。 そんな時突然スザクが立ち上がって『ふわあ』と驚きに変な声をあげた。すぐに胸を広げた体にすっぽりと抱きこまれて スザクと首と肩の隙間に頭が納まってしまう程にルルーシュは強く抱きしめられる。
こんなスザクは珍しい。
スザク自身も内心照れがくるほど『どうした僕』……となっていた。しかしやってしまったものは止められない暖かいし仕方ない、と 思って、黒髪に鼻を埋める。これが今日最後の抱擁だ。今日最後の彼の感触だ。今日最後の。
「ルルーシュ」
「……う、うん」
「コーヒーありがとう。おやすみ。ばいばい」
「---------……」
耳元に囁くように挨拶だけして、スザクは玄関から外へ飛びたしていった。
ルルーシュは赤面したまま振り返って、小さくなっていく 背中を見送る。まさか抱きしめられるなんて思ってなかったから、咄嗟に反応することを忘れてしまった。本来なら背中に腕くらい 回したってよかったのに。





バイト先へ走りながら、何だかとてもいい気分で坂を下りていった。今が丁度いい。ルルーシュが認めてくれる場所が 自分にはとても居心地がいい。いつも、ほんの少し無理しながらでも送り出してくれる彼がいとしいと、スザクは 夜空を仰ぎながら思った。 ルルーシュを想った。



彼の存在は、例えば舞台の始まりを現す檀上の光、 そして舞台を完結へと導く天上の光。 ……スザクにとっては、孤独に感じる夜を照らす、たったひとつの満月。

”月光症” それは、病である。