視界すべてが暗闇に落ちるその時が、 舞台袖でスタンバイをしているルルーシュが、
ほっと安心出来る瞬間だった。
実は腰元にはくるくるとした頭があって、その彼には自分の身に付ける衣装の端を持たれ、 ぐいぐいと引っ張られている最中だった。
ぼー、と寝不足気味な紫電を細め、天井の消えていく照明たちを見ていく。 足もとには金から銀にグラデーションがかった衣装の”羽根”の部分が落ちていて、その布自体が腰に巻かれたワイヤーに
固定されているのに多少の窮屈さを感じた。
アイシャドウと言わず目鼻を目立たす為に塗られたノーズシャドウの奇妙さにも 役者であるにも関わらずルルーシュは辟易して。 1ベル……そして2ベルと。舞台の開始する合図が鳴るまでぶつぶつと愚痴をぼやいてしまっていた。どうして男である自分が
女の役なんてやらなければならないのだ、こんな派手な衣装まで着て。それを言えば、背中に腕を回して上半身はタートルとなっている 衣装の襟首に指をおいた男が『君はプライドがないな』と苦笑交じりに喝を入れてきた。
こいつ何様。そう思って顔を巡らせば
既に彼はルルーシュの真後ろに立ち上がっていて……、あまり身長差はないはずだが大道具担当であるからかやけにガタイのいい
半身は、それだけで----------役者にしては華奢な体躯を持ち、それに劣等感を抱くルルーシュにとっては、畏怖の念を持たずには
居られない対象であった。
淡々とした声が、次いで耳を打つ。
「代役だからって気を抜くなよ」
本来ならば端役であったことを揶揄する。ただ単に主演女優と背格好が似ていたからという演出の指名だけで ルルーシュは身分不相応にも、本番直前の舞台袖に居るのだ。
「そんな言葉、いつ誰が言った」 背中にあるチャックからそっと指を離した男から一歩後退し、面と向って口火を切った。
彼は、先ほどまで着付けをしてくれていた
青年は目深に被っていたスタッフ用のキャップに手をおいて、キュ、と横に動かす。その揺れた前髪の隙間から暗闇にも浮かび上がる
仄明るい翡翠が、蛍のようにルルーシュには見えた。 確か名前は枢木スザク。
男は、演出の知り合いだというその友人からの紹介で、この舞台が材木から組まれるその頃には この劇団に存在していた。
主に裏方担当で、メイクもして、稽古場所を保持する事務とかも、……器用な所が買われていた気がする。
ルルーシュの顔にチークを塗りたくったのも彼なのだ。端役の、一幕にしか出番のない人間だったら
ベースメイクだけで充分なはずで。そうならなかったことにルルーシュは嬉しさを感じたがその途端、自分が自分の顔を彩る
化粧の能力がないことに気づいた。どうしよう、……と、演出から衣装を渡され呆然と楽屋で佇んでたその時、 彼がやって来たのだ。
『早く座れ、緞帳が上がってしまう』と。 とても認めたくないことだが、枢木スザクのほうがルルーシュよりも”舞台人”であったのだ。
「扇さんを悲しませるなよ、主演代理」
「……客じゃなくてか?」
「今入ってるお客さんは君のことを知らないよ。チラシにもポスターにも書いてある通り、あの女優があの女優のままで 舞台が進むものだと思っているから」
『アンダーキャストで勉強していてよかったね』と、言い返そうとしたのは自分であるのに、逆に嫌味を言われてしまって 思わず、ぐ、と口を引き結んでしまった。因みにアンダーキャストとは”もう一人の配役”ということであり、万が一
正キャストが怪我などで舞台に立てなくなっても、すぐに代役として立てられる存在のことを指す。
「衣装が気に入らないのは当然だ。君専用にあつらえたものじゃないんだもの。メイクも、君相手に用意してる暇なんてなかったから ちょっと粉っぽく浮いてしまってたりする」
「……まあ、な」
「気に入らないとこ探せばキリないじゃないか。いいからさっさとやって来なよ。文句があればカーテンコールの後に扇さんが 全部聞いてくれる」
因みに僕のことはカウントしないでくれ、すぐにバラシ入っちゃうから。と、枢木は口端をお茶目な感じに吊り上げてみせた。 一本の脚本で一回しか公演しない舞台も珍しいが、幕が落ちたその瞬間には、彼は袖から飛び出す勢いで
仲間たちとえっせらほっせら大道具を片付けてしまうということなのだ。
「---------------……」
先のことに想像を働かせた途端、背筋を支えていた緊張の糸がブン、と震えたような気がして ルルーシュは枢木から顔を逸らすように頭を伏せた。シャラン、と髪飾りが揺れる。40分もない劇なのに、何を恐れているというのか。
ずっと舞台の前の観客席で、女優が動いてセリフを言う様子を見てきたじゃないか。 そしてそのセリフも、口に出すタイミングまですべて入っている。大丈夫だ。大丈夫だ、と、そう思うはずなのに。
自分は。 ほんのささいな男の一言で、安心を覚えていた確信が、揺らいでしまう。それが自分の持つプライドの硬度であるのか。 とても柔らかいのだきっと。
「プライドがない、……なんて」
「え?」
ぼそりと呟きが洩れた。 顔をあげて正面を見る。
「あんたなんかに言われる筋合いは無い。メイクもして着付けもしてもらったのには感謝する。けれど、見ていろ。 あの大根女優にも負けないくらい濃いキャラクター演じてきてやる。演劇史に残るくらい」
「……」
震えそうになる足に今度こそ叱咤をいれて、枢木とは別に居たスタッフから『どうぞ』の合図をもらった。
それにルルーシュはこくん、と頷いて、綺麗に衣装の端を掴み、体を舞台側へと反転させる。
その後姿を眺めた翡翠は、幕が上がると同時に照らされたライトの中に入っていくそのシルエットを見送って またスタッフ帽を深く頭に被り直した。
首にかけたままでいたインカムを耳につけ直す。そして先ほどのルルーシュの言葉を脳内で反芻しながら、
また一度だけ振り返り、その薄く小さな背中を瞳に納めた。
舞台は一応ながら成功。客の反応も上々だったと、助監督がその日の打ち上げでみんなに報告した。
みんなは……というかほぼ労働組合だか何だかの集まりで劇団を組んだメンバーたちは、ルルーシュたち以外は殆ど大人で。
その中でも異彩を放っていたのが”枢木スザク”だった。
その枢木は舞台のバラシ、もとい由来する所は”解体作業”であるが、それをやっと終えて安心したのか気が抜けたのか、
飲み屋で瓶をカンカンぶつけ合う中、一人だけ壁と恋人関係を築き、そのくせっ毛を座布団に埋めて眠ってしまっていた。
『こいつちゃんと俺の勇姿を見たのかよ』と、ひとつ挟んだテーブルの先で思ったりしたのだが、 横でにこにこ笑っていた扇から聞く所によると、大道具を搬出している際に『いいものを見た』と仲間に語っていたのを
見たという。 「へえ」 それだけでルルーシュの気持ちは発熱していき、 まるでその嬉しさからきた照れをごまかすように、麦茶を口に流しいれた。 それはまだルルーシュの中で”枢木スザク”が個人として認識されてなかった頃の話で、
同じくルルーシュがただの高校生であり、まだボランティア精神で役者を志していた頃の話。
あれから数年が経過して、ルルーシュの役者としての身分も大分向上していた。
昔は学生でもあったことから主演の代役か端役しか割り当てられることがなかった。が、
現在は外に出るのにも気を使わなくてはいけない身分へと変化していて。 -------------今日は昼から喫茶店で、ある人物と会う約束があった。
夕方には、場所を間借りしている文化会館へと行きそのまま稽古に入ってしまいたいのだが……予想外に予備校の補習が
延びてしまったのだ。結果、先に入れておいた昼の約束のほうが遅れてきている。
「っ、……すみません」
人並みを掻き分けながら駅のホームから飛び出して、階段を小走りに上がって行く。もうルルーシュの顔を知らない人は居ないから 日差しが強くても強くなくても、外に出る時は帽子とグラサンを着用するようになった。革張りのジャンバーは”彼”から
貰ったものである。 その装いで出ていけば、普段は華奢として、整然とした佇まいで舞台にあがる自分を見ている者には、 まず日常のルルーシュに気づく者はいない。
ルルーシュはショッピング街のガラス張りになった通路の前で、その自身の姿にほくそ笑んだ。くす、と声にして 帽子を深く被り直す。会うのは実に二ヶ月ぶり。秋になりかけようとした夏の終りに、地元の祭の裏方として太鼓を叩く
”彼”に会いに行って以来のこと。 ルルーシュは少し胸が躍っていた。
(あまり変化がないといいんだがな……)
祭に出かけた時も、ルルーシュは久しぶりに見た”彼”の姿に口を開けてしまったものだ。またデカくなっている、と。 身長は高校の時だったらばまだ同じくらいであった筈なのだが。
動くことに生き甲斐を持つ”彼”は、バイトやボランティアをしていく内に着々と筋肉を育てあげていて。 別にマッチョというほどでもないが少し、同じ男としては羨ましいなあと思ったりもする。思うだけでルルーシュが
体を鍛えることはないのだが。
「あ、」
(居た。奥の席)
駅の通路に面した喫茶店の入り口で、にゅっと顔を伸ばして確認する。頭がくせっ毛という特徴をもつ男は 店のレジ側でわいわい騒ぐ女子高生のすぐ横で、手帳を開きながら頬杖をつき、ぼんやりとしていた。その場にとことこと軽い足取りで
近づいていく。到達する前に”彼”がルルーシュに気づき視線をあげた。
「遅れた、すまん」
「いいよ別に。僕も今来たとこだから」
まだ注文してないんだ、と笑う男の前のテーブルには、なるほどグラスにつがれた水しか置かれていなくって。
「スザク、何飲む?」
首を傾げて、席につかず立ったまま訊けば、そのルルーシュの帽子を覗くように 翡翠が見上げられた。
「君と同じもので」
会う約束を取り付けるのは、いつも決まってルルーシュからであった。 それは勿論のこと、自分で予定を組めるプー太朗なスザクよりも、役者もやる傍ら予備校にも日々を占拠されるルルーシュが
日時を指定したほうがスムーズであるというだけで。あまり意味はない。 しかし何処かルルーシュの多忙さに遠慮しているふしがある彼は、 「まあねえ」
と眉を困ったように下げるだけで。”会いたい”という意志を伝えてこない。 今日は珍しく三時間以上予定が空いたから、ルルーシュが前日にスザクへ電話をかけたのだ。本当は朝から会えるものなら会いたいと
思っていたのだが、実際には予備校の補習が入ってしまい断念した。そのルルーシュにスザクは電話越し『いつでもいいじゃない』と 慰めるように声を掛けてきた。そんなんじゃない、と感じて、同時に少しの悔しさも胸にはらんで、その時は約束だけ取り付けて
電話を切った。
ルルーシュは向かいの席へ腰を落として、カウンターに居るこの店の店長に右手をあげる。すぐにやって来た男に メニュー表を持って指し示すだけでそれを伝えて、奥に下がってもらった。少し、何がくるのか?と彼を驚かしてみたいと思って。
「どうしたの。やけに上機嫌だね」 帽子の下でこっそりと目を細めたのに気づいたのか、手帳を閉じたスザクがこちらへ微笑んできた。
「別に。久しぶりにこの店きたから。それで浮かれてるんだ」
「随分と忙しかったんだ。来年試験だっけ?」
「ああ。流石に三浪は控えたいからな……。何とか合格したい、し。頑張る」
実は二浪しているルルーシュは、舞台をやりながら親戚の知り合いが経営する予備校で受験勉強をしていたりする。 どうしても行きたい大学があるのだから、一度二度と失敗してしまうのは仕方ない。
そんな自分をスザクはどう思ってるのか解らないが、彼はそう口にするルルーシュにまた『がんばれ』と翡翠を柔らかくして 閉じたままの手帳を鞄へ仕舞った。
「一応今日は10時まで練習あるらしいけど……、大丈夫?」
「構わない。扇さんに都合つく時間でいいから……って言ってもらってるから」
「まあ一応学生さんだしね。学業に支障があっちゃいけない」
「でも台詞も覚えたいんだ。模試と並行してでも」
「……多忙だね」
ふう、と息をついてみせたスザクは、トレイを片手にやって来たウェイトレスに会釈をした。注文がきたらしい。 ルルーシュはくい、と顎をあげて、とんとんとテーブルに置かれていくふたつの器を目に入れた。おお、何だこれは。
「……すごいものがきたな」 君と一緒なら何でもいい、って言ったけどね、と向かい側から渋い声があがる。それにくすくすと笑いながら スザクよりに置かれた丸い器に、ルルーシュは手にとったスプーンを突き刺した。とても大きなプリンである。
「これ、何が上に乗ってるの?いちごとパイナップルと、メロン?」
「フルーツプリンだそうだ。名前に惚れて注文した」
勿論お前も食べるんだからな、と言って、付属についてきたキャラメルソースを自分のにはたっぷりとかける。てらてらと真っ赤な 果実にかかったソースが、店の明かりに反射して綺麗だった。
「ああ日々の疲れが癒される……」
「どこがですか。僕には胃腸への暴力に思える」
スプーンがさされた自分の器をくるりと返して、こちらへと差し出してくる。
「それは甘いもの好きな人間に対して失礼なことだぞ」
「失礼でもなんでも、甘いものは食べれても苦手だ。ゼリーとかならいいけど」
「じゃこれを進呈しよう」
「……ん?」
にゅ、と伸びてきたルルーシュのスプーンには、スザクでも食べれそうな桃がくっついていた。 それを口へと放られ、もしゃもしゃと黙って咀嚼する。ルルーシュはその様子に満足しながら、自分の器に手をつけ始めた。
「今日は稽古場のほうには来ないんだ?お前」
「うん。まだ舞台組むまで進んでないって言ってたし……、週末までバイトつめちゃってるから、そっちには顔出さないよ」
何かあったら呼ばれるだろうし、と口をもごもごとさせながら鞄へと手を伸ばす。携帯の時計を見て、そのスザクの動作から もう時間か?と思い慌ててプリンを飲み込んだ。
「余裕があったら今度はこっちから連絡いれるよ」
「へ……」 スプーンを咥えたまま、ジャンバーを着込む為に背中を向けたスザクへ、ぽっかりと瞳を見開いた。
「連絡……お前が?」
「12時くらいになっちゃうかもしれないけど。あ、これお勘定ね」
貧乏でも金に対しては厳しいのか、振り返り際スザクは小銭をプリン分置いていった。
そんな、と、まさかスザクから、という思いを合わせた視線でルルーシュが見上げたら、伸びてきたスザクの手に
帽子の頭をぽんぽんと叩かれた。少し目元に鍔の部分が下がってくる。それでもルルーシュは『あっ』と追いすがるように
去っていくスザクへ紫電を向けていた。
ん?とその視線に気づいて、喫茶店の外から軽く手を振られる。むっとした顔を見せれば、今度こそは何の未練もないというように
スザクは人ごみに混じっていってしまった。雑踏の群れをしばらく見つめて、また体の向きをテーブルへと戻す。
”彼”は、どこか掴み処がないようでいて、実は本当に触れることも手をかけることも出来ない人物なように思えていた。
だから出会ってから数ヶ月は他人以上に距離を空けていたけれど、ある時あることを切欠に、”彼”が特別にルルーシュが呼称する、
したい、と思う人物へと変貌した。スザクもルルーシュならいいと、今のような友人と恋人の中間のような関係になることを 許してくれて。
しかし言ってしまうと少し物足りないと思う所がある。
電話が苦手というスザクが、自分から連絡をいれると言ってくれるだけ上々なのだが、……何も欲しいのは気遣いからくる優しさ ではない。
もっとこう、こうなんか……ないんだろうか。 いつも自分ばかりが約束を取り付けるそんな一方通行な行為が、ただの自分の自惚れであると思わせないような
そんな感情が。 ”彼”にもあるのだろうか。 スザクもルルーシュに会いたいと思うことがあるのだろうか。 まだ、まだ足りない気がする。