あまりよろしい事ではないのは承知の上だが、ルルーシュは文化会館での稽古が終わった帰り道、 現在プー太朗なスザクが働いているという飲食店へ足を向けてみた。

勿論素性が知れてはいけないので、濃い度合いのサングラスを夜中だというのにかけ、頭には野球帽を乗せて こそこそと美味しそうなにおいで客を誘う看板を潜る。

『実をいうと料理なんてしたことないんだ』

と零すスザクが厨房とホールを行き来するその店は、主にご飯物を出す定食屋だった。 どうやら深夜2時まで開いているようで、なるほど客の出入りは活発らしい。もう11時となった今でも 店内は大半の席が埋っているという賑わいだった。
そりゃバイトで一杯一杯で稽古にも出れないはずだ。
「いらっしゃいませお客さま、こちらが空いていますよ」
きょろきょろと見っとも無く辺りをそうして見回していたら、後ろから声が掛けられた。丁度、鉄板を油が撥ねる音が食欲を誘う 厨房側からである。
「あ、はい、その……」
帽子の鍔元を指でおさえ、瞑目する自分は変質者のように見られてはしないだろうか? あたふたと口を開け視線を足下から恐る恐るといったように上げてみれば そこには昼間会ったばかりの、-------------そして様子を見に行こうと思った人物、枢木スザクがいた。
(……バレた)
彼の態度がそれを証明している。
にっこりと営業スマイルでカウンター席へと手を差し示す彼は ヒッと息を呑むルルーシュの姿を心中では悠然と見ているようである。

(ああどうしようどうしよう、なんて馬鹿を)

せめてこっそりと行くくらいなら変装でもしてきたほうがよかったのだ……、少し自分のドジな間違いに、店の暖簾で顔を隠してしまいたい という衝動に襲われたが、とうのスザクはルルーシュの来訪には何も言わず、ただ無言で奥の座席の椅子を引くのみ。
定食屋のイメージカラーである橙色のエプロンを腰に巻いたスザクは、舞台ではトンカチひとつ持って端から端へと走り回っている 舞台人とは思えない姿で。 流石に、場違いかもしれないが、……ちょっと無理してでもここへ来てよかったなあと思ってしまった。
照れるようにルルーシュは 素早い動きで席につく。
「えと、メニューは」
「こちらです」
「あ、あー……えっと」
「ゆっくり見ていて下さいね。お茶持ってきます」
臙脂色の冊子をテーブルの上へ開いて見せてくれ、まだ落ち着きもなく視線を彷徨わせるように、カレー定食とか中華定食とか書かれた ものを追ってみれば、彼はルルーシュの背中からゆったりとした声で焦ろうとする気持ちを落ち着かせてくれる。
『うう……』と内心では唸りながら、湯気のたつお茶を持って来てくれるスザクが到着してしまうその前に、 ルルーシュはびっ!と強く、(我ながら早く)ある一つのメニューに指を置いた。 そしてそのメニューは、

「-------------おまかせ定食!」

ぶっ。

お茶を片手にした彼が大いに噴出す声が聞こえた。 悩んでも悩んでも結局は誰かに答えを任せてしまう、そして自分の選択の優柔不断さ加減にスザクは 可笑しさを感じたのだろう。
「何だよ……」
じっとりとした目線でサングラスごしに睨みつければ 「ごめんなさい。すぐお持ち致しますね」 と、彼は軽く肩を竦ませて、『熱いから気をつけてね』と湯呑みを差出し、下がっていった。
どうやら今の時間は彼が給仕で、ここの定食屋を切り盛りしている老夫婦が厨房に入って居るようだった。 もっと短時間で収入の多いチェーン店などにすればいいものを。ルルーシュの親戚はそういう事業には事欠かないから 『紹介してやろうか?』と訊いてみたこともあったのだ。しかしスザクは黙って首を振るのみ。どうやらここの定食屋で 働くのにはそれなりの理由があるようだった。
スザクはルルーシュと別れた昼の三時から、休憩も挟んだだろうがそれでも、七時間は働いていることになる。 普通ならば考えられない時間で。他に雇い手はないのだろうか、と他のアルバイト募集の紙でも張ってあるんじゃないかと 顔を巡らしてみれば、傍にある壁やテーブルにはそれらしきものが一枚もなかった。というか目で見る限り、本当に スザクと老夫婦しか店に居ない。こんなんで体が持つのかと心配になる。
(……知り合った頃はこんなに働いてる奴じゃなかったんだけどな)
ボランティアで舞台を手伝う余裕があったくらいなのである。高校は定時制で昼間はホームヘルパーの助っ人に出ていた彼は 他にバイトと言えば臨時で入る地域の集まりとかそんなものしかなくって。 貯金だってしてるんだしそんなに働いて稼がなくてもいい筈なのだ。それなのに何故ルルーシュと付き合いだして 成人してからも、こんなに忙しくしているのか。
(……別に)
個人的に会う時間が持てないから、こんな風にいじけているわけではないのだ。
決して 人として友人として心配しているのだ。自分は。 そりゃ、突然やって来たのに関わらず、怒りもせず嫌な顔もしないで優しく手招いていてくれた店員の彼を、 単なる”ルルーシュ”として、愛しく思わないはずではないのだが。
でもそうだからといってルルーシュがえらそうに『働きすぎなんじゃないか』と大人ぶって言えるわけでもない。 実をいうと彼とは境界線をずっと広くもたれている。スザク自身、人は人、自分は自分。すべては彼が培ってきたその物差しで 長くやることも短期ですることも選択して、やろうとすることにしている。その姿勢は男として憧れるし 人としてすごく羨ましいと思う。 そんな彼と比較して、自分はどうだろうか。 役者を志そうとしたのは、スザクへ『見てろよ』と啖呵を切ったのが始まりで、……大声で言えたことではないが、 大学へ進学が決まったら舞台からは撤退しようとかなんて考えていた。
でも今の扇が主宰する劇団が本当に自分にとって居心地よくて、親もいないルルーシュには、安心出来る唯一の場所だったのだ。 だからルルーシュは、上がってくる人気と、出演を依頼してくる劇団の数に比例するような強さで決断をし 今のような”学生”と”役者”の二足の草鞋を履くようになった。 生活していく上で難しさは色々あったが、今は今のままで続いてくれればいいと感じる。だからこそルルーシュは スザクを一歩離れた位置から見る必要があったのだ。
甘えてはいけない”身近な他人” 越えてはならない友人と恋人との”間”

(本当はこの変装だって解いて、……素顔のままお前と出歩きたいんだ)


雑誌にだって普通に載る今のルルーシュには、到底叶えられない望みだということは解っている。 でも、

「もし叶うなら……」
「---------どうしたの?」

へ、と口を開けたまま、随分長く物思いに沈んでいた顔をあげた。すぐ傍に翡翠の目がきょとん、と瞬いている。 注文の品がきたらしかった。
「う、え、あ、そのっ……」
「また役のイメージ作りに没頭してたんだ?君、テーブルのほうじーっと見てたよ」
「そ、そんなに」
辺りを見回したら先ほどまで満員だった店内は一変、気づいたら客はルルーシュ一人きりになっていた。
「後は1時くらいになったら、駅前の工事やってる人たちが来るくらいかな」
「ふうん……。お前、12時には連絡入れるって言ったくせに。その調子だと閉店まで居残るつもりだったんじゃないか?」
料理を運んできた両手を出して、ひとつずつ器をテーブルへ置いていくスザクにルルーシュは口を尖らせた。 どうやら最初から無理であろうことを、嘘っぱちで自分に『する』と宣言したらしい。
(電話がくるかもしれないって思ってたのに)
途端機嫌を損ねた子供のようにぶすくれたルルーシュは、テーブル脇にある箸立てから一本取り出して 『おまかせ』である定食に手をつけ始めた。……腹は減っている。 スザクは顔をふいっと背けた黒髪を見つめながら、バツが悪そうに天井を仰いで、数分考える素振りを示す。 その間にもばくばくとルルーシュはご飯をかき込んでいき、もごもごと咀嚼して、スザクに淹れてもらっていた茶に手を伸ばして 口の中のものと一緒に飲み下す。さみしかった腹が徐々に食欲とともに満たされていくのが解った。 黙々と背中にスザクの気配を感じながらルルーシュがそうしている時。 丁度老夫婦が次に来るだろう工事現場のあんちゃんたちのラッシュに備えて、休憩を取る為に奥へは引っ込み始めた頃。 突然、黙ってしまったスザクの腕がルルーシュの首に伸ばされた。
『え』と振り向く余裕もない所で---------------柔らかい皮膚に息が触れる感触がして。 キスなんてしたことがなかった。だから声もなく驚いた。 座っている体勢から顔だけ後ろへ逸らされて、背後から屈みこんだスザクに唇を奪われる。重ねられるだけのもの。
『ちょ、おい』と肩を強張らせれば生暖かくしっとりとしたそれは、すぐに離せられて。

「…………!」

バッとすごい勢いで口を覆い、熱が集中した目をスザクから逸らした。 今まで付き合うようになって手を繋ぐことさえしなかった自分たち。 なのにどうしてこんな時になって、何年も経った後で、境界線を引いたその距離を縮めてきたりしてくるのだろうか。
「な……何で、」
「さあ」

ずっとこのままの状態が続くと思っていた。 ”他人”の関係。 だって……スザクは自分ほど愛情を持ってたりしないと思っていたから。いや俺は自惚れていたのか?
(スザクはスザクのままだと不安がってでも実際は、この”まま”がいいと……)
何て馬鹿なんだ俺は。 キスをされたことに、少しの恐れを感じるだなんて。 スザクに”触れる”のが怖かったのは、---------------俺だ。 箸を持ったまま硬直するルルーシュの髪から手を離して、スザクは翡翠を軽く伏せて、『ふっ』と声にして笑った。
「どうしてだろうね。いつも思ってるけど、普段以上に君をかわいいと思ったからかもしれないな」
「まさか。お前そんな人間じゃないだろ……」
その言葉にすぐに言い返すルルーシュは、力の入らない手でドン!とテーブルを叩いた。けれどそんなものは威嚇にもならない。
「かわいいし、かっこいいよ君は。顔の造形とかそんな問題じゃなくて……」
「……」
「少ない時間の中でも、過ごしてると楽しいと思う」
「……」
「一緒に居られるだけで嬉しく感じる。これは」
嘘じゃないよと、か細くスザクは口にした。
それに耳も塞げなくて。ただカーッと顔を赤くさせる。
(そんな嬉しいこと)
俺が意を決して告白した時でさえ言ってくれなかったじゃないか、とひどく殴ってやりたい欲求に駆られて でも体を大事にしなくてはいけないのは彼も自分も同じであるから、結局は出来なかった。 ガチャンとみにくく音立てて小銭だけ放り、『ごちそうさまです!』と厨房の奥に叫ぶだけして外へと走っていく。
百円玉と五百円玉をぶつけられたスザクは、たかたかと去っていく革ジャンにサングラス野球帽のルルーシュを 呆然と見送るだけで、追いかけることはしなかった。



部屋に戻って風呂に入り洗面台に立つ時でさえ、ふっと思い出してしまえばたちまち全身は火照っていき。 その度にキスの感触を振り払うがごとくルルーシュは頬を全力で殴打し(自分で) むくむくと外的な要因で顔を赤くさせながら、布団に潜り込んだ。

混乱する。 とても好きで。好きだからこそ、キスされたことも嬉しいはずなのに。
「ぅ---------------…………っ」
でも何だか”彼”は違うのだ。 たまに見つける、指と指を絡ませるように街を歩く恋人たち。 舞台の関係でフリでもいいからキスをする時。 照らし合わせてみても、ルルーシュが望むスザクとの関係にはどれもそぐわない気がしてしまって。 だから混乱するのだ。 好きだけど、その”まま”がいい……? 本当は触れたいと思ってたのはスザクのほうであったはずのに。ああ、もうくそやろう。俺は明日からどう顔を合わせればいいと いうんだ。

邪魔をしていたのは俺自身だ!
スザクに境界線を引いていたのは俺自身だったんだよ。


木枯らしに肌を寒くする季節から本格的な冬となった今日。 とうとう仮舞台が稽古場に設置されるようになり、役者陣も台本を外して、一幕からの通し稽古をするようになった。
当然舞台担当……というか、裏方全般を任せられているスザクは、演技指導の時間にも顔を出すようになる。
演出席である仮舞台の中央寄りの端から、ノートと図面を片手にもって、そこに立つルルーシュと他の役者を眺めることになるのだ。 で、 舞台装置は一体いつ作るのかというと。実は作業場は、外気温が低すぎて通常の場所は使えなくなっているので 自然と稽古の後にその稽古場を間借りして、作ることになる。
でもまだ細かい装置(椅子とか机とか書割)なら自分だけで作れるとスザクは他のメンバーへと言って メンバーもメンバーで家庭とか本職があるものだから、その頼りがいのある、現実的には舞台監督といってもいいスザクの 言葉に甘えて、彼一人に作業のほうを一任することになったのだ。
「じゃルルーシュくん。明日は朝からよろしく」
「あ、はい。お疲れさまです」
稽古場もとい会館からさって行く仲間たちに手を振って、ルルーシュも同じく帰り支度を済ませ出て行こうとしていた。しかし 控え室のほうから稽古場のほうへ視線を向けてみると、そこにぼんやりとハンドライトのようなものがあることに気づいて 『あいつまだやってるのか』とその場で地団駄を踏んだ。
ルルーシュは飛ぶような速さで扉と廊下を越え、スザクがトンカチを振るう稽古場まで戻っていった。 が、勢いはそこまでで。 「……む」 音が立てないようにドアノブを回して、中を覗いてみる。 そうしたら丁度彼は、舞台を組む平台という土台の、足場ともなる箱馬という装置を作っている最中だったようで。 ノコギリ片手に材木を切ろうと片足を床について腕を手前へ引こうとしていた。冬であるのに動いていると暑いからか 黒のジャージは袖を捲くっている。ルルーシュはそのスザクに空気のような存在感で近づいて、 自分の持っていたマフラーを寒そうな首元へかけてやった。後ろから。 首はあたたかくして守らないとすぐに咽喉をやられてしまうから。
「あ」
「……よう」
振り返る翡翠を直視出来なくて、視線を足元まで落としてしまう。
「はかどってるか」
「まあまあ」
「手伝おうか」
「え……」
言葉は静かに、すんなりと前に出てしまった。 屈みながらスザクは瞳を上げて『いいの?』と訊いてくる。それに勿論だと頷いて、 彼の横へと移動してそこに座り込んだ。ノコギリで切りやすいように、材木を押さえてやるためである。
「予備校の勉強はいいの?」
「電車の中でも出来る」
「器用だな」
「……まあ、いいじゃないか」
手伝いたいんだよ、と零すように言って、『さっさと引け』とスザクへ催促をした。 下手な人間ならば10分経とうとも進まないというノコギリは、彼が扱えば五回ほど往復しただけで パカッと裁断されてしまう。
『はい次』と手近にあるものをルルーシュは渡した。今度は無言でスザクは受け取り、また腕を前後に引きだし始める。 そうして一時間ほど没頭した後。とうとう切る材木もなくなって二人で人心地つくように 稽古場の地面へぼすんっと座り込んだ。
スザクはルルーシュが首に巻いたマフラーを外して上下ともに折り重なるよう綺麗に畳み 隣の膝へそっと返してきた。
「帰りまでつけとけよ」
と言ったら 「悪いから」 と、にべもなく、柔らかな拒絶を示される。 こいつ……。
「なあ、スザク」
「ん?」
「俺が逃げたこと、怒ってるのか」
「…………、まさか」
悪いことしたなあ、と思ってるよ、と、またいつかのように諦め顔で微笑まれて。 この、馬鹿。

「したいからしたんじゃないのかっ。お前!」
「でもあの時は君のこと考えてあげられなかったから、いけなかったなあ、って反省したんだよ僕は」

しかもバイト先だったしね、と付け加える。 かあっとまた顔に熱が集中するのを感じたが、構わずにありったけの思いをぶつけてみた。
「反省なんかするな!俺だってしたかったのにっ」
えっ、とスザクの顔があげられる。 ルルーシュはマフラーを掴みながら、紫電は逸らさないように”彼”を睨みつけた。
「今までお前は誰と付き合ってるつもりだったんだ」
「……君」
「”君”じゃない。俺は誰だ?」
「……ルルーシュ」
「そう」
「ルルーシュ・ランペルージ」
「……」
解ってんじゃないか。 紫電を鋭くしたまま言外にそう伝えれば、スザクが困ったように木屑のついた指で頭を掻き、う〜ん……と俯きだした。 よく見れば耳の辺りを赤くして。
スザクは直に座っていた腰を地面から起こして、立った状態でルルーシュを見下ろした。 尚も変わらずきっ、と見つめ返すその眼光の強さを見てスザクは小さく溜め息をついて。
「君は役者で舞台の人だったから、あんまり高望みはしないように頑張ってたんだ」
それほど強い音にはせずに、二人しかいない稽古場にも充分染み渡る声で、そう呟いた。
初めて互いのことを知った当時は、まだ境界線は開いてなかったから。 近づこうと思ったその時には、ルルーシュは時の人として多くの劇団から必要とされる存在になっていたし、 同時に夢を持つような普通の青年でもあったから。 自分のようなその日限りで生きてる奴が、拘束していい相手では……。
「抑制するのには慣れてたんだ」
「……スザク」
「慣れてたよ、慣れてたんだけどね、でも……」
この間バイト先に君が来た時は参ったよ、と言われた。
「普段はびくびくしながら誘いをかけてくるのに」
「う……」
「あの時は約束もなく訪れたから。一瞬見間違いじゃないかと思った」
でもご飯まで食べてってくれたよね、と笑う。 ルルーシュはそこからはもう何が何だか解らなくなってきて いつの間にか伸ばした手に彼の手も触れていることに気づき、思わず涙腺を緩ませた。
「キスしたこと怒ってる?」
「怒って、ない……。だから、俺もずっとしたかったって言ったじゃないか」
「そうだね」 「スザクがスザクのままで居られたらいいって思ってたから、俺、そんな強引には出れなくって」
「……」
「でも逆に遠ざけてたのは俺なんだな。ごめんな。無理してたんだよな、ずっと」
ぐすぐすと鼻を鳴らしだしたルルーシュの顔をじっと見ていたスザクは、重ねた手に指をそっと絡ませて 雫が溢れてこぼれそうになっている目元へ、口付けた。
「あ」 とまたルルーシュは硬直する。 でもすぐにその顔から赤みがひいていって、落ち着いた頃には自然と瞼が落ちていた。 劇団のメンバーが立ち去った後の稽古場で、付き合い出してからおよそ数年が経った後、スザクとようやく恋人らしいキスをした。 触れるだけのものを一回。次いで唇を琢ばむように噛み、少しだけ舌を絡ませて吸い合ってみた。
ぞくん……と背筋が震えた気がする。 その感触に驚いて目を開けば、更に吃驚するほど近くにスザクの顔があることに気づいた。いや、当然のことなのだが、でも、近い。 恥かしさもあってそれ以上は進めなくて、ルルーシュから『日付越えてる』という声が上がるまで お互いに手を繋ぎ合っていた。それだけの接触しかしなかった。




(ルルーシュ・ランペルージ)
”ルルーシュ” 個人としての”彼”。

僕にとっては両手に抱えきれないほどの宝物に思える。



スザクはある時、中学を卒業する前に一度暴力沙汰を起こし、停学処分をくらっていた。
担任からは『反省文を書けばいい』と 言われて、ちゃんと卒業の道も進学の道も残されていたのだが、スザクはそのどちらにも興味や希望、関心が向かなくなって 結局は自主退学という道を選んだ。
高校には適当に受けた定時制へ進み、両親のツテから得たホームヘルパーの介助を二足の草鞋とし、日々を送るようになっていた。 しかし、ふとした所である公演が地元の劇場であることを知り、丁度お世話になっていた介護先のお年寄りが『行きたい』と 言ってくれたから、同伴という形でスザクも観覧してみたのだ。
その時の舞台に端役として出ていたのが、まだ高校生にもなっていないルルーシュ・ランペルージで。 実をいうとスザクはルルーシュよりも二年年をくっている。
彼が中学二年、自分が高校二年の頃に、正式には出会いを果たしたのだ。 それからスザクは両親に頭を下げ、扇という人物に自分を紹介してもらった。彼はルルーシュを雇う劇団の団長だった。 『力仕事なら何でもやる』と言うスザクをどう思ったかは解らないが、扇は自分の入団を快諾してくれて、無事高校三年の頃には 舞台係として裏方をやらせてもらえるようになった。


いつも舞台袖から、台本を睨むように見るルルーシュの姿を眺めていた。

自分の最初の役割は、インカムから出される演出の合図を受けて、それを全体の音響、照明、大道具のメンバーへ発信するというものだった。 当然ながら本番中は常に舞台の中に居た。時には台本を覚えてない人間の為に、その大道具の中に潜り込み ド忘れしてしまった所でセリフを投げかけてやるプロンプという仕事もした。しかしとうのルルーシュは、その役者の為の親切な措置が 大嫌いで。
スザクが平台の隙間に身を伏せて一度セリフを飛ばそうとした時、ルルーシュはプロンプの存在に気づいたのか突然アドリブを 始め出した。全員が一瞬凍りついたほどの唐突さである。後で勿論ルルーシュは扇や千草たちにこっぴどく怒られたが それでも自分の生の声でセリフを飛ばすのに信念を持っていた。

(かっこいいな)

それが最初。
次に『もう駄目だ』と思ったのが、彼が始めて代理ではあるが主演として舞台に立った時。
その日も舞台袖にスタンバイしていたのだが そんな舞台を見るのには適していない場所から見ても、あの時のルルーシュの壮絶な演技は言葉には現せれないものだった。 元々の女優が有名な人間であったから、余計に。 でもそんな羨望や一瞬のときめきだけで恋に落ちるわけではない。 スザクはその時、いやその少し前に、本番前に緊張するルルーシュを見ていたのだ。

照明の強さで色の変わるドレスをつけて、その裾を頼りなくもちながらぶつぶつとセリフを暗唱している”彼”の姿。 その彼が、舞台の幕-----------緞帳があがると同時に落とされた照明の中で、ぼんやりと上を見上げたのだ。
何かあるのだろうか、と思って後ろから一緒に眺めてみても、何があるというわけでもない。ただ普通にスタッフが天井の照明を つけかえるバトンと梯子が針金のように広がっているだけで。 不思議に思ってスザクは、そのぼんやりと上を眺める彼へ訊いたのだ。どうした、と。
そうしたらルルーシュはピク、と一度だけ肩を震わせて振り返ってきた。
『どうしたというわけじゃない、ただ』
『……ああ』
『照明が、昏い夜に輝く灯台の明かりみたいに浮かんでる白い月のように見えてて』
『…………』
『その明かりが幕開けと共に落とされちゃうのに、舞台っていうのは暗闇から何でも始まるんだな、って思ったら』
緊張に怖さを覚えるより、この舞台そのものに恐さを感じた。 スザクはその言葉を聞いて、自分の内面のずっと奥底にある部分が、ガラガラと崩れていくのを感じた。
ルルーシュは、この舞台に生かされている人物である。 その彼の世界は虚無から始まり、舞台が終了してカーテンコールとなった時……ようやく明るい世界に戻り 一区切りを打つことが出来る。 彼のその時の言葉は、内面に潜む狂気を孕んでいる一言であった。
スザクはそんな風に語るルルーシュこそ、共感し、感銘を受け、好きになることができる。

”ルルーシュ”が好きだ。

それはルルーシュ初主演の舞台が終わって半年が経った頃、彼本人からされた告白にスザクが返した言葉だった。
結びつきの強さを選べるなら、”他人”とか”個人”とかいう枠よりも、ただその”名前”の為にのみ存在する”自身”を 見て、……知ってて欲しい。
(狂おうとしているのは君だけじゃない。僕もだ)


人とは他人を演じて生きていく生き物だから。





あの稽古場でのキスの後、変わったことが一つある。
それはルルーシュとスザクの間でされるコミュニケーションの一つに、携帯メールが付加されたことだ。
「あ、来てる」
ルルーシュは予備校の後すぐに電車へ駆け込む慌しい生活を送っているが、 今日そのメールを開いたのは、たまたま道の途中で、頭上広がる夜空を見ていた時。 自分が送ったその返事以外に自発的に送られてくるものがなかったから、少しどぎまぎと胸を騒がせながら スザクからのそれに目を走らせた。

『-------------お疲れさま。  誕生日だね、おめでとう』


「すご……」

口で御祝いを言われたことはあったが、メールでは初めてだった。
しかもいつもの『はい』か『うん』で終わるメールよりもずっと 長い。ルルーシュは感動のままに、その場に座り込んでじーっと文面を何度も何度も紫電に納めた。
「ん?」
十字キーの下でスクロールしていくとまだ文章があるようで、 ルルーシュはそこにも目を落として、……暫し、嬉しさに震えていたその声を失くした。
あまりにその言葉が自分には勿体ないものだったから。




”月が出てる。君みたいだ”